向き合うこと
時刻は12時を少し過ぎたところ。
俺は大学内を学食に向かって歩いていた。
あの日から5日が経った。俺の頭の中は未だに混乱中だ。
「これを君に渡しておこう」
「何ですか、これ?」
あの日、熊切さんから3cm四方の四角い黒い物体を渡された。表面には1か所丸い模様が描かれている。一見すると、小型の音楽プレイヤーみたいだ。
「その丸い模様の部分はスイッチになっていて、それを押すと舞さんの組織の人たちが持つ専用のスマートフォンに位置情報が送信される仕組みになってる」
「はあ……。どうしてこんなものを俺に?」
熊切さんの説明を聞きながらも、俺の頭の中は疑問だらけだ。
「今回僕と一緒にいたことで、君が僕と仲間であると敵が勘違いしてしまった可能性もある。もしもの時の為に持っておいて」
「そんな……」
俺もあんな危ない連中に狙われるかもしれないなんて……。
「危険を感じたらすぐにスイッチを押すんだよ」
「……はい」
「舞さんもそれでいいね」
「はい。おじい様にも伝えておきます」
「……」
そして、俺は熊切さんに車で駅まで送ってもらい、家に帰ったのだ。
「……」
パーカーのポケットから熊切さんにもらったスイッチを取り出す。
――君は少し、この世界と関わる覚悟が足りないんじゃないかな。
熊切さんの言葉が蘇ってくる。
こんなことになるなんて考えたこともなかった……。
あのとき見た謎の車もいつの間にかなくなっていたし、乗っていた女性も誰か分からずじまいだ。
「はあ」
大きなため息が自然と出てくる。
俺はスイッチをポケットに戻すと、到着した学食の扉を開けた。
ざわざわと騒がしい学食内。空席を探してうろついていると、テーブル席に着く園神、狩野、井伊島を見つけた。
「げ」
思わず声が漏れる。
あの日以来、園神とは会話どころか目も合わせていない。「大丈夫? どうかしたの?」というメールにも返信してないし、完全にシカト状態なのだ。
「お」
狩野と目が合う。そのまま狩野は席を立ち、こちらに向かってきた。最悪だ。
「よおー麻川―、久しぶりだなあ」
大して久しぶりでもないのにそんなことを言ってくる。というか、その棒読みは一体なんだよ。
「俺はお前に会えて嬉しいぞー」
棒読みの台詞を言いながら俺の両肩に手を乗せたと思ったら――。
「ぐわっ!!」
いきなり背後に回り込んで羽交い絞めを仕掛けてきやがった!
「何しやがる!!」
「いやー、ちょっと2人きりで話がしたかったんだー。麻川―、相談に乗ってくれよぉ」
3度目の棒読みの台詞と共に、ずるずると俺を学食の出入口まで引きずっていく。みんなの視線が痛い。最悪だ。
出入口に着くと、狩野はようやく俺を解放した。
「ってえな! ほんと何なんだよ!!」
「それはこっちの台詞だボケええええ!!」
「あ?」
狩野がすごい剣幕で怒鳴ってきやがった。
「お前園神さんと何かあったんだろ!? 園神さん、お前の話全然しねえし。こっちからお前の話振ると無言になるんだぞ?!」
「それは……」
「何があったか知らんが、全面的にお前が悪い!! 今すぐ土下座して謝れ!!」
「無茶苦茶だなおい!!」
「うるせえ!! 美人を悲しませる奴が悪いに決まってんだろ!!」
「はあ……」
俺は頭を抱える。なんて単純な奴なんだ、こいつは。
目の前で人が殺されたんだ! それをやったのが園神なんだぞ! 今まで通り接しろなんて無理に決まってんだろ!
