慣れない恋のキューピットのせいで……
くあぁあああ。あまりの退屈さと眠気が襲ってくる。時刻はまだ午前十時を少し回っていた。席は数ある4人がけのテーブルの一番後ろだ。始めは教科書を眺めて、じっーとしていたのだが、教授が教室に入ってきて、抑揚のない声で念仏のような講義を始めたのだから、たまったもんじゃない。いつしかうつらうつらし、半分意識が眠りそうになった。
いかんいかん!
自分自身を鼓舞し、何とか意識を持ち直す。
周囲を見るとオレと同じく睡魔に負けて、夢の世界に向かった者達が多数いた。こうならないためにもガムを噛み始める。
「斑君」
女の声がした。何度か聞き覚えのある声だが。
声のする方向を見ると、そこにはおさげ頭の四元保奈美がいた。愛嬌のあるくりくりとした瞳と誰にも気兼ねなく話し、笑顔を絶やさない。四元保奈美は男子女子両方からウケが良い。四元保奈美は俺が気が付かない内に、横の席に座っていたみたいだ。俺が半分寝ふかきをこいていた時であろう。
「四元どうした?」
俺は壇上にいる教師に気が付かれないくらいの小声で話す。
「うん、今ね。金曜の合コンの参加の有無を参加予定者に最終確認することになっているの。それで斑君はどうするのかなって」
あぁ……。
確かそんなことがあったな。
確か友人の塚本に参加を頼まれていたような気がする。俺の脳裏に塚本の頼んだときの両手を胸元の前で合わしていた姿が浮かんだ。
やれやれ。
俺は軽く嘆息を漏らし、
「参加で。塚本にどうしてもと言われているんでな」
参加しても俺に寄ってくる女はモノ好きだけだ。身長百八十オーバーで。角切り。目つきは極めて鋭い。身体には無尽蔵の筋肉が詰まっている。友人達からはふざけて和製ターミネーターや人間山脈と呼ばれている。
「分かった。斑君は参加っと。じゃ詳しく時間とか決まったらラインで知らせるから。んじゃまたね」
そういうと彼女は教授にばれないように、するりと椅子から抜けるように降り、こっそりと教室から出て行った。予想外の人物の登場のおかげで俺は目が冷めて、この後の講義も何とか乗りこることが出来た。
金曜の夕方、俺は次の日の土曜の準備をして
アパートを出た。服装はぱつぱつのジーンズにシャツを来て、その上にロングコートを羽織る。
集合場所で待っていると、背後から何かぶつかってきた。振り向くと、そこには塚本と四元がいた。
一緒に来たのか。
相変わらず仲がいいな。
「今日も変わらず、でかいな。なんにせよ、参加してくれてありがとう」
塚本が頭を下げた。
気にするなと俺は言い、その場に構える。時刻を過ぎるが他のメンバーは来ない。十分が過ぎ、とりあえず居酒屋に入ろうと塚本が提案して、俺達はお店の中に入った。お店の中は同じ大学の学生が飲んでいるなど、ここいらでは有名な居酒屋である。
「みんな来ないね」
四元が携帯を握りながら、酒の席では似合わない表情をしている。
「お、俺。みんなに連絡してみるわ」
突然、塚本が立ち上がった。いそいそと少し慌ただしい面持ちだ。
「あっ、私も手伝うよ」
四元も立ち上がろうとした時、
「いいって、外は寒いだろ。ここは俺に任せておきなって」
塚本が四元を制止する。
「でも……」
四元はまだ納得しきれていない表情である。
「四元、ここは塚本の心遣いに乗ろう。もしかしたら今日の合コンで塚本のピークがここになるかもしれんからな」
俺はにやりと笑い、塚本を見た。視線で合図をする。
「な、なんだそりゃ。俺の今日のピークを勝手に決めんなよ」
塚本は視線でありがとうと俺に語り掛け、言った。
「ぷっ、なにそれ。まだ合コンも始まってないのにピークとかっておかしー」
四元が俺と塚本のやり取りで思わず、吹き出した。
これでいい。
あとは俺に任せてお前は行け。
俺が塚本を行くように促した。俺は四元を上座に座らした。俺はその向かいに座る。
塚本は小走りで店の外に電話を掛けに言った。
「仲いいよね? 2人」
四元が話しかけてきた。確かに悪ければ、今のようなやり取りは出来ない。
「まぁ、仲はいいさ。所謂、腐れ縁ってやつさ」
