シークレット・メール
・・・うるさいなあ・・・
隣に座ったおしゃべりなカップルに静かなパスタランチのひと時を壊された水樹は、化粧っけのない顔をわずかにしかめた。
モーリス・ラヴェルのピアノ曲が静かに響く水樹のサンクチュアリも、今日は残念ながら期待通りとはいかないようだ。お気に入りの”海老とアボガドのジェノベーゼ”がのどを通る香りと食感を楽しみ、コーヒーとティラミスの食後タイムをゆっくり過ごす。これが水樹の憩いのひとときなのだが、やはり平日には不向きらしい。いつもよりざわついた店内、サラリーマンとOLの会話が飛び交い、おまけにとなりにカップルが来た日にはもうリラックスなど出来ようがない。
隣を見ると、彼氏の方がトランプをつたない手つきで扇状に開き、彼女に1枚ひかせようとしている。テレビか何かで見た手品をやってみようとしているようだ。
・・・このうえ手品・・・もう限界・・・
水樹はおむもろに席を立ち、喫茶店を後にした。
春めいた風が水樹のフェミニンショートを揺らす。道路の片隅に雛罌粟が咲いている。未だ過去に縛られている自分に嫌気がさしつつも、その拘束感を心地よく感じるときがある。
気持ちを切り替えよう。1週間ぶりの事務所の惨状を考えると多少気がめいるが、
・・・ま、いっか・・・
いつもの口癖を呟き、水樹は歩き出した。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「この1枚を引き抜くか引き抜かざるか、それが、問題だ」
うず高く積もった書類をから飛び出た1枚を睨みながら只野はつぶやいていた。
「・・・理論的にはこの山が崩れさる可能性の方が高いんだろうな・・・。我が愛しのホームズ様ならきっとこう言うだろう、”初歩的なことだよ、ワトソン君”と」
しかし言うに及ばず、1分後に静かな事務所に響きわたったのは、水樹の出勤を示すチャイムの音と、30cm程の書類の束が崩れさった音だった。
「先生~、お久しぶりです!」
「おぉ川島君、1週間ぶりだね。どうだった?初めての長期休暇は」
「楽しかったんですけど、ちょっと面倒ごとにも巻き込まれちゃいまして・・・」
「ほう?敏腕探偵見習いの君を煩わせる事件か。興味あるじゃないか」
「まぁその話はまた今度。それよりお土産です」
そういって水樹は昔ながらの包装を思わせる薄紫色の包みを取り出した。
「おぉ、これは調布じゃないか。いつか食べてみたいと思っていたんだよ」
「休暇で出かけたのは岡山だったんですよ。お菓子に詳しい先生なら知ってるんじゃないかと思って」
「ありがとうありがとう。後でゆっくりいただくよ」
ふと只野が水樹を見つめる。
「それにしても・・・」
「何ですか?」
「やっと”先生”が定着したようで嬉しいよ」
「どーも。お望みならばお名前も付けて差し上げましょうか?ゲンゴウロウ先生?」
「その名前で呼ぶんじゃない!」
只野はくるりと回転椅子を回し、水樹のにやにや笑いに背を向けた。
フルネームで「只野源五郎」が「ただのゲンゴロウ」になってしまうことに彼の両親が気づいたのは、役所に届けて随分たってからだった。不幸にもあまり物事に頓着しない両親を持った只野は小学校時代にからかわれ続けた苦い経験をもつ。
だから水樹がこの事務所に来るようになってからは”先生”と呼ぶように再三注意していたのだが、苦節半年、ようやくインプリンティング完了というわけだ。
「・・・予想よりマシですね」
「なにがだ?」
「部屋です。以前に比べると部屋の散らかり具合が格段にマシになっています。あ、先生もしかして私いない間に彼女連れ込んだりしちゃったりしたんですか~?」
只野はボサボサ頭をわっしゃわっしゃかきむしりながら答えた。
「そんなわけないだろう。こんな50手前のおっさんの所に来てくれる女性は君くらいのもんだ」
「いっときますけどね、私がここに来てるのは・・」
「分かってるよ、例の真理の追究とかいう奴だろ?そんなことばっか言ってるから新しい彼氏もできないんだぞ」
「ふん、いいんですよもう恋愛なんて!」
顔をそむけ、水樹は事務所の掃除を始めた。格段にマシとは言っても2DKの事務所兼只野の住居であるこの部屋は休暇前に比べるとかなり汚くなっている。
只野の寝室には手を出すつもりはない。仕事部屋は気が向いたときには整理してあげることもあるが、水樹の担当は基本的にはこの「応接室」と呼ぶにはふさわしくないダイニングだ。
しんなりしてしまった勿忘草の水を取り替え、キッチン掃除に取りかかるために腕まくりしながら水樹は尋ねた。
「で、この1週間、なにか依頼はあったんですか?」
「おぅあったぞ。猫ちゃんの捜索とダンナの浮気調査。金になったのはそんなもんだな」
先ほど引き抜いたレポートを水樹に渡しながら、ちょいと得意げに只野は言った。
「ふーん・・・」
「後な、娘の恋人を探してくださいっていう依頼が来てな、多分君の力が必要になると思ったから、話を聞くのを今日に延ばしたんだ。ちょっと急ぎの案件らしかったんだけどな」
「今日ですか?何時です?」
「えぇっと、、午後1時半。30分後だ」
「はぁ?早く言ってくださいよ。それまでにここの片付け 終わらさないといけないじゃないですか!」
「そう汚れてもいないだろ?君が神経質なんだよ」
「先生がずぼらすぎるんですっ!」
そう言って水樹は来客用の紅茶を買いにマルイマートへ駆け出した。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
依頼人がきたのはジャスト1時半。来客を告げるチャイムが鳴る。ちょうど水樹が紅茶の準備を終えたときだった。
「はーい、お待ちしておりました!」
水樹の元気よい対応に依頼人の婦人は面食らったようだ。
・・・しまった。またやっちゃった。・・・
気を取り直して水樹は言う。
「只野探偵事務所へようこそ。田島尚子様でいらっしゃいますね」
婦人というよりは見るからに大人しい主婦と言った感じの女性だ。手の中の水色のハンカチを開いたり閉じたりしている。40過ぎだろうか。目の下のシワがおそらく実年齢よりちょっと老けて見せているようだ。
入り口で戸惑っている。事務所が予想よりも普通の部屋だったので若干拍子抜けしているようだ。
ここで帰られては元も子もない。
「音楽がお好きなようですね?」
「・・・え?」
「弾かなくなったのはやっぱり家事が忙しいからですか?」
「えぇ、一度やめてしまうとなかなか再開しにくくて・・・。でもどうして私がバイオリンを弾いていたのをご存じなんですか?」
「ふふ、簡単ですよ」
といってパンツスーツの水樹は自分のワイシャツのボタンを1つ外し、首もとをわずかに開く。そこにはバイオリニスト特有のあざがあった。
「私もバイオリンを弾くんです。田島さんにもあったのですぐわかったのですが、ずいぶん薄くなってきていましたので」
尚子の口元がほころんだ。作戦成功である。
応接室に入ると、いつの間にか背広に着替えた只野が会釈をした。
「初めまして、田島尚子さん。只野探偵事務所所長の、只野源五郎と申します。こちらは助手の川島水樹です」
イントネーションに気をつけると、ゲンゴロウには聞こえにくい。
「初めまして。田島尚子と申します。よろしくお願いいたします」
声は小さいが、意外にしっかりした口調で尚子は挨拶した。
