備中縦断 救出
馬に餌をやり、武器を磨いて、出陣の準備をせねばならない。
張り詰めた緊張感は兵士たちの間に広がり、細かく震える波を引き延ばしてし行くかのような沈黙と慌ただしく動き回る雑踏の音が規則正しく繰り返されていた。
戦の高揚感に熱せられ、死んでいく者たちへの罪悪感に冷や水を掛けられる思いで部隊の編成にあたっていた直家の心がそう思わせていただけかもしれない。
これほど頭を悩ます出陣も初めてだった。
(砥石城から忠家の部隊を軸に、長船貞親を後詰にあたらせて……)
どの部隊を動かすかを考えようにも、誰を、どこまで、いつまで攻めるのか、考えるほど不確かになっていく。浦上宗景について、赤松家を攻めると決めはしても、小寺家を味方とするのか? 東播磨の守護代たちの動きは? そして、三好家の動向……。
(いかんな……)
出陣に消極的な思いからか、何度か部隊の編成を見直しても、自分がそこに居ない事に気が付いた。
嫌なものから出来るだけ離れていたい。そんな思いが兵の布陣に現れている。
(まず、この俺の出来る事を考えねば……)
改めて初めから出陣部隊を編成しなおそうとすると、地面を蹴って走る伝令の急ぐ足音が聞こえてきた。
(悩んでいる時間はない)
そう思いなおした。
「伝令! 直家様、高田城に三村家親が攻め込みました!」
知らせを聞くや、馬に乗って駆けだしていた。
いつでも命令に従えるように準備していた直家の直属の部下が後に続いたが、それが五十騎余り。その後に遅れて続ける者も併せて数百と言ったとことか。
直家の頭から冷静な思考などどこかへと吹っ飛んでいた。しかし、それで良い。机上で情勢をあれこれ考えていた自分がどれほど愚かだったが思い知らされた。
(その城が、最前線だと分かっていたはずだ!)
何度も自分を責める言葉が浮かんだ。
こうなる事は、予想の範囲内であったが、先に打てる手は思い浮かばなかった。
三浦貞親も城主である。自分の城は自分の力で守らねばならない。勇猛な備中衆相手に若い城主がどれだけ持ちこたえられるか……僅かな望みにすがる思いで、馬を走らせていた。
つまり、浦上宗景の策略の甲斐なく、いや、策に痛手を被ったからこそ、毛利元就は危機感を増して、最短距離で月山富田城へ攻め込んだのだ。苛烈なる攻めに、戦わずして寝返る者も出てさらに進軍速度は増し、乗り遅れた豪族たちは何とか手柄を立てようと、急ぎ攻められる城を探し始めたのだ。
備中衆を率いる三村家親も、地理的には有利であると悠長に構えていたため、本体の攻撃に間に合わず、最近まで尼子家の支配下にあった高田城に矛先を向けたのである。
急ぎ救援に向かった直家が、高田城までの道のりの半分ほど進んだところで、座礁したのか川べりに寄せられた一艘の高瀬船と数人の兵の姿を見つけた。
敵の斥候かもしれないため、捕らえる兵を差し向けたが、慌てた様子で引き返してきた。。
彼らの様子から察すると敵方の兵ではなく、高田城から逃げ出した兵たちだと分かる。ならば、多くの情報が得られる。知りたかった事も知りたくなかった事も……。
直家は、安堵と不安が入り混じった思いで、兵士たちの元へと向かった。
「直家様ー!」
兵士たちの間から幼い少女が飛び出して来て、直家の首に縋りついた。
慌てて受け止めたが、動きやすい着物を着た記憶にある頃よりも華奢に思える。胸に顔を埋めて泣きじゃうる少女は三浦貞勝の妹・融だった。
「よく無事だった、もう大丈夫だ」
安心させるように肩を抱くと、一瞬、力を入れて体をこわばらせ、するりと、直家の手の中から抜けると、足元にひざまずいた。
「兄・貞勝は、直家様のもとへ落ち延びるように、私を城から逃がした後……、自害いたしました」
涙に濡れたままだが、しっかりと向けられた顔に、凛と張った声には、筋の通った強さが窺える。
そこに居るのは幼い子供ではなく、自分を逃がすために犠牲となった、多くの命を背負った責任の重さを知った者の姿だった。
「それでも、お前が無事でよかった……」
小さな肩に手を添えて立ち上がらせると、優しく抱きかかえた。
たとえ乱世といえども、この小さな肩に背負わすには、あまりにも重すぎる……。
「……自分より長く生きた命を、背負わなくて良い」
そう呟いた声も、固く握りしめられた甲冑の胸飾りに、押し付けても、押し付けても周囲に聞こえる大きな泣き声の中に消えていった。
泣き疲れるまでの僅かな時間であったが、全員がその場に立ち尽くし、思い思いの追悼の意を表していた。
しかし、いつまでもそこにいる訳にもいかない。
亀山城に戻るかと、振り返ると偵察もかねて距離を開けておいた後続の部隊が追いついて来ていた。その中から一騎が速度を上げて近づいてくる。
「直家様! 後方より中山元輝の襲撃です!」
偵察の兵が来た方向の先に見開いた目を向けた兵士たちの顔には、脳裏に浮かんだ絶望が映し出されていた。




