戦の起こるところ 2
山道を下り始めると視界を遮る枝もまばらになり、合間から眼下に広がる湖面が日の光を照り返し目が眩むほど輝いていた。
目を細めて先を眺めても、水面に揺れる光で、どこまでが平地なのかも見分けがつかなかった。
「どの辺りが戦場になるんだ?」
「対岸に見える小高い山が観音寺城だ。船で渡ると、美濃へ続く東山道と南の伊勢へ続く八風街道が交わる辺りに平地が広がっている……たぶん、あの辺りだろうな」
指をさした先で、ちらちらと光が揺れる。
先頭の兵たちが放った矢だ。
「あれは……、もう始まっているのか?」
手のひらで影を作り、目を凝らしてみると、湖の船の上で小さな影が無数に揺れ動いている。
「どうやらそうらしい……」
京極高清も相手が押し寄せてくるまで城で待っている筈もなかった。琵琶湖を渡り切らぬうちに、野戦を仕掛けたのだ。
京極政経としては、対岸を押さえられる前に小笠原家長の弓隊で牽制し、その間に本隊を渡り切らせ布陣を完成させる必要がある。本隊を渡り終わらせれば、負けはしない。野戦で勝ちを拾えば、足軽隊を城まで押し進め、後は数の勝負だ。
「こんなにのろのろ進んでいると、俺たちが湖岸に着くころには、決着がついているんじゃないのか?」
「別に構わんだろう? 隠れる場所もない平地で、合戦に参加したくはないさ」
「そうだった、こっちは鎧も盾もないんだったな。のんびり行くか……」
急ごうにも隊列の前が進まなければ、どうしようもなかった。
湖面の照り返しに目をまばたかせながら山道を下り、勾配が緩くなり歩きやすくなると、逆に隊列の速度も遅くなっていった。
その理由も想像に難くない。
渡し船に限りがあり、順番を待たねばならないし、船に乗っても、対岸の先頭次第では、真っ直ぐ渡るわけにもいかないからだろう。
どちらにしても最後尾の部隊である。
のんびりと列の後ろについて湖畔に向かうと、随分と予想が外れていた。
「……俺たちも泳いで渡るのか?」
船でゆっくり渡れるはずもなく、軽装の兵士たちは、流れの緩い場所に数本の綱が渡されていて、それを頼りに鬨の声の上がる対岸へと泳いでいた。
渡し船もあるにはあったが、弓隊が水上から弓を射るのに使われていたり、空いている船も城攻めのための荷物を運ぶだけで数日はかかりそうだった。
「どうやらそうらしい。……荷物が軽くて助かったな」
前に合わせて泳ぐのは、行進するより大変だった。
弓を射かけられてはひとたまりもない。綱に手をかけ伸びあがったあたりを見たが、周囲が見渡せる訳でもなく、休み休み前の隊との距離を調整しながら進んでいると、華模木が思い出したかのように話しかけてきた。
「荷物と言えば、例のでかい南蛮の刀は、どうしたんだ?」
「あれか? あれは……高家が持ってったのさ。……きっと今頃、先陣で振るってくれてるだろう」
「あんな荷物を押し付けたのか? 旦那もひどいな」
「高家が、手柄を立てるためにどうしても必要だから貸してくれって言うから、貸してやったんだぞ?」
「役に立つとは思わんがな」
「戦には気分も必要なのさ」
「……溺れていないことを祈るよ」
泳いでの行軍に辟易したかのように呟いていた。
前に視線を向けると波がしらの向こうに先に泳いでいた兵士の背中が見えた。
もうじき岸に上がれる。話していたおかげで、無防備に泳いでいる間の緊張感が消えていた。
そこまで考えての事だったのだろうかと、少し疑問には思ったが。
対岸に渡ると、本隊が布陣している背後に出る。多賀高忠の陣の前に主力の兵士が整然と隊列を組み、両側に弓隊が広がっていた。
京極家の家臣たちは、本陣の後ろに集められる。馬上の塩治掃部ノ介の怒号が飛び、岸に上がった者たちを整列させていた。
「貴様ら、早く集まれ! 時間を無駄にするな! 一瞬の油断が、戦機を失わせるのだ!」
本隊と弓隊の間から前線にいつでも出られるように並んでいたが、京極家の家臣の部隊の多くは、後詰と城攻めに使われるのだろう。隊列にあまり緊張感がない。
「武士たるもの、死を恐れてはならない! 目の前の敵を恐れてはならない! 血を流すことを恐れてはならない! 敵を斬り伏せ、進むのだ!」
「怖いものだらけだな」
「黙ってろ……無駄口を聞くと、また掃部ノ介の機嫌が悪くなるだろ」
口元を隠して華模木に注意をしたが、緊張感のない隊列に号令をかければかけるほど、それが滑稽に思えなくもなかった。命のやり取りをする場所まで、わずかしか離れていないというのに。