水樹はアールグレイティーを入れ、ドビュッシーの”夢”をかける。依頼人対応時の選曲もいつの間にか水樹の役目になっていた。
「さて田島さん。ご依頼いただいた件は、お嬢さんの交際相手を捜してほしいということでしたが、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?」
「はい。娘は現在央名大学の数学科の一年なのですが、今月に入ってから体調が悪くなる日が多く、10日程前から入院しているのです。」
「そうですか、お気の毒に。差し支えなければ病名をお教え願えますか?」
「最初は病名が分からなくて検査入院だったのですが、先日、褐色細胞腫という病名だとお医者様からは言われました」
只野がちらりと水樹を見る。
書記としてやりとりを記録していた水樹は、ブラウザを立ち上げて検索した。
「副腎にできる腫瘍ですね。確かに珍しい病気のようです。初期症状は突発的な発汗や動悸などで、診断が難しいけれど、最近では手術での切除で大半は根治が可能なようです」
「・・・なるほど。ということは娘さんも近いうちに手術を受けるというわけですね」
「はい。でも、その娘の体調が思わしくないのです。お医者様はおそらく心理的な不安やストレスによるものだとおっしゃっていて、あまり調子が悪いと手術のリスクが高くなると懸念されているのです」
只野が核心に踏み込んだ。
「で、その原因というのが・・・」
尚子のハンカチを握る手に力が入った。
「はい。娘は先月の終わり頃からある男性とメールで日常的にやりとりをしていたらしいのですが、それが数日前から途絶えてしまったようなのです。よほどショックだったのか、もう治らなくてもいいなんて言い始めて、食事もあまりとらなくなってしまったのです」
「なるほど。ちなみにその男性とは、どのような経緯で知り合ったのでしょう?」
「まだ会ったことはないと言っています。最初は間違いメールだったそうです。似たメールアドレスの別の人に送ろうとして打ち間違えたのが、たまたま娘のアドレスだったそうで・・・。それを娘が返信で間違いを知らせた事から文通・・と申しますか、メールのやりとりが始まったようです」
怪しい。水樹は直感的に思った。ネットの世界に善意はない、というかないと思ってかかるべきなのである。アドレスの打ち間違いで交際が始まるなんて、古いたとえで言えば海辺に落ちたピアスを見つけられるくらいの確率の低さだ。なんらかの意図があって、わざと間違いメールを送ったとしか思えない。
水樹は口をはさんだ。
「あの大変失礼ですが、娘さんがそのメールのやりとりを開始されてから、気になる変化などはありませんでしたか?」
「いえ、特に。あの子は引っ込み思案で大学でもあまり友人関係がうまくいっていないようだったのですが、メールを始めてからは心の支えになっていたようで、少し明るくなってはおりました。それくらいです。」
「そうですか・・・」
只野が咳払いをした。
「つまり今回のご依頼内容は、娘さんに送られてきたメールだけを頼りに、そのメールの相手を探し出してほしいと言うことですね?」
「はい。それも娘の手術前までにお願いしたいのです」
「なるほど。して、その手術日はいつでしょうか」
「それが、今週の金曜日の14時からなんです」
「今週ですか!?それはかなり厳しそうですね」
只野は依頼人が日程を早めたがっていた理由がわかった。
「はい。ただ、メールの中に何通か、相手の住んでいる場所についての紹介などが記載されているものがあるそうでして、それを頼りに調査していただければと」
「ふむ。でも相手のメールアドレスは分かっているのですよね。私が言うのもなんですが、しかるべき機関に問い合わせたら分かるんじゃないですかね」
水樹は只野にささやいた。
「先生、プロバイダは犯罪等に起因した警察関係の聞き込みなど以外では個人情報の開示はしません。今のところ犯罪に関わる話には発展しなさそうですし、残念ながら公的機関に頼ることは出来ないと思います」
「むー」
只野はまたわっしゃわっしゃと髪をかきむしった。
「分かりました。まぁそのメールにある相手の住所のヒントを頼りに送信元を調べるという事であれば、お引き受けしましょう。ただし必ず探し出せるとはお約束しかねますがよろしいですか?」
尚子はちょっと迷ってから答えた。
「分かりました、構いません。ただ、費用の方はおいくらくらいになるのでしょうか?」
「インターネットにも公開しておりますが、通常捜査ですと1時間当たり3000円になります。ただ夜20時から朝7時までの夜間調査や、少々危険な調査が入りますと特別調査になり、2000円の追加、つまり1時間当たり5000円になります。1日の調査時間などの上限は、依頼主様が指定なさることができますので、料金が後で膨れ上がることはございません」
「はぁ。あまり探偵の方の相場というのは分からないのですが、出来れば10万以内に押さえていただきたいのですけど」
「10万ですか。たしかに短期間の調査ですが、本来ですともう少しかかりそうですがね。何かご事情がおありですか?」
今度は話し出すのに時間がかかった。
尚子のハンカチの刺繍の秋桜が折り畳まれ引き延ばされ悲鳴をあげている。
「実は、主人は私がこちら様に調査を依頼することに反対なのです。あまり”探偵”というものを好きではないようでして。警察の真似事をする奴らに相談なんかする必要はないと」
只野の太い眉毛がピクリと動いた。
尚子はここまで話してハッとしたように目を上げた。
「すみません。私は決してそんな風には思っていません、ただ主人は頭が固いものですから。私も余計なことまでお話ししてしまいました。申し訳ありません。10万というのは私のへそくりなのです。それであれば主人に内緒で調査をお願いできますもので」
只野は一呼吸おいて話し出した。
「構いませんよ。世の中には少なからずそう考える方はいらっしゃるでしょう。でも、警察が介入するような大きな事件につながらないまでも、我々の生活に潜む小さな謎や事件を専門知識を使って解き明かし、人の心の絆をつなぎ合わせることが我々の使命だと考えています」
普段はとぼけたおっさんだが、こういう話をする時の只野の横顔を水樹はちょっと気に入っている。
只野は天井を見上げ、まばらな無精ひげを引っ張りながら承諾した。
「分かりました。当事務所規定内において出来る限りご希望に沿う形で調査いたしましょう。それが元で家庭不和が発生しても困りますしね」
尚子はやっとリラックスしたようにハンカチの上に手を添えた。
「ありがとうございます。是非ともよろしくお願いいたします」
「では、調査にかかる前に、こちらの書類をよくお読みになった上で、記載をお願いします。契約締結時にまず1万円を着手金としていただき、日々の調査経費は・・・」
只野が説明を始めた。探偵はボランティアではない。ましてシャーロックホームズの様に気まぐれで調査経費を請求することもできない。
手持ちぶさたになった水樹は、壁に掛けてあるホームズの絵を見上げた。と言っても崖の上で2人の男性が取っ組み合っているのが小さく描かれている絵で、知らない人はこれがホームズとは分からないだろう。
