死霊術師とオッサン戦士のダンジョンアタック
ボイロ・ジャスコイは困っていた。
冒険者家業を始めて早10年。いつの間にか垢抜けて立派なベテランとなっていた。
生え抜きの頃からの一党も結成から解散することなく、近辺じゃそこそこ名の通るようになった頃。
「すまん、嫁が産気づいた」
そう言って魔術師の男が嫁の聖女と寿退社を宣言し、
「うーん、悪いけど私もちょっち抜けるわ」
盗賊の女もそう言って姿を消した。風の噂じゃヤバい抗争に関わっていたとか。
「実は前々から士官の話が出ていてな……」
相棒の騎士はどこぞの領軍に就職し冒険者という名の無職じゃなくなった。
冒険者として名も無き骸となる覚悟は出来ていた。現実の厳しさは身に染みていた筈だった。だが、一党解散という現実を前に、ボイロは途方に暮れていた。
他の奴らのように身の振り方を考えなくてはならない。だが、仮にも名の通った一党を率いた首領として、妥協するのは勘弁だった。
今はそこそこやれてるが、ピークを保てるのは後数年といったところ。それまでに新しい一党を結成し、再び一流に返り咲くのは不可能に近い。
今までと同等の実力を持つ仲間を見つけようにも、そもそもそんな優秀な人材が放って置かれるわけがない。新人は論外だ。育つまで待てない。
移籍しようにもこの界隈で実力的に申し分ない一党は、大体過去に鎬を削ったり因縁があったりするので足下見られる可能性があった。
ここまでくれば、大方の身の振り方は見えてきていた。
中堅に脚を掛けた奴らを見つけて適当に指導したりしながら、潜り込めそうな一流の一党と交渉する。
それが一番現実的な手だ。
一党の解散というバッドニュースで今は値踏みされ易い。ならばほとぼりが冷めるまで売り込みを避けるべきだろう。
ついでに武勇伝になりそうな依頼でもあれば恩の字だ。
よし、そうと決まれば、この優秀なベテラン戦士をスカウトしに来る中堅の一党を待つとするか。
したり顔で頷くと、ボイロは冒険者ギルドの酒場の席で、いつものエールを煽るのだった。
●
おかしい。誰も声を掛けに来ない。
冒険者ギルドの酒場でスカウトを待つこと一週間。そろそろ懐が寂しくなってくる頃合いだ。
待てども待てども色好い誘いは一向に来ない。
おかしい。スーパーファイターであるこの俺を欲しがる一党はそれなりにいる筈……!
「装備のランクが違うから維持費がなあ……」
これでも一流の名に恥じない装備は持参している。報酬の割り当てが多めなるのも仕方ないだろう!
「ざまあねえな! 一党が空中分解なんて珍しくねえし、格安なら雇ってやろうか?」
死ね。
「そんな恐れ多いっすよ! 今が大変なのに俺達に合わせること無いっす! ボイロさんならすぐに新しい仲間が見つかるっすよ!」
お、おう、後輩から気を遣われてしまうとは我ながら情けないな……。
エトセトラエトセトラ。話を持ち掛けても持ち掛けられても、全て空振り。その結果が一人寂しくカウンターで酒浸り。誰も話し掛けないと言った塩梅である。
本格的にマズい。今はいいがその内装備を手放すことも視野に入れなければならない。そうなると本格的に転落人生に真っ逆さまだ。
何とかして起死回生のチャンスを手にしなくては……!
その為には当座を凌ぐ必要がある。なあに俺なら多少のリスクがあっても生き残れる。ソロはギルドの規定でアウトだが、そこはゴリ押しで割の良い依頼を受ける。
そうと決まればこうしちゃいられねえ! 一週間前も似たようなこと言った気がするがどうでもいい! 俺は冒険するんだよ!
依頼書が張り出された掲示板は、既に冒険者達でごった返している。朝の洗礼で依頼書を手に入れてくるのは盗賊女の役目だった。
だが今はいないので、仕方なく人混みをかき分けながら進む。依頼書の奪い合いなんて新人の時以来だぜ全く。
「どけオラ! って、肘当たっただろうが何すんだゴルァ!? ええいどけっ! どけぇい!」
ごちゃごちゃとした混沌を乗り越え、依頼書へと手を伸ばす。
ぐおおお! 内容見てる暇がねえ! とにかく割高な報酬の奴を……!
人混みの隙間からチラリと見えた数字。依頼内容までは見えない。だが、飢えた肉食獣共の中で生き残った最高の獲物だ。
この好機、逃しはしない!
