義妹に振り回されてあわや処刑されるところでしたが愛しの騎士様が助けてくれました。
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キラキラとした満面の笑みで微笑むあなたはわたしにとって、いえマジコット家にとっても天使であり光だ。
こんな尊く美しい光はないだろう。
汚さないよう大切に、ずっと見守ってきた。それはこれからもずっと続いていくものだと考えていた。
「聞いてエルバ!僕ね、騎士学校の大会で優勝したんだよ!」
レヴィン様は可愛らしい御方だ。素直で優しく誰にでも笑顔を見せてくださる。
マジコット家に使用人として入った時も右も左もわからないわたしに明るく声をかけ『大丈夫だよ』と元気づけてくれた。
五歳も下の男の子に勇気づけられるなんて恥でしかないが、その時のことが今も忘れられないほど彼に救われたのだ。
そんな彼も騎士学校を卒業される。わたしの胸ほどしかなかった身長はわたしを追い越し頭ひとつ分高くなった。
薄く華奢だった体は筋肉がつき男らしくなられた。丸みがあった頬は削げ落ち、精悍さと凛々しさが前面に出るようになった。
真剣な表情で見つめられるだけで心臓が早鐘を打った。
「辞めるって本当なの?」
いつも笑みを絶やさないレヴィン様が真剣な声でわたしを問いただす。
早足で邸内を歩くレヴィン様に珍しい、何かあったのだろうか?と頭を下げたら手を取られ軽く引っ張られた。
驚きで顔を上げれば困惑してるような怒っているようなそんな顔で見ているレヴィン様にドキリとする。
何か粗相をしてしまったのだろうか、と内心慌てながらも顔には出さないように是と答えた。
わたし、エルバ・メナードはこの度結婚が決まった。お相手は騎士爵のサンドル・グラース様だ。
お互い仕事で忙しく一度も顔を合わせたことはなかったがグラース家から是非にと請われ婚約が成立した。それが一年前。
三ヶ月後にはサンドルと式を挙げ結婚する予定だ。
そしてレヴィン様は卒業と同時に寮生活からこちらのタウンハウス生活に戻られるのとほぼ同じ時期に入れ替わるようにエルバが伯爵家を出て行くことになっている。
それを知ったレヴィン様は寮から着のみ着のままタウンハウスへと戻ってきてエルバに問いただしている、ということだ。
「その通りでございます」
「そんなの僕は聞いていない!」
知っているはずがない。わざと教えなかったのだ。奥様や他の使用人にも口止めしてもらいギリギリまで知らせなかった。
顔を上げれば今にも泣きそうなレヴィン様が見え胸がズキズキと痛む。感情豊かなレヴィン様は小さい頃はよく泣く子供だったそうだ。
お世話を始めた頃でも剣の鍛練でうまく行かない時、愛犬が天に召された時も感情の赴くまま宝石のような美しい涙を流した。
貴族はその立場や身を守るために感情を隠すことが必須とされている。レヴィン様はその年頃にしては感情が豊か過ぎていた。
けれどわたしはそんなレヴィン様の素直さが好きだった。
不敬な話だが弟みたいで可愛かったし、愛しかったから心を痛め涙する姿を不謹慎にも美しいと感じていた。
主人に仕える身で不適切な考えだがわたしは彼に親愛の情を感じていたのだ。
ただ長く務めている使用人ならともかく行儀見習いで入った腰掛け仕事のわたしがそんなことを考えていては後々支障が出るだろうとも思っていた。
わたしが抱く感情は恋愛でないにしろ仕える者が抱くには行き過ぎた不敬な感情だ。バレればレヴィン様から距離を取られてしまうだろう。
騎士学校を卒業すれば伴侶選びも本格的になる。そうなった時自分が抱く感情はマジコット家に相応しくないものだと考えていた。
潤んだ瞳は怒りも混じっているがその奥には欲が孕んでいて、声色はどちらかといえば悲しみの色が濃かった。
いつ頃からそう感じるようになったかはわからない。
自分に都合のいい勘違いだと思うがレヴィン様と話すとそう感じることがどんどん増えている。
垣間見たものに毎回気のせいだ、と思いつつも『もしかしたら』と期待する自分にもうんざりしていた。
「卒業したら一緒にいれるって信じていたのに…」
悲しげに落ちた視線に胸が張り裂けそうになる。違います、と否定できたらどんなによかったか。
けれどわたしはただの使用人。しかも平民だ。
彼の隣に並び立てる日など来ることはない。あってはならない。
「お力になれず申し訳ございません。レヴィン様のご活躍とご多幸を遠くからお祈り申し上げます」
掴んでいた手がだらりと落ちて離された。
引かないわたしに落胆したのだろう。それでいい。それでいいのです。
不埒な考えを持つ使用人など忘れるくらいが丁度いいのです。
「夢はもういいの?諦めるの?」
縋るような、確認のような言葉に苦笑で返した。
わたしが語った夢をまだ覚えていてくれていたなんて。それだけで胸がいっぱいになり鼻がつんと痛くなった。
「女のわたしには過ぎた話だったのです。家の役に立ててわたしは本望です」
心にも思っていないことを口にして薄く微笑めば、レヴィン様は悔しそうにくしゃりと顔を歪めた。
そんなお顔も愛しいと思う自分にこうなって良かったのだと言い聞かせた。
◇◇◇
わたしは商家に生まれた娘だった。
程よく資産があり長男がいるから家を継ぐ必要もない。
貴族の家で行儀見習いをした後は試験を受けて文官になる予定だった。
別に超難関で倍率が高い王宮勤めをしたいわけではない。地方でもどこでもいいから自分の力で働きたかった。
自分の力試しがしたかったのもあるが高い給料が出るところで働ければ弟が安心して学校に通うことができる。
わたしが行儀見習いに来ているのも将来弟が困らないように自立しようと思ったからだ。
その間にわりのいい嫁ぎ先が見つかればそれはそれでいいと考えていた。
恋愛に興味ないわけではないが、出逢いよりも奉公先でレヴィン様という支えがいのある御仁を見つけてしまい仕事が楽しくてうっかり忘れていた。
それでもいつかはマジコット家を出て行くのはわかっていた。だからレヴィン様にたまたま夢を語っても時期が来たら伯爵家を出て行くと伝えていた。
ちなみにそれを聞いたレヴィン様は嫌だと泣きじゃくり『試験勉強も、文官になってもマジコット家にいてくれなきゃやだ!』と大騒ぎ。
奥様が駆けつけてくるまでレヴィン様はわたしにしがみついて離れなかった。
旦那様達にはレヴィン様がわたしを気に入っていると勘違いされてしまい、忠誠心が薄いわたしに『息子が継ぐまではいてほしい』と頼まれてしまった。
もったいない言葉だが内心嬉しかった。この先もずっとレヴィン様とマジコット家にお仕えすることができるのだと光栄に思っていたが、状況が一変することが起こる。
わたしが行儀見習いに家を出た後、実は姪を名乗る義妹が実家にやって来た。
彼女は見た目のわりに質素な服を着ていてなんともちぐはぐな印象を受けたらしい。
だが話してみれば間違いなく平民で、住んでいた場所、両親の名前を聞いたが考える素振りも嘘をついてる様子もなかった。
持っていた手紙を一応調べてみたが姪という少女は確かに親戚の子供だった。しかしその親戚と関わりもなければ姪と名乗る義妹と会ったことがある者もいなかった。
手紙には『娘は幸運を運ぶ青い鳥です。是非とも学園に通わせてほしい。間違いなく高位貴族に見初められあなたの家を裕福にしてくれるでしょう』と予言めいたことが書いてあった。
義妹は平民にしてはとても顔立ちが整っていて美しかった。
これなら正妻は無理でも愛人くらいは可能かもしれない。
不貞は御法度だが、相手の伴侶または婚約者が認めれば愛人を作れるのだ。それは国の法律にも記載されている。
愛人にも契約があり、その際仕度金に準じる費用も出る。給料制と言ってもいい。