日本シャーロックホームズクラブにも所属するほどのシャーロキアンである只野はよく自慢げにこの絵について解説してくるが、水樹はなぜこの話が100年以上もたくさんの人に読まれてきたのか理解できない。だが事実そうである以上、そこには何らかの要因があり、それは水樹が掲げる目標にも密接に関わってくるはずなのだ。
「・・・というわけで、今回の場合、調査成功報酬の3万円は、メールの送信相手の人物の氏名、性別、住所または連絡先を特定できる情報を調査報告出来た場合に受け取るということにさせていただきます」
契約が完了した。只野がぐりんと水樹に視線を投げる。
「よし川島君、調査開始だ。まずは娘さんに会いに行く。君もぜひ来てくれ」
考え事をしていた水樹はハッと我に返り、頷いた。
3人は、ベルガモットの香りの残る部屋を後に、尚子の娘の入院する病院へと向かった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
水樹は病院を嫌いではない。
子供の頃に入院したことがあったせいか、アルコール消毒の匂いはどこか懐かしさすら思い出させる。
尚子の娘、京子の入院する個室は2階だった。窓から見える桜は、満開の時期をとうに過ぎ、すっかり薄桃色のイメージを失っていた。
京子は水樹の想像通り、生気を失いかけた花のように、ベッドの上からぼんやりと葉桜を見つめていた。色白の肌が透けるようだ。だがその瞳にはまだわずかな輝きが残っている。
「京子、あんたの彼を捜してくれるっていう探偵さん、来てくれたわよ。」
「お母さん、別に彼氏ってわけじゃないんだからそんな風に言わないでよ。大体本当に男の人かも分からないんだし」
みかけによらずしっかりした口調で答える京子の性格は母親譲りなのだろう。だが水樹はそれとは違う意外さを感じた。
・・・この娘、分かってるんだ。メールの相手が必ずしも真実を書いているわけではないと言うこと・・・
京子はくるりと只野に向きなおり、それから少し意外そうに水樹を見つめた。女性が来るとは思わなかったのだろう。
「初めまして田島京子さん、只野探偵事務所所長の只野源五郎と申します。こっちは助手の川島水樹です」
京子は会釈した後、わずかに口元がゆがんだ。娘の方は只野のフルネームの秘密を読みとったようだ。
「初めまして、田島京子と申します。この度は無理な依頼をしてしまい、ご迷惑をおかけいたします。出来る範囲で構いませんのでよろしくお願いいたします」
依頼人に”出来る範囲で構わない”などと言われて只野は多少面食らったのだろう、少ししどろもどろになりながら聞き取りを始めた。
「えぇと、では京子さん。概ねはお母様から伺っておりますが、あなたからも簡単に経緯をお話願えますでしょうか」
「はい。母は私が伝えたことをそのまま話したと思いますので、多分あまり付け加える事はないと思いますが、1ヶ月くらい前に私のパソコンのメールに突然知らない人からメールが届きました」
よく見ると、京子も母親と同じようにハンカチを手にしている。親子とはこういうところも似るのだろうかと水樹は思った。ただし京子のハンカチの刺繍は向日葵だった。
「内容は完全に別の人宛のものでした。ただ、どうやら初めてその相手に出したメールであるような文面だったので、少し迷ったのですが宛先違いですと返信したのです」
水樹は気になって口をはさんだ。
「あの、親切でとても良い対応ですが、少なくともホットメールや初めて見るようなドメインのメールには絶対返信してはダメですよ」
只野が怪訝な顔をした。
「なんだ?ホットメールってのは。熱いのか?」
「そんな訳ないでしょう先生。ホットメールって言うのは誰でも自由に登録できるメールアカウントの1つ。つまり、差出人が自分の身元を自由に詐称出来てしまうんです。知らないドメインってのもそう。ドメインって言うのはメールアドレスの@(アット)マークの後ろの事ですけど、送信元のアドレスなんて自分で自由に書き換えられますからね、知らないドメインからのメールなんて100%悪意のある第3者が送ったものとしか考えられないんですよ」
京子のハンカチにしわが寄った。
「川島さん、でしたっけ。コンピュータに詳しいのですか?」
「えぇ、前職がシステムエンジニアでしたもので」
ハンカチのしわがなくなった。畳まれたのではない、引っ張られているのだ。
「そうですか。私はあまり詳しくないものですので、不用意に返信してしまいました。今後気をつけます。でも、その人、高山さんとメールでは名乗っていたのですが、高山さんはそういう悪意のあるような人ではないと思います」
「確かに、今まで伺ったお話から察するに運良くといいますか、その高山さんと言う人はネット上に巣くう悪意のある人間ではないようですね。知らないサイトを案内されたり、何かを要求してきたこともないのですよね?」
京子はハンカチをきれいに折り畳みながら答えた。
「はい、なにも。ただお互いの近況や、その、ちょっとした詩などを交換したりするくらいで」
只野が素っ頓狂な声を出した。
「シ?・・あぁポエムの事ですか。なかなか素敵なご趣味ですな」
只野のイメージと”ポエム”の単語があまりにも不釣り合いで、水樹は思わず吹き出した。京子と尚子は親子でハンカチを口にあててこらえている。
しばらくの後、やっとハンカチから口を離した京子は母親に告げた。青白かった頬に少し赤みがさしている。
「お母さん、車いすを用意して。デイルームに行って、探偵さんにメールを見せてあげなくちゃいけないから」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
デイルームには老人から子供まで、様々な年齢の人が穏やかに午後の面会のひとときを過ごしていた。
尚子がデイルームの一角から、ノートパソコンを借りてきた。京子が言う。
「ここでは再起動ごとに全データを初期化するノートPCを貸し出してくれるんです。無線LANでインターネットへの接続もできます」
「へぇ、最近の病院は進んでますな。でも大丈夫なんですかね、なんか医療機器とかに影響が出そうな感じですが」
京子は黙々とパソコンの起動準備をしている。
その疑問は水樹が受けた。
「無線LAN程度は問題ないです。ブルートゥースの周波数帯も最近は問題ないとされているくらいですから」
ややあって、京子が少し顔を赤らめながら水樹に話しかけた。
「川島さん、メールなんですけど、お見せするのは高山さんの住まいに関する事が書かれている何通かだけでいいですか?それ以外のは恥ずかしくて・・・」
水樹は少し顔をしかめた。
「それはちょっと困りますね。メールから分かることはたくさんありますが、サンプルが少ないとそれだけ調査の精度が下がります」
「そうなのですか?でも・・ごめんなさい!」
唇をかみしめる京子の白い頬から再び赤みが消えていく。
只野が慌てて口をはさんだ。
「いいですよ。恥ずかしいことはきっとあるでしょうから、可能なメールだけプリントアウトしてくださればいいです」
「でも先生、それだけじゃ・・」
只野の目配せに、水樹は肩をすくめた。
「分かりました、仕方ありません。とりあえずその何通かを見せてください」
京子は、そこだけは慣れた手つきでメーラーを起動した。
・・・そうか、このPCなら・・・
水樹は自分のひらめきを確証に変えるべく、京子の慣れた入力手つきを見守った。
