花房の弓
一か八かの運試しのような浮田国定暗殺計画に思えたが、直家には天候の味方がなくとも、十分な勝算があったのだ。
砥石城は祖父・宇喜多能家の居城。直家も幼少の頃を過ごした城であり、城が落ちたとき秘密の抜け道を使って落ち延びた経験もあったからだ。
そして、砥石城から目と鼻の先の乙子城に居を構えてからは、いつの日にか役立てるべく、以前の記憶をたどって抜け道を調べ入念に侵入方法を計画していた。
それに協力していたのが、小姓として仕えていた冨川正利と三浦貞勝である。
二人なら変装すれば、薪を取りに山に入った村の子供に見えない事もなく、うっかり見張りに見つかっても怒鳴られる程度で済んだ。
だからこそ、正確な絵図を書き上げる事が出来、練り上げられた謀はあっけないほど簡単に事が進む。
こうして戦火を広げることなく砥石城の兵士を配下に加えた宇喜多直家であったが、まだもうひとつの難敵、新庄山に陣を築いた馬場職家の率いる兵が川の向こうで待ち受けていた。
「八兄い、今度こそ俺に行かせてくよ!」
活躍の場のなかった忠家は、無理にでも出陣しようとするかのように食い下がって来た。
だが川を渡って直ぐに、山の斜面へと続く位置にある新庄山に、簡易ではあるが柵を築かれては、力尽くで攻め落とせるものではない。
「どう攻めたものかな……」
「それなら、良い手があるんだ。俺が騎馬を連れて離れた場所から川を渡り、奴らの側面から攻撃を仕掛ける! 奴らを殲滅するところを眺めながら、八兄いは悠々と川を渡ってくれよ」
いささか楽観的ではあるが、良い手ではあった。
「そうは言っても、馬場職家は勇猛果敢、そう簡単には討ち取れんぞ?」
「俺の槍が天下一だってことを、証明するいい機会だ!」
忠家はかなりの使い手に育っていたが、槍の稽古を見ていても長船貞親や岡家利の方が上手だから、天下一にはまだまだ遠いのではないかと思われる。
(……まぁ、それはどうでも良いが)
「そうだな、良い策ではあるが少し手を加えるか。もう一隊を北側に回らせて川を渡り、花房正幸の長弓隊でこちらに警戒を向けさせていれば、いかに猛将と言えども耐えきれまい」
「任せてくれ、槍の一振りで蹴散らせてくれる!」
「くれぐれも、油断するなよ」
そう言いながらも直家自身、囲まれて逃げ場を失えば簡単に投降するだろうと考えていた。
実際に忠家が攻めかかると馬場職家の兵は蜘蛛の子を散らすように逃げまどい、山の中へと散り散りになって消えていった。
だが余りにも……脆い。
(馬場職家の部隊が、これ程簡単に崩れるものなのか?……)
兵数の差があり、三方向に注意をそらした。
策略通りの動きであったが、
(本当にそれだけだろうか?……)
疑問に思いつつも、急激に変わった立場の差、手に入れた兵数の差に、今までなら慎重に考えていた思考を半分外へ追いやり茫然と戦況を眺めていたが、突然、ポンッと弾けたように走り出した。
「全軍、川を渡れ!」
走り出した直家の号令に周囲の兵が慌てて付き従う。
「待ってください、直家様!」
後ろから呼び止める声は聞こえたが川を渡り始めても対岸からの攻撃はない。
麓から見る新庄山に布陣していた兵は、さして高くない山の頂上付近に移動し、一か所に固まって徹底抗戦の構えを見せていたのだ。
孤立した兵を包囲してしまう事は勝利の条件ではある。
長い目で見れば、兵士は消耗し、矢が底をつき、水や食料もなくなり、必ず勝てると言えるだろう。
しかし、時間を無制限に使い戦場で茶が飲めるならともかく、短期的な決戦では、決死の覚悟で坂の上に陣取る相手と戦わねばならない。危険や被害を考えると勝利と呼べるものではない。
そして、追い詰められた相手がそのような戦法を取る場合は、攻め手に時間をかけられない理由がある時なのだ。
「急げ! 急ぐんだ! 今の内に……」
(今の内に何をすればよいのか……)
山頂の布陣が完成してしまえば、攻め落とすのに多大な被害を受ける。
だが山頂付近は勾配も急になり木々の生え方も密になって、宇喜多忠家の騎兵も岡家利の槍隊も移動が制限されて決定力を欠く。