「あのな、狩野。お前は知らないだろうけど、俺たちと園神の間には深い溝っていうか高い壁っつーか、そんなものがあるんだよ」
「なんだあ?溝と壁じゃ真逆だぞ」
「ものの例えだ!! だから、俺たちと園神の間にはどうしたって理解しえないものがあるってことだよ!!」
俺は投げやりに言ってやる。
――そうだ……。これからもあいつの傍に居続けるなんて……。
「だああああ!! 分からん!!」
「!?」
狩野がいきなり両手で頭をガシガシと掻き毟りながら叫ぶ。
「お前は難しく考えすぎなんだよ! 溝とか壁とか理解しえないとか! 溝があるなら埋めりゃいいし、壁があるならぶち壊せばいい! 理解しえないなら理解し合えるように努力しろよ!!」
「!!」
「それも1人でやれなんて言ってねえ!俺も井伊島もいるじゃねえか!!」
「……」
残念なイケメンが、かっこいいこと言ってんじゃねえよ……。
「そうだな……。努力は大事だな……」
「おう! そうだ!!」
にかりと笑った狩野の笑顔に、俺はなんだか肩に乗っていた重たいものが少しだけ軽くなったような気がした。
「ちょっと待って! 舞!」
「!」
園神と井伊島がいる席へと向かっていると、井伊島の声が聞こえてきた。見ると、園神が席を立っていて、井伊島が必死に引き留めていた。
「どうしたんだ?」
狩野が井伊島に問いかける。
「舞が……」
井伊島は困った様子で舞に視線を向けた。
「アタシ、もう行くわ」
「行くって……。まだ食べ終わってないじゃないですか」
園神の持つお盆の上には半分ほど残ったままのミートスパゲッティが乗っていた。
「作ってくれたおばちゃんたちには悪いけど、食欲ないの。……それに、拓斗はアタシと一緒に居たくないでしょ?」
「なっ!別にそんなことねえよ!!」
「今までさんざん無視しといて、よくそんなことが言えるわね」
「それは悪かったって!!」
「別にいいわよ。5日もあればアタシだって気づくわ。拓斗、アタシが怖いんでしょ?」
「――っ!! んなわけ!!」
園神がこちらに向かって一歩踏み出す。
「!!」
俺は反射的に1歩下がった。
「ほらね。無理しなくていいのよ」
「なんだと……」
「アタシ、拓斗のこと買い被り過ぎてたみたいね」
「はあ!? どういうことだよ!!」
「分からないならそれでいいわ。それじゃ」
園神はそう言うと、俺の前を通り過ぎていった。視線さえ寄こさなかった。
「……」
「こんのぉ、馬鹿野郎があああああああああああああ!!!」
「うおっ!!?」
狩野が叫び声とともにぶち込んできた右ストレートを間一髪で交わす。
「何しやがる!!」
「黙れ!! 避けてんじゃねえよ!!」
「無茶言うな!!」
「お前さっき、理解し合えるように努力するって言ったよな?! まったく話し合いになってねえじゃねえか!!」
「う……」
「ったく、頭冷やせよな……」
「悪い……」
気を遣わせていたのは間違いないのだ。今は謝るしかない。
「俺に謝ってどうすんだ馬鹿」
「……」
まったくもってその通りだ。
「麻川君……」
「!」
井伊島に目を向けると、真剣な目を前髪の隙間から覗かせていた。
「麻川君なら、きっと舞を受け止められる」
「え?」
「麻川君の魂の器の大きさは、様々なものを受け入れる強さ。舞が抱えていることも麻川君なら受け止められる。だから、諦めないで。舞には麻川君が必要だと思うから」
「井伊島……」
俺は狩野、井伊島の順に視線を向ける。
2人が本当に俺たちのことを心配してくれているのが伝わってきた。
「サンキュウな。狩野、井伊島。俺、今まで考えなさすぎだった。これからじっくり考えて、園神と向き合おうと思う」
「うん、頑張って」
「その意気だ! 麻川!」
狩野が俺の肩をバシンと叩く。
「早く元の2人に戻れよな。お前らがそんなんじゃ、調子でねえよ」
「悪い……」
俺は肩を竦めてみせた。
園神が殺し屋であることは知っていた。人を殺したことがあることも想像がついていた。
でも、そんな軽い気持ちであいつと関わってちゃいけなかったんだ。目の前で園神が人を殺したのを見て、俺は初めて現実を知った。
園神を――怖いと思った。だけど。
このまま園神と縁を切ろうとすると、俺の中にある何かが邪魔をするんだ。このままじゃ終わりたくないって。
これからちゃんと向き合うしかない。
殺し屋園神舞という存在と――。