ややあって、受信メール一覧が表示された。
「えっと、これと、これと・・・」
最初に決めておいたのだろう、京子はいくつかのメールを表示していく。
水樹はさっと目を通すと、プリントアウトを依頼した。
「おい川島君、ずいぶんあっさりだな」
「えぇ、何とかなりそうですから」
二人の会話をよそに部屋の隅にあるプリンタに向かった京子だが、車いすから立ち上がった際にうめき声とともにしゃがみ込んでしまった。
「京子!」
尚子が急いで駆け寄る。水樹と只野もやりとりを中断して駆け寄った。
「京子さん、大丈夫かい?」
只野が医者を呼ぼうとするのを京子が止めた。
「探偵さん、大丈夫です。この病気、あまり急に動くと発作が起きるけど、少し静かにしていれば直りますから。ちょっと油断しました」
青白い額に冷や汗で前髪がはりついている。少し無理をさせてしまったようだ。尚子が言った。
「すみません、今日はここまでにしていただけますでしょうか。この子がこんなに長く人と話したのは久しぶりなもので・・・」
こう言われては退散するしかない。結局収穫は、プリントアウトされた3通のメールのみとなった。
病院を出てから只野が言った。
「さて、もう17時、只野探偵事務所の定時時間だ。調査は明日の朝からにしよう。今日はもう帰っていいよ」
「でも、私ちょっと確認したいことが・・・」
「気持ちは分かるが、君は休暇明けだ。いきなり遅くまでやるのはあまり効率がよくない。明日にした方がいいよ」
只野が右手の小指で鼻の頭をかきながらものを言うときは、大抵なにかをごまかしたがっている時だ。
「・・・先生、まさか単に私の残業代を払いたくないからじゃないでしょうね」
「何を言う。この私がそんな小さい人間に見えるというのかね?」
「どーだか。ま、分かりました。ではまた明日ですね。お疲れさまでした」
水樹はぺこりとお辞儀をするとくるりと只野に背を向け、駅に向かって歩きだした。
傾き始めた夕日に黄金色に染まった水樹を見送りながら、只野は3通のメールを見つめていた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「ただいまー」
水樹は帰宅したとき必ずただいまと言う。返事をしてくれる人がいないことは分かっていても。
1Kの水樹の部屋は極端にモノが少ない。以前友人を招いた際にモデルルームみたいと言われたことがあるが、水樹は自分で管理できない量のモノを持つことが嫌いだ。
部屋着に着替えながら、水樹は京子の行動の矛盾について考えていた。
「あの子、どうしてあの時困った顔したんだろう・・」
湯を沸かし、インスタントエスプレッソを飲みつつ、今日起きた出来事をパソコンに入力する。どうも京子の事が気にかかるが、思考の切替は探偵に必要な能力のひとつだという只野の言葉を同時に思い出した。
「ま、いっか。今日はここまでにしておこう」
折りよく水樹の携帯電話が鳴る。
「水樹ちゃん?今どこ?」
「佳子さん!お久しぶりです。今日は定時で帰れましたので、予想より早く家に着きました」
田所佳子は水樹の隣の部屋の住人だ。1年ほど前に旦那と離婚してこのアパートに越してきた。水樹がひょんな事から仲裁に入ったことで、復縁こそないが旦那とも和解し、息子の一輝くんも時々遊びに来るようになっている。1週間の旅行の事は伝えてあったので、後で挨拶に行こうと思っていたところだった。
「そう。良かった、元気そうで。私は今日もう少し遅くなりそうなの。だから、好きに弾いちゃっていいわよって伝えておこうと思ってね」
「あ、すいません。ありがとうございます」
「いいのよ。どちらかと言えば聴けなくて残念なくらいだけどね」
「いやそんな・・。いつもありがとうございます。じゃあ、戻られたら電話ください。おみやげ持っていきますので」
「あらあら、気を使わなくてもいいのに。じゃあ、楽しみにしているわね」
そう言って、佳子は電話を切った。
佳子が言っていたのはバイオリンの事である。部屋を借りるときに大家から許可はもらっていたが、やはり気が引けるので、隣の部屋の佳子には確認するようにしている。こういうとき角部屋は楽だ。
バイオリンを弾くのは1週間ぶりである。調弦をする前に、f字孔のラインを指でなぞった。
「久しぶりね、またよろしくね」
水樹はバイオリンの木の感触が好きだ。このシンプルな作りから多彩な音色が生まれるのが不思議で、そして愛しい。
調弦をし、構える。
今日弾くのはタイスの瞑想曲だ。1894年に公演された歌劇の間奏曲で、娼婦タイスの改悛のシーンにも用いられる崇高な美をかもし出す曲である。アンダンテ・レリジオーソ、二長調。
水樹の指が指板を踊り、小指がA線に触れる。だが、やはり水樹の脳裏には京子の行動に対する違和感がからみついて離れなかった。
その違和感を拭うようにG線上を水樹の指が駆け抜け、最後のフラジオレットの響きが静まったとき、水樹の頭には1つの仮説が浮かんでいた。
窓を見ると、太陽が沈み、夜が始まろうとしている。
「もしかして、京子さんが望んでいるのは・・・」
薄明に向かって、水樹はつぶやいた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
翌朝、水樹が事務所に行くと只野は遠出の準備をしていた。タンスから引っ張りだしたのだろう、春用のステンカラーコートから埃っぽい匂いが漂っている。
「先生、どちらに?」
「おぉ来たね、川島君。昨日京子さんにもらった3通のメールだが、調べてみるとかなり場所を特定できそうなんだ」
興奮気味の只野が3枚のメールを突き出す。やれやれと水樹は目を通した。
まず1通目。
「返信ありがとう。京子さんは東京なんですね。僕は滋賀から出たことがないから東京のことは余りよく知らないけど、テレビで見ているとみんな忙しそうですね。渋谷のスクランブル交差点なんて行ったら多分貧血にでもなってしまうでしょうね」
2通目。
「この間のこと座流星群は見れましたか?うちはすぐ近くに大きな駅があって夜もあまり暗くなりません。いつか一緒に流星群を見に行けるといいですね」
そして3通目。
「G.W.も終わりましたが、5月病などにはなっていませんか?僕の家は新幹線発着時に音が少し気になるので、どうしても夜型の生活になってしまいます。でも天文台の職員になる夢に向かってがんばります。京子さんの夢はなんですか?」
水樹は顔を上げる。
「先生、まさか・・」
「そのまさかさ。滋賀県で新幹線が止まる駅、つまり米原駅の近くに住んでいる、天文台職員希望の青年が京子さんの彼氏だ」
「そうかもしれませんが、まだ情報が足りないですよ。聞き込みで探し出すと・・?」
「その通り、探偵とはそうであるべきさ。まず現場に行って地道な調査から始める。それが基本だよ」
「先生、もしかして私も行ったほうがいいですか?」
「いや、まずは私だけでいい。2人行くと交通費もかさむしな。それに・・・」
只野は水樹にへたくそなウインクを送りながら言った。
「なにか調べたいことがあるんだろう?こっちは気にせず調べてごらん。私は別件調査もあるから明日の昼には戻る。それまでここは自由に使っていいよ」
「ありがとうございます!では、明日の昼までには調査結果をまとめておきます」
「ただし」
只野は人差し指を水樹の鼻の頭に乗せて言った。