川を渡り切った直家はそのままの勢いで山を駆け上がろうとしていたが、水を吸った鎧で山道を登るのは思った以上に大変だった。追いかけてきた供回りの兵士たちと木々を支えに山頂へ向かっていると、頭上の木の枝の中を何かか飛び抜けていく。
「何だ?……」
頭上を仰いだ瞬間、ザッザザッと木の葉をかすめながら次々と山頂に向かって飛び去って行く。
――麓から放たれた花房正幸の長弓隊の矢だ。
距離にして百数十メートルではあるが、麓と山頂と言う高低差を考えると恐るべき飛距離である。
「ひとつ……、ふたつ……、みっつ……。お前ら、外すなよ」
花房正幸の隊でも、彼と同じだけの飛距離を出せる弓を引けるのは、五人だけだった。それでも遠距離からの攻撃は十分に威力を発揮し、矢が山頂に到達するたびに、木々の向こうから悲鳴が上がった。
見えはしなくとも味方の援護に気を取り戻した兵士たちは勢いを取り戻し、我先にと頂上を目指して走り出す。
「ちょっと待て……、あれは殿だ! 撃つな、殿に当たる!」
狭まった木々の間を塞ぐように置かれた盾を蹴り破って敵陣へと襲い掛かる直家の姿があった。
飛び込んだ瞬間、短く太い刃の太刀を盾の裏で支えていた兵士の頭の上に振り下ろす。
木々の密集している場所でなら刀や槍では鋭い刃が引っかかって取り回しがきかなくなるが、刀身に重さのある太刀なら振り抜けば木の枝ごと叩き折る事も出来る。
その威力は兜ごと骨を砕く。
返り血で濡れた太刀を振り、血飛沫を飛ばしながら直家は叫んだ。
「降伏しろ! 勝敗は決した。浮田国定は討ち取ったぞ!」
「何だと! その様な戯言で謀る気か!」
黒塗りの鎧を着た髭面の武者が吠えるように答えた。
「貴様が馬場職家か! 最早、守る城も帰る場所もないぞ!」
「黙れ小童が! 口先だけで手柄を立てられると思ったか! 手習いの剣術で戦場に出てきた愚かしさを思い知るがいい」
直家は一瞬ためらった。
数で勝る砥石城の兵も投降したのだ、山頂へと追いやられ逃げ道も断たれた相手なら目の前に敵が現れただけで、大人しく投降すると考えていた。
だが、馬場職家の一歩も引かない態度は予想外であり、ためらいを生んだ。
戦場では、その一瞬が命取りになる。
周囲の兵が一斉に槍の穂先を向けて、直家を取り囲む。
砥石城の兵は自分たちに後方から突如現れた長船貞親に虚をつかれたからこそ、大した抵抗もせずに投降したのだ。
一方、馬場職家は相手が飛び込んでくるのを待ち受けていた。
迂闊に罠に飛び込んだのは、直家の方であった。
「掛かれ!」
馬場職家の右手に握られた軍配が振り下ろされようとした瞬間、直家の頭の横を、空気を切り裂いて、何かが通り抜けたかと思うと、振り下ろされたはずの軍配が跳ね上がった。
乾いた木を叩いたような音と、その後に続いた、ビィーンと空気が痺れる様な音に、その場に居る全員の視線が集まる。
花房流長弓術――日輪より五尺五寸の上弦に矢を沿わせて弦を引き、三尺四寸の下弦に向かいながら上下に旋回し正中に構える。始まりも終わりもなく、確たる一点のみ。
故に狙い違えた事なし、故に之を正確と言う。
花房正幸の弓は引き絞られた瞬間、握った指を中心に美しい対数螺旋を描き出していたが、均衡のとれた美しく力強い構えと伝えられるのみ。
「頂に咲く花も、風に舞う花弁も、……花房の弓に、射抜けぬものなし」
そこには木の幹に突き刺さった矢が、軍配を串刺しにした矢軸を震わせていた。
誰の目にも明らかだった。
それが麓から放たれた長弓の矢だと、どれだけ偶然が重なっても軍配を撃ち抜くなど不可能であると。
姿の見えない相手が、正確に狙いを定めている。戦場において、それ以上の恐怖はない。
一瞬にして、形勢は逆転した。
馬場職家は右手を押さえたまま地面に膝をつき、槍を構えた兵士たちはおずおずと後ずさると、命令もないままに武器を下した。
「降伏しろ……」
声を張り上げるまでもなく、彼らの決死の覚悟は、たった一本の矢で冷え切ってしまったかのようだった。
勝敗は既に決しており、奥から現れた兵士たちは次々と武器を捨て始める。
吠えていたのは張り子の虎であったかのような呆気ない幕引きとなった。




