夜雨
雨の日の夕暮れ、いつも通り酒場向けの入荷の品を運び入れる。こっちの世界でも雨は降るんだな、なんて思いながら運んでいると、トロが俺を呼んだ。
「もう、店を閉めようか」
「えっ、いつもよりだいぶん早いですね」
「お客さんはほとんど来ないと思うよ」
たしかに、昼の客は普段の3分の1ぐらいだった。
「食材、余っちゃいますね」
「大丈夫。僕たちの今日の夕食にしてしまおう」
「いいんですか?」
「腐らせるわけにもいかないからね。痛みやすいものから使おう。タクトくんも料理手伝ってくれる?」
「もちろんです」
釜に火を入れることはできないが、料理のいくつかは教えてもらった。ただ、看板メニューのオムレツはまだまだマロンが作るような、ふわトロの絶品は作れない。
三人で食事をとっていると、玄関の呼び鈴が鳴った。食堂の仕切りは外していないので、宿屋の出入り口は玄関しかない。
「宿のお客さんかな」
「俺、見てきます」
城での一件があってから、報復してこないか毎日気にしていた。深夜の客なんかは、率先して俺が対応するようにしている。
警戒しながらゆっくりと玄関を開けると、そこには雨に濡れてびしょびしょになったマーリーがいた。
「え? な、なんでここに……」
外付けのランプに照らされたマーリーの顔は青白く、目は虚ろだ。
長い金髪は首筋や頬に張り付き、白いローブの裾は、跳ねた泥で汚れている。そして、裸足だった。
「た、助けて……」
ガクッ、と気を失ったマーリーは膝から崩れ落ちた。
もし抱いて受け止めなければ、顔面を石畳に打ちつけていただろう。
俺の耳元でマーリーは小さくうめき声を上げる。不意に手をやったマーリーの背中に硬い物の感触があった。
「うわっ! ナイフだ……!」
マーリーの細い体に突き立てられたナイフ。
突き刺さったまま走ってきたということなのか?
それほど深くないし、とりあえず抜くか?
ナイフを抜いて捨てると、先端に付いた血が水たまりに広がる。
マーリーは痛みに反応しない。完全に気絶してしまったようだ。
ふと雨音に紛れて足音が聞こえた。
「キミ……その子をこちらに寄越しなさい」
雨の夜闇から、男の声が聞こえた。
目を凝らすと、兵士ではない旅人の服を来た男が4人いる。帽子を被り、手にはナイフを持っていた。さきほど投げ捨てたナイフと同じものだ。
「キミに危害を加えたくないんだ。さあ……」
瞳をギラつかせて、口元だけで笑う不気味な男が近づいてくる。同じような服装をしていて、見た目は旅人だが、城の兵士のような統率感があった。
状況からしてマーリーは城を逃げ出してきたのでは、と思えた。なぜ城を逃げ出したのか。もしかすると、召喚もこいつらに脅されながら、やったのか……?
分からない……分からないけど……もしマーリーをこいつらに渡してしまったら、二度と会えない。そうなったとき、俺は正しい選択をしたと思えるのか?
「さあ……キミなんかには関係のないことだ。命はひとつしかない。大切なものだろう……?」
「……彼女は、俺に助けてほしいと言ったんだ」
俺の言葉を聞いて、近づく男は歩みを止めた。
「それが……何か? キミとなんの関係が?」
「ここは、宿屋だ。そして彼女は客……凶器を見せつけて命令するような奴に渡すわけにはいかない」
「はぁ……お前みたいな月並みな町人が何を言っているんだ……ああ、イラついてきた……エルフの色香にでも惑わされたか!」
眉間にシワを寄せた男は、手を振り上げてナイフを掲げた。
その瞬間、俺は大きな風の魔法を唱える。
詠唱の訓練の成果なのか、淀みなく正確に唱えた魔法は、投げたナイフを吹き飛ばす旋風を巻き起こした。
「くっ……!」
イガンデが吹き飛ばされた狂風の威力を、男は即座に見切った。身を翻し、横歩きの奇妙なステップで回避する。
「……貴様! 何者だ!」
他の三人が俺を囲むように広がり警戒した。
「まずはロトン様に報告しろ! 四つ角の宿屋に強力な魔法使いと、召喚師マーリーがいることを!」
俺の魔法をよけたリーダー格の男が、指示を出す。
「しまった……!」
マズイっ、こいつら城の兵士たちを呼ぶ気だ!
端にいた男が闇に逃げ去ると、ドガッと鈍い音がした。
「ロトンの手下か……」
連絡のために逃げた男を担いで、夜闇から現れたのはリアクだ。
「なっ! リアク殿?!!」
リーダー格の男も、そして俺も目を見開く。
「……悪いが、僕はガイア帝国側の人間じゃない。それを、タクトくんにはちゃんと伝えておきたくてね。で……再三悪いが、それを聞いた君たちも無事に城には帰さないよ!」
ど、どういうことだ……?
マーリーもリアクも、ガイア王に従うフリをしていたってこと?
なんだか、どえらいものに巻き込まれていってる気がする。
三人はリアクの殺気に圧されて、後ずさりする。
指揮していた先頭の男が声を荒げた。
「気圧されるな! 私一人逃げれば我々の勝利! お前たちは盾となれ!」
その声に反応して男二人がナイフを手に、持てるだけ取り出し、リアクと俺に投げつけた。
投げナイフのスピードを一度見た俺は、十分な安全圏を見極めていた。到達するのにかかる時間。それは詠唱に余りある時間だ。
「水の精霊よ。魔力と引き換えに、大きな水の魔法を発現させたまえ」
唱えた俺から扇状に、青白い波動が拡がる。
降り注ぐ雨の一滴一滴が凍りつき、叩き落され地面に落ちたナイフ。
水たまりから氷樹が立ち昇り、男たちのブーツとズボン、そしてリンネルのチュニックを凍らせた。
「ガアハッ……」
三人の男たちは石像のように動けなくなった。
肺にあった生温かな吐息を最後に、ガチガチと歯を鳴らす。
辺り一帯はスケートリンクのようになり、そのうえをピシピシと音を立ててリアクが男たちに近づく。
「どうやら僕の出番はなかったようだね。まったく……なんて威力だ」
根を張って動けない男たちを、ひとりずつ畑から野菜を抜くように胸ぐらを掴んで氷上から剥がす。
「ともあれ……僕に向けて魔法を放つのは勘弁してくれよ。タクトくん」
そう言い残して、四人の男どもを回収するとまた夜闇に消えていった。