追撃
雪崩のごとく山を下って追いかける。とはいかなかった。
敵の本陣前を走り抜ける訳にはいかず、山を南に下ってから西へ回り込むルートを通らねばならない。それだけ大廻りをしていれば、味方さえ不意を突かれるほど鮮やかに逃げ出した相手の背中さえ見えなかった。
「八兄い、逃げられた! 奴らの姿が見えんぞ!」
「直家様!」
忠家の大声に張り合うかのような花房正幸の大声が駆け寄ってくる馬から聞こえた。
「申し訳ありません、待ち伏せの用意をしていたというのに、逃してしまうとは」
大声の理由は正幸の背で空気を叩いてなっている弓のせいであった。長い射程と威力のある弓は、馬の上で風に煽られ使うのは難しい。距離を開けて一目散に逃げる相手を追うには不向きだった。
「構わん、どうせ行先は分かっている。……高田城だ」
「はい、それと、逃げ出したあの一団ですが、尼子晴久ではありません」
「では、誰が軍を率いていたというのだ?」
「あの旗印、島村盛実の物に間違いありません」
「まさか!」
同じ浦上家の家臣でありながら裏切って城に攻め込み、祖父・宇喜多能家を殺害し、父・興家に傷を負わせた相手の名が、今度は侵攻してきた尼子家の軍の中にあるとは。
驚きはしたが、浦上家の兄弟が播磨と美作に別れ、各地の城主たちも自分の城に戻った絶好のタイミングで攻めて来た事を考えれば、手引きした者がいるのは当然の事でもあった。
「この度の尼子家の侵攻は、やはり島村盛実の手引きだったか」
「あの裏切り者め、今度こそ息の根を止めてやるぞ! 祖父と父の仇だ!」
誰であろうと敵将を討ち取るだけだ。
軍を統括する者が居なければ、集められた小領主は自分の手勢をまとめて領地へと帰る。なまじ大軍であるだけに代わりにまとめられ上げれる者はいない。居れば初めから城の前で膠着状態になどなりはしなかっただろう。
城に入られる前に追いつけるか、それだけを考えて馬に鞭を入れていた。
「待て! 全軍停止!」
「どうしたんだ! 何があった? 八兄い」
敵将が尼子晴久だったら、逃げ帰る先は出雲。だからこそ美作との境の高田城に向かうと予想は出来る。しかし、島村盛実なら美作の領主たちにも大きな影響力を持っている。松田家の金川城でも江見氏の拠点にでも逃げ込んで再起を図れば、出雲へ逃げる必要もないのだ。
「円陣を組め!」
悪い予感は当たるものだ。
兵を止め陣立てを整えようとしていると、山側の脇道から鬨の声が上がった。
「八兄い、伏兵か!」
「忠家、敵の数が分からん、深入りはするな!」
近くに居る数名を連れて突撃する忠家の背中に、あらん限りの声で叫んだが、唸りを上げて振るわれる槍の前にかき消されたのかもしれない。振り返りもしない忠家の咆哮が上がるたびに、敵兵の体が宙を舞った。
(……脆すぎる?)
忠家の勇猛さに、花房の弓隊の支援もあったが、待ち伏せをしていたにしては、あまりにも脆すぎた。
誘い込む罠かとも思われたが、敵将を追う相手がわざわざ残兵に釣られると考える相手ではない。それに伏兵という重要な役割を与えられた兵にしては装備も貧弱過ぎた。
「これでは、時間稼ぎにもならんが、何が狙いだ?……。忠家! 何人か捕らえろ!」
命令を下すまでもなく敵兵は、既に武器を捨て投降し始めている。目の前に並べると装備だけでなく、年齢も若すぎたり、古い傷に布を巻いて手当した跡もある。
「八兄、こいつら碌に武器も扱えない。負傷兵なんかを無理やり、伏兵に使ったみたいだが……」
「天神山城攻めで、この辺りの兵は根こそぎ徴兵された後なのか。つまり、……ここに兵を置く予定はなかった」
城攻めに駆り出した兵が戻るまで周辺に兵が残っていないと知っていたなら、逃げ込む先は兵の居る場所。金川城へならもっと早く南へ下るはずだ。やはり、高田城へ向かったと考えるのが正しいだろう。
「少しでも時間を稼ぎたいのか?……」
つまり少しでも時間を稼げれば、巻き返す策がある。
「急ぐぞ!」
「おう! 最小限で最大限、蹴散らしてやるぜ!」
鬼気迫る勢いで川沿いを駆ける忠家に、元々弱腰の伏兵は攻撃を仕掛ける事も出来ず、街道に飛び出してきても槍を振り回されると慌てて逃げ出すほどで足止めにもならなかった。
しかし、高田城が目前へと迫ると、今までと違って遠くからでも分かるほど精悍でよく訓練された兵士が、街道に整然と並んで待ち構えていた。