だが平民が学園に入学するにはそれ相応の費用が必要になる。現在家にある資産は弟が入学し卒業するまでの分しかなかった。
母は手紙を気味悪がり義妹の容姿も恐れた。どちらの血も一切感じられない突然変異と思えるような美しさを持っていたからだ。
だが父は違った。義妹の家族は事故や病に見舞われもうこの世にいない。
そんな不憫な娘を親戚の自分達が見捨てては先祖に申し訳が立たないと言って義妹を引き取った。
そして弟には入学を一年先延ばしにしてもらいその間に義妹には嫁ぎ先を見つけリターンを得る。
義妹の容姿なら先行投資しても何かしらの利益があると踏んだ父はメナード家の者として学園に入学させた。
しばらくは問題もなく過ごしていたようだがある日突然エルバの元に父から手紙が届いた。
緊急で話がしたい、と書かれてあり驚きながらも休暇の申請を出して実家に向かった。
聞いた話はとんでもないものだった。
父の予想通り義妹は学園でも一際目立つ存在として注目を浴びた。それは高位貴族だけでなく王子の目にも止まったのだと言う。
そんな恐れ多いことが起こるのかと驚愕したが婚約の打診まで来たと言われ腰を抜かした。
しかし相手はなぜか学園をすでに卒業している騎士爵の男で是非とも義妹が欲しいと釣書に書いてあった。
しかし騎士爵のサンドル・グラースはレヴィン様と同じ騎士学校出で学園の卒業生というわけてはなく年齢も一回り離れている。
騎士として働いているそうだがどこで接触したのか皆目見当がつかなかった。
問題はまだある。
釣書には『エルバ・メナード』と書かれていたのだ。わけがわからない。
ちなみに義妹とエルバの名前はまったく違う。
学園の名簿には義妹の名前が記載されているし、勿論エルバもサンドル・グラースという騎士と面識がなかった。
父が何度か確認したが先方はエルバで間違いないと言うから家族はいよいよ頭を抱えた。
名前は違うが見初められたのは義妹なのだから義妹に嫁がせるべきだろう、となったが義妹は恋人と呼べる令息とお付き合いしているから無理だと断ってきたらしい。
もしかしたら正妻になれるかもしれないから結婚は無理。年齢的にもエルバの方が近いんだから指名された通りエルバが嫁ぐべきだと言い返してきたそうだ。
そこまで言われてエルバもカチンときた。
確かに想い合ってる相手がいるのに別人と結婚しろと言われたら嫌だろう。だが相手は貴族で正妻として迎える準備があると言う。
これは一生日陰者の扱いを受ける愛人よりもいい、破格の待遇だ。
義妹にとっても悪くない話なのになぜか彼女は高位貴族夫人になれるかもしれないという夢を諦めきれなかった。
エルバはそれなりにお金を持ってる商家の生まれだが貴族から是非にと請われるほど何かを持っているような人間ではなかった。
顔も能力も肩書きもすべて平均。生まれ持ったものに嘆くことはないが、義妹の見た目は自分が平均なのだと自覚するにはわかりやすい指標になっていた。
義妹は現在学園の寮住まいで恋人との逢瀬とついでに勉強で忙しいと断ってきたため家族会議の場にいないが、グラース家は間違いなくあの子を求めているのは察している。
釣書に『学園に通う美しい姿に一目惚れしました』なんて書かれれば嫌でも気がつく。エルバは学園に通っていないのだ。
悩みに悩んだ末、父はエルバの名前を保留のまま婚約を続け、義妹に今の恋人と別れグラース家に嫁ぐよう説得しようとした。
騎士爵が貴族の中で地位が低かろうとも平民にとっては敬うべき貴族様だ。
こちらから婚約を断ることはできないのだからせめて意に沿おうとした。
エルバもなんとかサンドル様に接触して誤解を解こうとしたが、こちらもすれ違いが続き結婚当日まで会うことができなかった。
寝室で一人ポツンと座ったままエルバは溜め息を吐く。本当ならもうウェディングドレスを脱ぎ、初夜に向けて準備をしなくてはならないのに何もしたくなかった。
わたしも家族もやれることはやったつもりだった。こっそりと結婚式当日にエルバと義妹を交換しようとしたがそれもうまくいかなかった。
あの後もずっと義妹に手紙を送ったり会いに行ったが彼女は結婚式まで家族の誰とも会おうとしなかった。
そして結婚式にはわたしのウェディングドレスよりも高価で素敵なドレスを着てやってきた。
恋人は連れてこなかったが関係は良好なようでわたしの前にやって来ると満面の笑みで『おめでとう』と述べた。
義妹の代わりに嫁がなくてはならない、という恐怖を呑み込み気持ちに踏ん切りをつけたつもりだったが、『行き遅れになる前に結婚できて良かったね』と告げられ目の前が真っ赤になりそうだった。
まるで送られてきた釣書は自分ではなくエルバであって、自分は関係ないと本気で考えている態度だった。
たまらず殴りたい気持ちになったがその前に父が平手打ちし、泣き叫ぶ義妹を母が連れ去った。
控え室だったから人の目は最低限だったし行き遅れ手前の年齢なのも本当だ。
だが肩書きでしか付き合いのない、なんならまともに話すのは今日が初めての義妹にそんなことを言われ、怒りで震えた。
父からは家族の縁を切るからエルバが身代わりになって結婚することはないと諭された。
気持ちは嬉しかったが当日に破談にするなどこちらの立場が更に悪くなるだけだ。下手をすれば家ごと潰されかねない。
危険なのはかわりないが一旦結婚して後程誠心誠意謝り、そしてみんなで話し合おうということになった。
まずはこの初夜の時間に夫となったサンドル様に手違いがあったことを話さなければならない。
式の時、わたしの顔を見たサンドル様はわかりやすく眉を寄せていた。
多分やっと別人だと気づいたのだろう。
何度も先触れを出して話し合いの場を求めていたからそれを思い出してくれればいいけれど、怒りの感情に呑まれていれば話を聞いてもらえるかも危うい。
そんなことを部屋で考えていたら視界が涙で滲んだ。
別人と結婚させられてとても怒っているだろう。けれどこちらも騙された方なのだ。どうにかして誤解を解かなくてはならない。そう考え気が重くなった。
「わたし、何をやってるんだろう」
釣書がなければマジコット家の使用人でいられたのに。レヴィン様の卒業祝いができたのに。
マジコット伯爵家を出て行く際、レヴィン様は見送りに来てくださらなかった。
その前の晩に再度確認しに来て、サンドル様と結婚する旨を告げると彼はとても悔しそうに顔を歪めた後『そうか。おめでとう』と言って去って行ったのだ。
その言葉にその表情にどれほど傷ついたかわからない。
傷つく権利などないとわかっているのにわたしの心は停滞し底なし沼に沈むような苦しさを知った。
レヴィン様にあんな顔をさせてしまった不甲斐ない自分に嫌気が差したが彼を救う術などなかった。
あの笑顔を、わたしを呼ぶ声がもう聞けないなんて。それが一番悲しくて涙をポロリと流した。
「エルバ?」
開けられたドアと声に驚き肩を揺らした。恐る恐る振り返ればそこにはサンドル・グラースがニコニコとした顔で立っていた。
しかし笑顔なのに薄ら寒いものを感じ身を強張らせる。レヴィン様の笑顔とは真逆のような冷たい笑みだ。そう思うのは彼の目が笑っていないからだろう。
やはりサンドル様は義妹を求めていて、式の時に偽者だと知ったのだ。
恐怖したがエルバは震える体を叱咤しサンドル様に平伏した。
「……どういうことかな?」
温度が下がったような声色に震えながらも求めた相手が義妹と知りながら式に出たこと、しかしそれはグラース家に恥をかかせないためで望むなら義妹を差し出すと告げた。
そしてこちらから何度も先触れや手紙を出し話し合いを求めていたと訴えた。
「義妹を差し出すことができなかったのはわたし共の不手際でございます。ですが行き違いがあったのも事実です。どうか話し合いの場を設けていただきたく」
