黒板
妻が小さな黒板を買ってきた。
忘れ物の多い一人息子のためと彼女は言い訳のように、忙しげに包装を剥がす横で真新しい興味に目を爛々とさせた息子が、明日の図工で使う絵の具がないと言い出して、後には小さな黒板と私だけが残された。 まったくいつも妻と息子は騒がしい。
仕方なく、黒板には小さなねじでチョーク受けを取り付けるようになっていて、小さなねじを、手から取り落とし取り落とししながら、私はドライバーで回した。
キリ、キリ、と私はねじを締め終えて、ついとあたりを見回して手頃な壁にフックを打って、黒板を引っかけた。マグネットもひっつくらしい。ふむ、なかなかよくできている。
付属しているマグネットシートには「月」「日」それから「忘れないこと」とある。ちぎり取って黒板にはっつける。
それから説明書の通りチョークマーカーの空気を抜いて、芯を指で押した。
そうして一丁前に壁にかかった黒板には、今日の日付と忘れないことを書くことができるようになる。
数歩後じさって眺めてみると、なるほどこれは黒板である。
しかも、一年生あたりの教室にあると丁度具合いい、ぴかぴかの新しい黒板だ。
一仕事終えたいい気分でいると、ふいに懐旧の念というか、ほこりっぽい感傷みたいなものがわき起こった。
学生時代は黒板は身近だった。あのチョークで教室の前にある黒板に書くのはいかにも子供にとって特別な仕事だった。
先生に当てられて答えを書いたとき、学級会で多数決の数を正の字を並べたとき、放課後、友達を待ちながら落書きをしたとき、私は多くのものを黒板に記した。
それは私だけでなく、妻もである。
妻とは幼馴染みだ。子供の頃の彼女は今からは考えられないくらいの引っ込み思案であった。
放課後、黒板に描いたお姫様の絵を、男子にからかわれて真っ赤な顔で消していたところに何度か居合わせた。
あんたも笑うんでしょ。
笑わないよ。
小学校、中学校、高校、大学、ともに日々を過ごして、私達はひかれあい、やがて結ばれた。
夫婦となり、ひとつの家族を目指した。子供が欲しいと思った。
だが、今では不育症と言うのであろう、妻のお腹を、命は何度も滑り落ちた。
妻は小さな命を喪って、いつも、それが何でもないことのように振る舞った。
何でもないことであるわけがないとわかっている私も、何でも無いことであるかのように振る舞った
笑ってようよ、ね。
泣いてないさ。
そうしてやっと授かった命、しかし、妊娠は妻の体を痛めつけた。
彼女の体に宿った異物は、彼女を細胞から作りかえようとでもしているように、彼女に夥しい苦痛を与えた。
望んだ妊娠も、これほどに苦しいのならいっそいない方が良かった、魔が差して考えてはいけないことを考えてしまった、と彼女は口をふさいで嗚咽した。
私は妻の側で見ていることしかできなかった。
だからかもしれない、あの頃の苦しかった記憶は、現在に日々塗り替えられて、砂のように手からこぼれ落ちて、もとの形を思い出すことは難しい。
時間が経てば経つほど、良い記憶も悪い記憶も薄れていくということなのだろう。
息子が産まれた朝、何を食べたか、どんな天気だったか、私には思い出すことができない。覚えていることと言えば、ラジオが甲子園の中継をしていて、「ホームラン!」とアナウンサーが言ったことくらいだ。
ホームラン、ホームランです……。
妻は、息子の育児に追われ、私達は夫婦二人して寝不足の日々を送った。時には苛立ちをぶつけ合って、ひどい喧嘩になったこともある。決まって私はそれを後悔した。ろくに謝罪もできないまま、息子の嘔吐や下痢の慣れない手当に四苦八苦したり、夜間病院を求めて車を走らせたりした。
家にこもったきりで、乳児の世話をする妻は、息子の写真を大きな机置きの手帳のカレンダーページに貼るようになった。
一枚一枚、息子との毎日を彼女は小さな写真に焼き付け、三センチ四方ほどの小さなマスに貼り付けた
びっしりと息子の顔で埋まったカレンダーページを、妻はやつれた顔に安らかな笑みを浮かべてよく撫でていた。
大きくなったね。
その血の気の失せた儚さは、彼女をすり抜けていった幾つもの命にでも捧げられていたのだろうか。
息子の一日、一日を、この小さな命の、一日、一日を、ひたむきに写し取り、丁寧に鋏で切り、一ミリもはみ出ることのないよう、妻は並べていた。
今日から明日へ、明日からあさってへ。
それは、心に楔を打つ行為だったに違いない。
前へ前へと進む日々に、この腕のなかで育つ、かけがえのない小さな命を、刻む行為に違いない。
私達は大きな川の流れに落とされて育ち、折れれば流れ、沈み、腐っていく葦である。
時間は無情に過ぎゆき、私達の日々を常に漂白し続ける。
どんなこともいつか忘れてしまうということは、どんなに辛いことも乗り越えられる符号でもあるし、どんなに喜ばしいこともいつしか喪われるという確信でもある。
だから刻むのだ。心に。
心に刻まれた思いは言葉になり、唇は声を音にし、目は文字を覚える。
指は鉛筆を握り、手は書くことを覚え、いつしか記すようになる。
私は棚をあさって、妻の昔の手帳を引っ張り出してみた。
妻が、この手帳のカレンダーページをめくることは、ここ数年なく、手帳も奥にしまわれたきりだった。
写真の中の息子は、まだ歯も生えていない、落っこちそうに丸いほっぺたをして、小さな手に玩具を握っていた。
ああ、この玩具は息子のお気に入りだった。これはもうない、捨ててしまった。
息子のこの時期も、もう過ぎ去り、二度ともどることはない。
それでも妻が残した日々は確かにここにある。
妻の、息子の、私達の日々が、ここにある。
「忘れないこと」
私は黒板からマグネットを剥がした。
代わりに、チョークマーカーで「おぼえておくこと」と書き込んだ。
どうしたって私達は忘却してしまう。だから覚えておいてくれ。
覚えていておくれ。思い出させておくれ。
どうしたって、心は忘れてしまうのだから。
私が、妻が、どんなにお前が産まれてくるのを待っていたか。
お前がいる毎日が、どれだけ喜ばしいことに満ちていたか。
苦痛も、苦難も、忘れるほどに味わった。
忘れても忘れてもなお、私達は覚えておこうとする。
思い出そうとするのだ、どんなにお前を愛したか。
そうして、伝え続ける。写真に、手帳に、文字の、言葉の、心のある限り、愛していると、お前をずっと愛していると。
私は「おぼえておくこと」の下にちょんと点を打って、横に「水彩絵の具」と書き付けた。
私達がそうしたように、息子も己の人生を記しながら生きていくのだろう。
それがどんな日々であるか、残念ながら、私は保証する力を持たない。
けれど、どうかお前は色とりどりの鮮やかな日々を、忘れずに、覚えておこう、この願いを。願わせてくれる、お前の愛おしさを何度でも思い出させてほしい。
よろしく頼むよ。
息子と妻の帰宅の声が聞こえ、私は黒板に小さく敬礼をしてから、二人を出迎えるために賑やかな玄関へ向かった。