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梅と塩



 私は梅。

 同期の梅達はもうみんな望まれて嫁いでった。彼女たちはまだ青いうちに摘み取られ出荷され、氷砂糖と一緒にビンに詰められて、甘い汁に溺れる生活を送っている。

 でも、私は梅干し用の梅。

 みんなみたいにきれいな緑色じゃなくて、黄色にところどころ赤い斑点が混じった私の丸いボディ。こんなだらしない混色をした私が、甘くて透き通るように美しい氷砂糖と娶せて貰える筈もない。

 私も昔は青く美しく固い体をしていた。

それが、ずっと冷暗所で熟すまで放って置かれて――ここまで熟してしまった。


 そんな私にも、やっと嫁ぎ先が決まる。

 貯蔵庫から出された私の目の前に現れたのは、塩だった。白くて、荒々しい粒子。どこか粘ついた視線(潮解性)。

 私はその含まずとも伝わってくるようなしょっぱさに怯えた。

 糖分とマリッジした姉妹たち。

 それにひきかえ私は……! 塩と……!

 どうしよう、塩とうまくやっていける自信なんてない……。氷砂糖なんて高望みはしない、白砂糖、ううん、三温糖でもいいから……。

 けれど、塩は逃げを打つ私を強引に抱きしめた。


「俺のために熟してたんだろ、ほらこんなに、甘酸っぱい匂いさせて……」


 ざらついた塩が私の全身にまとわりつく。痛いくらい激しい粒。なのに、どうして……私、濡れてきちゃうの……?


「ここ、赤くなってるぜ」

「それは……梅干しに……塩に漬けられるのにふさわしくなるまで、待ってたからで……」


 私は何を口走ってしまったの?

 塩は口元を綻ばせた。「……俺を、待ってたのか……」

 ちがうちがう、そうじゃ、そうじゃない……!


「長いことお預け食らわせて悪かったな。俺は青梅なんか興味ない。お前みたいに、熟し切って、なのに実は堅い。お前には貞淑さと誘惑が同居している。完熟したお前を抱きたいんだ」

「いやっ……まだへたも取ってないのに……!」

「くくっ、かわいいこと言うなよ。そうだな、お前を抱くなら、ちゃんと準備をしなきゃ、な。早く流水で洗ってつまようじで取ってこい。そうしたら、へたをとってむき出しになったお前のへそに、白い俺をたっぷり塗り込めてやる。へそだけじゃない、全身にな。そして、お前のいい匂いがする汁を……絞り出してやるよ」


 塩の欲望を突きつけられて私は喘いだ。荒々しいのに、情熱的な言葉には、どこか甘やかさすら感じさせる塩。まっすぐに私の心を貫いてくる。塩の言葉だけで滲んでしまいそう……。


「あなた、しょっぱいだけじゃないのね」

「俺は、工場産のNaClじゃない。海の男だ」


 だからなのね、あなたの瞳の奧にあるにがり。豆乳すら豆腐にしてしまうほどの凝固力。


「私は、あなたみたいな粗塩とは違う。南高梅でも何でもない、ノーブランドの梅なのよ」

「それはお前が知らないだけだ。お前は地元のブランド梅として梅干しになってからしか、市場に出回らないようにされているだけだ。それだけ貴重なんだ。俺に愛されて梅干しになったお前を、みんなが喉から手がでるほど欲しがってるんだぜ」

「そんなの嘘……!」

「俺に抱かれれば、いやでもそういう体になる」


 準備の終わった私を、塩は言った通り隅々まで、むしろじれったいほどの優しさで包み始めた。


「なんて薄い皮なんだ……極上品だぜ」

「あぁんっ! そんなにしたら! 皮が破れちゃうぅ!」

「たっぷりした果肉、しみこみがいがある……好きなだけ漬けてやるよ」

「あ、ああっ! お、奧まで塩が来ちゃう! 種に染みちゃらめぇっ」

「これからずっと、お前を塩漬けのままにしてやるよ……!」

「そんな……っ! こんな、しょっぱいままなんて……んぁっ!」


 種だけを残して全部が塩に奪われる。いえ、種すらも……。あれほど硬かった私の体が、柔らかくふやけていく……。




 塩にまみれた生活は私をすっかり変えた。塩漬けのクライマックスが続き、私は今や塩なしではいられない体だ。


「どうした、不安そうにして」

「私、土用干しが恐いの……こんな種の髄まで漬かれきった姿をお天道様のもとに晒すだなんて……それに干からびて干しぶどうのように醜い姿になったら、あなたに捨てられるかもって」

「バカだな、たとえお前が梅干しを通り越して干し梅になったってずっと傍にいる。昔のお前はもういない。俺と一緒になって、土用干しを経て、お前は生まれ変わるんだ。ちょっとやそっとの菌は寄せ付けない、抗菌力と、そして醒めるような酸っぱさを持った美味しい梅干しに」

「永遠に、一緒なのね……」

「カメの中で、熟成しよう……」


 そして迎えた土用干し。日中の暑さと、合間に訪れる夜。

 涼しい夜風に吹かれて私たちはざるの上で同じ月を見た。

 塩は語った。

「お前が梅の花の頃、俺たちはもう出会ってたんだぜ」

と。

 潮風に吹かれ咲かせた白い花。まだこんな運命を予感すらしなかったあの頃。

 私も思い出していた。凍えるような寒さなのに、風が温かかったことを。

 幼い頃に始まっていた、私たち――梅と塩の恋は、梅干しになって実る――。



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