1 夜宮さん
沢見君とはどういう訳だか一度だけキスした事がある。付き合ってもいないのに…。
朝のラッシュ。駅のホームは混雑している。夕べから降っている雨は、今朝になっても止まないどころか勢いを増している。後から後から人がやってきて、並んでいる列の間隔が短くなっていく。隣の人の濡れた傘が足に付いた。
気持ち悪い…。
しばらくするといつもの電車がホームに入って来た。乗り込む人の波に押されて流れのまま車内に入って行く。奥のドアの前になんとか場所を確保した。
その時、人波に押されて体がよろけた。その拍子にドアの窓ガラスに顔面をぶち当ててしまった。
…最悪…。
不快な気持ちを押し殺して溜息をついた。しょうがない…いつもの事だ。息も詰まるような満員電車の中から窓の外へ視線を移した。
向かいのホームはこちら側より空いていた。その時、見覚えある男の人に気付いた。その人も目を真ん丸にして驚いたように私の顔を見た。
嘘っ! 沢見…君…?
間違えない。確かにそれは沢見君だった。いくらあれから月日が経っていようと忘れるわけがない。忘れられる訳が無い!
何てことだ…。感動的であるはずの再会の場面で、こんなブサイクな顔見られてしまったなんて…。
つくづく私は天から見放されているのだろう…。
「では、体育祭の看板を作る係は、沢見君と中原君、そして夜宮さんと浅生さんに決定しました。」
クラス委員が発表すると、私たち四人は黒板の前立つように促され、そしてみんなに挨拶をした。
「面倒くさい役をするハメになっちゃったな…。」
横に立っていた沢見君が私に呟いた。
私は彼の方をチラっと見た。こんなに近くで見るのは初めてだった。キラキラしていた。人気があるのも当たり前だ。私とは縁の無いタイプの男子だと思っていたが、さらにそれを確信した。
私は子供の頃から絵を描くことが好きで、高校時代は美術部に所属していた。憧れの美大に合格するため、すでに引退している運動部の生徒たちを余所目に、毎日放課後は部活に出て受験課題の練習をしていた。
沢見君はバレー部だった。すでに引退している彼は、放課後の時間を持て余しているようだった。それなら受験勉強に邁進すればいいところだけど、彼は勉強する時間もないくらいバレーに打ち込んでいたのに成績も良かった。体の使い方だけじゃなくて脳みその使い方も上手なんだ…と思うと、自分とはかけ離れた別世界の人間と思った。
そんな彼は同級生だけじゃなく下級生からも憧れの的になっていた。学園ヒエラルキー最上部にいる沢見君には、当然の如く女子のヒエラルキー最上部に君臨する小芝さんという、それはそれは可愛い彼女がいた。
二人はお似合いだった。
並んでいると、溜息が出るほど絵になっていた。私の絵のモデルになってもらいたいくらいだ。
隣のクラスの小芝さんは、休み時間になるとうちのクラスにやって来て、沢見君と仲良さそうに話していた。沢見君に憧れていたクラスの女子はたくさんいたが、小芝さんに敵う訳も無く、遠巻きに見るのが精いっぱいだった。
きっと二人は同じ大学にいって、将来は結婚して、ヒエラルキートップの子供が出来るんだろうな…そんな感じがした。それほど完璧な二人だった。




