補陀落渡海
「どうしたんだ! しっかりしろ!」
「これは……」
慌てて駆けよると、華模木は目を見開いて、体を震わせている。
「まさか、毒か!」
誰よりも先に叫んだのは、万里小路冬房だった。
一斉に集まった視線に、はっと我に返ったように辺りを見回した。
「違う! 違うぞ、わしの酒に毒が盛られていたのだ! 何者かが、わしを殺そうとして毒を盛ったのだ!」
揺れ踊っていた視線が万里小路春房を見つけると、急に力強く打ち付けられたように止まった。
「春房! わしを殺す気だったのか!」
「何を言われますか、春房殿は、ご自分の息子、万里小路家のお世継ぎでしょう」
言葉も耳に入らぬのか、誰に言われたのかも分からぬような狼狽ぶりだった。
「臓腑の痙攣、黒目の拡大。間違いない! これは、唐場流豆の毒だ!」
「冬房殿は、毒にもお詳しいようで……しかし、その毒を手に入れれば、誰でも酒に入れられたのでは?」
「手に入れられればな。これは貴重な渡来品。京の都であっても、酒に混ぜて殺せるほど、まとまった量を集めるのは難しい物。特に、万里小路家で買い占めた後となればな!」
「なるほど。しかし、なぜ、毒の買い占めなど?」
「……うっ?」
早口にまくしたてるような言葉が止まり、やっと、夢から覚めたように周りを見回す。
「それは……だな…………。量を、間違わなければ……、薬になるため……」
何とも歯切れの悪い言い訳だった。
「量を間違えれば、毒となると……」
「だから何だというのだ! 貴様、何様のつもりだ!」
ようやく話している相手に気が付いて、大袈裟に怒りを現した。
「たしかに、私などは取るに足らぬ者。しかし、この者の死にざま、見覚えがございませんか?」
「なんだと?……。それは、どういう意味だ?……」
「わらわは、見知っておるぞ」
意味を測りかねる万里小路冬房の代わりに、御簾の向こう側から答えが返って来た。
「わらわの宴の折に、倒れた伊勢貞親と、ようにておる」
御簾があげられ、縁側に金箔をあしらった留め袖の姿の女が現れる。美しい白い肌に艶やかな長い髪、子を産んでも損なわれる事のない色気を備えている。その人が、将軍の母にして、権力の中枢にいる日野富子だった。
「貞親も、同じ、ものを、飲まされたのかえ?」
「毒にお詳しい万里小路冬房様が、なぜ、伊勢貞親様の時は、毒による暗殺だと思い至らなかったのですか?」
「それは……」
「それは、父上が毒を盛ったからだ!」
言い淀んだ万里小路冬房の代わりに、春房が叫んだ。
「……貴様…………」
殺気立つ二人に釣られて、座敷に居る他の者たちまでざわつき始めた。
どちらに味方するでもないが、吉川経基の配下の並みいる武将たちが殺気立てば、誰もが目を伏せ縮こまってしまうところだが、それをとりなしたのは、女の声、日野富子であった。
「お静まりなさい。過ぎた事など、どうでも、良いではありませんか」
「ですがっ、将軍の指南役であった伊勢貞親殿を毒殺したとなればっ……」
「縁起の悪い言葉を聞かすでない」
食い下がろうとする春房を相手にもせぬというように言葉を繋ぎ、踵を返した。
「……伊勢と言えば、補陀落に渡る船が出ているそうな。わらわも一度、見てみたいものじゃのう。冬房殿も、出家した身ならば、興味もあるのではないかえ」
御簾の裏へ戻りながら独り言のように呟いたが、誰もが一言も聞き逃さないように耳をそばだてていたが、その足がふと止まり、振り返って、顔を庭のある一点に向けた。
「そこに寝ている者も、一緒に乗せてみるかえ」
「あっ、……とっ、とんでもございません」
急に話を振られ、慌てて起き上がってしまった華模木が、気まずそうに座りなおして平伏した。
下ろされた御簾の奥から小さな笑い声が聞こえる。
その声は春の風に歌う小鳥たちのように、座敷の空気を溶かし、穏やかに動き出した宴を彩ったが、万里小路冬房だけが凍り付いたように、その場に、立ち尽くしていた。