「と、ど、けぇええええええええええええ!」
戦士のスキル『猛進』を発動し、前方の邪魔者共を弾き飛ばして依頼書を掴む。
獲物を確保したことで気が抜ける。
だが、獲物を狙う亡者はまだまだ飢えを満たしていなかった。
油断し、即離脱を計らなかった間抜けを押し潰したのだ。
「あだっ! いでっ、てめっ、あだだだだだだだっ!?」
結局抜け出すまでにいくつかの痣を作り、改めて失った仲間の有難みを思い知ったのだった。
とはいえ、何とか依頼書は確保できた。早速確認と行こう。内容次第じゃ準備も要るしな。
「なになに……『疫病調査の護衛』? マジか……」
この時点でちょっと面倒な気配がしてきた。大型の怪物なら幾らでも切り伏せてきたが、例え一流でも病気には敵わない。
報酬は高額だ。それ相応に危険ではある。危険だからと引き下がるようなら、この期に及んで冒険者続けようとはしてないのだが。
依頼書の詳細を読み込む。
辺境都市や集落で流行り病が起きていること。近辺にある迷宮にて疫病の感染源らしきものがないかを調査すること。
そして、
「同行には死霊術師が加わる旨を了承されたし、ねぇ……」
死霊術師。多くの場合、社会の裏に潜む死者を呼び起こす呪術を持つ者達。屍鬼を使役することから墓荒らしと蔑まれる。
大なり小なり死に関わる職業というのは忌避されやすい。彼等はその中でも更に差別される賤民だ。
普段日の当たる場所では決して姿を見かけない。活動の時間帯、住む場所、婚姻関係などが厳しく規制されているからだ。
死が身近である為か、冒険者であり戦士のボイロにはそこまで嫌悪感は無い。
しかし、影に潜む死霊術師と冒険者を態々組ませようとする依頼に、どのような思惑があるのかが気になった。
依頼書に記載された依頼主も、相応の人物である。
「聖ラクシア教会最司祭が何だって死霊術師なんぞの伝手を持ってやがる?」
光と公正、癒しと厳罰、対価と規律を司る神ラクシアを祀る組織の大幹部だ。
自治体には必ず何処かに教会が存在し、民間の様々な事業の相談役であり、銀行も運営する財閥でもある。
大凡蔑まれて生きる死霊術師とは関わり合うことは無い。
何かきな臭い背景があるのかもしれんが、まあ、知る必要の無いことでもある。
どうせ背に腹は代えられないのだ。虎穴に押し入り強盗するのも冒険者の嗜みである。
「出るのは藪からバジリスクか? 上等だぜ」
今思えば大分自棄になっていた。仲間を失い、キャリアの危機もあって破れかぶれになっていた。
だからこそボイロ・ジャスコイは、“泥髪のエリス”に出会ったのだろう。
彼が歩んだ道から見れば、異質極まる少女との出会い。
それがボイロの一党解散に続く第二の転機になるとは、今はまだ気づく筈もなかった。
●
依頼書を渡すと、受付嬢は少し眉を潜めた後、依頼主からの伝言を伝えてきた。
曰く、早朝にて現地集合。経費は自己負担。
怪しい。物凄く怪しい。現地に行ったら「騙して悪いが……」されるんじゃないだろうか。
それでも慣れない夜間行軍しながら、集合場所である“廃都市迷宮”に到着した。
行き違いならぬとも限らない。多少見晴らしが聞く丘陵で腰を下ろす。ここなら廃都市迷宮に向かう人影を確認することが出来る。
安全圏で焚火しながら同行者を待つ。暁が昇るにはまだ少し早い。薄ぼけた暗がりの中、依頼主の思惑を考えた。
思惑がさっぱり分からないではどう警戒したものか。
恐らく疫病調査自体は本当なのだろう。最近街の方でも教会の警戒令が張り出されていたのを見た。同様の事態が周辺が起こっているというのも信用していい。
教会もそんなところで嘘はつくまい。
信用し切れないのは、件の死霊術師の存在があるためだ。
そいつを確認しないことには始まらんか。何度目かの同じ結論に溜息を吐き、適度に周囲を警戒する。
しばらくそうしていると、ようやく朝日が地平から影を追い出し始めた。
そのときである。背後の暗がりから、寒気がした。
「ッ!?」
脇に置いた剣を手にして前に転がる。焚火を弾き飛ばしながら立ち上がると同時に背後に振り返った。
剣を鞘から抜く手間が惜しい。そのまま中段に剣を構えた。状況を把握出来ない状況では防御が最優先だ。中段の構えは防御に適している。
廃都市迷宮を見下ろせる丘陵の背後には森がある。
