藤の花の宴
吉川家の屋敷の門を叩く。いつもとは違って寡黙で礼儀正しい態度の家人に案内され、曲がりくねった廊下を歩き、襖で遮られた部屋の間を抜けると庭から光が差し込む。思わず目が眩むような鮮やかな色合いの藤の花が天から降り注ぐ光のように眼前に広がっていた。
これほど見事な庭が武門の吉川家にあったのかと息をのんだ。
息もつけぬまま、庭を見渡せる座敷に腰を下ろしたが、隣で座る事さえ一苦労と言った様子で、居心地の悪そうにしている華模木の姿を目にすると、思わず吹き出しそうになった。
「笑うなよ……なんで俺がこんな格好を……」
普段の着流しではなく、経久の用意した武家の門人らしく見える格好をしている。この格好をさせるだけでも一悶着あったが、いつもの格好のまま宴に連れてくるわけにもいかず、嫌がるのをなだめながら着替えさせたのだった。
「随分、らしく見えるぞ?」
「らしいって……、別に武家の家人じゃなくても、良いだろう?」
「そうもいかんさ……しっ」
廊下の床板が鳴り、座敷に近づく人の気配に口を閉ざした。
顔を見ずともわかる武人の力強い足音を顔を伏せて待つと、目の前で通り過ぎようとした足が止まる。客に先んじて、主人の吉川経基が姿を現すのは異例だった。
「経基様、お招きいただき、ありがとうございます」
不機嫌そうな、吐き捨てるようなため息が聞こえた。
「隣の者は、誰だ?」
「尼子家の家人、中山勝重にございます」
「……何を企んでいるかは知らんが、これだけの用意をさせた価値はあるのだろうな?」
「はっ、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「まぁ、良い……」
納得したとは言い難い言葉を残して立ち去る吉川経基を顔を伏せたまま見送った。
「……中山勝重って、誰だよ?」
紹介された華模木が不服そうに漏らした。
「文句があるのか? 中山は叔父の名だぞ。その息子、つまり、俺の従弟だ。いい身分だろう?」
「従弟と言っても、勝手に名のっては不味いんじゃないのか?」
「叔父は側室が十人居て、息子の顔も名前も覚えてはおらん。一人や二人増えてても分からないさ」
「……これだから、武家って奴は」
納得していなさそうであったが、次々と招待客が現れ、末席の経久たちは顔を伏せて出迎えねばならず、話しをしている暇はなかった。
足元だけでも招待された客の人となりが分かる。大抵は武人だったが、京に住む公家も混じる。
その中で、少しばかり異色な、音も立てずに歩く、公家とも僧ともつかぬ足があった。
「ようこそ、お出で下さいました」
吉川経基が自ら客人を出迎える声が聞こえる。
「なかなかな、お庭ですな」
落ち着いた声ではあったが、頭の上に天井が迫るような圧力を感じる。
そっと、見上げたその姿から感じたのは公家の優雅さではない。
地味な色合いではあるが上等な着物を重ね着した背は、出家し剃髪してはいても経基に見劣りせず、正面の相手を真っすぐ見返す表情は武人の鋭さを持っていた。
それが、人の世に生きる者の最高位、従一位に叙される万里小路冬房であった。
だが、客の並ぶ広い座敷。するりと滑るような足取りで上座へ向かい、腰を掛けると、経久たちの所からは声も聞こえず、姿を見るのもやっとの事だった。
「経久の旦那、あんなに離れてちゃ、どうしようもありませんぜ?」
宴が始まり、万里小路冬房に近づく機会を狙ってはいたが、しばらくは手の出しようがない。
「下手に近いよりは動きやすいと考えろよ。従弟殿」
油断なく周囲の者を観察していた視線が止まる。
「……ああ、うん、勝重ね。分かったよ、従兄殿」