口元でにやりと笑みをおれは作る。
「んで2人共付き合ってるの?」
四元がにやにやしながら聞いてくる。
好きだねぇ……女子はこういう話は。
「そうだな、もう俺達は離れられないのかもしれない」
会話を続かせるために四元の話をふくらませるようにする。あとは塚本の戻り次第まで耐えぬくのみ。
「それは熱いね。私、溶けちゃうかも」
悪乗りだな、しかし。
「溶けた君も見てみたいものだ」
俺達が馬鹿話をして少し経ってから、塚本が帰ってきた。俺の顔を心配そうに見てくる。
俺は軽く微笑み、首を軽く振った。塚本の表情が明るくなった。
そう、まだ俺達のかけた魔法は溶けてはいないのだ。
「悪い、悪い。遅くなった」
塚本の帰還により、本日の本来の目的である任務が開始された。
「何かみんな急に予定入ったり、体調崩したみたいでよ。今日はなんと俺たちしか来ません……なんてな」
塚本が苦し紛れながらも嘘をついた。始めからここにはこの三人しか来ない。
「えっ、そうなの。残念だわ。どうしよう」
四元が不安すな表情をして、何か考えている。
「まぁまぁ、それは仕方ないな。なら今日は軽く三人で飲んで早めに解散の方向にするのはどうだ。次回にみんなで飲むような感じで」
俺が提案する。妥当な線で出した答えだ。
「そうだな、そうするか。折角飯も頼んでるんだしな」
わざとらしく塚本が俺に続いた。あとは四元、彼女だけだ。少し考えている。
「だね、料理がもったいないし、少しだけいただいていくか」
ふう、どうやら彼女も納得してくれたようだ。
俺と塚本は胸をなでおろす。
ここからは日頃の講義や友人たちの話など馬鹿話をした。酒が入るといい感じに話が盛り上がる。身体を暖めるにはちょうどいいウォーミングアップになったはずだ。
俺は軽く、隣りにいる塚本を肘でこついた。
そろそろいいのではないかと合図する。ほろ酔い気分だった塚本の表情に気合がこもった・ここ数年来で一番真面目な面をしている。俺は内心で少し笑ってしまった。
まぁ、あとはうまくやれや。
俺はそう思い、帰り支度を四元に気が付かれないように行い、
「トイレに行ってくる。長くなってもそこは気にしないようにね」
俺はわざと酔った振りをしながら二人に言った。
「なにそれ。長くなったら塚本を迎えに行かせるわ」
四元が笑いながら言った。
「おぉ、任せろ」
塚本が承諾する。
まぁ、うまく緊張がほぐれればいいが。
「んじゃ、塚本うまくやれよ、しっかりな」
俺は塚本の耳元で伝える。
「何々、また二人だけの会話。ずるいよ」
四元が俺たちを見て微笑んでいる。
「あぁ、帰ったら連絡する。今日はありがとう」
周囲からはお客のバカ話が終始酷く店内に響いている。だが俺には塚本の言葉しか耳に入ってこなかった。
「んじゃあな、お先」
おれはそう言い、二人の下から去った。お題はいいと塚本から言われていたが3万円ほどお店に置いていった。店を出て、身体を伸ばした。こきこきと内部から骨の音がする。
恋愛のキューピットも骨が折れるな。
まぁ、これだけ筋肉がついてるなら尚更だ。
俺は今にも破裂しそうな胸板をみた。
さて気をつけて帰りましょうかね。俺はゆっくりと酔いが回った頭をまだまだ寒い夜風に当てながら、自宅へと歩を進めるのであった。
今日はきちんと帰らなければならない。明日から二日間の間、山籠りをする予定だ。最低限の装備に最低限の食糧を持ち、大自然と戦う。俺の趣味である。
小鳥のさえずりが聞こえ、明かりが顔を照らす。照らす。照らす。照らしすぎだ、これ。
ううっ。
ううっ、うう。
頭が痛い。
俺は頭を押さえる。
瞳を開ける。眩しい。なんだここは。
アパートじゃないのか。ようやく開けてきた視界に写ったのは明らかに屋内ではなく、屋外の光景だった。
よっかかっているのは大木で、上を見上げるが木の頂点が見えない。
でかすぎるな。一体なんの木だこれは。見たことがない。
他に地面を見る。俺が座っているところは土ではあるが、基本は何かしら草木が生えている。草の香りが鼻を刺した。いつも嗅いでいる匂いだ。悪くはない。
にしてもどこだ?
