No.01「クォータームーン」
(お題)
1「上弦の月」
2「展望台」
3「空」
茜は一人で夜空を眺めていた。
自宅アパートより徒歩3分の距離にある公園の展望台は、漆黒に輝く月を見上げるには絶好のスポットだった。
「ハァ……」と重量感のあるため息を漏らした茜。彼女の視線の先は妖しく光を放つ上弦の月には向かわず、人工的な光もやりと放つスマートフォンに向けられていた。
「あら……『ヤリ○ンクソビッ○』ですって……ヒドいこと言うのね、最近の子って……」
突然聞こえた背後からの言葉に、茜は猫のような俊敏な動きで振り返る。
「誰!? 」
振り返った先には、ブラウンの飾り気のないコートを羽織った女性が茜のスマートフォンの画面をのぞき込むような姿勢で立っていた。年齢は40代くらいか……? と、茜は判断した。
「あ、ごめんね。ついつい気になって覗いちゃった……グループLINE? っていうんだっけ? 」
女性は画面を覗き見したことに一応の謝罪をするが、その口調には悪びれが感じられなかった。
「プライベートの侵害ですよ」
茜は少し大げさな態度で女性に不快感を露わにした。そしてスマートフォンをパーカーのポケットにしまい込んでその場を立ち去ろうとベンチから腰を上げた。
「待って! 」
「こっちには待つ理由はありません、通報しますよ? 」
「つ……そ、それはちょっと勘弁……」
女性は海外アニメのキャラクターのようにわかりやすい狼狽の表情を見せ、両手を合わせて茜に懇願する。そして……
「ただ、あなたのコトが心配になっちゃって……違ってたらごめんね。イジメ……られてない? あなた」
女性の言葉に茜は口を結んで数秒黙り、少しだけ声を上擦らせながらいう。
「余計なお世話だ……脳天気そうなアンタなんかに心配されたくない」
悔しさと恥ずかしさの感情がこみ上げ、腹の奥から廃油のような熱さを覚えた茜は、女性に構わず走り去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 」
女性は茜の腕を掴んで静止させる。
「離せって! マジで警察呼ぶよ! 」
「あなたの気持ち、私にも分かるから! 」
「え? 」
女性の言葉には悲痛のニュアンスが込められていた。その真剣さにほだされて逃走を中断した茜は、無意識に彼女の瞳をのぞき込み「アッ! 」と驚く。
「目の色……青だ……」
「そう。私もあなたと同じ……目の色で面倒な目にあった同士よ」
茜と女性。二人共同じだった。闇夜に栄えたブルーの瞳の持ち主だった。
「おばさん……ハーフ? 」
「うん。父がイギリスで母が日本。私の目の色は父親譲りなの」
「そうなんだ……」
同じ境遇の人間を前にした茜の口元は、自然とほころんでいた。
どの時代においても、等しく人間が「ホッ 」とする瞬間が“同志”を見つけた時であることは変わらない。
気が付いた時には、二人は展望台のベンチに並んで腰掛け、自動販売機で買ったミルクティーの甘みを一緒にに楽しんでいた。もちろんコレは女性の奢りだ。
「茜ちゃんもハーフなの? 」
「ううん、違う。私はクォーター。パパのおじいちゃんがアメリカ人だったんだってさ」
「へえ、それじゃパパの目も青いの? 」
「違う。パパの目の色は黒。顔つきも至って普通の日本人……おばあちゃん似だったんだろうね。ついでに言うとママは生粋の日本人で瞳ももちろん黒」
茜の説明を聞いた女性は、一口ミルクティーを口の中に流し込み、少し荒れた指先で唇を拭ってからいった。
「それじゃあ茜ちゃんは隔世遺伝だね」
「そう! そうなの! 」
茜は女性の言葉に軽やかな返事をする。さっきまでのどんよりとした雰囲気からは考えられないほどの張りのある声で……
「誰もそのことを分かってくれないの! 両親の瞳が黒なのになんでお前は青いんだ? って! カラーコンタクトでもして色気ついてんじゃないの? だとかしょっちゅう疑われてムカつくの! それも同級生からだけじゃないよ、先生からもそういうコト言われるんだよ! しっかり理科の勉強しろって言いたい! 」
隔世遺伝という言葉をスグに出してくれたコトがよほどうれしかったのだろう。茜は興奮しながら不満を漏らし続けた。それほどに彼女の周囲には正しい理解者が少なかった。
