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ナイトテーブルの世界

 私がなぜベッドの脇に備えられたナイトテーブルの引き出しに関する様々なアプローチを拒んでいるのか?

 それは、他の室内の小道具に抱いた本能的な警戒心と、似て非なるものだった。


 なぜなら他の警戒心が漠然としたものであるとするならば、ナイトテーブルに関する警戒心は完全に具体的なものであったからだ。

 私はその引き出しを引いてしまえば、玉手箱みたいに猛毒の白煙がもくもくと吹き上がる、ということを知っていたのだ。それはきっと今日という目覚めからの一日に限らずに、毎回の目覚めの恒例となっている認識なんじゃないかと想像される。

 それは禁忌であった。この部屋に施された罠、その悪意や空虚さの言うなれば集大成である、と私は考えた。


 そして、私は先程から考えあぐねているのである、それは身の危険に対する防衛本能と、対極する誘惑への鬩ぎ合いであり、その萌芽は小さな囚われに過ぎないが、下手をすれば僅かな執着心から逃れようのない偏執へと至る決まりきった運命の道筋を、思いもよらぬスピードで進行している事となって。

 それは引き裂かれるようにこの身に降りかかって。そして思考は凍結されて本能だけが邁進して行く結果となる。


 絶望は自分である。

 甘い薫りの毒の蜜である。

 空を密閉した行き止まりの高い高い壁に立ち尽くす、私は崩壊した、逆行世界の生贄なのだった。

 この一日は繰り返されていく…途方もなく…その取るに足らない大河の一滴を、たった一度の一日の秩序の機能の成立のための絶対義務を、その不自由への転落を放棄したところで…私の一日はどうせ再び手渡され、何事もなかったかの様に始まって行くのだとしたら?


 私の意識は乳白色の毒ガスの濃霧に侵されていった…

 死。

 無念な結末は連結された翌朝に消去されている、私は幾度死を迎え、朝を繰り返したのだろう?記憶は角を削られ茫洋とした領域である深層心理へと堆積されて、ただ誘惑だけが鋭角になっていくのだ…私は本能に逆らってみる、それは私に残された、数少ない自由意志だと思われてならなかった…


 逆行!

 ベッドの脇のナイトテーブルの引き出しへと差し出された私の手は…スローモーションに描かれて写っていた…


 すぅ…


 わずか数十センチの引き出しのレールの走行が、まるで数十キロメートルの線路の走行のように流されていた。

 意識は逆流する…本能に…不自由に…私の高い壁は切り崩されて…奥まった世界の実相がどよめき始めた……濃霧…濃霧…濃霧…濃霧……


 ようやく視界が晴れ渡っていく……


 朝?

 私の意識は寸断されそして再起動された、朝…否、私は佇んでいる、意識の始まりがベッドよりの起床から始まっているのでなければ、それは朝ではなく別様の記憶障害なのだろう。

 そして今、私は驚いていた。

 引き出しから吐き出されたのは猛毒の白煙ではなかった、ならばどうして私はあのような具体的な警戒心を持ったのだろう?しかしその疑問もすぐに霧散した。

 やはり眼前に奥まる情景こそが主眼となった。

 それは深い地下へと奥まって闇と結ばれた。


 渋い赤茶色の木製のナイトテーブルは、引き出しに連結して四つの脚が伸びていた。もちろんその脚の部分は脚以外空間が空洞となっている。

 しかし…


 私が今眺め落としている引き出しの内部。

 木製家具の内側に、生々しい肉の襞で出来た壁面が現れていた、引き出しの底板はなく、代わりに深い井戸の底のような…それから更なる無限を想起させる深淵にまで深く伸び到達しているような……闇--


 引き出された引き出しの真下やナイトテーブルの脚の部分は横から見れば何もない空洞の空間であるのに、それを真上から覗くと果てしない肉の壁と真四角に穿たれた闇の空洞の空間なのだ…まるでトリックアートだ……


 見蕩れていた。

 その内面世界の天井と呼ぶべき場所、ナイトテーブルの天板の真裏に当たる場所からは、乳白色の粘液が垂れていた…そしてそれは無数にあり、鍾乳洞みたいにツララになっていた。


 すたっ……すたっ……

 風を切る音が……


 それは不定期なリズムで、しかし心地よいリズムで静かな音を立てて落下した…それは天井から…あるいはツララの突先から……


 私は不意に衝動的に、空腹の発作が起こった、そして眺めているその粘液が私の唾液を分泌させた。

 不気味で…不快な異世界のエサであるその分泌液に、私は食欲を抑えきれなくなっていた。

 意識はもう、差し出される指先の本能に従う以外なかったのである…どろっ…粘液は見たとおりの感触で私の指を冷たく濡らした…まるで精液のような…乳白色のベトつき……


 指をくわえた瞬間に私は衝撃を受けた。

 脳に流れる、意識を包み込む、それは初体験の感覚であり懐かしい感覚だ…乳白色の粘液の色と匂いと感触とが意識や感覚に洪水のように押し寄せては通過していった……


 私は満腹であった…

 そこに得られるものは、長い歴史の集積であり、誕生の朝であった…

 その記憶の感覚だけが確かにあった。 

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