心の記憶
薬屋に入って奥にあるテーブルに、ダンとペポは隣り合ってかけた。カウンターの奥からは、イキシアが淹れたてのホットジンジャーティー入りのカップを持ってきて、二人に手渡す。
「はい、どうぞ。外は寒かったでしょう? これ飲んで温まってちょうだい。……まあ、この世界は年中暗くて寒いままだけどね」
ペポとダンは彼女に礼を言うと、コクコクと喉奥に紅茶を流す。
かぼちゃ頭の少年にとって、初めての異世界での飲食だった。茶葉の芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、生姜のピリリとした辛さと、ほんのり混ぜられた蜂蜜の甘さが舌を刺激する。一口二口飲み干すと、体中にじんわりとジンジャーティーの暖かさが広がっていき、生姜の効果も相まって体の芯からポカポカとしてきた。
二人が一息つくと、イキシアはカウンターを挟んだ向かい側に座ってこう言った。
「結論から言うとね、もう一人の異邦人である彼は、ペポちゃんと同じ世界から来た人よ」
「ほ、本当ですか!?」
イキシアから告げられた真実に、ペポは驚きのあまりガタッと椅子の上で立ち上がってしまった。しかし少年は、感情的になる悪癖を出してしまったことに気づき、すぐさま座り直す。
「ええ、本当よ。ペポちゃんの記憶――と言っても、何か大きなものに跳ね飛ばされそうになった瞬間の記憶しかないけど、それと彼の記憶を照らし合わせてみたら、建物や言語、文化が同じだったの。だから、貴方と彼は同郷の誼みだと分かったってわけ」
「……イキシアさん、彼の記憶を覗いたことがあるんですか?」
ダンの問いかけに対し、千里眼の魔女はコクリと頷く。
「ええ、一度だけ。ほら、数日前に彼がこの街に訪れてたでしょう? その時に遠目から見て、なんとなく違和感を感じたの。彼、まるで自分の意志とは違う別の何かに従って動いているみたいで……。だから彼が何者なのか知ろうと思って、千里眼を使って記憶を覗いてみたのよ。でも見えたのは一瞬だけ。雪が降る夜に、何か大きなものに撥ねられそうになった記憶がね」
「えっ……!?」とペポは思わず言葉を失う。
「そう、ペポちゃんと同じなの。貴方の記憶が不鮮明だから全てが一致していると断言できないけど、でも奇妙なことに見えた記憶の情景が同じなのよ」
どういうことだ、とかぼちゃ頭の少年は思考を巡らす。自分と同郷の者だと知った時は、仲間ができた安心感が芽生えた。だが、イキシアが話した奇妙な偶然を聞いた後では素直に喜べない。
もう一人の異邦人と自分には、一体どんな繋がりがあるのだろうか。偶然にしてはあまりにも出来すぎている。唯一、謎の日本人と自分の違いをあげるとすれば、彼は記憶を有しており尚且つ人としての肉体を失っていないということだ。
深まる謎を紐解こうとしているペポをよそに、ダンはイキシアに尋ねた。
「他に何か見えたものは? 彼の名前とか、顔とか。同じことをペポさんから質問されたのですが、僕は分からず仕舞いだったので……」
妖艶な魔女は首を横に振り、どんよりと肩を落として告げる。
「ごめんなさい、分からないのよ。彼の素性を掴もうと思ったんだけど、見えたのはさっき言った一瞬の記憶だけ。おそらく、彼が着てたローブのせいだわ。魔力や呪術といった類を防ぐ魔法がかけられてたのよ。その後も彼の記憶を覗いたり、足取りを追おうとしたけどダメだったわ」
「ふむ……千里眼の魔女でも全て見通せなかったということは、イキシアさんよりも上位の魔法使いか、もしくは伝説級の化け物からローブを入手した物の可能性がありますね……」
ダンは訝しげに顎に手を当てて物思いにふける。そんな最中、「あの……」とペポは恐る恐るイキシアに尋ねてみた。
「その『千里眼の魔女』って、イキシアさんの通り名なんですか?」
先程までの落ち込み具合が嘘のようだ。
ペポの問いかけを聞くやいなや、蠱惑的な魔女は得意げに腰に手を当てて見せた。
「ええ、そうよ。物事の本質を見抜くのが私の得意分野なの。例えば、さっきペポちゃんにしたように『人の記憶』や、『物の記憶』も覗けるわ」