「17時以降は仕事をやめるように。やっても残業代出さんからな」
「・・・はいはい・・・」
水樹の返事だけはきっちり確認し、只野は飛び出していった。
残された水樹は軽くため息をつき、それからパソコンの前に座り、手を合わせる。
「ごめんね京子さん。確かめさせてね」
水樹はつぶやき、パソコンを起動した。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
翌日、へとへとになった只野が事務所に戻ると、薄暗い事務所に情の激しそうな弦楽器の合奏曲が鳴り響いていた。そして目に若干怪しげな光を浮かべながら水樹がパソコンのキーボードを叩いている。
・・・やっぱりまた入り込んでるな・・・
水樹の悪い癖だ。物事、特にコンピュータ関係に集中すると、水樹は獲物を狙う野獣のようになるときがある。
「川島君、おい、川島君!」
只野が水樹の肩の揺さぶると、水樹は一瞬うるさそうに視線を向けるが、只野の姿を認めるとハッと我に返った。
「あ・・先生。もうお帰りでしたか」
「お帰りでしたかじゃないよ、その分だと昨日帰らなかったな」
「すいません。ついまた入り込んじゃって・・」
水樹の目が血走っている。よく視力が落ちないものだと余計な事まで考えながら、只野は水樹を洗面所へ押しやった。
「とにかく顔を洗って来なさい。コーヒーを入れて、お互いの調査結果を報告しあおう」
ヨタヨタと洗面所に向かう水樹を見送ると、只野は先ほどから耳につくヤナーチェクの弦楽四重奏を止め、チャイコフスキーの”くるみ割り人形”をかけた。ほどなく穏やかで軽快なピアノタッチが部屋を包む。
「・・・さて」
コーヒーの香りが部屋に広がり、水樹もどうにか正気に戻ったところで、只野が切り出した。
「私の方は、結果的には不発だ。米原市付近には天文台は見あたらなかったので、犬上郡にあった天究館や天文関係のイベントを企画しているグループ等に当たってみたが、現時点では該当する人物はいなかった。正直なところやはりあの3通からだけでは限界があるから、京子さんにもう一度他のメールも見せてもらうようお願いし、それが拒否されるなら、この依頼は断ろうかというのが私の結論だ」
水樹は黙って只野の報告を聞いていたが、ぽつりとつぶやいた。
「京子さんのメールの相手は、京子さんの大学のクラスメイトです。そこそこパソコンの知識のある、おそらくは英語が好きな学生でしょう」
「なに!?」
只野は目を見開いて水樹を見つめた。
「うそだろ?何だってあの3通のメールからそこまでの事が分かるんだ?」
「3通じゃありません」
水樹はノートパソコンの画面を只野に見せた。そこには高山と名乗る人物から京子宛に送られてきたメールが、文字数とともに全て時間別にグラフ化され、京子の大学の時間割と比較されていた。
「京子さんのアカウントをのぞかせてもらいました。送られてきているメールのヘッダを確認すると、送信元は2種類に大別されていました。1つは自宅から、もう1つは、こちらがほとんどでしたが京子さんの大学からです。自宅はおそらく東京都であることは分かりましたがそれ以上は無理でした。加えて文字数と送信時刻からメール作成時間帯を想定し、ちょっとゲットするのに苦労しましたが、央名大学数学科の時間割と比較しました。すると第1外国語の英語の時間だけはメールをしていない事が分かりました。英語が好きだろうというのはそこからの推測です」
数秒間、沈黙が走った。只野は長い息を吐き、天井を見上げて目を閉じる。ややあって、ボソリと尋ねた。
「どうやってメールをのぞいた?」
水樹は一瞬ためらった後、答えた。
「あのPCは再起動時に全データを消去する仕組みだったのに、京子さんが使ったメーラーには全メールが表示されていました。それはつまりサーバーからメールを削除しない設定であることを意味すると判断し、京子さんの使うプロバイダとアカウントだけを後ろから見て覚えました。パスワードは文字数と出だしの2~3文字だけをキーボード入力を見て覚え、後はブルートフォースアタ・・」
「つまり君は承諾なく人様のメールを見たという事か!?」
珍しく語気を荒げる只野に、水樹はビクッと体をふるわせた。
「前にも言っただろう。君の能力は評価している。だが決してその力を悪用してくれるなと」
「分かっています。決して悪用などはしてません。今回だって文面は見ていません。調査に使ったのは経由サーバーが表示されるヘッダの部分、葉書で言う消印のところとメールの文字数だけです」
「・・・どうも話がパソコンになると道徳意識が乏しくなってしまうようだな。いいかい、確かに君は昨晩ここにいた。でも、もう一人の君はここを飛び出し、京子さんのポストの中を漁って一通一通手紙の枚数や消印をじろじろ見たことになるんだ。それをどう思う?」
水樹は唇をかんだ。数秒の沈黙が流れる。しばらくの後、水樹は只野を見つめながらぽつりと言った。
「今晩僕はミルヴァートンの家へ盗みに入るつもりだよ」
「・・・は?」
「ご存じのはずです。1904年に発表された”犯人は二人”でのホームズの台詞です。悪漢ミルヴァートンから書類を取り戻すためなら、ホームズも不法侵入を試みましたよね。もちろん状況は違いますが、私もホームズと同じように、自分の良心には恥じていないつもりです」
かなり強引な理屈だが、ホームズを引用されると只野は弱かった。水樹は、全ホームズ作品朗読がこの探偵事務所の入所条件だったことに今更ながら感謝した。
「まぁ、分かったよ。私だって君が興味本位で他人のメールを見るような人間だとは思っていない。だが注意はしてくれ。いつかその能力が君の首を絞めることになるかもしれないということをな。後、君もこの事務所の一員として仕事をしていることを忘れないでくれ」
「はい。ありがとうございます。申し訳ありませんでした」
素直に水樹は頭を下げた。
只野はもう一度長い息を吐くと、いつもの穏やかな顔つきに戻り、無精髭を引っ張りながら尋ねた。
「で、これからどうする?大学に行って調査か?」
「いえ、その前に京子さんに会ってきます。友人関係を確認しておかないと、方針が立てにくいでしょうから」
只野はコーヒーを飲み干すと、どっこいしょと腰をあげた。
「そうだな。じゃあ、京子さんからの聞き取りは君に任せよう。女性同士の方が話しやすいこともあるだろうからね。私は別件の依頼の方をさせてもらおう。来週までに猫ちゃんを2匹も見つけないといけないからね」
「分かりました。じゃあそれとなく友人関係についても聞き取りをしてきます」
水樹はまたいつものいたずらっこの猫の目に戻り、準備を整えて出かけていった。
・・・まさに諸刃の剣だな・・・
残された只野は本日三度目の長いため息をつき、まだ湯気の残る水樹のコーヒーカップを見ながらつぶやいた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「なんで?って言われても・・・」
京子は細い眉を寄せ、困惑した顔を水樹に向けた。
昨日より顔が青白い。尚子には席を外してもらったが、あまり長時間の面会は認められなかった。手のハンカチは開いたり閉じたり世話しなく動いている。
「だって京子さん、それまでメールなんてほとんどやったことないって言ったじゃないですか。普通は慣れていないメールなら尚更よく分からない相手に返信なんてしないと思うんです」
