戦の剣技
朝早く、長船貞親の連れてきた兵と合流して、松田家の兵を抑えるべく出陣した。
山々に押されて狭苦しくさえ見える北の空に戦の重圧を感じてはいたが、亀山城を何度も振り返る長船貞親に気恥ずかしいような感じにさせられて、今一つ緊迫した緊張感が湧かなかった。
「直家様、手を振りましょう! さぁ、手を!」
「これから合戦に行くのだぞ? 後ろを振り返っている場合ではない」
「……何か言いましたか? 実に、良い気分ですな」
振り返り何度も手を振っている相手は、亀山城の門の外まで見送りに出ている中山信正の娘だった。先頭が動き出す頃から、ずっとそこに立っている。この破格とも言うべき彼女の態度に長船貞親は上機嫌この上ない。
「いやはや、これで能家様と興家様の墓前に、ご報告が出来るというものです……」
今度は、袖で涙をぬぐう素振りを見せている。
長船貞親は直家より少しばかり年が上なため、何かにつけて世話役のような発言をする。
揶揄われているような思いもあったが、家臣の長として真面目に心配してくれている思いも感じ取れて、何と返事してよいのか困り果てていた。
しかし、それも山を一つ越えるまで。――目前に迫る合戦の気配に、一気に緊迫感が高まった。
行軍しながらも、斥候を走らせて先の様子を探らせて、順次報告を受けていた。
軍勢がどこにいるか、先に見つけなければ勝負にもならない、相手がどれだけの兵を率いているかさえ把握していないのだ。
それに、伊賀久隆の奇抜な戦術も気にかかる。
長船貞親が連れてきた兵は、砥石城からかき集めてきた兵でとても精鋭とは言えない。こちらの内情を先に知られてしまえば、忠家が龍ノ口城から兵を送って来る前に、決着をつけようとするかもしれないのだ。
幸運にも、三度目の報告で、敵の軍勢の居場所が分かった。
「手前にあった、山と竹林の間に陣を張る。敵もこちらの位置を掴んでいるだろう、急げ!」
大急ぎで掛からねばならなかったが、敵の姿が見えてから陣を張るのとは大違いだ。
僅かでも先手を取れれば細工を施せる。
直家の敷いた陣は一見オーソドックスな横陣であった。盾や槍を構えた兵を横に並べて、それを何層にも置く事で、突破されない壁とする陣形だ。兵の列を作るために、一層目と二層目、二層目と三層目と言った層の合間で中央と端に旗を立てて目印とする。
陣営が崩れた時にも旗を目印に立てなおしたりするものだが、直家は、その中央の旗を本来の陣形の中心より左へ寄せて立てていた。そして、その次の層の旗はさらに左へ。そうする事により、突破してきた兵は真っすぐ進んでいるつもりが少しづつ左へと曲がっていくのである。
そして、予め槍のように切り倒しておいた竹林へと誘導する。
戦場に舞い上がる砂煙と高揚感が前方に並ぶ尖った竹の切り株を槍を構えた兵士に見誤らせる。先頭の者が気が付いて止まろうとしても、勢いの付いた軍勢を止められるものではない。――竹林に突進するか、逃げ出そうとして隊列を乱し、大混乱に陥るだけだった。
「敵は崩れたぞ、突撃しろ! 蹴散らしてしまえ!」
直家の吼えるような号令に、兵士たちが一斉に鬨の声を上げた。
伊賀久隆の兵にとっては、前方の敵に向かって突撃しているところへ、突然、どこからともなく現れた一団に襲われたと考えずにはいられなかった。前へ進むことで威力を発揮する陣形は、方向を見誤らせれば驚くほど脆い。混乱した兵は、どちらに逃げて良いのかも分からず、敵味方の区別さえつかなくなる。
全軍で前線を押し進めていたが、敵兵が崩れ出すと兵たちが一気に走り出して、後方の部隊に隙間が空き始める。
圧倒的優勢でありながら、直家は、目の前に踏み出せば、引き返せぬ闇でも広がっているかのような威圧感に足が止まった。
(何かいる……)
その瞬間、目の前に転がる死体の一つが地を這う獣のように動き出した。
真っすぐに迫ってくる、それに、向かって剣を抜き放ったが、一瞬で手のひらが熱くなったかと思うと、刀は消え去っていた。――素手のまま迎え撃とうとすると、地面から銀色の閃光が走る。――それが刀の切っ先だと気づいたのは、首筋から全身に凍り付くような冷たさが走った時だった。
(――殺られる!)
首が跳ね飛ばされる姿が頭の中に浮かんだ瞬間、横っ面から体当たりで押しのけられると同時に金属の弾ける音が聞こえた。
何とか倒れないように体制を立て直すと、背筋を伸ばして、正眼に剣を構えた長船貞親の前に、両足を広げ、両手が地面に付きそうなほど低く刀を構えた伊賀久隆の姿があった。
「気をつけろ貞親! 奴の剣は……」
刀を跳ね飛ばされた手が斬られていない事を確かめつつ、長船貞親に奇怪な剣技に警戒するように警告しようとしたが、刀を構えた彼の背中がそれを止めさせた。
「邪流、我流の剣技は太刀筋を読まれ難く、虚をついた動作は神速とも思え、無双の強さにも感じられますが、そもそも剣技というものは、体の正面でしか相手を斬る事は出来ないのです」
長船貞親が一歩踏み出すと、伊賀久隆は大きく後ろに跳びのいた。
「袈裟斬り、撫で斬り、車斬り、断ち割り、薙ぎ払い、太刀筋は数多くあれど、正面に振った時でなければ斬れはしません。ならば、どんな構えから繰り出されたとしても、正面に来るその一点だけ避ければよいのです。そして、奇をてらった構えほど、正の面は少なくなる。故に、最も多く正面が取れる正眼の構えに、勝るものなし」
その言葉通り、長船貞親はあらゆる場所から繰り出される剣技を紙一重でかわし、振り下ろす刀は、一撃で相手を両断できる必殺の剣であった。
伊賀久隆は蜘蛛が地面の上を転がるように大きく飛びのいてかわしていたが、知らぬ間に出来た鎧の切れ目から血を吹いていた。
「これ程とは……、次の機会まで、その首、預けておくぞ!」
捨て台詞を吐くと、姿を現した時と同様に、あっという間に逃げ去っていった。
「なんて奴だ……」
「単独で本陣に攻め入るとは……腕に自信があればこそですが、剣技に溺れるようでは、大将の器ではありませんな」
長船貞親の手の中で、鞘に収められる刀の鍔が打ち付けられたように鳴った。