朝日を背負ったことは失策だった。鬱蒼とした森は光を呑み、逆にこちらの見通しを遮っていた。
それでもこちとら一流の冒険者だ。奇襲に気づけたならどうとでもなる。
来るなら来い、そう胎を決めたときである。
「剣を下ろしてください。こちらに敵対の意志はありません」
鈴の音のようなか細い声が響いた。
姿は見えないが、高い音質に舌足らずな敬語から、相当若い少女であると当たりを付けた。
とはいえ、下ろせと言われて素直に下ろすほど三流ではない。 姿を確認するまでは剣は向けたままだ。
「信用出来ねえな、何もんだ」
「ボイロ・ジャスコイさんですよね? こちらで聞いている特徴と一致します。疫病調査の護衛を請け負っている筈ですが」
そう言いながら声の主が茂みから現れた。
始め目を引いたのは山だった。こんもり膨らんだリュックだ。
次に視線を下ろす。こじんまりとした薄汚れたローブがリュックを背負っていた。
幼い少女、その予想は当たっていた。
「……御前が同行する死霊術師だってのか」
「はい、私が疫病調査の専門家として同行します。エリス、と呼んで下さい」
ただ、自分の腰ほどしかない身長は、予想より一回り程小さかった。
並ぶと親子に間違われそうな年齢差である。
一瞬、この少女にどう対応すべきか思考する。結論はすぐ下した。
「まあ、いいけどよ。俺ぁ死霊術なんてもん御目に掛かった事がねえ。そっちは俺の事を知ってる見てえだが、俺は御前が死霊術師か判断出来ねえ。何か証拠になるもん見せてみろや」
「証拠、ですか……」
言い掛かりと言われればそうだ。だが、初見で即席の一党を組む以上、能力の把握は必須だ。
このちんちくりんが役に立つかどうか。ぶっちゃければ金になるかどうかだ。
こいつの背負ってる事情よりも、仕事が出来るかどうかの方が気になる。
「これでどうでしょう?」
その言葉と共に、少女の背負うリュックの蓋が勢い良く開いた。
飛び出したのは骨だ。大量の骨が組み上がってボイロの身長を追い越していく。
呆気を取られていたボイロは、視線を上げるにつれて驚愕の感情を抑え切れずに叫んだ。
「なんじゃこりゃあああああああ!?」
「キメラスケルトン。複数の生物の骨格を繋いだスケルトンです。私が使役出来る最大戦力。他のは少々手順が要りますので、御見せ出来るのはこのくらいでしょうか」
そう呟く少女の異様に、ボイロは本能的に腰を落として迎撃態勢を取っていた。
無言で返事を促す少女に、若干ビビりながら答える。
「お、おう、そこまで言うなら信用してやらあ……」
いつでも逃げられるようにしながらそう言うと、少女は満足したように頷き、指を鳴らした。
巨大な骨の異形は合図と共に崩れて、リュックの中に綺麗に治まっていく。
ほう、と感心しながら見つめていると、少女は身体に似合わぬリュックを背負い直す。
エリスと名乗った少女は、再びこちらをじっと見ている。
その視線を受けて、まあいいか、と一応の納得をした。これ以上揉めるのは時間の無駄だ。
疑問はあれど確認すべきことは終えた。後は追々で良かろう。
「……んじゃ行くか」
「はい、行きましょう」
気の利いた会話も無く、そういうことになった。
たった二人のダンジョンアタックは、山も無く谷も無く始まるのだった。
●
廃都市迷宮。既に滅んで久しからず、魔導文明の名残と言われる廃都市である。
遺跡となってから長い年月の間、魔導文明の遺産と思しき自動人形が徘徊し、人影の無い迷宮を徘徊している。
構造物が規則正しく連なる迷宮は、地下迷宮や城塞迷宮と違い明るい日差しが通っている。
日差しが通るということは、見通しが良いという事。
ダンジョンアタックに置いて敵を察知しやすい立地であると共に、敵から隠れるに不向きな立地でもある。
今も目の前には警備型自動人形が、浮遊しながら漂っている。
他の敵影無し。暗殺可能。状況判断終了。
背後にいるちんちくりんに目配せすると、薄汚れたフード一度揺れて一歩退いた。
その様子を確認すると、背負う大剣を抜き放ち逆手に持ち直す。
軽く呼吸を整える。短く息を吐き出すと、素早く警備型自動人形の前に躍り出た。
こちらの姿を捉えた警備型自動人形が、瞬雷を射出する銃口を向けた。