「ふぅん。そういうことならしょうがないよね」
許しと思えた言葉に顔を上げたが、彼の顔を見て凍りついた。
ついてこいと言うのでサンドル様の後について行ったが怖くて仕方なかった。
そしてこの恐怖は現実だと思い知る。
狭い玄関ホールには両親と兄と弟が縛られた姿で膝をつかされていた。
「俺は笑い者にされた。その報いを受けてもらう」
彼は義妹に一目惚れをしてすぐに声をかけたのだそうだ。しかし義妹が答えた名前は『エルバ』でそこから勘違いが始まったらしい。
思い込んだら一途なのかサンドル様は美しい令嬢と婚約したのだと周りに自慢し回ったそうだ。
しかし結婚式に現れたのは何もかも平均であったエルバで騎士仲間から失笑されたらしい。
エルバの父が何度も訴えたエルバは義妹ではないという話も、サンドル様は自分が騎士爵だから美しい義妹を渡したくないと出し渋っているだけだと考えていた。
またエルバのことは『エルバと名乗る偽者』として絶対に邸に入れるなとサンドル様が厳命していたらしい。
とんでもないと訴えたかったがすべてが遅すぎた。
矜持を傷つけられたというサンドル様は腰の剣を引き抜くとエルバの首筋にあててきた。
「「エルバ!!」」
「娘一人まともにコントロールできないお前達に制裁を与える。この偽者を始末すれば貴様達もやる気になり、本物の『エルバ』が俺の妻になるという寸法だ。
エルバは一人しかいない。ましてやこんな平凡な女でもない。そうだな?」
その恍惚とした笑みは醜悪で悪魔にすら見えた。この人の本性はこれなのか。なら義妹が逃げても仕方ないのかもしれない。
家族は悲鳴を上げた。
「お待ち下さい!エルバは私達の大切な娘です!お手打ちにするならどうか私を!」
「フン。貴様達平民は騎士爵であるこの俺に意見できる立場ではない。
貴様にできることはこの女はエルバを語った偽者だと認め、本物のエルバを差し出し命乞いをするだけだ。
それとも家族ぐるみで貴族である俺を騙したと認め全員首をはねられたいか?」
剣を向けられた父は真っ青な顔で言葉を失った。
家族全員かエルバ一人だけか。究極の選択を迫られ家族は恐怖を露にサンドル様を見つめた。
普通ならどちらも選べない選択だ。そしてサンドル様は間違いなく実行するだろう。平民とはその程度の軽さなのだ。
家名がなくなったところで義妹の名誉にも傷はつかない。
義妹の家族を奪おうとしているというのに、サンドル様は自分の矜持が傷つけられたことの方が重いと考えていた。
ならばわたしができる選択はこれしかないだろう。
「わかりました。家族を助けていただけるのでしたら、わたしの命を差し出しましょう」
恐らく一番邪魔なエルバが消えれば家族まで被害は及ばないだろう。
家族ではない義妹を助けるのは癪だけど家族が助かる可能性がある方を選びたい。
彼は楽しい余興をするかのように笑みを浮かべたまま膝をつき頭を下げろと命令してきた。この場で手打ちにするらしい。
家族が悲痛な叫びを上げたがエルバは大丈夫、と微笑んだ。ちゃんと笑えてるかはわからなかった。
磨かれた床を見つめながらうなじの辺りが粟立った。
ぶるりとする震えは恐怖なのか寒さなのかよくわからない。歯を食い縛ることで悲鳴をあげたい気持ちを堪えた。
そしてわたしは願ってしまった。
叶うことならば最後にあの方の声が聞きたかったと。
彼の声で『エルバ』と呼んでほしい。
そうしたらわたしは死んでも構わない。
そんな願いなど叶うはずないのにそれでも願った。
「エルバ」
固く目を瞑り、身を固く強張らせていたがいつまで経っても来ない衝撃に薄目を開けた。
床はまだ白いまま。わたしはまだ生きているらしい。
そして聞きたくてやまない、でももう聞くことはないと思っていた声が聞こえ顔を上げた。
「レヴィン、様?」
さらりと柔らかい金糸を揺らし甘く微笑むレヴィン様がエルバを見つめていて目を瞪った。これは夢だろうか?
「迎えに来たよ、エルバ」
自分に都合のいい夢を見ているのではないだろうか。わたしの名前を呼ぶ声が甘みを含んでいる気がして涙が滲んだ。
「誰だ貴様は!不法侵入だぞ!!誰かこの者を捕まえろ!!」
「貴殿こそこのバッジに気づかないのか?それもわからないというなら貴殿は騎士の偽者ということになる」
「なんだと?!………え、?あっ!」
振り下ろそうとした剣をなぎ払われ尻もちをついたサンドル様は大声を張り上げ使用人を呼んだ。しかし胸に光るバッジを見て固まった。
鷹の紋章は騎士団の証だがそこに星が添えられると近衛騎士団の紋章になる。
それだけでも名誉なことだが、その中にも階級がありレヴィン様はもっとも実力者が集まるという第一騎士団の青を纏っていた。
対してサンドル様は王都で働く騎士ではあるものの近衛騎士ではなく、階級も下位の茶色だった。
戦うまでもない実力の差にサンドルは剣を落とすと床に手をついた。
「レヴィン様はどうして、こちらに?」
聞ける立場ではないないように思えたがなぜこんなタイミングよく現れてくださったのか不思議だった。
あんな別れ方ををしてしまったのだから見捨てられて当然、嫌われて当然と思っていた。
助かった喜びよりも驚きの方が大きくてレヴィン様の手を取り立ち上がると、レヴィン様は少し困ったように眉を寄せ「エルバが心配だったんだ」と教えてくれた。
「それにグラース卿には結婚詐欺と誘拐容疑がかかっていたからね。代理で私が派遣されたんだ」
「そんな!俺の方が騙されていたんです!!罰せられるべきは恥をかかせたこいつらです!なのに誘拐だなんて!」
「メナード家は貴殿の言うエルバとは別人だと婚約時から訴えていたはずだ。それなのに貴殿は忙しいことを理由に話し合いに一切応じなかった。
また我が伯爵家で働いているこのエルバを騎士爵でしかない貴殿の都合で辞めさせたのに挨拶のひとつもなかった。
非礼を行ったのは貴殿が先なのに今更別人だの騙されたななどと私のエルバを不当に罰し私刑にするのはマジコット家への侮辱と同等の行為だ」
レヴィン様の合図で騎士達が一斉に邸になだれ込む。圧倒的な人数の差に大きな抵抗もなく制圧された。
保護された両親を見てホッと息を吐く。礼を言おうとレヴィン様を見上げれば彼はサンドル様を睨みつけていた。
「エルバは僕の大切な人だ。許可なくいなくなるなんて許さない」
後者はエルバに向けて発せられ、口を尖らせる。いじけている時に出るサインに、まだ治っていなかったのかと頬が緩んだ。
それと同時にサンドル様に向けて発した言葉を噛み砕き顔が熱くなる。いや、そんなことは。
わたしを助けるためよね?そう考えながらも緩む口元が直せず落ち着くまで手で隠さなければならなかった。
◇◇◇
サンドル・グラースが捕縛されたという噂は学園に通う生徒達の耳にも入った。これで邪魔者が消えたと義妹はほくそ笑んだ。
今際の際に『これを持ってメナード家に頼りなさい』と手紙を握らせたママはほどなくして息を引き取った。
ママの言う通りにメナード家に行けば相手は貴族ではなかったが学園に入れてくれた。
そこで結婚相手を見つけなさいと言われたのでその通りに動いた。学園に通うのは貴族がほとんどで少数派の平民は皆気後れしていたが義妹は胸が躍った。
貴族と結婚できれば贅沢な暮らしができ、ひもじい想いを二度としなくてすむと思ったからだ。
昔ママが『お前なら貴族の旦那様だって見初めてくれるよ』と言っていた。それが実現にできると思った。
授業に追いつけず補習補習ばかりで異性との交流を持つのは本当に大変だったけど、自他共に認めるわたしの美貌と仕草に男達はだんだんと声をかけるようになった。
中でもこれだと思った令息は王子と公爵令息で、義妹の好みど真ん中だった。
その二人はとにかくモテて令嬢達は彼らが近くを通る度にうっとりとした顔で『お近づきになりたいけど恐れ多いのよね』と見てるだけで満足していた。