京子はじっとハンカチを見つめたまま動かない。仕方ない。水樹は少し話題をずらすことにした。
「京子さん、数学科なんですよね。実はね、私、大学では物理を学んでいたの。物理を学ぶ上で数式はかかせないものね。きれいな解になったりしたときは嬉しかったわ」
京子が顔をあげた。
「そうなんです。正しい解を導く式は同じように正しく美しいんですよね」
「そうよね、私もそう思う。よく遅くまで微分方程式を解いたりしていたわ。でも、理系って女の子が少ないから友達つくるのが結構大変だったのよね」
軽い沈黙が走った後、京子がぽつりとつぶやいた。
「私、友達いなくても別に平気。高校だって・・・」
水樹は目を閉じ、眉間にしわを寄せた。京子のつらさを水樹はよく理解できた。水樹自身も大学の友人関係は良好とは言えなかった。朝普通に友達と挨拶できるということがどれほど幸せなことかはよく分かっている。
あまり京子に自分の傷をえぐらせることは言わせたくなかった。京子の属する数学科一年の男女比は分かっている。恐らく1グループにしかならないだろうから、京子は何の理由からかそこから弾かれてしまったのだろう。後はこちらで調べることにして暇を告げようとする水樹に、京子から問いかけがあった。
「川島さんは、どうして探偵になったのですか?」
虚をつかれた水樹は目を丸くし、そして細め、遠くを見つめた。
・・・この娘になら話してあげようか・・・
午後の日差しが水樹の髪を金色に包む。窓の手すりに手を添えながら、水樹は答えた。
「夢を見たのよ」
「夢・・ですか?」
「そう、昔ね。この世の真実っていうものが知りたくてあがいていた頃。その夢の中で、過去から現在に至る世界中の人達が作り上げた文化や歴史、学問などの全てがつながって織りなす1つの景色が見えたの。そして、私が知りたい”真実”はその中心にあった」
「それって、どんな景色なんですか?」
「そうね・・・。いわゆる悟りを開いた状態というのに多分近いわ。でも一瞬だったから私もよく覚えていないの。だから、現実の世界でもう一度見たいのよ」
「だからって、なぜ探偵に?」
「明らかになっているのは、その景色は人に密接に関係していて、決して机上の勉強ではたどり着けないと言うこと。そしてそんな分野を研究する学問のジャンルはまだ存在しないと言うこと。近いものはいくつかあるけどね。だから探偵になって、たくさんの人の持つ謎や闇を解き明かしていくことが近道じゃないかと思ったわけ。気づいたのは偶然だったけどね」
「そう・・なんですか。なんか壮大な話ですね」
水樹はぺろっと舌を出した。
「ま、そんなこと言ってるから彼氏もできないんだって先生・・只野所長からは言われてるんだけどね」
「川島さん、彼氏いないんですか?」
「昔、付き合っていた人はいたけどね」
「別れちゃったんですか?」
潮時だ。水樹は帰り支度をしながら、ぎりぎり聞き取れる声でつぶやいた。
「死んじゃったのよ。交通事故であっけなく」
京子のハンカチが膝から落ちる。水樹はごめんねとつぶやいて病室を後にした。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
その次の日、只野と水樹は別行動となった。探偵は警察のように強制的な調査はできない。よって、探偵の肩書きで若干聞き取りしやすい場合もあるものの、原則としてはあくまで気づかれないように一般人として調査するしかない。それであれば特に大学のような環境の場合、水樹の方がはるかに潜入のアドバンテージがある。
報告は水樹からメールでもらう事にし、只野は主な収入源であるペット捜索に専念した。只野探偵事務所はペット捜索に関しては成功報酬を主にしている。そのため掛け持ち捜索が可能になるが、見つけないとこちらの収入にならないのが難点だ。
そして決定打をみないまま手術当日を迎えた。水樹からの連絡がなくやきもきしている只野の元にやっとメールが届く。時刻は12時過ぎ。手術開始まであと2時間をきっている。
・・やはり無理か・・
只野は顔を曇らせたが、急いで大学に向かった。
大学から病院までは40~50分ほどかかる。携帯電話を使わずに結果を報告するならばタイムリミットは13時といったところか。
「せんせ~い!」
指定された生協前に行くと、水樹が駆け寄ってきた。いつものパンツスーツ姿ではなくジーンズのホットパンツに黒のストッキングというカジュアルな出で立ちだ。だが只野はそんなことよりももっと妙なことに気がついた。
「か・・川島君?なんだその顔は!?」
近づいてきた水樹を見ると、いつもの化粧っけのない童顔でなく、丁寧に化粧している。しかしどこか妙だ。只野にはうまく説明できないが、どこか化粧がおかしいのだ。
「そんなんで潜入捜査ができるのか?まるで・・」
只野はハッと気づく。水樹が後を続けた。
「まるで、背伸びした高校生みたいでしょ?」
只野は苦笑いをしながら水樹の頭をポンポンたたいた。
「まったく恐れ入ったよ。嘘を嘘で隠したわけか。探偵として潜入したら学生は危ぶむが、受験志望の高校生が頑張って忍び込んだとあったら応援したくなるものな」
水樹はにかっと笑って答えた。
「そうです。みんな協力してくれて、大学の授業の様子や友人関係、京子さんの噂などもあっさりゲット出来ました」
「へぇ、京子さんの噂か。よくそんなものまで聞き出せたな」
「簡単でしたよ。友達作るのが不安だけど、やっぱり一人になっちゃう子とかいるんですか?って聞いたら、女子グループの1人が話してくれました」
水樹の顔が少し曇る。校舎隅の水道場に移動し、化粧を落としながら水樹が話を続けた。
「4月の終わりに数学科の女子全員で飲み会をしようということになって、みんなで連絡先を交換したらしいんです。なにせ5人しかいませんからね。で、まだ携帯電話を持っていなかった京子さんは、名前とパソコンのメールアドレスを付箋に書いて幹事役の子に渡したようなんです。ただ、その子が不注意でその付箋をなくしてしまって集合場所が連絡できなかったんです」
話が読めてきた。只野がうなる。水樹は先を続けた。
「京子さんは自分だけのけ者にされたと思ったようで、次の日からそのグループを離れて一人で授業を受けるようになってしまったそうです。多分高校時代のトラウマでしょうね。他の女の子たちも、最初こそ連絡できなくてごめんと謝ろうとしていたらしいんですが、全く話を聞こうとしない京子さんをちょっと疎ましく思ってしまって距離をおいてしまったということでした。そうこうするうちに京子さんが大学に来なくなったので気にはしていたそうです」
只野がわっしゃわっしゃと髪をかきむしりながら言った。
「なるほどね。まぁ不幸なすれ違いといったところか。だが我々のメインの仕事は京子さんの大学生活改善ではない。肝心のメールの方はどうなったんだ?」
水樹が少し煮えきらない感じで報告した。
「それが・・。なくなった付箋の行方が鍵になると思って状況を詳しく聞いたところ、その交換をしたのは英語の時間だということは分かりました。ただ、それを誰が拾ったかまでは分からなかったです。私がこないだ突き止めた条件だと英語が好きな学生になるのですが、英語はあまり人気がなく、いつも出席者は入れ替わりでまばらだそうです・・」