引き延ばした腕がしなり、唸りを上げて大剣を投擲する。
果たして雷は轟く事無く、砲弾の如き一撃が警備型自動人形を串刺しにした。
中枢コアを破壊された警備型自動人形は、そのまま抵抗も無く仰向けに倒れる。
一息吐いて、周囲を警戒しながら近づいて、深々と刺さった大剣を引き抜いた。
「よし、先に進むぞ。2ブロック先が地下水道への入り口だ」
幅広く遮る物の無い道を足早に駆け抜ける。
曲がり角に辿り着き様子を窺うと、視線の先には再び警備型自動人形を発見する。
先程よりも数が多い。合計4体。暗殺は不可能。
さてどうしたものか、と首を捻っていると、ふと薄汚れたローブの方を見る。
視線が合い、あちらも何だという風に見返す。
全く何なんだ、俺のガキの頃より生意気だ。
「おい、一暴れしても問題ねえが、オマエはどうなんだ。このまま黙って抜けるにゃちと数が多いぜ」
「つまりどういうことでしょうか」
「この場を切り抜ける上手い方法はねえかってことだよ」
ふむ、と薄汚れたローブが俯くと、しばらくしてから顔を上げて言う。
「解りました。何とかしましょう」
ローブから窺える口元が、少しばかり得意気につり上がったように思えた。
●
編隊行動を取る警備型自動人形は、多くの場合は重要脅威排除などの為に集まる。
しかし、他にも編隊行動を取る場合がある。重量物の運搬だ。
警備型自動人形の一編隊が運搬しようとしていたのは、オークパイソンと呼ばれる巨大な蛇型モンスターだった。
長い年月で朽ちた都市は一部自然に吞み込まれている。モンスターは広くて住処にし易い場所を求めて構造物へ侵入し、文明の遺産たる自動人形達はモンスターを排除しようとする。
そうした紛争地帯の合間を縫うように冒険者達は廃都市迷宮を攻略するのだ。
警備型自動人形達の前に、再び排除対象が現れた。
一体のスケルトンだ。時々死亡した冒険者達が正しく葬られず甦る。
屍鬼から肉が腐り堕ち、骨と化しても魂が離れずスケルトンになる。
死の苦しみから逃れようと徘徊し、生ある者を害そうとする。
自動人形達にとってはモンスターや冒険者と同じく排除対象だ。
フラフラと向かってくるスケルトンを排除しようと瞬雷の魔術を放つ銃口を合わせた。
次の瞬間、自動人形達は一斉に銃口を上に向け直す。
彼等の動体センサーが、自らを覆う影と頭上から落下してくる何かを検知したのだ。
それは巨大な骨の怪物だった。
スケルトン・キメラである。
自動人形達が一斉に瞬雷を放つ。しかし、筋繊維を持たないスケルトンの動きを止めることは出来ず、自動人形達はキメラスケルトンの大質量に押し潰された。
「隠密に、とは行きませんでしたが、援軍を呼ばれるまでの時間は稼げたのではないかと」
「……おう」
少女の声にボイロは肯定する。
単純だが非常に手早い。自動人形達はどんなに怪しくとも罠の可能性など考えない。彼等はプログラミングされた判断しか下せないからだ。
囮を置いて、その隙に大火力で奇襲制圧する。彼女がしたのはそれだけだが、いつでもそれが可能なわけじゃない。少なくともボイロだけでは不可能だった。
こうなってしまっては、彼女の力は有用だと認めざる得ない。
一流の冒険者であるボイロからして見ても、彼女の手札と判断力は優れている。
単純に、ボイロよりも年下で、子供だからと侮っていたのだ。
「おい、エリス」
「えっ? はい、どうしたんですか」
一瞬驚いたようにこちらを見たエリスは、ボイロの瞳をマジマジと見つめ返している。
気恥ずかしい気分になりながらも、ボイロは口にすべきことを言った。
「その形で大したもんだ、御前は凄ぇよ」
「それは、えっと、あ、ありがとう御座います、ボイロさん」
「俺の力が必要なら遠慮無く言え。生憎チャンバラくらいしか出来ねえが、これでも一流だからな」
「……はい、分かりました。そのときになったら提案させて貰います」
「馬鹿、一流をこき使えるんだぞ。遠慮するなっつってんだから、ガキが余計な気を回すんじゃねえ。俺は御前の護衛だ」
「あ、はい、そうですね……。手伝って欲しいことが出来たら頼んでいいですか?」
「おう、頼れ頼れ。なんせ俺は一流の冒険者だからな」
そう言って男臭く笑うボイロを見て、エリスは釣られて少し微笑んだように見えた。