きっとその程度の気持ちしか持っていなかったのだろう。
だがわたしは違う。わたしは本気で二人に恋をした。だってとても素敵なんだもの。それにとぉってもお金持ちだし。
どっか(婚約者)の令嬢をエスコートしている姿を見る度、いつかわたしもあんな風にエスコートしてもらって熱烈なダンスを踊るんだわ、と夢想した。
勿論夢のままにはせず行動を起こした。
わたしのハツラツな笑顔はみんなを元気にさせる。わたしが声をかけるだけで感謝されてきた。
だから学園でも同じようにしてみんなを元気にさせ、王子達に話しかけてあげた。
結果は大成功。
いつ話しかけても王子達はにこやかに対応してくれて好印象だ。
気づけば他のイケメン達もわたしを取り合うように囲んできて、どの人とお付き合いしようか迷うほどだった。
たまに公爵令嬢とかいう人達(義妹は認識していないが侯爵令嬢や伯爵令嬢も含む)が『身のほどを弁えろ』、『平民風情が不敬だ』と嫉妬まみれな文句を言ってきたけど全部無視した。
羨ましいならそっちこそ令息達にアピールすればいいだけなのだ。わたしに文句を言うなんて間違ってる。
勿論、参戦してきたところで負ける気はしないけど、と嘲笑った。
サンドルと出逢ったのはその頃だ。
王子達が来るのを待ち伏せしていたらなぜかサンドルに注意されたのだ。
『ここは王子殿下が通る道だ。別の道を通れ』だって。だから待っているのにこいつバカなのかも、と思った。
その時は大人しくその場を離れ、別の場所で合流したけどその後もサンドルと鉢合わせをして鬱陶しかった。
そのうち『初めて会った時から気になっていた』とか『名前を教えてほしい』とか言い出してマジで気持ち悪かった。
学園に雇われた騎士でしょ?職務中に十二歳も下の生徒をナンパするなんて騎士としての自覚あるの?仕事しなよおじさん。
あまりにも気持ち悪さに名前を聞かれた時咄嗟に『エルバ・メナード』と答えた。
まだ会ったことはないけどエルバお義姉ちゃんは学園に通ってないって聞いたから絶対にわたしには辿り着かない。もし通ってたってエルバがなんとかしてくれるはず。
だって可愛い妹を守れるのだ。姉なら喜んで守ってくれるだろう。
咄嗟に思いついた名案にわたしってば冴えてるぅ!と自画自賛した。
でもその後サンドルが釣書?とかいうものを送ってきた。
義親が言うにはエルバと結婚したいって書いてあるけど間違いなくわたしのことだろう、だって。なんでわかるの?って焦ったわ。
サンドルと結婚しろ、という義親にわたしは断固として拒否した。
だってあいつの顔好みじゃないしわたしのストーカーなんだもん。気づくとじっとこっちを見つめてるのも気持ち悪くて嫌。
断ってよ!と訴えたけどサンドルは貴族だから断れないんだって。なによそれって思ったわ。
わたしに結婚相手を探してこいって学園に追いやったのに、なんで好きでもない奴と結婚しなきゃいけないの?言ってることが支離滅裂だわ。
あまりにもムカついたので義親家族からの連絡は一切無視してやった。
だってわたしのことを好きなイケメンはいっぱいいるし、夫としてわたしに相応しいのは王子か公爵令息だもの。
サンドルなんかと結婚するなんて勿体ないわ。
わたしが義親と再会したのはエルバの結婚式だった。そう、サンドルとの結婚式だ。
義親は嫌がるわたしの気持ちを汲んでエルバと結婚させることにしたらしい。
そのことにちょっとだけ罪悪感を感じたが、そういえばエルバお義姉ちゃんを見て行き遅れの年齢だったのを思い出した。
貴族令嬢は二十歳までに結婚ないし、婚約していないと行き遅れになるのだがエルバはその年を越えていたのだ。
エルバの見た目は正直野暮ったくて、ウェディングドレスを着てもメイクがダサかった。それに嘘臭い笑顔もなんか怖い。だからずっと結婚できなかったんだと納得した。
なんだ。だったらわたしは何も悪くないじゃない。むしろ行き遅れのエルバに結婚相手を用意してあげたんだから感謝されるかもしれないわ。
そんな驕りが言葉の端々どころか丸々出ていて、満面の笑みでエルバを祝ったら義父に殴られ義母に責められた。
あまりの痛さに号泣したら式に参列するな、と控え室に閉じ込められた。そんなのひどい!と何度もドアを叩いたが式が終わるまで本当に出してもらえなかった。
折角わたしを好いてる侯爵令息から貢いでもらった綺麗なドレスを着てきたのに見せびらかすことができなかった。
エルバよりも目立てる自信があったし、なんだったらお金持ちで格好いい男がいたらお近づきになれると思っていたのに。
スカートがしわくちゃになって余計に悲しくなり涙を流す。一人の部屋では誰も慰めてくれないし、エルバよりも高価で綺麗なドレスを褒めてもらえなかった。
わたしはたくさん貢がれていて何人にも告白をされて夫の候補者が二人もいるのになんでエルバの方が優先されるの?少しくらいわたしを褒めてくれたっていいじゃない。
着飾ってもダサくてせこせこ働くことしかできないエルバよりも王子妃か公爵夫人になれるわたしの方がずっとずっと凄いのに。
わたしが王子妃になったら散々見せびらかしてから家族の縁なんて切ってやるんだから。
素晴らしい将来が約束されてるわたしよりもエルバなんかを優先する家族なんていらないわ!!
◇◇◇
「………は?」
学園の掲示板に貼ってある紙を見て思わず低い声が出た。
紙にはわたしの名前と近日中に退学せよ、という文字が書かれている。
こういうものは個人的に面談して本人に伝えるものじゃないの?と内心憤慨したが再三教師からの呼び出しに応じず、補習や再試験の話だと思って逃げ続けたツケが掲示板の貼り出しになったことを本人だけがわかっていなかった。
後ろからクスクスと笑う声が聞こえて顔が赤くなった。よくも恥をかかせてくれたわね!と掲示板の紙を破り取るとそのまま生徒会室へと向かった。
そこには意中の相手である王子や公爵令息がいるのだ。泣きついて教師達をクビにしてもらおうと考えた。
「ここを通すことはできません」
しかし生徒会室についたら厳つい門番が立っていて足止めを食らった。
「なんでよ!前は通してくれてたじゃない!」
なんで?!と憤ったが、その『前』とはサンドルのお目こぼしで通してもらえていたことを失念していた。
「前任者は杜撰な仕事をしていましたが今は違います」
「融通がきかないわね!未来の王子妃が通せって言ってるんだから中に入れなさいよ!!」
「…無理です。それにあなたは生徒会メンバーでもなければ関係者でもない退学予定者だ。そんな部外者を通すわけにはいきません」
なんで退学になるって知ってるの?!と叫んだが掲示板に貼られる情報はすべて知ってると言われ驚愕した。
門番は門番でとんでもない言葉を聞き戦慄していた。
こいつ何を言ってるんだ?こんな怪しい女を通すわけにはいかないな、という目で警戒を強くしたが義妹は気づかなかった。
義妹はそんな視線よりも王子達の友人だと言っても通してくれない頑固な門番に痺れを切らしていた。
こうなったら別の場所で待ち伏せしようと思い生徒会室を後にしたがその後もその門番の妨害に遭い、授業を抜け出して隙をついても王子達に会えなかった。
王子に接近できたのは退学の張り紙を見てから一週間後だった。
「この女が殿下の周りをうろちょろしていたという不届きな者か」
まるで初めて会うような態度にわたしは叫んだが門番に押さえつけられていて言葉が続かなかった。
何度も会って話だってしたのに(…と、義妹はそう思い込んでいる)、公爵令息も王子も冷たい目で見下ろしていてぞくりと震えた。
なんで?前まではにこにことわたしに気があるような態度をしてたじゃない!なんでそんな冷たい態度なの?!わたしが何をしたって言うの?!