「えっ、物にも記憶ってあるんですか!?」
「もちろんあるわ。人も、生き物も、物も、食べ物も、何もかも。この世に存在する全ての物に『記憶』が存在するの。自慢じゃないけれど、この力を使って過去に事件をいくつか解決したことだってあるのよ。たとえ犯人が嘘を吐いていようとも、私には全てお見通し。だって私は人や物の記憶を見るだけでなく、見たものを水晶に投射することだってできるんだから。犯人や動機、トリックを見破るだけでなく、第三者に映像として提供することも容易――ふふ、非の打ち所がないと思わない?」
イキシアは鼻高々に自身の力を誇示するも「まあ、彼がここに来ることがなければ、そう語り継がれていたんでしょうけど」と、すぐさま気落ちしてしまった。そして自分用に淹れた紅茶をグビグビと喉を鳴らして飲み干す。
「まあまあ、気を落とさずに。僕はイキシアさんでも出来ないことがあるって知って、好感というか、親近感持ちましたよ?」
「でもね、ずーっとこの二つ名で通ってきた私のプライドはガタ落ちよ。まったく、この私でさえも見通せないものがあるだなんてショックだわ。ハァ~~~……こうなったら、紅茶をがぶ飲みしてやるんだから……ッ!」
ひどく落ち込むイキシアを、ダンは肩をさすって慰める。まるで仕事の鬱憤を居酒屋で晴らす飲み友同僚のようだ。
それにしても、顔の上半分をフードで覆っているのに、どうして見えるのだろう。ペポが何気なくそう思うと、イキシアと目があった気がした。
「……ペポちゃん、今『目が見えてないのにどうやって見通してるの?』って思ったでしょ?」
「バレました?」
「ふふふ。かぼちゃ頭だから分かり辛いように見えても、貴方って意外と感情が表に出やすいタイプなのよ? 千里眼なんて使わなくても、ペポちゃんの顔を見れば何考えてるのかくらい分かるわ」
「イキシアさんは経験豊富ですからね。薬を売りつつ、多くの人の悩み相談を受けてきましたから、人の表情から感情を読み解くのは慣れてるんでしょう」とダンは紅茶を飲みながら補足する。
「ダンは分かってるわねぇ。ここで『年の功』なんて言ったら、さっきの報酬減らしてやろうかと思ったわ」
「そうなったら、こっちはさっき届けた品物を元の場所に返しに行くだけですよ?」
「それは困るわ! 貴方以外に私の依頼を受けてくれる配達人はいないのに!」
店先で交わした冗談とは立場が逆転し、今度はイキシアがむくれてしまった。
妖しげな雰囲気を纏った女性が幼児のように不機嫌になるギャップが可笑しくなり、ペポとダンは笑い始める。彼らの爽やかな笑いにつられてイキシアも微笑み、『魔女の休息』は暖かな声で包まれた。
そして笑い飛ばした後、イキシアはペポに自身の秘密を伝えた。
「さっきの話だけど、私は『全てを見通す目』を持っているわ。でもこの目は不便でね、視界に入るものの情報が際限なく入ってくるの。だから得られる情報量を制御するために、こうして目元を覆っているってわけ。端から見たら何も見えないだろうって思うかもしれないけど、こうして目を隠すことで、私はようやく普通の人と同じ世界が見られるのよ」
なるほど、とペポは相槌を打つ。一見便利そうな目ではあるが、見たくない物まで無尽蔵に脳内に叩き込まれる状態で生活を送るのは一苦労だろう。
こういう時になんと声をかけるのが正解だろうか。記憶のない少年には最適解を導き出すのは困難だ。なので余計な言葉で飾らず、ありのまま思ったことを伝えよう、とペポは思った。
「凄いですね、イキシアさんって。見たくない物までずーっと見える目を持ってたら、きっとこうして誰ともかかわらずに一人部屋で籠っていたくなりますよ」
ペポの言葉を最後に、店内に沈黙が流れる。
もしや気に障ることを言ってしまったか。かぼちゃ頭の少年があたふたとしていると、千里眼の魔女は微笑を浮かべた。
「うふふふ、貴方って素直で優しい子ね。とてもあの上位存在にすごい剣幕で怒ってた子とは思えないくらい」