仲間との信頼関係は大事。特に命を預け合う冒険者ならば。だが慣れ親しんだ仲間とは分かれ、他人と一から関係を築くのは大変だ。
それでも、これまでの冒険で経験した恐ろしさに比べれば、自分のプライドを抑えて他人を認めることなんて簡単だ。
この仕事が終われば、エリスと組む機会は無いかもしれない。だからと言って、今仲間である彼女を蔑ろにしていい訳じゃない。
例え世から疎まれる死霊術師だとしても、俺の仲間だ。
一流の俺の仲間である以上、この冒険は成功して当然なのだ。
冒険を成功させるためだったら、俺のプライドなんぞ幾らでも脇に置いてやる。
格下の一党と組むのは御免だが、俺のせいで冒険に失敗するのはもっと嫌だ。
そうとも、俺は自分の間違いだって認められる男なんだ。
「んじゃ、先に進むとするか」
「はい、調査する範囲は当たりが付いてますので、大詰めですね」
「最後まで気を抜くんじゃねえぞ」
「はい」
●
ここ最近、辺境一帯に流行り病が起きている。
泥髪のエリスと呼ばれる少女は、教会に送られてきた感染者の遺体を検死しながら思った。これは魔力障害の一種である、と。
かつて一大文明を築いた魔導文明によって発見され、今日も研究が続けられる「魔法」と呼ばれる技術体系。
その根幹エネルギーである魔力には以下の性質がある。
一つ、魔力とは空間に存在する魔素を吸収。体内で変換したものである。
一つ、魔素を変換する臓器を“神の心臓”と呼ぶ。この臓器は空間から魔素を吸収し続ける以上必要不可欠の臓器である。
一つ、魔素を魔力に変換できない場合、澱んだ魔素は周囲の臓器に悪影響を齎す。
周辺の村や街で確認された感染者の遺体は、何れも神の心臓に疾患が見られた。
解剖した神の心臓は通常時より遥かに肥大化し、おどろおどろしく黒ずんでいた。
この流行り病は、人間が生存に必要な臓器を破壊する恐ろしい性質を持つことが発覚した。
一体何が原因で神の心臓の破壊が起きたのか、調査の為に眠れない夜が続いた。
対策を講じて、幾らかの予防を徹底させたが、それでも感染者は増えていた。
感染地域と非感染地域との差を調べているとある発見があった。
向日葵畑の咲いた聖ラクシア教会が建つ場所では感染が見られなかったのである。
そのとき、死霊術師としての知識が、ある可能性を気づかせた。
これはもしかすると、病ではなく、呪いなのではないか。
太陽などを司るラクシアの加護がある教会では、その象徴となる向日葵を植える。
向日葵畑には強力な加護が宿り、それ自体が強い浄化作用と結界の役割を果たしているのだ。
とはいえ、全ての街に教会があるわけではない。それに費用の問題で向日葵を植えない教会も多い。
幾ら感染した遺体を検死しても、死因は魔力障害以外に見当たらなかった。
感染の原因らしき病原体が見つからなかったのだ。
感染と非感染の差、教会と向日葵、病と呪い。全身を稲妻が貫くような閃きを覚えた。
狂ったように周辺の地図を引っくり返し、感染源となる場所を探す。
条件に合致する場所はすぐに見つかった。感染地域となった街には全て川が通っていた。街は下流に広がっている。
つまり、呪いは川の上流から来た。辺境一帯を害せるほどの呪いが溜まりそうな、川に繋がった場所は一つしかなかった。
廃都市迷宮。魔導文明の遺跡。辺境開拓の折り発見されてから二十年。多くの冒険者がダンジョンアタックを仕掛け、死んでいった場所。
正しく葬られる事の無かった魂が溜まりやすい場所だ。二十年もあれば土地が澱み、呪いだって生まれるだろう。
確かめなくてはならない。今も苦しみ死んでいく人達がいる。死を嘆き、生者に仇成す哀れな魂がいる。
だが、賤民である自分では幾ら訴えても聞いて貰えまい。保護者である聖ラクシア教会の大司教も立場故に軽々しくは動けない。
無得にはしまいが、情報を精査して調査に乗り出す頃には更なる死者が群れを成すだろう。
残念だが、それを黙って見ている時間は無い。更なる決定的な証拠を提示すれば、大司教も早急に対策を講じてくれるだろう。
そうと決まれば、直接呪いの原因を確かめなければならない。幸い調査の許可は降り、冒険者と一党を組むことで一時的な外出が可能となった。