「学園の生徒だから他の生徒と同じように接してきたが、他の生徒と違い来訪する頻度が多いと思っていたらやはりサンドル・グラースが手引きしていたのか」
「そのようですね。彼にも殿下の仕事の邪魔をするなと何度も忠告したのですが、想い人に好意を持ってもらおうと必死だったのでしょう」
チラリと公爵令息がこちらを見たので助けてくれるのでは?と期待したが鼻で嗤われただけだった。
「ですがいくら相手のためとはいえ、殿下の学園生活を脅かす行為は許されません。すでに解雇しておりますが追加制裁は必要でしょうか?」
「必要ないだろう。その者は職務怠慢の他にも誘拐や結婚詐欺をしたそうではないか。そのせいでマジコット伯爵家からこちらに信書が届いているほどだ。
罪状が決まるまでは王都にいるだろうが権力も実力もない騎士ではな……マジコット家の目がある場所で今後生活することは困難だろう」
難しい話でよくわからないがサンドルが罰としてどこか遠くに行くのはわかった。これでつきまとわれずにすむ、と喜んだがそんなことはどうでも良かった。
あれだけ仲良くお話してたのになんでいきなり冷たくするの?わたしを妃にしてくれるんじゃなかったの?!とバカ正直に叫べば王子と公爵令息が声に出して大笑いした。
まるでバカにするような笑い方に顔が真っ赤に染まった。なんで?わたし変なこと言ってないのに!
「学園に通っているにも関わらず淑女から程遠いこの者が異性でしかも貴族の者と懇意になれるのか不思議でならなかったがそういうことか」
「私も疑問に思い観察していましたが私も納得しました。彼らは愛でていただけなのですね、愛玩ペットとして」
は???愛玩、ペット??
「嫉妬する令嬢がいるそうだがこれでは令息達も言い訳に苦労するだろうな」
「ええ。なにせ平民とはいえ、学園に通う同じ生徒をペットとして見ているんですからね……ククッ気持ちは察しますが」
「市井で見かける平民ならまだしも学友をそんな風に見ていたとわかれば令嬢達に軽蔑されてしまうだろうな。
まあバレるような行動をとっていた令息達にも非はあるのだが」
「想いが強いご令嬢は勘も鋭いですからね。私の婚約者も探りを入れてきましたし殿下も気をつけませんと婚約者様から小言をもらいますよ」
「それは気をつけなければな。折角手に入れた珠玉を手放すなんてことになったら一大事だ」
「同意です」
王子達の顔には親しく愛しい相手を想う色が滲み出ていた。それはお互いの婚約者に向けてのもので押さえつけられたままになっている義妹へのものではない。
義妹は自己中心に考えていたので理解できない顔で見上げていたが、王子達は令息達の間で騒がれている義妹がどんな人物なのか確認するために接触に応じ、ずっと観察していただけだった。
愛玩ペットどころか珍獣扱いだったことを義妹だけが知らない。
放置していたのは間者でも暗殺者でもないただの民間人だとわかっていたのと、自分達に目を向けさせておけば他の生徒達への被害が減るだろうと予想したからだ。
お陰で義妹は王子や公爵令息に多く時間を割くようになり、目をつけられていた他の令息達は婚約者との関係を悪化させずにすんでいた。
令息達に義妹が考えるような恋愛感情はなく、一割が愛人候補、他は見目が良いペット程度だった。
彼らがそうなのだから王子や公爵令息も知り合い以上の感情はなく、結婚を望んでいるなど義妹の妄言でしかなかった。
「嘘!嘘よ!こんな可愛くて美人なわたしよりも優先される女がいるはずないわ!浮気よ!!」
「令息達の視界に入る程度の器量はあるようだがそれだけだしな。私の婚約者は外見も美しいが内面も淑やかで美しく教養もある。
そして未来の王妃として母上のお眼鏡にかなうほどの逸材だ。そんな彼女よりも優先されるようなものが君にあるのか?」
「それは……」
考えてみたが明るく元気なところ、みんなを元気にできる笑顔くらいしか思いつかず、でもそれはなんか違うと思って言えなかった。
「それはそうとこんなところにいていいのか?退学するのだろう?荷物はもうまとまったのか?」
「そうよ!それよ!それ何かの間違いだわ!!なんでわたしが退学しなくちゃならないの?!」
王子に会いたかったことを思い出し叫べば王子は公爵令息を見遣った。
「ああ殿下。その貼り紙は何者かに破られていました。学内のものを許可なく破損させることは罰則の対象なのにそんなこともわからない生徒が学園にいるようです」
嘆かわしいことです、と公爵令息が溜め息を吐く。罰則と言われ義妹はギクリとして顔色が悪くなった。
実は補習の他に待ち伏せをするために植込みの花を踏んだり宿題の提出ができない理由として自分の教科書や図書館の本を切り刻んでいたためかなりの罰則が出ていたのだ。
でもそれくらいで退学なんてないだろうとも考えていたからのらりくらりと逃げていたのに、まさかそのせいで退学させられるのでは?と恐れた。
「なら私が聞いた話を教えてやろう。君が退学する理由は単純だ。君の親であるメナード家が授業料の支払いをやめたからだ」
「え?」
思わず地声が出た。わたしじゃなくて義親のせいなの?え、なんで?と不機嫌になった。
「………まさかと思うが無償で学園に通えると思っていた、などと言わぬよな?」
にこやかだが圧を感じる王子に目を泳がせながらも頷いた。
義妹は自分が平民と思えないほど可愛いから学園に行くことができるし、自分が美しいから貴族令嬢として優雅で贅沢な暮らしをしてもいいのだと本気で考えていた。
学園にいるためにはお金が必要だと知らなかったし、自分の生活を義親が支えてくれていたことも初めて知ったことだった。
「なんで…?貴族のお金持ちと結婚できるから問題ないって言ったのに。貴族の恋人もいるのに、信じてくれなかったの……?」
「あなたが生徒としての役割を果たさなかったからでは?
安くない学費を支払うだけでも負担でしょうに授業や補習をボイコットし、テストや提出物の評価も底辺を這い、寮での決まりごとも守れず寮監から何度も注意を受けている。寮でも退去勧告が出ているはずですよ。
その上高位貴族に目をつけられたとなればいくら家族でも庇いきれないでしょう」
「そんな!!……じゃあわたしが頑張ってきたことはなんだったの?わたしはただ言われた通りに頑張ってきただけなのに」
頑張ってきたもなにも自分の見た目を磨き維持するためだけに心血を注ぎ、それ以外はおざなりか放棄してきたのだからどうしようもない。
だが義妹の目には義家族は自分の頑張りを認めず、幸せになれるはずだった未来を勝手に壊したようにしか見えなかった。
「助けてください!わたし偽家族に嵌められたんです!!わたしが王子様と結婚できるくらい美しいから嫉妬して退学させようとしているんです!
あの人達は平民だからなにもわかっていないんだわ!相思相愛のわたし達の関係を引き裂くつもりなのよ!!」
「………今までの会話にそのような関係だと仄めかす言葉はあったか?」
「いいえ、なかったと思います。恐らく『男は皆自分に好意を持っている。自分が認めれば簡単に恋人同士になれる』という前提で考えているのではないでしょうか?」
「………………恐ろしい思考回路だな」
義家族に恐怖を覚え、わたしを学園に置いてくれるようお願いしたがどちらも頷いてくれなかった。
なんで?二人はお金持ちで片方は王子じゃない!わたし一人の退学を阻止するくらい簡単でしょう?
わたしと会えなくなってもいいの?!と叫べば、王子は門番や不細工な護衛に指示をして挨拶もなく背を向けた。
なんで?!わたしを助けなさいよ!王子でしょう?!何度も何度も叫んだのにわたしは王子達から引き離され暗くてじめじめした牢屋に投げ込まれた。
「退学、退寮手続きが終わるまでここで頭を冷やすといい」
そう言って門番は去って行った。一人になり先程のことを思い返したわたしはハンマーか何かで頭を殴られたような衝撃を受けた。
なんで?わたしが何をしたっていうの?わたしはただ言う通りに貴族と結婚しようとしただけなのに。
わたしは可愛いからきっと幸せになれるよってママも言っていたのに。
なんでこうなったの……?