「もう少しすれば、動きやすくなるさ。酒は飲み過ぎるなよ」
運び込まれる料理を堪能する振りをする必要はなかった。
吉川屋敷の料理人たちが趣向を凝らした料理はどれも素晴らしく、鮎の焼き物は焦げ目で陰影をつけて川を泳ぐ様を表現し、盛りつけられた山菜が色鮮やかな花のようだった。
「こいつは……、細かく切っているのに、積み重ねるから、摘まみにくいぞ……。丸ごと食えばいいのか?」
鮎は背骨しか残っておらず、花は嵐に吹き飛ばされ無残に散っている。
盛り付けも華模木には、無用らしい。
「あまりがっつくと目立つ」
「ん? それいらないのか?」
「……出番だ」
若い武家の子弟たちが席を立ち始めた。
彼らの後について庭に出て、宴の余興を始める列に加わる。
「何をするんだ?」
「蹴鞠だよ。三回蹴って、受けて、上げて、渡す。これだけだ、簡単だろ?」
華模木に軽く見本を見せる。
「誰に渡してもいいのか?」
庭から見ると奥の部屋の御簾の奥に行き来する人の気配がある。御簾の向こうには、吉川経基の娘や招待された友人がいる。庭で余興を披露するもは、彼女たちに見物してもらうためでもある。
「間違っても、御簾のかかった奥の部屋には蹴り込むなよ」
そう注意を即した時には既に遅く、大きく蹴り上げられた鞠が頭の上を跳び越え、縁側の側を転がった。慌てて拾いに行く華模木に、御簾の向こうから小鳥の鳴き声のような笑いがこぼれた。
「蹴鞠も出来んとは、何処の田舎から出てきた成り上がり者か」
小鳥も飛んで逃げるような荒々しい声で万里小路冬房が言葉を吐き捨てた。
「まぁ、得手不得手もありますからな」
「ほう、あの者らが、和歌でも詠めると、おっしゃるので?」
吉川経基が取り繕うにも、真っ向から食いつく。
季節外れの冷たい風に身震いしたような静寂が広がった。
「雪降れば冬籠りせる草も木も京に知られぬ花ぞ咲きける」
御簾の向こうから囀るような歌が流れた。
「紀貫之ですか。ご息女は良く学んでいるようだが、田舎に咲く名も知られぬ花など、見向きもされず枯れるだけよ。そもそも、和歌と言うのは、京の華やかさを知ってこそ……」
万里小路冬房の話しを大声が遮った。
「焼け跡しかない京に、何があるというのか!」
「何をしに来た春房!」
「客人の身でありながら、悪態をつくのが礼儀にかなうのですか、父上!」
「屋敷から出るなと言いつけて置いたはずだ!」
万里小路春房も招待されていたのだ。
だが、顔を合した途端に、人目もはばからず、この言い争い。お互いにひくに引けないのは明白。
「伊勢の海の磯もとどろに寄する浪……」
二人の争いを激しく打ち寄せる波にたとえた。伊勢と言う言葉に、二人の激しい怒りのこもった視線が向けられる。そこに、下の句を続けたのは、華模木だった。
「春立つ今日の風や解くらむ」
一瞬、張り詰めた空気に誰も動けなかった。
読み手さえ違う和歌を平然と読んだのだ。万里小路冬房の叱咤か、嘲笑が降りかかるかに思えた。
だが、そうではなかった。
「うむ……」
静かにうなずくように目を閉じ、押し黙ったまま盃に酒を注ぐ。
そして、縁側まで歩み寄り、それを、華模木に差し出した。
「……ありがたく頂戴いたします」
華模木は、盃を掲げる様に受け取り、一気に飲み干した。
別の歌を組み合わせる事に、伊勢貞親と言う激しい波で荒れた関係も立春の風で溶けるようにとの意味を汲みとったのだ。
よほどの恥知らずでなければ、これ以上、食い下がる事はない。どちらも言葉を飲み込み、元通り宴が続けられると思った矢先の事だった。
酒を飲みほした華模木が、円を描く様に体を揺らすと、盃を落とし、倒れ込んだ。