「オマケに……ブスのくせに青い目、だとか、ママが外人と不倫して生まれたんじゃないの? だとか……ムカツクことばっか……好き勝手言ってきて……」
不満をまき散らし続けた茜の声は次第に嗚咽を含むものになり、やがて彼女はそのまま泣き崩れてしまった。
「えらいね……ヒドいこと言われ続けて……よく頑張ったね……」
同じく青い目の女性は、茜を優しく抱きしめながら涙を受け止めた。彼女は茜の左手首に不自然なリストバンドが巻かれていたことを見逃さなかった。
「ねえ……」
「なあに? 」
「おばさんには、子供いるの? 」
「いるよ。私とそっくりで、綺麗な青い目をしてる」
「その子は私みたいになってない? 」
茜の言葉に女性は返事をしなかった。その代わりに、茜をより一層強く抱きしめ頬を彼女の髪の中に埋めた。その態度だけで、言葉はなくとも茜は察するコトができた。
「茜ちゃん、空を見て」
女性に促されて、茜は夜空を見上げた。そこにはまっ黒のキャンバスを引っかいて付けたような、薄い黄色に発光する上弦の月があった。
「上弦の月ってね、英語でfirst quarter moon っていうの」
「ファーストクォーター……? 」
「うん。茜ちゃんと同じ、クォーターの月……どう? あの月はあんなに綺麗に輝いてる」
「おばさん……まさか『あなたもあの月みたいに綺麗に輝けるわ、満月とは違う美しさがあるわ』的なことを言うつもりでは? 」
「フフ……バレたか」
いたずらがバレた少年のように無邪気な笑みを返された茜は、笑いを込み上げずにはいられなかった。
人気の無い夜の公園で、二人は笑いあった。彼女達の青い瞳は、月光を受けてエメラルドグリーンの輝きを放ち、幻想的ですらあった。
「茜! あかねーッ! 」
二人がひとしきり笑いあっている永遠の時間を割くように、男の声が公園に響きわたる。
「あ、パパ!? 」
声の主は茜の父親だった。突然家を飛び出した彼女を心配し、探し回っていたようだ。走って茜の元へと向かう彼の後ろには母親の姿もあった。
「やっぱりここにいたか……心配させやがって……」
茜の父はそっと彼女の肩に手を置き、愛娘の体温を実感して安堵する。それに対して茜は少し申し訳なさそうに目を背けた。
「ごめん、パパ……ちょっとイヤなことがあったからムシャクシャしてて」
「謝らなくていい……とにかく家に帰ろう……な? 」
「うん……あ! ちょっと待って! 」
茜はさっきまで自分の話を聞いてくれていた青い目の女性を父親に紹介しようとした。しかし……
「あれ? おばさん……? 」
周囲を見渡す茜の目に、女性の姿は映らない。消えてしまったのだ、忽然と。
「どうしたんだ茜? 」
「え……っと……さっきまで一緒にいたんだけど……私と一緒で青い目のおばさんなんだけど……おかしいな、どこいっちゃったんだろ? 」
「青い目の……」
青い目。そのワードに茜の母が強く食いついた。
「あなた、とりあえず茜を車までお願いね。私、ちょっと喉乾いちゃって……そこの自販機で何か買ってくるから」
「お、おう」と茜の父は何かを察したように詰まった返事をし、茜を連れて展望台を離れていった。
そして「ふー……」と茜の母は大きくため息を漏らし……
「出所したのなら……連絡くらいしてほしかったわ」と、空に向かって語るように呟いた。
「バレてましたか……」
すると、さっきまで茜のそばにいた青い目の女性がバツの悪そうな表情で、公衆トイレの裏側から姿を現した。
「すみませんでした……真っ先に茜に会いたかったので」
青い目の女性は深々と頭を下げ、茜の母に謝罪する。
「そんなに頭を下げないで……別にあなたが自分の娘に会いに来たことを怒ってるワケじゃないんだから。ただ、連絡はしてほしかった。それだけ」
「すみません……」
「やめて、謝るのは私達の方……茜ちゃんに大変な思いをさせちゃって……なにも力になれなかった……」
「そんなことないです……! 事故って人を死なせた私の娘を……あんなに立派に育ててくれただけで……私は感謝……感謝しきれない……」
「違う、感謝するのも私達の方……だって……久々に見たんですから……」
「何を……ですか? 」
「茜の口がね……あんなに半月になるくらい大きく開いて笑ってる姿を、あなたが見せてくれたんだから」
THE END
執筆時間【2時間30分】
こりずにチャレンジ。