思えば、生まれて初めて街を出るという事実に思い至ったが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
これは起きてはならない悲劇だ。正しく弔えば起きる筈の無かった。死者の嘆きを止めることが出来れば、起きることはなかったのだ。
自分には死と向き合う術がある。父と母の残した教えがあれば、魂を正しく導くことが出来たはずなのだ。
恐らく、自分一人では辺境一帯を害すほどの呪いを祓うことは出来ない。教会が動いても長い期間が必要だ。
だが、原因不明の奇病は根絶される。既知の病として治療され、多くの人が助かるだろう。
その為には、この調査を成功させなければならない。
死者の呪いを聞き届け、正しく伝えられるのは死霊術師たる自分だけなのだから。
なんだかやたらこちらを気遣ってくれる護衛と一緒に、私は泥髪のエリスの名に恥じない働きをしなくてはならない。
そして、迷宮に残る死者を思う。
どうか、貴方の死が安らかなものでありますように。
●
都市の設備で、川に繋がり、大量の死体が残っていると思しき場所。
「下水道かよ……」
陰気で、汚くて、異臭がする。最悪だ。
まあ、冒険には付き物である。それでも、ここまで酷い光景は中々御目に掛かれない。
「――路上や構造物で死んだ冒険者は、オークパイソンが運搬されていたように下水に投げ込まれたのでしょう。都市機能が正常なら何らかの処理がされていたのでしょう。ですが……」
「ああ、それ以上はいい。言わなくても解る。放り出された死体を処理しきれずに詰まったんだろ。あれ見りゃ解るよ」
「……ええ、そのようです」
広大な都市に相応しい巨大な下水路の集合地。川へと繋がる出口のその手前。
そこには想像を絶する死体の山が築かれていた。手前にはまだ腐敗が進んでいない死体もある。
腐臭に気分を害するが、この感覚はそれだけじゃない。
「呪いか。何度か覚えがある。そりゃあこんな有様じゃ、自業自得とは言え当たり散らしたくもならあな」
「恐らく、これが伝染病の原因です。川に溶け出した呪いを生活水として住民が摂取した。水に含まれた穢れた魔素が神の心臓に辿り着き、魔力障害を引き起こしたんですね」
「その辺さっぱり分かんねえが、調査完了? おしまい? よっしゃすぐここから出よう! 何だか安酒でも飲みたい気分だ」
「ええ、遺体を一つ持ち帰れば強力な証拠になります。それで調査はおしまいです」
「ああ、手早くしてくれ! 異臭のせいか山が動いてるように見える」
「えっ」
ボイロの叫びにエリスが反応する。ボイロが指差すその先に、死骸の山がゴトリと蠢いた。
肉塊と骨のぐちゃぐちゃが、一つの生き物のように鳴動する。
こんな怪物は見たことが無い。名も無き者達の成れの果てが、災厄を振り撒く名も無き怪物だ。
自分もいずれこの怪物と一つになるのかと思うと何とも悲劇的な気分になる。
横目見ると、驚愕したエリスが後退りしていた。
まあ、いつか死ぬにしても、今ではない。少なくとも、この幼い少女の護衛を果たすまでは死ぬことは無い。
「おいおい、ビビってる場合じゃねえぞ。倒すか、逃げるか? とっとと決めてくれ」
「えっ? ええ、ええっと、その」
混乱したように口から漏れる決断は言葉にならない。
その間に起き上がった死骸の山は、こちらをじろりと見たような気がした。
頭蓋骨が多過ぎてどれが頭か解ったものではないが。
「に、逃げます! 逃げますよこんなの!」
「だよな、どうやって逃げる!?」
「オオオオァァォォォアアアオアオオオオオオォォォッッッ!!!」
意思確認の悲鳴は、死骸の山の叫びに掻き消された。
御互い顔を見合わせると、揃って背を向けて逃げ出した。
それ見た死骸の山の一部が、手を伸ばすように死骸が飛び出してきた。
「ゲォォオオオアアアオアオッォアアアアアアッッ!!」
死骸の津波。そう呼んでも差し支えない質量が迫ってくる。
ダメだ。俺は兎も角足の遅いエリスが逃げ切れない。
幸い死骸の殆どは骨。腰を据えてぶった切れば数秒は時間を稼げる。
「しぃっ!」
そうと決まれば即行動。大剣の質量を、限界まで捻った腰の旋回速度で打ち出すと、命ごとぶつける気持ちでぶった切る。
死骸の腕がバラバラに吹っ飛んだ。しかしそれも一瞬だ。吹き飛ばした端から大量の死骸が迫る。
