観音寺城の戦い 1
兵に見つからぬようにするには、あまり使われぬ山道を通らねばならない。
荒れた山道を休みもなしに走り続け、急な崖を下り、近江へと辿り着いたのは暗くなってからだった。
観音寺城の北に出て、どうやって敵陣を突破するか、見つからぬように闇に息を潜ませられるか、それとも、血飛沫を巻き上げ血路を切り開いて進むべきか、時間と確実性を考えていたが、答えが出せぬまま足が馬の腹を蹴っていた。
泡を吹いて倒れそうに馬の息も荒い。
待ち伏せた敵に出会えば、追手をかけられれば、僅かも持たないと分かった居ながらも、ただまっすぐ走る以外に、策はなかった。
しかし、近江に入ってからは、陣を敷いて待ち構える敵どころか、戦いを続ける兵の姿さえ見かけない。
そう、多賀高忠は、わずか二日で観音寺城を落としたのだった。
「多賀高忠様は、どこに居られるか!」
大声を上げて観音寺城へ入るが、大勝し敵を蹴散らして城に入ったばかりの兵士たちは、だらが見張りについているのかもわからず、適当な場所で休息を取ったり、酒盛りをしていた。
「おーい、経久じゃないか。どこに行っていたんだ?」
雑兵をかき分けて進むと、奥の曲輪の間に陣幕で仕切りを作り表に見張りを立たせている、少しは規律を保った見た目の部隊の中から多賀高家の声が聞こえた。
「高家! 高忠様はどこに居られる?」
陣幕の内に走り込むが、内側にいる連中はもちろん、見張りの兵まで酒臭い。
「うぅ……でかい声で人の名を呼ぶのは誰じゃ!」
奥で怒鳴り声を上げたのが多賀高忠だった。
酒宴の真っ最中ではあったが、軍の主だった連中が一堂に集まっていたのは都合が良い。
「多賀様。北から美濃の斎藤妙椿が軍を進める用意をしております!」
「なんじゃ?……。おのれ、斎藤め。正面からぶつかって、この多賀高忠に勝てるつもりか! 目にもの見せてくれる!」
「南からの六角家と挟み撃ちで、我らを攻撃するつもりなのです」
「六角だと?……。山の中に逃げ込んだ猿どもが出てきよったか。毛をむしり、皮をはいで、一匹残らず滅ぼしてくれる!」
「おー! やってやりましょうぞ!」
酔った武将たちが、多賀高忠に合わせて拳を振り上げる。
「お待ちください。どちらかだけなら戦い様もありましょうが、南北から挟撃されては、どうやって戦うのですか? 観音寺城は山城と言っても、守りに適さぬ孤山に建てられた城。見晴らしは良くても、囲まれれば逃げ場もなく、飲み水の確保さえ難しい」
「何だと! 貴様、私が負けるとでも言うのか!」
勝利の美酒に酔いしれる武将たちに、目の前に迫る危機について説くのは逆効果しかなかった。
「敵が何千、何万居ようとも、必ずや討ち果たしてくれる!」
両手を広げて大声を上げる多賀高忠の武神になったかのような大演説に、賛同の歓声しか上がらなかった。
「……しかし!」
「もうよせ。経久」
食い下がろうとするのを止めたのは、彼も正体がないほど酔っていた筈の高家だった。
「……今は、何を言っても誰も聞いちゃくれないさ。聞き入れてもらえたとしても、兵が動かない。城を攻め取ったという、目に見えた勝利の前では、その勝利に乗っかって士気を上げるくらいしかできないのさ。たとえ、敵が捨てて行った城であってもな」
「京極高清は、本拠地の観音寺城を捨てて行ったのか?」
「ああ、野戦で劣勢になったとみると、蜘蛛の子散らすように山中へ逃げ込んでいったさ。大敗には見えるが、集めなおせば大した兵の損害はあるまい……」
「そうなると、三つの軍を相手にせねばならんのか」
「そこまで悲観する必要もないよ。京極高清が兵を集めなおすには、数日かかる。斎藤妙椿はどれくらいで近江に着く?」
「峠の向こうで軍の用意はしてあった。動かそうと思えばすぐにでも動かせるが、宗祇先生の連歌会でどれだけ時間を稼いでもらえるかだが」
「宗祇先生の連歌百韻なら、三日はかかるだろう。京極高清の方が先に動くだろうね」
「そんなに、時間をかけるものなのか?……」
戦を目の前にして、それはないと思ったが、多賀高家は自信がある笑みを浮かべた。
「下手な歌を詠んで笑われたくなければ、それでも短い方だよ。でも本命は、南の六角高頼」
「順番に戦えば、勝機はあるって事か」
「三つの軍を、それぞれ一日で敗れるならね」




