⑥
このブヨバス、もとい水バスは、
必要とあれば停留所もないのに大抵現れてくれる便利な移動手段の乗り物だ。
どういう仕組みで動いているのかが不明だが、
さすがに顕現界、望むと現れてくれるのはいいが、
必ずしも望むものすべてが現れてくれるわけではないから悩ましい。
そもそも、
望みのものが特に現れてくれたという形跡もないから逆に妬ましい……。
私は龍女・探女に会ってこの世界を脱するため、
番犬ならぬ番熊の宇藤と案内役の稚津彦を引き連れて、
タイミングよく出現したバスの中に再び揺られていた。
私は最初と同様、中央の左の窓際の定位置に居座り、
熊の宇藤は通路を挟んで反対側の右の窓際。
さらに稚津彦は私たちより後方の、私と出会った時とまったく同じ、
宇藤から数席後ろへ座っていた。
私は沙羅さんから拝借した瓔珞、
それと腕釧を装着しているが、
はっきり言って魔法少女仕様のこの衣装には全然合っていないし、
邪魔くさかった。
ただでさえでっかいリボンが胸元で威容を放っているので尚のこと。
腕釧もどういうわけかきつい。
沙羅さんがしていた上腕まで届かず、私のひじ下辺りで止まっている。
ふっ、服のせいだからね!
そして、バスに乗って束の間――、
どこからかまたあの音楽が聴こえてきたので、
私の注意力は車窓の外へと注がれた。
ダダダッダダダッダダダッダダダ……。
腹の底まで響く大音声。
それは以前よりずっと荒々しい波が、
ひときわ豪快に迫りくるような音だった。
「なんだぁ?」
宇藤も同じ方角を注目していると、
演歌歌手さながら波の絵が描かれた着物を着こなす中年の男性が、
空を仰ぎ見ながらマイクを片手にこぶしを回していた。
観客は誰もいない。
「あの人が歌っていたのか……。さしずめ演歌歌手に憧れたって人かな?」
どこから曲が流れてくるのかは謎だったが、
何十年か前に流行った歌であろう。
私も懐メロとかで聴いたことのある歌だった。
その人に話しかけることはできなかった。
バスが停まらなかったので、
そのままその人の後ろを静かに通り過ぎていく。
男性は歌に夢中で私たちのバスに気づいていない様子。
まぁ、話しかけても自分の世界に入り込んで陶酔していたいだろうから、
このままそっとしておいてやろう。
それにしてもこの世界にどれくらいの人がいるのかも不透明だ。
謎は尽きない。
そんな折、稚津彦が唐突にあらぬ質問を振ってきた。
「――ところで君たちってどういう関係?」
私は応える。
「どういうって、クラスメイトよ。
でも、『ただの』クラスメイトではないわ」
「へぇ……。じゃあ、どういうクラスメイト?」
「『犬猿の仲の』クラスメイトよ」
宇藤は沈黙を保っていたが、私は間髪入れず臨機応変に応じる。
稚津彦は、「ふーん」と意味ありげに私たちを交互に見ながら、
何度もうなずいていた。
そして、
どさくさに紛れて私の太ももまでさらけ出された足に視線を落とすなり――
「それにしても……、足、綺麗だね。我も忘れて見とれてしまいそうだよ」
「でしょでしょ? ふっふーん。
これだけは誰にも譲れない自慢のカモシカの足だもの」
褒められていい気分にならない人はいないだろう。
自分でもよくわかっているので謙遜も否定もしない。
だが宇藤は、「ケッ」と舌打ちをしていた。
「なによ?」
「カモシカを見たこともねーくせしてよく言うぜ」
「当たり前じゃない。見たことのある人の方が希少でしょ!」
「知らねーのによく自慢げに言えたもんだな」
「うっさいわねー。熊は黙って冬眠の準備でもしてなさいよ」
宇藤とのバトルは止めが入らなければ果てしなく続くかに思えたが、
私らを眺めていた稚津彦が「なるほどね」とつぶやくのに気づいて、
二人同時にはたと休戦を迎えた。
「若いねー、青春だねー」
――全然青春じゃないから!
一方、なんとしてでも上腕まで押し上げてやろうと目論む私の手は、
その間もグイグイと腕釧を引っ張り上げていた。
それをしっかり見ていた稚津彦曰く。
「ああ、それはサイズを変えることができるから安心していいよ、星ちゃん」
むっ!