ここは、一体。
よっこいせいと立ち上がり、自分の格好にようやく気がついた。昨日のジーンズとシャツに、ロングコートだ。持ち物は財布に、携帯に、煙草に、ライターに火打石。合コン大作戦にでかけた時と全く同じ格好だ。それからどうやってこんあ山奥に来たか、皆目自分もわからない。自分で迷わず、来たというのは考えにくい。今回、向かおうとしていたのは新しい山なのだから。
ずらりともう一度周囲を見渡す。
何か目立つものがあればいいが。
電波塔に特徴的な建造物、山や川。とにかく周囲に何が有り、自分から見てどう行けばそこに辿り着くことが出来るのか。まずはそれからだ。気温はそれほどで気になるものではない。近くにあるほどほどの高さの木に登り、見渡す。俺の目に写るものは自然、自然、大自然。青々とした大木達が俺の目に写る。
何もないのか……
!?
俺が諦めかけたその時、俺の視力2.0 が火を吹いた。少し遠いがここから右手の方向、方角で示すと東の方角に川らしきものが見えた。
とりあえずはOKといっておきたいところだな。
水の確保ができるのはでかいからだ。
問題は最短距離でこの距離なので実際、自分の足で向かうとしたらどうなるかということだ。木の上からゆっくりと降りる。
考えるより、まずは行動。無駄な体力と気力を失いたくない。それに暗くなると山の中だ。何が起きるか、分からない。
まずはっと
今日の寝る場所の確保だな。
あっという間に日は暗くなる。できるだけ必要なものは集めておかないと。
暖を取るとしたら現状だと洞窟より、木の上がいいと判断した。
木の上に休むスペースと木の上から落下しないように身体を木に縛り付ける縄のようなものがあればいい。
洞窟だと探すのに時間がかかるのと、野生動物に襲われたら、ひとたまりもない。可愛い野生動物ならいいが、熊のような明らかにこっちをぱっくんちょしちゃうぞという意思表示をしてくる相手に遭遇したら元も子もないからだ。実際、以前山籠りをしたときに熊と遭遇して何もなかったが、ちびりそうになったときがある。それに熊が近づいてこないようなにする防犯グッズもここにはないから。
まずは紐だな。紐でなくても自分の身体をしっかりと木に巻きつけることの出来るものならなんでもいい。
ふんふんふん♪
鼻歌まじりで紐を探し始める。木に巻き付いているものを発見。強度に問題がありそうだが、数で勝負だな。とりあえず木から剥がし始める。使わなきゃ使わなければいいだけの話だ。
他にも候補となる紐やツルは見つかった。地面にひょろりと伸びているツルをひっぱっていくと見たことのない野菜? があった。まん丸く黒い、ある程度の硬さをしている野菜。
イメージとしてはかぼちゃに似ている。俺は試しに一つ取ってみた。そして切るものがないので地面にそのかぼちゃらしきものを思いっきり、叩きつけた。
ぼちゃん!
