沼の主 2
縁側に出ると、火照った頭に冷たい夜風が吹きつける。
締め付けるような冷たさに、温度差を感じて、どれほど飲み過ぎたのかと考えると頭が痛くなったが、離れ座敷へと続く廊下を歩くのは心地よかった。
(こんなに酒を飲んだのは、忠家の元服の祝い以来か……)
しかし、そんな懐かしい思いに浮かれている場合ではなかった。
悠長に構えている時間がないのは、尼子晴久の軍が間近に迫った天神山城も、分不相応な兵を抱えた宇喜多直家も同じだった。
ふらつきながらも廊下を歩き、柱に体を寄せると、乾いた木の香しい匂いが漂う。
考えをまとめようにも眠気を誘うような匂い。
「……もし…………直家様……」
呼びかけに答えようとしたが、目の前に広がる闇の中に、白い蝶が舞っていた。
(あたたかく……やわらかい…………)
闇夜の中で浮き立つ鮮やかな紅色の梅の花を思わせる匂いに、重くなる瞼は抗いがたく、綿のような雲に包まれて眠る月になった気がしていた。
(……ここは、どこだ!)
慌てて跳ね起きると離れの部屋に一人、布団に寝かされていた。
揺り動かされて痛みが走った額に手を当てると、美しい刺繍の入った絹の布がはらりと落ちた。
その布に心当たりも、どうやって布団にもぐりこんだのかも思い出せなかったが、無理やり頭を振って、記憶を呼び覚ます。
考えねばならない事を……。
「家利! 正幸! どこにいる」
額を強く押さえながら頭に響く限界まで声を出した。
「はっ、ここに」
ふすまの向こうからすぐに返事が返ってくる。
二人とも隣の部屋に控えていて、返事と同時に襖が開かれると部屋に光が差し込む。強い光は昼前と言ったところか。
「家利、五百の兵で街道に布陣しろ、少しづつでも税所の兵を龍ノ口城まで押し返す。正幸、本体を連れて北へ進み、天神山城へ援軍に向かうぞ」
「直家様、五百では、龍ノ口から援軍が出されれば、岡家利殿が勇猛と言えども持ち堪えられないのでは?」
岡家利を擁護するように口を挟んだ花房正幸だった。本体を率いると言えば聞こえばいいが、大人数の部隊の引率で先頭に立つ事もできない配置に抱いた不満がそう言わせたようであった。
「どうせ多くの兵は展開できないし、こちらには亀山城がある。それに、北へ部隊を進めれば、税所元常も動かなくてはなるまい」
「税所の背後にいる松田元輝も動くと?」
「備前で浦上家に匹敵する兵力を持つ松田元輝が動けば、情勢は大きく変わる。我々も正面からぶつかる事になれば、勝ち目はない。遠距離から牽制しつつ有利な地形に引き込まねばな」
「なるほど……分かりました」
答えながら考えをまとめるように何度かうなずいた。
武芸に卓越した才能を見せる者と軍を統率し他者の能力を発揮させる者とは、なかなかに相容れはしない。才能が秀でた者ほど、自分の能力を試したがるものだ。
一息入れようと軽く息を吐いたつもりが、意図せず大きなため息となった。
「大丈夫ですか、直家様」
「飲み過ぎただけだしな……問題ない」
少し引っかかる胸のつかえを考えないように飲み込むと、気持ちを切り替えて立ち上がった。