◇◇◇
サンドル・グラースでの一件で命の危機を脱したエルバは再びマジコット家のお世話になっていた。
「レヴィン様。これでは動けません」
「やだ。離さない」
この問答もこれで八回目だ。レヴィン様の膝の上に座り抱き締められたエルバは真っ赤な顔で眉尻を下げた。
邸で働き始めた頃は抱えられるくらい細身だったのに今は自分がすっぽり包まれてしまうことに成長の早さを感じてしまう。
こんな密接に触れたのは初めてでとても動揺した。
抑えてはいるけれど力の強さや逞しい腕や胸板を服越しに伝わってきて頬が熱くなるばかりだ。レヴィン様よりも大人なのに狼狽えてしまうなんて情けない。
「あの、逃げませんから。どうかお顔を見せてください」
肩口に顔を埋めたまま動かないレヴィン様の足はもう限界だろう。離れたりはしないがせめて膝の上から降りたい。
そう思い声をかければもぞりとレヴィン様が動いた。
マジコット家に帰ってきてからも口を尖らせたままのレヴィン様を伺うと鼻も目も少し赤かった。
泣き虫は卒業した!と豪語されていたのに……と思うが、泣かせてしまったのが自分のせいなのかと思うといけないと考えながらも嬉しいと感じてしまう。
「レヴィン様。わたしはもうどこにも行きません。ですからどうか泣かないでください」
「………泣いてない」
ムッとするレヴィン様が可愛くて抱き締めたい衝動に駆られる。それをぐっと我慢して柔らかく美しい髪を撫でた。
レヴィン様にこんなことをするのは初めてだ。
本当はいけないことだが部屋にいるのはわたし達だけだからか、少し気が大きくなっているのかもしれない。
目を見開いたレヴィン様が顔を上げわたしを瞳に映した。美しい青に自分がいて気恥ずかしい気持ちになったがレヴィン様が安心できるように微笑んだ。
「二度と僕の前からいなくなったりしない?」
「はい」
「どこの馬の骨ともつかないような屑と結婚なんかしない?」
「はい」
涙目で問いかけるレヴィン様はとても可愛らしいが彼がグラース家に乗り込んで来た時は別人のように勇ましかった。
サンドルの反抗を一切許さず騎士に捕らえさせ牢屋に入れたと思ったらあっという間に離縁が成立した。
簡易的な裁判があったし事情聴取も受けたがエルバやメナード家の意見が全面的に通りサンドル有責で離縁でき、エルバを誘拐した上に危害を加えトラウマを植えつけたとして接近禁止命令も出た。
これらすべてに指示をしたのはレヴィン様だというのだから驚きだ。座学はあまり得意ではないと知っていただけにエルバはとても感激していた。
「もう僕に隠し事をしたりしない?」
「はい」
結婚するから仕事を辞めると言われたレヴィン様はかなりトラウマになっているらしい。
迷惑になると思って隠していたがそのせいで不安にさせてしまったことに申し訳なくなった。
何度も髪を撫でればレヴィン様は目を細めエルバの耳に顔を寄せる。耳を撫でた息がくすぐったい。
「じゃあ僕と結婚してくれる?」
「は……そ、それは」
耳元で囁かれ、腰の辺りがぞくりとしたが答えきる前に言われた内容を理解しレヴィン様を見た。
まっすぐ見つめてくる彼と目が合った。
「僕は本気だよ。エルバと結婚したい」
「で、ですが、わたしは平民で……」
「あんな奴のせいでエルバの経歴が汚れるなんて許せないんだ。だから僕のお嫁さんになって」
子供のような我が儘に目を丸くしたが、なんと答えたらいいのかわからなかった。
聞けばエルバが結婚のために辞職すると知ってからレヴィン様は裏でグラース家を調べてくださったそうだ。
元使用人のためにそんな時間と労力を割いてもらえるなんて思わなかったエルバは萎縮したが『僕がしたかったことだから』とレヴィン様は気軽に言ってくださりわたしの家族はとても感銘を受けた。
レヴィン様のお陰でメナード家は誰一人欠けず助かり、面目も保たれた。
使用人時代を含めてエルバはレヴィン様に多大な恩がある。両親からも『レヴィン様の望むように仕えなさい』と言われている。
けれどもそれは『使用人』としてであってこのように膝の上で抱き締められたり甘い言葉を囁かれたりしない関係だと思っていた。
「あ、愛人でよろしければ……」
立場を弁えなければ。
レヴィン様のためにも平民としてお支えしなければとズキズキする胸を押さえつつ申し上げれば、レヴィン様の目から滝のように涙が零れ落ちた。
「レレレレレレレレレヴィン様?!」
「そんなの嫌だ!僕はエルバと結婚したいんだ。愛人なんかじゃない!」
だばだば零れる涙に勿体ない!とハンカチを差し出したが涙を拭く前にその手を取られてしまった。
「僕はエルバを守るために騎士になったんだよ?」
「え?」
わたしはすっかり忘れていたが以前お出掛けのお供として同行した際に近衛騎士を見てうっとりと褒めたらしい。
レヴィン様はそこで近衛騎士になることに決めたのだそうだ。しかも「僕はデートのつもりたったのに」と言われ焦った。
「エルバに格好いいって思われたくて、近衛騎士になったんだよ?エルバが褒めてた騎士にも認めてもらえるくらい強くなってもまだ足りない?
どうすれば僕のお嫁さんになってくれる?」
「え、や、その……」
大変申し訳ありませんがうっとりした記憶もなくその騎士様の顔も思い出せません。
「お、お気持ちは大変、嬉しいのですが、わ、わたしはずっとお仕えしてきた立場なので、その、人を好きになるというのも、よくわからなくて……。
レヴィン様のことはお慕いしておりますし、か、格好いいと思っていますが、その、わたしにとってレヴィン様はどちらかというと、可愛らしいと」
何をどう答えたら正解なのかわからず、どう言ってもレヴィン様を傷つける言葉にしかならなくて直視できず目を彷徨わせた。
これでは弟のように接してきたのがバレてしまう。
家族と離れまだ幼かった弟と重ねて寂しさをこっそり紛らわせていたことに少し後悔する。
年齢だってレヴィン様の方が弟より上だし平民と重ねられても嬉しくないだろう。
結婚を申し込まれて嬉しくないと言ったら嘘になるけど、さすがに恐れ多い話だ。
レヴィン様はマジコット家の当主となる御方だ。平民でしかも女の方が年上なんてマジコット家の恥になるのではないだろうか。
社交界に出ればいろんな女性と出逢う機会が増える。他を知らないからわたしなんかを選んだのではないか?と不敬にも考えた。
もしかしたらわたしの行動がレヴィン様を惑わせてるかもしれない。なら大人で年上のわたしが毅然とした態度で距離を保てばいい。
だけど嫌われたくもなくて逃げるように俯けば肩を押され視界が反転した。
見上げると天井を背景にレヴィン様が見下ろしていた。鼻をスン、と鳴らしているが目はもう乾いていてとても真剣な表情をしている。
もしかして可愛いと言ってしまったのが地雷だったか?と内心焦った。
「なら、僕の格好いいところを見せれば男として見てもらえるんだね?」
「レ、え…?」
「ねぇエルバ。エルバはどういうところで格好いいと思うの?見た目?行動?言葉?僕だけに教えて」
「あ、あの、レヴィン様、ち、近…」
「単純に脱げばいいかな?僕、結構鍛えてるんだよ?エルバって筋肉質な腕とか好きだよね?」
ボタンに指をかけ、脱ぎ出すレヴィン様エルバは顔を真っ赤にして見ないように手で覆った。
見えてしまった胸板や腹筋が瞼を閉じても残ってしまって内心悶えた。ダメ!ダメよ!忘れなさいエルバ!!不敬よ!
なんで鍛えてる人が好きなの知ってるの??と動揺していたら両手を取られ、なぜか頭の上に縫いつけられた。
恐る恐る、うっすら目を開ければレヴィン様が見下ろしていて、わかっていたのにドキリとした。
そして見ていけないと知りつつ艶のある肌を見てしまいきゅっと目を瞑った。
「フフッ真っ赤なエルバ可愛い」
お願いです。服を、服をちゃんと着てください……!!
「あ、それとも肌に触れた方がいい?くっついてると安心できるっていうし。……キス、とかしたらエルバの気持ちもわかるかな?」
キス、してもいい?と囁かれ卒倒しそうになった。
なんですか、その色っぽい声!言い方もなんか艶があるし大人の男性じゃないですか!