弾けるような音がして、その野菜の外側が破けている。
緊張の一瞬。
ここで美味いか、まずいかでモチベーションが変わる。
むっ
むむっ
んむぅ……
俺は首をかしげる。
中々判断に困る味だ。舌の通じて始めから最後まで美味しくないのは、仕方のないことだが、この微妙に甘く、僅かな後味で腔内を気持ち悪くするのはなんなのであろうか。
ううっ。
おうえぇええ。
俺は久々にえづいてしまった。
この気持ち悪さは久々の領域だ。
「あぁ……さて紐さがすか」
なんとも残念な気持ちになりながらも俺は何とかたくさんの紐やツルを入手した。
強度、弾力の問題からさっきのまずいかぼちゃのツルが採用される。皮肉な話だが。
あとは食糧の確保だな。まだ口の中に後味が残っている。
さて気を取り直していくとするか!
日も少しずつだが、下がり始めてきたからだ。ここからが早い。最低限の腹と喉を潤すことの出来るものがあればいいが。
自分が今日休む、大木に目印をつけて、あまり離れないように食糧確保の探索を行う。少し歩いて周囲をくまなく見ていると、
おっ、あれは?
いつも山ごもりしたときにお世話になっている木の実ナナだ。ごほん、木の実だ。
うす紫を色をしたそれは小型のたくさんの粒で形成されている。山葡萄に似ているが少し、実の形が楕円形になっている。
まずは手のひらで潰す。
ぷちっという音がして中から紫色の汁が出てきた。花を近づけて匂いを嗅いでみる。
くんかくんか。
少し酸味がありそうな匂いがするが無臭だ。
俺は意を決して勢いよく、口の中に入れた。舌の上で転がし、勢いよく潰す。じわりと舌に広がってきた味に俺は
「うおおおおおおお!」
吠えた。口に中に始めは酸味が広がるが、次第にその酸味を中和するかのように甘みが現れる。山葡萄と味は酷似している。
よし、こいつをたくさん収集しよう。うまいということはそれだけで心を落ち着かせてくれる。
ここいらにある山葡萄らしきものを採取して、途中アケビに似た細長い形状の果実を発見した。これがアケビなら中の種子の部分は甘いはずだ。ほかの部位もたくさんの用途に使用されるが今は俺の腹を満たしてくれ。
「おおおおおおおお!! 来たぜ」
それはアケビと勘違いしてもいいくらい酷似した味だった。強いていえば少し甘みが少ないくらい。
俺はそこにあるアケビに酷似した果実もたくさん持って帰る。おかげでロングコートのポケットはパンパンだ。
ロングコートが、かなり汚くなったのは残念だが。
背に腹は変えられない。
さてとではもう休む準備でもしますかね。初めに寄りかかっていた大木の上で寝るのは何とも感じだが。隣の木を登り、俺は大木の樹の枝に移る。枝といっても俺の胴体よりも太い。
なんて大きな木なんだ。改めて頭上を見上げるが木の頂点はここからでも見えない。
そのまま寝ると流石に硬いのでクッションとなる簡単な小枝や草を敷き詰めて、簡易のクッションを作る。簡易のクッションも落ちないように木にしっかりと縛り付ける。動かしてみるがうまく固定されたみたいだ。これに腰掛けて、あとはこの太い幹に俺の胴体を縛り付ければOKだな。大木の幹に紐を回すのが少しやりづらかったが俺は周囲の枝を利用してうまく回すことに成功。
さてと、あとはゆっくりと腰掛けた。クッションは急ごしらえのため、もう少し改善の余地が見られたが、ないよりはあったほうが大分マシだ。
がちがちに自分を固定して俺はようやく軽く一息付けた。
ここはどこなんだ?
そういう疑問は残るが、まずは生き残ることが先決だ。
明日やるべきことを考える。食料確保と寝床確保。おそらくこれ以外は移動で終わる。
俺は携帯の画面を見た。そこにメールが届いていた。内容はこうだ。
「男、塚本サクラサク」
これだけで俺には内容が分かった。
よかったな、塚本。
四元を頼むぜ。
俺はそう言い、圏外になっている携帯の電源を切った。