イキシアの言葉を聞いて、ペポの頬は赤く染まっていく。
「も、もしかして……アレも見たんですか……?」
すると、イキシアは口許に手を当てて微笑ましそうにペポを見つめてきた。
「ええ、やり取りは一部始終。だって『貴方の記憶を覗かせてもらうわね』って言った時に『見られて困るものはない』って返したじゃない。丁寧なペポちゃんもいいけど、あの素をさらけ出した姿もいいと思うわ」
しまった、とペポは頭を抱えた。
彼女に了承したのは、自身が車に撥ねられた時の記憶しか持たず、その刹那の光景は見られても困るものではなかったから。まさか謎の存在との邂逅も『ペポの記憶』として刻まれて覗かれるのは想定外だったのだ。
今のペポは、隣にいる壮年の紳士に倣って敬語を通している――つまり、猫を被っている。
しかし記憶をなくして混乱していたと言えど、かつて初対面の相手に偉そうな態度でまくし立ててしまった過去は拭えない。ましてや神にも等しい存在に対してだ。
そんな情けない黒歴史を魔女に見られてしまい、かぼちゃ頭の少年は穴が入りたい思いでいっぱいになる。
「ん? 上位存在? なんです、それは?」
羞恥でのた打ち回りたい気持ちでいっぱいの少年をよそに、ダンはイキシアに問いかける。
「ペポちゃんをこの世界に送った張本人よ」
「ふむ……では、その上位存在とやらは何か見えましたか?」
「いいえ、それこそ無理よ。本来はああいった存在こそが、私や他の魔法使いたちを以てしても、太刀打ちできるモノじゃないの。私たちより遥か上の次元にいるからね。だからこそ、あの異邦人から何も見えなかったのが悔しいのよ」
少しばかり冷静さを取り戻したのか、ペポは「そういうもの……ですか……」と再び会話に加わった。込み上がってきた恥ずかしさを誤魔化すために、紅茶を勢いよく飲んでいく。
「――そうだ。試しに、ペポさんに記憶を戻す薬を飲ませてみては? それか、ペポさんの肉体から記憶を読み取るとか」
「えっ、そんなこともできるんですか!?」
ダンとペポに対し、千里眼の魔女は口惜しそうに首を振る。
「……残念だけど、それもできないわ。さっきも言ったように、ペポちゃんの問題には上位存在が絡んでる。記憶を戻す薬を飲んだとしても上位存在と交わした契約の方が効果を発揮して、私の薬は無効化される。かといって、ペポちゃんの肉体から記憶を辿ろうにも、この体はさっき与えられたばかりの仮の容れ物で、本当の体じゃない。つまり、この肉体を得てからの記憶しか読み取れないのよ。
ペポちゃんの記憶を見て分かったけど、あいつは『記憶を思い出さないと自分の肉体も取り戻せない』って言ってたわ。確かにそういった理由もあるんでしょうけど、ペポちゃんが私や他の魔法使いたちの力に頼って記憶を取り戻すズルをしないよう、あえてこの肉体を与えたんでしょうね。まったく、この私が手も足も出ないなんて、用意周到なカミサマだわ」
イキシアは腹立たしげに腕を組む。
――色々な手を打ってくるのは、あいつらしいな。千里眼の魔女の言葉を聞いて、ペポは頭を悩ませる。やはり【i】が言った通り、地道にこの世界の住人と交流を深め、記憶を取り戻しかないのか。
しかし、どうして記憶を取り戻すために、異世界の住人とキズナを深めるという条件を提示したのだろう。
ふと沸いた疑問に手を伸ばそうとした瞬間、ぐぎゅ~、と獣の咆哮が如き音が店内に響いた。
「あっ……」
ペポは両手で腹部を抑える。正体は、自分の腹の虫だった。
「ふふっ、あらあら。もしかしてペポちゃん、お腹が空いてるの?」とイキシアは言う。
そういえば、何も腹に入れていなかった。記憶がないのでいつから食事をしていないのかは定かではない。だが、イキシアの紅茶を飲んだからか胃袋が刺激され、唐突に空腹感を訴え始めたのだ。
かぼちゃ頭の少年は「うん」と恥ずかしそうに頷くと、魔女は椅子から立ち上がった。
「分かったわ。もういい時間だし、そろそろお夕飯にしましょうか。ダンも一緒に食べましょう?」
「……まあ、夕飯代が浮くのなら」
ダンはクールな様子で答え、コクリと紅茶を飲む。