目を閉じてる方がレヴィン様を男性だと意識してしまいこれではダメだと目を開けた。
年上なのだからしっかり大人の態度で返さなければ、と思うのに視線はレヴィン様の唇に釘付けになってしまった。
上唇と下唇のバランスが絶妙で色も口紅を塗ったみたいに綺麗だ。
羨ましい、と思っていたらどこを見ているのか見透かしたようにレヴィン様が笑った。あ、格好いい。
頬に添えられた手に顔を固定されレヴィン様がどんどん近づく。反射的に目を瞑れば唇に柔らかいものが当たった。
離れたと思ったらまたくっつき、角度を変え、唇を食み、舐められた。
さすがに驚きビクッとすれば「ごめん」と謝られたが笑いを堪えるようにも聞こえた。
どちらが大人なのかわからない。
恥ずかしくて顔を背ければ頬やこめかみ、耳朶にキスをされ思わず声が漏れ出た。
「可愛いな、エルバは」
「可愛いのは…」
レヴィン様では、と言いたかったが言葉にできなかった。
そっとレヴィン様を盗み見れば頬を染め、うっとりと見つめる彼と目が合いやはり目を閉じた。
逃がさないと言わんばかりに見つめる強い視線に体が熱くなってしまう。
バクバクと騒ぐ心臓に全身が沸騰したように熱い。
角度のせいなのかシチュエーションのせいなのか今のレヴィン様はとても格好良くてどうしたらいいのかわからない。
弟のように可愛いと思っていたレヴィン様が大人の男性に見えてしまい、高揚感なのか背徳感なのかわからない感情が渦巻いた。
髪を撫でられ、指が輪郭をなぞる。頬や額に落とされるキスは男性で子供とは違うと感じた。
わたしは可愛いからと、使用人だからと逃げていたのね。
本当はレヴィン様を男性として見ていたのに、身分が違うからと線を引いていた。
その態度がレヴィン様を傷つけていたとも知らずに。
「エルバ……」
甘えてくる声とは少し違う優しい声色に応えたい。抱き締めたい。
でも応えていいものか迷う自分がいる。
レヴィン様を悲しませたくないけど、わたしを選んだことでレヴィン様やマジコット家を不幸にしてしまわないか不安になってしまう。
「エルバ、僕を見て」
目を開ければ欲を孕んだ視線とぶつかった。
触れ合う手は溶けてしまいそうなくらい熱い。
「好きだよ。エルバ。君のことが好きなんだ」
「はい」
「結婚してくれる?」
君は?ではなく結婚してくれる?だなんてレヴィン様以外が言ったらとんだ自信家か我が儘な人だと思うだろう。
レヴィン様がそう思えないのは見つめている相手が少し泣きそうで眉尻が下がって見えたから。
ついさっきまで獲物を狙う肉食獣に見えたのに今は叱られる前の仔犬のよう。
垂れた耳が見えた気がして思わず微笑んだ。
「はい。あなた様の妻にしてください」
可愛いわたしのご主人様。成長を見守りお慕いしてきたけれど、まさか両思いだったなんて思わなかった。
わたしは使用人としては失格かもしれない。
平民としても出過ぎたことをしているだろう。
けれどわたしは気づいてしまった。気づけばもう嘘はつけない。
それに離れて、もっと愛しいと気づいてしまった。
重ね合わせた唇はより甘く蕩けるような温かさを感じた。
◇◇◇
「お義姉ちゃん!!」
聞き覚えのある声に振り返れば、そこには元義妹が立っていた。
彼女との関係はサンドルと離縁した時に養子縁組も解消してある。
お義姉ちゃん、と呼ぶからにはまだ解消されたことを知らないってこと?と隣にいた弟と兄に目で聞くと『さあ?』と肩を竦められた。
「もしかしてここのレストランに入るの?」
「ええ、そうよ」
学園を退学し、寮も退去させられたと聞いているから制服じゃないのはわかるが平民の娘にしては質のいいワンピースを着ているのが気になった。
サンドルと違い、元義妹がしたことは家庭内のことだったので立件できるものがなかった。なので厳重注意を受けただけで解放されている。
もし実家に戻ってくれば養子縁組がなくなったので家を出て行くこと。出て行ってくれるなら少なくない生活費を渡すつもりだった。
しかし元義妹は牢屋を出た後も家に戻ってきた形跡はなく、連絡のひとつも寄越さなかった。
学園にも戻れる場所はないし一体どうやって生活しているのだろう考えていた矢先にこの登場だ。身なりの良さに誰かに囲われてるかと揶揄してしまう。
「ええ~?こんな庶民的な店に入るのぉ?わたしだったらこんなとこ入らないなぁ」
「は?」
なにをもって蔑んでくるのかわからない元義妹に弟が静かにキレた。
「あーそっか。メナード家って庶民だもんね。味とかいつも野暮ったかったもん。うちのシェフの方が美味しい料理たくさん知ってるわ」
「はぁ?」
今度は家の料理が大好きな兄がキレた。気持ちはわかるけど人目がある場所で問題を起こしたくないわ。
家族は貴族にあんな手酷いことをされたことがなかった。なので切っ掛けを作った元義妹のことをとても怒っていた。
義妹が帰ってきたら家族全員から説教される予定だったのだが、それを予想したのか勘でも働いたのか義妹は今も帰宅せず彼女不在のまま養子縁組が解消されている。
エルバも一言二言言ってやりたいと思っていたが人目がある場所で話しても恥をかくだけだと思い一歩前へ出た。
「そう。それは良かったわね。それで用は何かしら?ないのならわたし達は約束があるから失礼したいのだけど」
「用ならあるわ。あなた達の誰でもいいんだけどお義父さんにわたしの学費を早く支払うようと言ってほしいの。
お義父さんがちゃんと支払ってくれないから授業にまともに出席できないのよ?これじゃいつまで経っても卒業できないわ」
授業料払ってもろくに勉強してなかった人が何を言うのかしら?それを父のせいにするなんて引き取ってくれた恩をもう忘れたのかしらね?
「そう。ならそのようにお父様に伝えておくわ」
付き合うのもバカバカしいので適当に切り上げようとしたらわたし達の後を元義妹がついてきた。え、まさか食事会に同席すると言うの??
やめてよね、と思ったら口を開く前に弟がついてくるなと丁寧に断った。
「どんな味なのかわたしが評価してあげるわ。わたしだってメナード家の娘だもの。勿論席はあるわよね?」
「は?何を言っているの?」
しまった。うっかり返してしまったわ。この子、メナード家の者じゃないってことまだ理解していないの?それともわざと言っているの?
読み取れない元義妹に眉を寄せながらも店先で問題を起こすのはよくないと思い仕方ないが一旦店内へと入った。
店内に入ると支配人が出迎え、予約している部屋へと案内をしてくれた。その間も元義妹は周りを見てはクスクスと見下すように嘲笑った。不愉快極まりない。
一階は大広間で、二階は個室になっている。
最近は個室の予約も取りにくくなるほどこのレストランが繁盛していると聞いている。
賑わう一階の広間を確認して微笑めば元義妹がせせら笑うように話しかけてきた。
「お義姉ちゃんも災難よね~旦那様があんな犯罪者だとこんな安っぽいレストランしか入れなくて。
それに比べてわたしの恋人はとてもお金持ちで素敵なのよ?いつも個室に通してもらって……あら、お義姉ちゃん達も個室で食べるの?」
どうやら元義妹は恋人の家に転がり込んでいるらしい。どのくらいお金を持っているのか知らないが、このレストランではいつも個室で食事をしていたはずだ。
連れてきてもらったことがないのだろうか?
兄弟に目配せすると連れてきていたが忘れてるんじゃないか?と返された。
「お義父さん!」
個室に入ると元義妹は挨拶もなく学費の話をしだした。隣には大変お世話になった母もいるのに完全無視だ。
「……養子縁組を解消したお前のためになぜ学費を支払わなければならんのだ」
「だってわたしが貴族と結婚するには学園に通って相手を探さなきゃならないでしょう?」
「『愛人』になるためのな。決して正妻になるためではない。正妻ならばサンドル・グラース様と結婚すれば良かったのだ」
「いやよ!あんなストーカーなんて!それにあいつは犯罪者でお義姉ちゃんの夫でしょう?……え、待って?養子縁組を解消??」
誰と誰が?と首を傾げたのであなたのことだと教えてあげた。
「え?!なんで?わたしが結婚すれば貴族と繋がれるのよ?もっといい暮らしができるのよ?」
「お前が、だろう?私は家族に還元しない利益に興味ない。お前は高い勉強代になっただけの元家族だ」
「え…?」
「その格好を見る限りお前はいい暮らしをしているようだ。その恋人とやらに学費も出してもらったらどうだ?
