木津川口の戦い 1
儀礼的な挨拶を上の空で済ますと、毛利元就の部屋を後にした。
息子たちと同等の扱いで接見するという破格の待遇であったが、当てが外れたと言っても良い。直家が出向いた目的は、松山城に居る毛利元清を毛利元就の命で城から追い出す事。毛利元就の命に従わなければ、毛利家の兵が松山城へ攻め込むだろう。
しかし、毛利元清を好きにして良いとまでのお墨付きをもらってしまえば、自分で討たねばなるまい。松山城を攻めるならば、相手が僅かな兵しか用意できなくても大きな被害を受ける。元清の兵がどれだけいるのか分からないのでは、被害が予想も出来ない。それほどに、難攻不落な城だ。
「お待ちください」
考えに没頭しながら廊下を歩く直家を急いで追いかけてきたのは、小早川隆景だった。
「隆景殿、まだ、何か?」
「元清の件ですが、俺に任せていただけないか?」
「元就殿は、私に一任してくれたものと……」
「実は、込み入った話になるんだが、俺たちの母の妙玖が亡くなった直後は、父上も荒れてな。屈服させた他家の娘を何人も妾にしたのだ。それも、自分の子供のような年の者をな……」
話しにくそうに視線を外したが、すぐに腹をくくったように話し始めた。
「俺も聞いた話だが、手枷をして牢に繋いだり、酷い扱いを受けていたそうだ。だから、父上が病の床についても誰一人見舞いにも来ず、自業自得と言っても良いのだが、やはり、辛いのであろうな。それ故、過去の過ちとして目を背けていた妾の子供たちに、怒りを向けられておられる」
「それならば、なおの事、隆景殿が事に当たられては、軋轢が生まれるのでは?」
「いや、父上の事情はあるが、元清は、俺を実の兄のように慕ってくれていてな。今回の元清の行動も、毛利家のために手柄を立てんが為、俺が行けば、戦いをする必要もないんだ。それに、勝手な事を言っているのは分かるが、もしよければ、三村家の残党を元清に討ち取らせてもらえないかと」
またとない申し出だった。もったいつける必要もない。
「……無論、隆景殿の申し出ならば、是非にも協力したい。兵が必要なら、岡家利が松山城の近くに布陣しております」
「有り難い! 俺に出来る事があるなら、何でも言ってくれ」
「早速ですが、三村家の残党を隆景殿に任せられるなら、私は先に石山本願寺へ向かいたいと思います。水軍で遠征するにあたって、安宅舟を何艘かお借りしたい」
「おお、それなら、お安い御用だ。すぐに用意させよう」
三村家の後始末は毛利家に任せ、備中から兵を引かせると、小早川隆景の用意した安宅舟に乗り込み、石山本願寺へと向かっていた。
「小早川隆景殿は、気前がよろしいですな!」
戸川通安が船の縁に立って、伸びあがって海を眺めている。
「乙子城で、初めの船を作り始めた時は、これだけの軍船を揃えられるようになるとは、思っても見なかったですが」
興奮するのも無理はない。毛利水軍からもらい受けた三艘の安宅舟に、二十人以上から十人程度と乗り込める種類の様々な小早舟を合わせると百艘になる大船団である。安宅舟の船体の幅の広さや、天守閣のように高く作られた屋根は川で船を扱っていては、邪魔になるだけなのではと思いもつかない発想であったが、海に出ると互いの船を見失わないようにその高さが必要だった。取り回しがきくが背の低い小早舟では、波にすっぽりと隠れて、味方の船がどちらに進んでいるのかさえ分からなくなるのだ。
「それに、海に出ると、これほど揺れるとは思わなかったな。吊り橋の上に座っているようで、同も落ち着かん」
「俺はもう慣れたぞ、八兄い。それに、この辺りはまだましらしい」
甲板の板をしならせて一回りしてきた忠家が、隣にどっかりと腰を下ろした。
「慣れるまでは、気分が悪くなるものもいますから、無理をなさらずに」
しっかりと押し付けるように歩く忠家と違って、同じように歩き回っていても戸川通安は甲板の揺れに合わせて踏み出し足音も立てない。
「槍を振ってりゃ問題ないってもんだ。それより八兄い、織田信長は足利義昭を将軍にするために京へ入ったのだろ? それが何で、将軍になった足利義昭を追い出すんだ?」
「室町幕府の再興を目指す将軍と織田信長の目指す天下がずれたのだろうな」
「そりゃ何だよ?」
「天下布武とは、全ての武力を自分のものとすると言う事だからな。幕府は守護職に税を収めさせる代わりに支配する権限を与えているだろう? 守護職は領地を支配するために法を作り、その法を守らせるために兵を持つ。だが、兵を持っているから守護職同士で争い戦を起こす。しかし、兵の指揮権を中央に集めれば、勝手に戦を始められなくなるというわけだ」
「誰も兵を持っていなければ、攻め込まれる心配もないが……野盗や海賊はどうするんだ?」
「必要な分だけ、この場合は織田信長だな。兵が派遣され問題を解決する事になるかな」
「それはいい、……いいのか? 解決を他人任せにするようで、どうもむず痒い」
「そうだな、その解決方法に、疑問や不満があった場合どうするかだ」
「兵を率いて戦う! 兵は居ないのか、じゃ、一人で戦う!」
「相手は軍隊だぞ?」
「うーん、一人じゃ勝てんか?……」
「同じ不満を持った者が集まって戦う」
「おお、それだよ!」
「だがな、守護職が兵を率いて戦うのとはわけが違う。軍隊と民の戦いとなってしまうからな、どうやって戦いを終わらせるかだ。大将を討ち取り、城を落とせば、終わるはずの戦も、寄り集まった民の集団では終わらせようもない」
「責任を取る者か。集まった者たちを纏めたり指揮する者はいるだろうが、どこかの村の農民では、腹を切らせても仕方がないか」
「追い散らせて、見せしめに何人か処刑した所で、問題を解決しなければ、不満がさらに増えるだけだ」
「織田信長は、どうやって解決するつもりなんだ?」
「……全員を処刑したのだ。長嶋願証寺に一揆に加担した農民を集めて、一人も逃さずな……。そして、石山本願寺でも同じ事をしようとしている」
「逆らった責任を取らせるつもりか?……」
「それでも従わぬなら、この国全ての民に責任を取らせるだろう。従うか滅ぶかの二択を迫られる」
「そんな事が許される筈がない!」
「織田信長の勢力は強大だ。対抗するには、各地の守護職が協力しなければならない。そのための旗頭となるのが征夷大将軍だ」
「だから、その前に倒してしまおうとしたのか」
「織田家の支配を固めるため、追放した足利義昭に不穏分子を集めさせるつもりであったのかもしれん」
「……俺たちも誘き出されたのかも?」
「直家様、三好家の船が近づいてきます! 十河存保からの伝令です」
舳先の方から戸川通安の声が波と風の音を遮って聞こえた。
「良い知らせのようだな。これで織田信長に対抗する駒は揃った」
伸びあがって波の上の旗を眺める。目を細めたのは船の前から慌てて逃げ出す光の粒の眩しさからか。
「京を追われた三好家に、兵は期待できないんじゃないかな?」
三好家の援軍に期待しすぎているのかと、忠家は不安そうに直家を見上げていた。




