京極家
日が昇り、朝靄に反射した光が部屋の中に差し込むと同時に目を覚まし、井戸から汲みあげたばかりの冷たい水で顔を洗う。
「おはよう、経久。どうだい? 屋敷の仕事は慣れたか?」
「……ぼちぼちには」
各地の大名から裏切らぬ証に送られた子弟たちであっても、ただ飯を食わしてもらっていた訳ではない。尼子経久ら若い者たちは、多くの仕事が割り振られていた。
「それにしては、浮かない顔だな。何か気になる事でもあるのか?」
「華模木って、知っているか?」
「……唐変木の親戚か?」
「とうへんぼく?……」
「唐から持ち帰った変わった木があったらしい。一風変わった木だが、何の事はないただの木、役には立たない物の事さ。これくらい知っておかないと京では、生きていけないぞ」
「そうなのか? たぶん違うと思うが……」
「まぁ、いいが、今日は早めに仕事を済ませてしまえよ」
「何故だ?」
「今日は、政経さまの参内の日だぞ」
「そういう事か……」
飯の用意や屋敷の周りの掃き掃除など割り振られた仕事を済ませると、正装し六尺余りの樫や桧木の棒に槍に巻く赤や黄色の血留め紐を巻いた物を持って門の前に集合する。
参内する京極政経の牛車の警護という重要な役目だった。
装飾を施された牛車の周りを槍に見立てた棒を掲げて歩く。しかし、厳かに歩いている時間はわずかで、棒を振り回して走り回っている時間のほうがはるかに長い。他の大名家の牛車との戦闘が経久たちの役目だった。
先を見回っていた斥候が駆け戻ってくると、戦闘が開始される。
「掃部ノ介様、斯波家の車が南に辻二つの位置に居ります!」
斥候は、牛車の前で一人棒の代わりに軍配を持つ年長の者に報告する。掃部介とは、経久ら若武者たちを取りまとめる役職名であるが、そのまま呼び名として使われていた。
「出陣じゃ! 前軍を向かわせて、一辻南へ押し込め!」
号令を受け前軍に割り振られていた経久たちは棒を振って走り出した。
派手な血留め紐は目立たせるため。棒を振り回し相手の車を引く牛を叩いて向きを変えさせる。もちろん、相手にも同じく棒を持った護衛がおり簡単には近づけない。
「京極家の若造を近づけさせるな!」
斯波家の頭目が大声で指示を出しながら牛車を誘導しているところへ、棒を回転させて打ちかかると、隣の若武者が横に払って棒を受け止める。堅い木の打ち合わされた甲高い音が鳴った。
次々に京極家の若武者たちが棒で打ちかかり、通りに木の棒のぶつかり合う音が鳴り響くと、車を引く牛が不安そうに辺りを見回し始める。相手を打ち倒せなくても、大きな音や声で牛を追い払えば良いのである。
前の者が棒を振るい、後ろの者が大声を上げて、斯波家の牛車をもう少しで追い払えそうになったところで、京極家の牛車近くで戦闘が始まった。
「伊勢家の奴らだ!」
「あいつらまだ京都にいたのか。戻るぞ、車を守れ!」
進路を確保しても、車が進めなければ元も子もない。それに他家に邪魔をされて予定とは違う辻を曲がる羽目になったら、確保した道も無駄になるだけだ。
どの家の牛車も真っすぐに内裏へ向かえば、他家と争う必要もないのだが、牛車の通る道は陰陽道の方違えなどで、複雑な仕組みで決められているため、他の車に道を譲ったり、行き過ぎた後に引き返したりする事が出来ないのだ。
昼過ぎまで棒を打ち合う音が聞こえ、場合によっては、あちこち廻った挙句、辿り着けない可能性もある。だからこそ、みな合戦さながらの真剣さで棒を振るっているのだが、内裏に着き牛車を止めると、どの家の若武者も同じ木陰で休んでいた。
経久も折り畳みの腰掛をもって休める場所を探し塀の影に近寄ると、先に座っていた見覚えのある若武者が腕をまくって塗り薬をつけていた。何処で見かけたのか考えると、牛車を先導していた時、打ち据えた相手だった。
「悪かったな」
そう言いながら隣に腰を下ろす。相手は顔を上げたが、覚えがないような怪訝な表情を作ったので、軽く腕の赤くなった跡を指さすと、少し考えてからにやりと笑った。
「気にするな、これもお役目よ」
「そうか……家より先に着かれるとは、思わなかったけどな」
「打たれた後、牛の奴がやたら急いでな。まっすぐ走ろうとするので、辻を曲がらせるのも一苦労なほどで、掃部ノ介が悲鳴を上げ取った」
「そいつは、車が随分揺れただろうな。こっちは牛車がお見合いして、危うく立往生だったが」
「主君も降りる時は平気な顔してたが、えらく不機嫌だったからな。……後が怖いよ」
互いに顔を見合わせて声を殺して笑った。
「機嫌を取れば済むんだから安い物か」
「そうだな。……町の外では、本物の合戦が起こっているというのにな」
「東軍と西軍の合戦か……」
「あぁ、俺の国元でも、守護も守護代も疑心暗鬼、誰が敵で誰が味方か、それしか頭にないからな」
「敵と味方……」
味方を残し敵を手折れば良いのだろうか?
単純に見えてそれが難しい気もする。隣にいる若武者は、牛車を引いて道を争っていた時は敵だったが、今はどうか? もっと酷い怪我をさせていたら、喉の奥に感じている苦い後悔だけでは済まないだろう。本当の合戦だったら、どうなのだろうか。
「俺たちが考える事でもないか。主君の気分次第でも、今は従うしかあるまい」
「今は……。兵を率いて、命を懸けて戦うなら、戦う相手は自分で選びたいものだな」
「まったく、だ」
雑談している間にも先に到着した大名家から順番に主君を迎えて帰路につく用意を始めていた。先に着いた従者から軽く挨拶を交わして牛車の準備に戻り始める。
「後はのんびりと屋敷に戻るだけか……」
行きの時間と手間と比べれば、主君の政務の時間も争いもなく真っすぐ進める帰りの時間は僅かなものだった。