只野は空を見上げた。昼休みが始まったのだろう、校舎の外に出てくる学生の笑い声でにぎやかになってきた。
ぽつりと只野がつぶやく。
「不可能なものを取り除けば、残ったものがいかにあり得そうにないことでも真実である」
「え?」
「”緑柱石の宝冠”でのホームズの言葉さ。探偵や学者にとって、とても重要な公理だぞ」
「あぁ、確かそんな言葉が。でも、この場合は・・」
「私は例外を認めない。視野を広げてよく考えろ。君が見つけた条件の元になった情報は、英語の時間付近だけはメールをしていないという事だけだろう?いるじゃないか、好きだろうが嫌いだろうが必ず授業には出席しないといけない人物が」
水樹の脳内に電流が走った。
京子が送信元特定にあまり積極的でなかった理由、わざわざ間違いメールに返信した理由、そもそも間違いメールが来た理由、その全てが一つにつながった。只野はそんな水樹を見てにやりと笑う。
「川島君、英語講師の研究室はどこだ?」
「1号館、3階の端の部屋です!」
時計の針が12時50分を指そうとしてる。もう時間はない。2人はそびえ立つ1号館目指して駆けだした。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
数学科1年の英語を受け持つ講師、片山浩志は読みかけの洋書を置き、迷惑そうに顔を上げた。
「何ですかあなた方は?」
「突然にすみません。只野探偵事務所の川島と申します。片山先生でいらっしゃいますね」
細いメガネにきれいに撫でつけられた黒髪、細面できつい顔立ちの片山を見た水樹は、学生達に英語の講義の人気がない理由が少し分かった気がした。
「そうですが、探偵事務所の方が何の用ですか?授業の準備等をしなくてはならないので時間は取れませんよ」
わずかに動揺の色が見える。やはりこの人なのだろう。 だが水樹はどう切り出すべきか決めかねていた。只野を振り返ると、自分でやってみろと言わんばかりにへたくそなウインクを送ってくる。直球勝負だ。意を決して息を吸い、水樹は口を開けた。
「田島京子さんにメールを出してあげてください」
片山の目が泳いだ。手に取ったコーヒーカップがふるえている。
「確かに田島京子は私の講義の生徒の中にいます。だがメール云々といったことは全くもって分かりかねますね」
往生際の悪い男だ。水樹はもう一度息を吸った。
「あなたは教室に落ちていた田島京子さんのメールアドレスを書いた付箋を拾った。そして4月21日に間違いメールと偽ってメールを出し、以降5月13日まで高山の偽名でメールを続けました。あなたがどういう気持ちからメールを続けていたのかは知りませんが、京子さんは恐らくそのメールを大学のクラスメイトの誰かからと思い、いつか真実を告げてくれると信じて待っていたんです。だから間違いメールのような手段にも応じて返信してくれたんです。ところが突然あなたはメールを止めてしまった。京子さんにとって頼りの綱だったメールが来なくなり、せっかく見つけた友人に見放されたと感じた京子さんは極度に落ち込んだ状態のまま、体調や血圧管理が大事な手術をむかえてしまっているんです。あなたも知っているんでしょう?病気のことは」
長い沈黙が走った。片山はコーヒーを飲み干すとメガネを外し、ティッシュで拭きながら答えた。
「・・・知ってますよ。褐色細胞腫でしょう?」
背後の只野の太い鼻息が水樹の肩にかかった。ついに送信者を見つけたのだから無理もないが、これはちょっと勘弁してほしい。
手の中のメガネを見つめながら片山が続けた。
「でも、私なんかからのメールが来なくなった程度で落ち込むのはお門違いでしょう。確かにいつもグループから浮き気味だった田島さんの事は気になっていました。だから彼女のメールアドレスが記載された付箋を拾ったときに柄にもなくメールを出してしまったんです。メールを返してくれたときはちょっと驚きましたがね。でも流石に大学の講師だと名乗るわけにもいかず、嘘をつきながらメールを続けてしまいました。でも彼女が入院してから特にメールが頻繁になってしまい、これ以上嘘は突き通せなくなってしまったんです。それに私は学生から疎まれています。そんな私がメールの相手だと知ったら彼女は落ち込むでしょう?だからもう止めようと思ったんです」
片山のメガネを持つ手に力が入ってきた。只野が口を開く。
「片山さん、あなた嘘嘘っていいますけど、ちょっと昔に還っているだけで、名前以外は嘘はついていないんじゃないですかね?」
片山が顔を上げ、只野を見つめた。只野は淡々と続ける。
「私、行ってきたんですよ米原に。近くに天文台職員希望の青年がいないか聞き回っていたら、近所のおじいさんが教えてくれましたよ。20年ほど前に米原駅の側に住んでいた流星群が大好きで熱心な天文少年がいて、足繁く天文台、いや天究館ですかね?に通っていたそうです。でも親が認めてくれなくて泣く泣く天文台の職員になる道は諦め、その後はどうしているか分からないと・・。嘘で書いたメールがこんなに合致するとは思えません。あなた、20年前の自分に戻って、京子さんに恋していたんじゃないんですか?」
片山の顔に照れとも怒りとも取れる表情が浮かぶ。もう一押しだ。水樹が続けた。
「お願いです。あと一通だけでいいからメールを出して京子さんを励ましてあげてください。そして、京子さんに友達と真剣に向かい合う勇気を与えてあげてください。今はあなたのメールが一番京子さんの心に届くんです」
「馬鹿な!今までろくに友人も出来たことのない私が、教壇に立っても誰もまともにこっちを見てくれないこの私が、誰かの心を動かすなんて出来っこないだろう!」
「誰だって出来るんです!どんなモノだって出来るんです!気持ちが籠もっていれば、例えどんな小さな紙屑だって人に感動と勇気を与える事が出来るはずです!」
片山は興奮のあまり、さっきまでメガネを拭いていたティッシュを丸めて水樹に投げつけた。
「じゃあその紙屑で俺に感動を与えてみろ!そうしたら君の言葉を信じてやるよ!」
投げつけられた水樹はしゃがみ込んだまま動かない。只野がたまらず口を挟んだ。
「片山さん、いくら何でも大人げな・・」
「・・先生、静かにしていてください・・」
片山が投げつけたティッシュを手に、ゆらりと水樹が立ち上がった。雰囲気が違う。只野は息をのみ、一歩後ずさった。
ほの暗い研究室を一瞬にして静寂が包む。水樹は片山に向かって柔らかく微笑み、ささやいた。
「片山さん、信じてください」
そして丸めたティッシュを持った左手をゆっくり胸の下まで下ろし、上から包み込むように右手を下ろした。すると、水樹の上下の手の間でティッシュがゆっくりと浮かび上がった。片山も只野も目を見開き、水樹を、そして浮遊するティッシュを見つめた。水樹が両手を開くとティッシュは急上昇し、弧を描いて水樹の右手にふわりと着地した。その間約10秒。水樹は再び柔らかく微笑むと、そのティッシュを片山に手渡した。
「忘れないでください。大事なのは気持ちです。あなたが相手のことを思って自分の言葉を伝えれば、必ずその言葉は届きます」
片山はティッシュを受け取ると、優しく握りながら問うた。
「私の言葉でも・・ですか?」
水樹は微笑みを絶やさず、しかしきっぱりと言った。
「はい。必ず」