メナード家が出資しているこのレストランよりもいい食事ができるのだろう?」
元義妹の声は甲高くよく通るから両親の耳にも届いたのだろう。睨みつけられて初めて自分の立場を理解した元義妹が青くなった。
「あの、わたし、知らなくて……」
「知らなくはないでしょう?食事マナーを学ぶためにこのレストランに何度も連れてきましたよ?その時にこのレストランの成り立ちも教えたはずです」
「お、義母さん…」
「もう親子ではないのだから母などと呼ばないでほしいわ」
軽蔑した目で睨みつけた母に元義妹はへなへなとしゃがみこんだ。
「おや、取り込み中でしたかな?」
ノックと共に入ってきたレヴィン様達に元義妹以外が一斉に礼を取った。
それを見た未来のお義父様は「堅苦しいことはなしですよ」と気軽に笑ってくださった。
レヴィン様も隣にやってきて「まだ癖が抜けないね」と優しく微笑み手を取った。
「お義姉ちゃん、その人は……」
「立ちっぱなしで話すのもなんですし席に着きましょうか。私の両親も今日の食事会を楽しみにしていたんですよ」
エルバに声をかけながら元義妹の目はレヴィン様に釘付けで、上気した頬やうっとりした顔に見惚れているのがすぐにわかった。
それを居心地悪く、なんなら不快にすら感じたが彼女に答える前にレヴィン様が遮り元義妹などいないかのようにエルバをエスコートした。
「あ、あの!」
「君は給仕かな?注文は別の者に頼むから君は下がっていいよ」
椅子を引いてもらい席に着くとレヴィン様は無表情で冷たく手を振って追い払う。
あからさまだが元義妹には丁度いいくらいだろう。下手に同情すれば同席を願い出てもおかしくない。
というか紹介もしていないのに勝手に話しかけようとしているくらいだ。致命傷になる前に追い出した方が彼女のためだろう。
レヴィン様に給仕と間違われた上に冷たくあしらわれ涙ぐんだ元義妹はわたし達家族に助けてくれと目で訴えてきた。だが誰も助け船を出さないので自ら反論した。
「わたしは給仕なんかじゃないわ!メナード家の娘よ!そんな意地悪を言うなら結婚してあげないんだから!!」
「これ!口を慎まんか!」
「だってこの食事会って結婚相手との顔合わせでしょう?結婚していない女はわたしだけじゃない!主役がいない食事会なんてそれこそ失礼だわ!」
結婚するのはわたしなのよ?!わたしの気持ちも考えてよ!!と憤慨する元義妹に家族は青くなりエルバはあなたこそ何様なの?と引いた。
「何を言っているんだ?既婚者は君だろう?」
「は?」
「サンドル・グラースと結婚したのは君だ」
「はあ?!ち、違うわ!!あいつと結婚したのはお義姉ちゃんよ!わたしじゃないわ!」
「彼は自分が選んだ相手はエルバではないと認めた。学園に通っている平民で蒼穹のような髪色は君だけだろう?
グラースくんに君の名前を教えたら喜んでエルバと離縁してくれたよ」
にっこり微笑んだレヴィン様に元義妹の顔色がどんどん悪くなっていく。
「本当はちゃんと段階を踏んで結婚をしたかったそうだが君の行方がわからなかったからね。
先に書類にサインして提出したそうだよ。貴族だと手続きが大変だが平民同士は楽でいいね。正式に受理されたそうだよ」
とどめの一言に元義妹は真っ青な顔でエルバに縋りついた。
「お義姉ちゃん助けて!!あんな気味の悪いストーカーと結婚なんて嫌!嫌よ!しかもあいつ犯罪者じゃない!犯罪者の妻なんて絶対無理よ!!
お願いお義姉ちゃん!わたしの代わりにもう一回あいつと結婚して!」
それはわたしには犯罪者の妻がお似合いだと言っているのかしら?嫌なものはわたしに押し付ければいいってことね。
「元サヤに戻るだけだもん、問題ないよね?それにお義姉ちゃんは他人の世話をするのが好きなんだよね?
どこかの貴族の家で使用人?をしてるって聞いたもん。あいつをご主人様って思えば案外幸せなん」
幸せなんじゃない?お義姉ちゃんなら。
と皮肉ろうとしたがその前にバン!という大きな音に驚き言葉が途切れた。
音の発信元はレヴィン様でテーブルに手をついたまま貫くような鋭い視線と殺気立ったオーラに元義妹は硬直しそのまま動けなくなった。
「…部屋に鵯が紛れ込んだようだ。君、鵯を籠に入れて巣に返してくれ。くれぐれも野に放たないようにな」
意訳は邪魔だから憲兵を呼んで拘束し住みかに返せ。といったところかしら。恋人は大層驚くことになるでしょうね。
支配人は恭しく礼をするとすぐさま人を呼び元義妹を捕えると引き摺るように連れ出した。
静かになった部家にホッとするものの、紹介する間もなく去っていた元義妹に少しだけ不安が過る。
レヴィン様に向ける目が恋のそれと似ていたような気がしてぶるりと震えた。元義妹はサンドルをストーカーだと言うが彼女も王子達をストーカーしていた張本人だ。
その執着をレヴィン様にも発揮したらどうしようと考えてしまった。
「エルバ?」
不安そうに覗き込むレヴィン様と目が合いなんでもないと微笑んだ。今考えても仕方のないことだろう。
それよりも、と隣に座り手を握るレヴィン様を見遣った。
「怒っていたのですね」
「当たり前だよ。彼女のせいでエルバとすぐに結婚できなかったんだから」
フン、と鼻息荒く吐き捨てた。相当ご立腹のようだ。
離縁は簡単だが再婚は女性の方が少し面倒臭い。
離婚してから半年は間をあけなくてはならないのだ。
サンドルがさっさと再婚手続きをしてしまったから余計に面白くないと思っているみたいだ。
けれどあちらはあちらで良いことだけではないだろう。
元義妹はサンドルをとても嫌っているし、嘘をつき騙されたサンドルも元義妹を変わらず純粋に愛せるか不明だ。
しかも彼の愛し方は普通とは少しずれてる節がある。
対応の仕方によっては元義妹ですら危ないかもしれない。
そう思うと少し心配だが、世渡りがうまい元義妹のことだ。恋人なり他の有力者の助けを借りてなんとかするだろう。多分。
幸せにね、と心から言うことはまだできないがあれでも元家族だ。不幸にならずにすむならその方がいいくらいは思っている。
「でしたらその間は婚約者として楽しみましょう。わたしは近衛騎士になられたレヴィン様をもっと知りたいです」
手を握り返し、少し緊張した顔で微笑んだ。
結婚すると決めたし婚約者だけど言葉にするのはやはり気恥ずかしい。
まっすぐ見つめていたが照れ臭くて視線を下げれば熱っぽい声で同意の言葉が返ってきた。
視線を戻せば頬を少し染めたレヴィン様が見つめていて顔も繋いだ手も熱くなる。心臓が壊れてしまいそうだ。
ゆっくり近づいてくるレヴィン様にエルバも合わせるように目を閉じようとした。
「ゴホンゴホン。仲睦まじいことはよろしいが、そろそろ私達がいることを思い出してくれるかな?」
かけられた声にハッと我に返ったエルバは真っ赤になり萎縮した。
周りの苦笑と生温かい目に茹だってしまったがレヴィン様と目が合うと自然と微笑んだ。
「あなたと出逢えて良かった」
「僕もだ。これからもずっとエルバを愛し守っていくと誓うよ」
「わたしもあなたをいつまでも愛し続けることを誓います」
結婚式の誓いの言葉を囁き合い、互いの手をしっかりと繋ぎ合わせた。
読んでいただきありがとうございました。
イソヒヨドリは青い鳥とも言われているそうです。
※別の作品と同じ名前、設定を使用してますが話は繋がっていません。混乱した方がいましたらすみません。