「もう、素直じゃないわね。うふふ、久々の大人数の食事だし、ちょっとはりきっちゃおうかしら」
ルンルンとしながら、千里眼の魔女は店の奥へとはけて行った。
ペポは期待と不安で胸を高鳴らせていた。魔女の作るものと言えど、一体どんな品が出てくるのか予想がつかない。ゲテモノ料理かもしれないし、はたまた異世界ならではの料理かもしれない。
すると、イキシアは何故か小さな小瓶を二つ手に持って戻ってきた。
「はい、これ。少し時間がかかるから、軽く食べて待っててね」
そう言うと彼女は、二人の前に謎の小瓶を差し出した。
透明な小瓶の半分以上は、黄色いゼラチンのような物で固まっている。ペポがスプーンで表面をつつくと、それはプルンと揺れた。もしやこれは――
「プリンよ。ペポちゃんは好き――ああ、そうね。自分の好きなものとかも覚えてないのよね……。もし気に入ったなら、食べてみて」
ペポの記憶には、自身の好物すらも残っていなかった。プリンは知っているが、そもそも自分の好物か否か分からない。だが、何故か不思議と口に入れてみたくなったのだ。
「いただきます」
ペポはイキシアの方を見て言うと、プリンの表面を掬いあげた。そしておそるおそる口の中へと運び入れた。
「……じゃあ、僕もいただきますね」
心配そうにペポを眺めていたダンも、手を合わせてプリンを口にする。すると彼は、満面の笑みを浮かべてイキシアにこう言った。
「――うん! やっぱりイキシアさんはお料理上手ですね。このプリンもなかなかです」
「ふふふ。そういえば貴方って、甘い物が好きだったわね。てっきりチョコレートだけかと思ってたわ」
「一番はチョコレートですが、何も「チョコ以外の甘味は嫌いだ」と公言したつもりはありませんよ?」
「あら、そういえばそうだったかしら? ねぇ、ペポちゃんはどう――」
イキシアとダンがペポに目を向ける。すると二人は、彼に異変が起きていたことに気づく。
かぼちゃ頭のくり抜かれた両目からは大粒の滴がぽたぽたと落ち、スプーンを口に運んだ手はそのまま固まっている。そう、彼は泣いていたのだ。
「ペ、ペポちゃんどうしたの!?」
「……え?」
魔女にそう言われて、ペポはようやく自身が涙を流していることに気づいた。
「あ……あれ? おれ……なんで、こんな……」
かぼちゃ頭は混乱した。なぜ自分がこんなにも泣いているのか。悲しい気持ちになったわけでもない。でも、プリンを食べておかしくなったことは明白だ。
しかし泣くほどプリンが嫌だったのかと問われると、そうではない。否、むしろプリンを見て何故か高揚感を覚え、口に運んでみたのだ。
今の自分には過去の記憶などない。だからこそ、こんなにも涙が溢れるのが理解できなかった。
「――もしかしたら、心が覚えてたのかもしれないわね」
イキシアはそう言うと、ペポのかぼちゃ頭に手を添えてゆっくりと撫でた。
「こころ……?」とペポが返す。
「ペポちゃんは記憶を持っていないし、肉体は新しいから深く刻み込まれてる記憶もない。でも、ペポちゃんの心――つまり、魂だけは今の貴方も過去の貴方と同じ。だから、記憶にはない事でもちゃんと心が覚えてるからこそ、こうして涙が出たんじゃないかしら」
「お、おれ……よくわかんないんですけど、プリンを見たらなんか懐かしく思って……それで食べてみたら、無性に泣きたくなって……。でも、懐かしいとかそんな感覚はあるのに、思い出したいことを思い出せないのが、悲しくって……ひぐっ、ぐ、悔しくって……っ! す、すみません、おれ……男のくせに、初対面の人たちの前で……こんな……泣きじゃくって……み、みっともない、ですよね……っ」
咽び泣くペポの背を、ダンはそっとさする。
「泣く理由に、初対面も旧知の仲も、性別も関係ありません。誰とて生きていれば泣きたいときはあります。寧ろ自分の記憶がないのに、必死に自我を保てているのが奇跡ですよ。あなたは、自分の心の強さを誇りに思ってください」
彼らの優しさを前に、かぼちゃ頭の少年はついに堪えきれず、慟哭したのだった。