クローゼット
あなたは、私を最高にいい気分にも、どん底の気分にもさせる。
私は今日も、クローゼットに足を踏み入れる。ウォークインクローゼット。中途半端な広さしかないから、ハリウッドセレブみたいな優雅さと収納力は無いの。
むしろ、収納性が下がってしまって、あなぐらみたい。
ぐちゃぐちゃに蓄えられた服たち。
私はモグラよろしく、クローゼットのハンガーパイプにかかった洋服を漁る。
今日は……あなたなの?
……着てみろよ。
そんな甘い囁きが聞こえた気がして、私はハンガーごと服を取り出す。
あなた……!
あなたはいつも、私の誰にも見せたくない部分を剥き出しにする。
私の生き方をうわべだけだと批判しているつもり? でも、さらけ出すことは出来ない。
二の腕。
シンプルなノースリーブワンピース。あなたの残酷さに、今日は耐えられそうも無い。
私はまだ化粧をしていない、点眉フェイスで他の誰かを探すわ。
本当は、ワンピース、そんなに好きじゃ無いの。
だって、歩いていると、太ももの隙間に裾が挟まって、むっちり感をいや増しに自覚させるから――。
今日はもっとカジュアルにいたい。ラフで、さりげなく流行を取り入れた、大人の私。
ブラジャーは……ごめんなさい。ワイヤーありにさせて貰うわ。
私はもう若くない。
背中に逃げていくあなたを……一度、背肉になったあなたは……もう取り戻せないの。
最初から鎖で縛り付けようとする私を許して。
ずっと側にいて欲しい。
垂れないで。
しなびないで。
ずっと、あの頃のあなたのままでいて――。
あるべき位置に身を落ち着けて、トップス。
白いシャツを選ぶわ。カットソーなんて化粧を知ったばかりの小娘がにきびも隠せないみたいに、ブラジャーの食い込む背中の線や、汗じみを露わにするものは選ばない。
それが私。
オーバーサイズの白いブラウス。爽やかさと、さりげない体型カバー。ううん、これはカバーじゃない。私は……ムーミン体型って言われるけど、ムーミンはカバじゃない。
ちょっと冒険して、前だけウエストにインしてみようかしら。
ふさわしいボトムを選ぶわ。
膝下はぴったりして、ヒップや太ももまわりにはゆとりのあるデザイン、テーパードスキニー。白く細いストライプ。買ったばかりのあなたに、この身を委ねる。
クローゼットに、私の呼吸だけが響く。
それは徐々に、荒々しく、太鼓が轟くように大きくなる。
嘘よ! 嘘!
ゆとりがあるなんて大嘘よ!!
かろうじてボタンは止まるけれど、ぴちぴちじゃない!
膝から下なんて、正座したらはじけそうよ、ふくらはぎ!
どうして……?
信じて……たのに……。
実店舗で試着すると脇汗が噴き出るタイプの私が、ひいきにしているのはネットショップ。
商品ページをよく読んだわ。モデルの試着画像も何度も見た。
……そうね……。私は、彼女では、なかった……。
SSサイズ着用で、太ももとズボンの間に隙間ができる彼女とは、まるで生まれた時から違ったの――。
私は陸に上がったばかりの人魚のように、魅惑の生足をクローゼットの床に横たえる。
ごめんね。
細くしてやれなくて……ごめんね。
愛おしい私の大根足。抉れたバスト、肉割れ線でゼブラな腹。
本当はわかってる。服に自分を合わせたってしょうがないって。見栄を張っていたって、虚しくなるだけ。
自分に、服を合わせて、正直に選ばなきゃいけないの。
そのために、自分から……本当の自分から、目を逸らしちゃいけないってこと、わかっているの!
何度踏まれても太陽に手を伸ばす、雑草のようね、これが私。
次に取ったボトムは、ジャストウェストのボトム。 昔キュロット今なんとやら。
ゴムが入ったウェストには、救いさえ感じる。
伸びて……くれるの?
ほら、ぴったりじゃない。
たわわに育った下腹も、重力に懐柔されたお尻も、すっぽり包んでくれる。
鏡に映った私は、それなりに美しい。
はやりの丈の長い羽織り物に、ハットも合わせてみせる。
パンプスは、赤を選ぶわ。
私は知らなかった。
このあと、幅広のゴムのウェストが、立った時はゆとりさえあったゴムのウェストが、座ると途端に腹に食い込んでくることを。
胃を凄まじく圧迫することを。
なまじゴムの収縮性があるせいで、私の呼吸に合わせて、ぴったりと締め付けてくることを。
それはまるで、柔らかく私を包んで、逃がそうとしない、真綿の愛。
優しげな振りで、私を苦しめ続ける――。
もう少しローウェストで、伸縮性のない生地であれば、一度気合いを入れて広げれば、いい具合になったはずの腹回り。気づいた時には、もうあのクローゼットには戻れない。
この愛からは、逃げられない。
こうして私は、毎日同じ苦しみを繰り返す。
栄光と――挫折を。