足は完全に止まっている。剣を引き戻す時間も無い。精々身体を盾にしてもう数秒稼ぐのが関の山だろう。
そう思い、歯を食いしばって踏ん張る。呆気無い最後だが、後悔は無い。
冒険に生きた。最後まで諦めなかった。仲間に恥じない仕事をした。
キメラスケルトンならあの死骸の濁流から逃げられる。なら、俺はその時間を稼げばいい。
そのときだった。
「うわああああああああああああああああああああ!!」
目の前の濁流が、巨大な白い壁に遮られた。
壁状に組み上げられた骨だ。この壁を作れるのはこの場で一人だけ。
いつの間にか腰にしがみついていたエリスだった。
「ふざけないで! 逃げようって言ったじゃないですか! 何で逃げないんですか!? 何で置いていくんですか! 馬鹿じゃないですか!?」
涙声の叫びと共に、しがみつく力が増す。
支離滅裂な言い分を聞きながら、そういやこいつまだガキだったなあ、なんてことを考えていた。
激情をぶつけるように背中を叩かれる。結構痛かった。
あー、色々叱ったりするべきなんだろうが、今は対処の時間帯だ。
それに、泣いてる女には勝てない。説得は無駄。だから、するべきことを伝える。
「解った。一緒に逃げる。だがどうすんだ? 絶賛屍鬼の宴中だぞ」
「ぐすっ、何とかしますっ。私は今すごく怒ってるんですっ」
「悪かったよ、後で謝るから何とかしてくれ」
「何とかしますよ! ちょっと時間を稼いで下さい!」
ぷりぷりしながらそう言って、エリスは詠唱を始めた。
死霊術の呪言だ。死に干渉し、死者を操る闇の秘術が、周囲の死体達へと影響していく。
それを察知したのか、キメラスケルトンの壁にぶち当たって散らばった死骸が次々と起き上がった。
死骸の山も勢いを増してキメラスケルトンへと激突していくが、どういう原理か壁が崩れることは無い。
要は後ろから来るスケルトンの群を相手取ればいいわけだ。
それなら訳ない。楽勝だ。
「一流舐めんなよ腐れ亡者共!」
軽く振った一振りが、数体のスケルトンを纏めて薙ぎ払った。
●
「おらおらどうした有象無象! 一流の俺様が相手してやってんだ! 冒険者の成れの果てならもっと気合入れてきやがれ!」
ボイロの声とスケルトンの吹き飛ぶ声を聴きながら、エリスは思った。
先程のボイロの行動は凄まじく腹立たしかった。何で逃げようと言ったのに死のうとしているのだ馬鹿じゃないか。
それが例え自分を逃がす為であったのだと解ってはいても、エリスは怒っていた。
確かに、蓄積された呪いの塊は想像以上の規模だった。
たった二人でどうにかなる代物じゃない。これを倒すには浄化に特化した神官が大人数必要だった。
だから逃げようと思った。だが、ボイロが逃げず、彼を守ったせいで逃げられなくなった。
こうなったら、自分が如何にかするしかない。
死霊術師は死霊の使役に特化した職業だ。当代最高と最司祭に太鼓判押された自分なら、あの死骸の山だってどうにかしてみせる。
でなきゃ二人ともアレの一部だ。
言葉を紡ぐ。古の時代、生と死が曖昧で、天界と冥界が地続きだった頃の言葉。
死と繋がり、死霊を理解するための言葉。本来ならば、それは死者を慰める弔いの言葉であるはずだった。
時を経て、次第に制御の難しい死霊を使役する術が開発されると、死霊術は闇の秘術と看做された。
正しい評価だ。死者であるならば、時の権力者ですら使役出来るのだから。疎まれ、賤民として管理されるのも当然の成り行きだ。
それでもエリスは親から受け継いだ死霊術師の教えを誇りに思っている。
遠い昔に忘れ去られた死霊術に込められた願い。死者との交流を求めた人々の想いを知っていたからだ。
死骸の山は、夢破れた冒険者達だ。
便所に詰まった糞尿の如き末路を嘆かない者は一人もいなかった。
惨めな最後を呪い、救われない死を呪い。やがてやってくる新たな冒険者を呪う。
そうした一つ一つの呪いの塊を、エリスは高速で解体していた。
薄れた自我を拾い上げ、正式な弔いを条件に、制御を奪って使役化に置く。
自らの干渉力をフル活用し、ネズミ算式に死霊を使役することで死骸の山を削り取っていくのだ。
当然説得には負担が伴う。死の追体験によって死霊に共感し、注意をこちらに向けながら自我を保つ。
並大抵の消耗ではない。ましてやこれほどの死を追体験するのは初めてだった。