片山の顔に初めて笑顔が灯った。それを見た只野はハッとし、時計を見る。
「いかん川島君、13時を過ぎた。手術まであと1時間を切ってる。タイムリミットだ!病院に行くぞ!」
そういって只野は駆けだした。水樹はちらりと片山を見、ふわりとお辞儀をするといつもの水樹に戻って只野を追って猛ダッシュを始めた。
「やるじゃないか川島君、彼氏の忘れ形見、今回も決め手になったな。だが何をどうやったらあんな事が出来るんだ?」
荒い息の中、只野はニヤリと水樹に声をかけた。水樹はそれには答えず、軽く只野を睨んだだけで、後は黙々と駅まで走り続けた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
尚子は病室の前で二人を待っていた。京子は病室内で術前準備をしている。時刻は13時50分。そろそろ京子が手術室に向かう時間だ。
尚子はダッシュしてくる二人を見つけると深々とお辞儀をした。心なしか晴れ晴れとした顔をしている。
只野は荒い息を整えながら、努めて冷静に調査報告を始めた。
「田島さん、遅くなりまして申し訳ありません。お嬢さんの手術時間になりますので、これが最終報告となります」
尚子は、只野の報告を聞くまでもなく自分から話し出した。
「娘のメール相手、探し出してくれてありがとうございました。先ほど高山さんからメールが来たと言ってとても喜んでいました。とても素晴らしい励ましの言葉が書いてあったようで、娘は見違えるように元気になりました。ここまで変わるものかと正直驚いています」
片山が心を開いたようだ。水樹はホッと胸をなで下ろした。だが、只野は仏頂面のまま報告を続けた。
「田島さん、大変申し訳ございませんが、我々は送信者を特定することは出来ませんでした。京子さんの元にメールが来たのは偶然でしょう」
これには水樹も驚いて只野を見上げたが、只野の目配せに黙るより仕方なかった。尚子も意外な顔で只野を見つめている。
「我々はいただいた3通のメールを元に鋭意調査を続けましたが、残念ながら想定したエリアから送信者を見つけることが出来ず、本日調査失敗の報告をしに参上いたしました」
尚子はハンカチを握り、只野に抗議した。
「だって、娘は手術の時間などは伝えていないって言っていましたし、こんなタイムリーにメールが来るわけないじゃないですか。誰だったんですか?相手は」
只野は尚子の抗議を無視し、手にした書類をめくりながらこう言った。
「最終報告ですので、金額の面も合わせてお伝えします。
調査時間といたしましては初日2時間、以降3日間はそれぞれ実働8時間ずつの調査、そして本日は4時間の調査となりましたので、合計で30時間となります。調査完了から報告までの移動時間は、規定ですのでカウントはしておりません」
只野が一体何を言いたいのか分からず、水樹は固唾を飲んで見つめた。右手の小指で鼻の頭を掻きながら只野は続けた。
「既にお伝えしておりますとおり、通常調査は3000円です。ただし今回は残念ながら送信者を特定するというご依頼条件に到達することが出来ませんでしたので、成功報酬の3万円を除きまして、3000円掛ける30時間、9万円を調査全経費としていただくことになります」
契約着手金と合計すると10万円ジャスト。水樹はやっと只野の意図が分かった。尚子も察したようだ、深々とお辞儀をしている。
病室のドアが開き、京子が出てきた。
水樹は目を見張った。青白かった頬には赤みが差し、瞳にわずかにしか見えなかった意志の光は彼女全体から発せられるかのように凛と彼女を包み込んでいた。もう車いすにも乗っていない。これから手術室に向かう病人にはとても見えない。
「京子さん、きれい・・」
水樹は思わず場違いな発言をしてしまった。京子は穏やかに微笑む。
「川島さん、そして探偵さん、ありがとうございました。高山さんから最後に素敵なメールが届きました。彼とのメールはもうこれで最後にしますが、なんか私、頑張れそうな気がしてきました。退院したら、他のクラスメイトとももう一度やり直してみようと思います」
水樹はニッと笑って、点滴がつながる京子の手を軽く握った。もうその手にハンカチはない。
「そうね。あなたならやれるわ。これからも頑張ってね」
京子はにっこり笑って水樹を見つめたが、照れくさくなったのか視線を水樹の足にずらした。右足のストッキングが伝線している。水樹はいたずらが見つかった子供のようにペロッと舌を出して誤魔化し、どうしても聞きたかった事を聞いてみることにした。
「京子さん・・・ねぇ、やっぱり教えて?あなたをここまで元気づけるなんて、一体どんなメールが来たの?」
京子はちらと思案顔になったが、おどけたように舌を出して答えた。
「な・い・しょ」
ふたりともくすりと笑う。時間だ。京子は母親に行ってきますと言うと、まるで点滴器具と看護師を引き連れるかのようにして手術室へと向かって歩いていった。
只野がぽんと水樹の肩をたたく。
「ミッション終了だ。お疲れさん」
水樹は遠ざかっていく京子の後ろ姿を見続けていた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「片山先生は、一体どんなメールを書いたんでしょうね」
水樹はコーヒーと菓子類を用意しながらつぶやいた。比較的大きな調査が完了したときは、労いとして小さなお茶会を開くのが最近の只野探偵事務所の習慣になっている。
軽やかに響くタルレガのトレモロに目を閉じて鼻歌を歌っていた只野は薄目をあけて答えた。
「いいじゃないか。誰だって人生において1つや2つ、その後の生き方を変えてしまうほどの影響を受ける手紙や言葉があるだろう?それが紙だろうが電子媒体だろうが関係なく、みんなそれを自分の胸に大切にしまっておくもんさ。他人があれこれ詮索するものじゃない」
「そうですね。・・・本当にそうですね」
水樹は心の底からうなずいた。
只野がぐりんと水樹に顔を向ける。
「ところでどうだ?今回の依頼、君の目標へのピースはあったかい?」
2人分のコーヒーと菓子を乗せた盆を運びながら水樹は答えた。
「そうですね。欠片ですが見つかった気がします。それにしても手紙って、時代が進んでどんなに形態が変わっても、これからも残っていくんでしょうね」
「そうだな。古く奈良時代は木簡と言って、紙ではなく木片を使っていたそうだからな。平安時代に貴族の使う和紙での書簡に移行していったらしいから、その頃は同じようなことを考えていた人たちもいたかもしれんな」
水樹は盆を食卓に置き、只野にもうひとつだけ質問した。
「それにしても先生、気持ちは分かりますけど今回の依頼、成功報酬もらっても良かったんじゃないですか?だって先生の交通費や他の色々な経費を考えると大して利益にならなかったでしょう。京子さんはやる気を取り戻したし、尚子さんもまたバイオリンやってみる気だと言っていたし、私も経験と目標へのピースを得ることができました。先生は何を得ることが出来たんですか?」
「私かい?私にはこれがあるさ」
そういって只野は、水樹の土産である調布の最後1切れをとるべく盆にのっそりと手をのばした。
~ Fin ~
初めて書いた小説です。短編ですが。。
自分が得た知識を総動員してみましたが、物語にするのは難しいですね。
お読みいただき、もし何か新しく興味を持っていただければ幸いです。