将軍の宴
京を騒がした事件も落ち着き、経久も日課を繰り返す日々に戻っていた。
人質となっている大名の子弟たちの仕事の中でも重労働の一つが、屋敷の廊下の拭き掃除であった。
屋敷内の仕事で手入れの行き届いた庭を眺めながらの掃除は楽そうに見えるが、京極屋敷も武家屋敷ならではの入り組んだ長い廊下で、庭に面していたかと思へば、部屋の間を通り、折れ曲がるたびにまっすぐ伸びる廊下は、実際の距離よりも長く感じる。それに、屋敷内ではどこに監視の目が光っているかも分からず、下手に手を抜く事も出来ないからだ。
何度目かの角を曲がろうとした時、角の向こう側から床板を大きく踏み鳴らした足音が近づいてくる。脇に避けて、通り過ぎるのを待つと、不機嫌そうな足が目の前で止まった。
「政経さまがお呼びだ、すぐに広間に集合しろ!」
塩治掃部の介の声だ。先の騒動では、夜通し門を見張ったが、手柄を立てるどころか、何が起こっているのかさえ分からないまま無為な時間を過ごしたが、いつの間にか姿を消し、騒ぎが収まってからこっそり戻っている経久に棘のある態度を隠そうもしていなかった。
「急に集まれとは、何があったのだ?」
経久が広間に着くと、既に呼ばれた者が集まっており、なぜ集められたのか推測し合っていた。
「褒美でも貰えるのか?」
「どちらかと言うと、戦が始まるんじゃないのか?」
「いや、それよりも、朝倉孝景も京へやって来るらしいし、東軍と西軍の和睦がなったのかもしれないぞ」
「本当か? それなら、俺たちも国に帰れるかもな」
どちらにつくか、陣営を明らかにするための人質は戦が終われば用済みだが、吉川基経と朝倉孝景の会見を目の当たりにした経久には、余りにも楽観的な考えに思えた。
西軍の味方同士の会見でさえ、あれほど張り詰めた緊張の中で執り行われていたのだ。もしあれが、東軍との会見だったら、と考えると身震いするほどの寒気が走った。
「口を慎め! 政経様の御成りだ」
部屋から掃き出される様に外へ向かって騒ぎが消え去る。
「よい。早速本題に入るが、昨夜、将軍・足利義尚様が十を向かえる宴が行われていたのは、皆知っているな。その宴の最中、伊勢貞親が亡くなられたのだ」
「――!」
思い思いの驚きの声が上がった。京極政経の隣に控えていた塩治掃部の介まで驚きを露わに振り向いていた。
「伊勢貞親殿は、隠居されていたのでは?」
「将軍が即位した後は、息子に職務を譲り若狭に隠居していたが、この度の宴のために京へ来ていたのだ」
「東軍の奴らの仕業だ! 以前から伊勢家を掌握しようと狙っていた、伊勢貞藤の仕業だ!」
「伊勢家内の争いならば、伊勢盛定も怪しいぞ」
伊勢家の家督争いならば、今さら隠居した貞親を狙うよりは、実権を持つ貞宗を狙うはず。
「やはり、東軍。畠山義就の放った刺客だろう」
「落ち着け。まだ、殺されたと決まった訳ではないのだろ?」
「しかし……」
犯人探しに躍起になる家臣たちの話を京極政経が遮った。
「殺されたという証拠はない。しかし、隠居したとはいえ、伊勢貞親殿は病を患っていた訳でもなく、理由なく急死する筈はなかった。それが宴の最中、突然苦しみだし、そのまま亡くなられた」
「やはり、……毒」
「その可能性を含めて、真相を究明するように日野勝光からお達しが下ったのだ」
日野家は、武家のように兵を抱えているわけではないが、将軍・足利義尚の母・富子の立場を使って、幕府の政務を富子の兄・勝光が取り仕切っていた。
「政経様、真相と言う事は、犯人探しが目的ではないと言う事でよろしいのですか?」
「そうだ。だが、他の者にも同様の命が下っている」
「……なるほど。我々のやるべきは、身の潔白を証明する事。と言う事ですね」
そのために必要ならば、犯人でも毒でも用意せねばならない。