このままでは自我が崩壊する。なので途中から方針を変えた。
死霊同士には知り合いがいたりする。同じ一党であったり、顔見知りだったり、果ては恋人だったりする。
使役した死霊自身に知り合いを説得させる。そうして負担を減らし、呪いの集合体を解体し、キメラスケルトンに取り込んでいく。
長年の研究の集大成たるこのスケルトンは、従順な仮想人格を元に使役した死霊を繋いでいくことが出来る。
こちらは数が少ない。長期戦を耐えるには、防御力を補強することも同時並行しなければならなかった。
後ろでは御機嫌なボイロがスケルトンを吹き飛ばしている。向こうは任せても大丈夫そうだ。
死骸の山も一回り小さくなってきた。形勢は僅かにこちらへ傾いている。
ならば、このまま勝負を決めるとしよう。決意を固めて、死霊術師の祈りを口にした。
「どうか、貴方の死が安らかなものでありますように」
死骸の山を解体し切ったのは、それから4時間後の事だった。
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「…………どえらい目に遭ったぜ全く」
疲労困憊といった様子で、一人の男が道路を歩いていた。自称一流の冒険者であるボイロだ。
背中には完全に寝入ったエリスが抱えられ、静かな寝息を立てている。
何とか死骸の山を抑え込んだ二人は、現場保存をキメラスケルトンに任せ、報告の為に帰路についていた。
その後、二三度危機に見舞われながらも廃都市迷宮を脱出。流石に力尽きたエリスを背負い、ボイロは命辛々逃げ出すようにダンジョンアタックを終了した。
思えばスムーズに行ったのは最初だけで、残りは予想外の出来事が多過ぎた。
アイツが居れば、と思った場面が何度あったか。重ね重ね、ボイロは仲間の有難みを知った。
「んむ……ふぁっ……」
「あーくそ、大して重くねえが、割を食っている気分だ」
愚にもつかない独り言を漏らしながら、背中の重みを実感する。
今回生き残れたのは全てこの少女の御蔭だ。この小さな少女が居なければ、今頃名も無き死骸の一部となっていただろう。
そこは素直に感謝しながら、首筋の湿りが涎だと気づくと、ボイロは溜息を吐いた。
冒険は終わった。依頼は成功と言っていいだろう。感染源を掌握した以上、辺境に呪いがばら撒かれることは無い。
調査だけの筈が原因を解決したのだから、報酬に色が付くかもしれない。
だが、偉業を成した背中の少女が、表立って賞賛されることは無いだろう。
そこまで考え、ボイロは少し憂鬱になる。
一流として返り咲くのに思いも寄らぬチャンスを得た。もしかすれば元々の仲間も何人か戻ってくるかもしれない。
しかし、そこにエリスがいないことは、ちょっとだけ腹が立つ。
腹立たしさついでに考えて、ボイロは一つ悪巧みを思いついた。
「へっ、大司教様だが何だか知らねえが、こちとらならず者紛いの冒険野郎だぜ? 欲しいもんは絶対手に入れる。絶対にな」
独り笑いをしていると、髪の毛をくすぐたがったエリスがくしゃみをした。
鼻水が盛大に吹き付けられ、ボイロは情けない悲鳴を上げるのだった。
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その後、二人は一党を組むことは無かった。
元々の繋がりが遠いので、顔を合わせる機会も無かったからだ。
ボイロは辺境を救った英雄として名を馳せ、冒険者として新たなスタートを切った。
エリスの生活には少しだけ変化があった。
外出規制が緩和され、昼間にも出歩けるようになった。流石に薄汚れたローブ姿では問題なので、綺麗な洋服も一緒に。
人生初めて経験する人混みに、街に住んでいるにも関わらず田舎者のように辺りを見回す。
そんな彼女に声を掛ける一人の冒険者が居た。
「ようお嬢ちゃん、この辺は初めてか? 今なら一流の俺様がエスコートしてやるぜ」
振り返り、冒険者を見たエリスは、満面の笑みと共に答えた。
「ありがとう、冒険者さん。貴方の死が安らかなものでありますように」
なんだそりゃ、と言って冒険者が笑うと、エリスも鈴のような声音を震わせて笑った。
周囲の人々は、英雄と麗しい少女の組み合わせを微笑ましく見守るのだった。