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ナイフ

 パシャン…パシャン…


 それは立方体の少し高い天井から現れ、ぶら下がり、こちらを覗く…そして落ちた。

 私の手のひらにちょうど収まるくらいのゼリー状の球体、つまり眼球。

 

 眼球はそれ自体単独な生物らしかった。つまり天井に突然現れて、その球面を動かしたりするものの、青銅色の肉体を完全に破って落下するときには神経管のない完全な球体となって現れるからだった。

 床に衝突して分散した眼球の飛沫は一部黒かったがほとんどは白色をしていた。

 白い粘着物は床を汚していた。

 

 パシャン…パシャン…


 意識がだんだん明瞭になるにつれ、眼球の落下による衝突に合わさったひとつの厭な感触を認識するようになる。

 落下物が床肌を叩く時、私の肉体のどこかに、軽く平手打ちをされたような痛みが引き起こるのだ。

 それが、完全に床肌の刺激のタイミングと一致していることを見通した時、私は不快な感情を持ってしまった。

 それは、思考停止するほどの大きな痛みではなくて、意識にのぼるかのぼらないかくらいの微妙な痛さなのであった。しかし、それらがキリなく続いていくのであれば痛みも増していく上に陰鬱な気分が覆っていくのは自然な反応だった。それほどに眼球の落下と衝突は頻繁であったのだ。


 床を汚した大量の粘着物をじっと見ていると、そこから不思議な、下手をするとやや悍ましくもある現象が生まれるのだった。

 粘着物からは少量ずつの、小さな生物が産まれていたのだ。よく見れば、それは小人ともとれた。

 不完全ではあるが、四肢をもった二足歩行の生物なのだ。しかし、それは一二歩あるいてすぐに崩れ落ち、死の瞬間に白い煙に蒸発して消えていく。


 このサイクルで海や雲雨のように循環しているのだろうか?

 どうにしたって奇妙で気味が悪い…


 恐る恐る、私は動く覚悟を決めていくのであった。なぜならこのままでは脱出できぬまま衰弱していくばかりだろう。

 しかし、先程火傷した場所があるくらいだ、危険はそこらじゅうに潜んでいるに違いなかった。

 それに…

 平手打ちの感覚は完全無視とはいかないが、それが発する不快感には大分慣れてきたようだ。

 だが、それがひとつの恐怖を想起させぬものでもなかった、が、強いてネガティブなことは考えないようにもしていた…


 一歩を踏み出す…平気だった…もう一歩…また平気…ただ、一歩一歩ごとに、体のどこかしらの一部を、緩やかに圧迫されているような感触が気に障った。

 それでも進んでいけることは大きな進展だった。


 壁面にたどり着く。

 床と同一の素材であることは見てとれる、よく見れば細かな筋が走っていて、青と緑の間に並んだ様々な微妙な色合いの肌は美しく光沢している、筋には液体が湛えられ上下に昇降していた…

 引き締まって見えるが、その内奥は柔らかい素材で出来ているようでもある…


 私は何気なくその壁面に引き込まれていた。そして無意識で指を突き立てたすえ、壁面に向かって指を付き入れようとした!


「ぎゃああああああああ」


 指は一瞬内部へ到達したが、すぐに表面で弾き飛ばされていた。

 頭蓋骨の奥の奥に、激しい痛みを突きつけられ、耐えられずに私は床を這い回った。

 痛みは数分でようやく収まっていった。

 

 動悸はまだ収まらなかった。触ってはいけない場所を触ってしまったのだろうか?まさか、あの壁面と、私の脳髄のどこかが、痛みによって結ばれているとでもいうのか…


 私は考えてはならぬ考えを遠ざけるように知らず知らずに促していた。

 私は壁面を見た。

 

「…あれは…」


 眼球が現れていた!

 それは私を睨んでいた、間違った認識かもしれなかったけれど、私はそう直覚していた。 

  

 それから眼球は、視線をずらして行き、ちょうど対角線のあたりに視線を向けているようだった。


「何なんだ…あ、あれは?」


 ナイフ!

 あんなものが転がっていたなんて、気づきもしなかった。

 私はその場所まで歩いた。

 

 驚く程に変哲もない、ありふれたナイフであった。しかもかなり上等な、肉や骨まで切ることができるくらいの狩猟ナイフであった。


「なぜこのような日用品が、こんなワケのわからない密室に?」


 その取合せは、ますます閉ざされたこの空間の異質さを際立たせていて恐ろしかった。

 しかし…


「切り裂いて進め、とでもいうのか…この、巨大な肉の壁を!」


 私は先程頭蓋骨の奥に感じた強烈な痛みがよぎって少し震えていた。


「それでも…」


 私は覚悟を決めて、近くの壁面に、ナイフを突き入れた。


「!」


 始めはこれが何の感覚を意図しているのかが判らずにいた。

 それで私は更に、突き入れたナイフを真横に向けて滑らせていった…


 見事な切れ味だった。

 しかし…


「ああああああああああああ」


 激しい痛みが右側の胸のあたりから連なって腰のあたりまでが襲いかかった!


 肉の壁。

 青銅色の肉肌からはたらたらと赤い血液が流れている…

 そして!


 私の痛みを感じた部分は、同じくナイフに裂かれたように深く刳られて血液を流していた……

 脂肪や肉や…あろうことか骨や内臓までもが覗き見えていた……


 私を包んだ立方体の密室の肉体は…私の肉体と同期していることが判明していた……

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