遠回しに私の腕が太いと言っているように聞こえなくもない。
彼は立ち上がると、水風船のようにブヨブヨとしたある程度は足も沈む、
非常に歩きづらそうなバスの中をやはり難なく歩いて、
私の隣りの席にちゃっかり腰掛けた。
「ちょっとそれ貸して」
そう言うので、私は渋々腕から腕釧を外すと、
広げた稚津彦の掌の上に置いた。
瞬間――、腕の太さほどの装身具が、
指の細さほどのサイズへと縮小した。
私は目を見開く。
『魔法少女』とは、こういう人のことを言うんだと(一部語弊あり)。
「星ちゃんには僕とおそろいの指輪をはめてもらうことにしよう」
稚津彦がそっと私の左手を取って薬指にそれをはめた。
指輪? と思って、
おもむろに稚津彦の指に視線を転じるなり目を剥いた。
確かに同じ指輪が彼の指にも見受けられ、
どうりであやかしの皆さんが寄りつかなかったわけだと合点もいくが、
なんで左薬指!?
これじゃまるで婚約指輪か結婚指輪……。
「僕がいつでも君を守っているという愛の証しを込めて……
プリンセス星――」
私の左手を握ったまま、
熱っぽいまなざしを真摯に向ける稚津彦がささやく。
「……ふ」
吹き出しそうになるのを私は必死に喉の奥で堪えた。
危なかったー。
稚津彦の顔面に唾を百発ほど噴射するところだった。
まぁそうなっても私的には一向に構わないんだけど。
だって沙羅さんがいるのに、
他の女に愛をささやく軽い男なんて絶対許すまじっ!
「沙羅さんがいるでしょっ! なに私を口説こうとしてんのよ!」
「沙羅?」
「恋人なんでしょ!」
この期に及んですっとぼける気か。
業腹だったが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「――ああ、あの人? 違うよ?」
「はぁ!? じゃああんたの片想い!?」
「ええ? この僕が? ははは、冗談はよしてくれ」
あんた自身が冗談であってほしいよ。
だったら彼女に捧げていたあの、
見ているこっちが恥ずかしくなる二人の世界や愛の言葉は、
一体なんだったのか。
演技? 女好き? ただの遊び人? 詐欺師!?
えーい、ますます許せん!
しめてやろうかとも思ったが、
別の方角から「ふー……」という、
獣の唸り声に似た重々しいため息が聞こえた。
振り返ると、目の据わった熊の置物が鎮座している。
それは、私たちのやり取りを静観していた宇藤の口から漏れ出した、
哀れみの吐息だった。
その面容は、悟りを開ききった大日如来坐像のように、
前席の椅子の裏側をうろんげに見つめている。
そして、同じく稚津彦の掌で小型化した瓔珞も手にすると、
彼は鎮座まします宇藤の傍らまで移動した。
「ついでに君にはこちらをつけてもらうとしよう」
「なっ、俺!? いらねーよ! ……ぐぇっ!」
宇藤の声は聞く耳持たずなのか稚津彦は、
強制的にガッと宇藤の首根っこを掴んでは、
首輪のようにそれをカチッとはめ込んだ。
心なしか笑みを浮かべる稚津彦が、
グリグリとねちっこく締めつけていた気もするが……。
「あはははは! 飼い熊よ、飼い熊!」
手を叩いて喜ぶ私。
「野郎……」
稚津彦を睨めつける宇藤は、
しかし自身の置かれた現状を悟ってなのか、
いや増す長嘆息を漏らしつつも抵抗するのをあきらめていた。
どこか不機嫌なのはいつものことなので問題はない。
それでも彼のなにかがいつもと違っていた。
苛立っている様子がしばしば見受けられる。
私の指を一瞥しながら――。
***
バスに揺られ続け、しばらくこれといった会話もなく、
うつらうつらとし始めていた頃、
不意に肩を軽く揺さぶられて私は顔を上げた。
隣りに熊が立っていたので、
驚いた私は咄嗟に武器に早変わりしたステッキで、
そのあごを打ち砕くように振り上げた。
「んがっ!」
「……なんだ、宇藤じゃない。驚かさないでよ。
なに? なんか用?」
「おっ、お前なぁ……ったく。
別に用っていうか、忠告っていうか……」
「だからなんなのよ?」
あごを片手でさすりながら、宇藤はステッキを私に押し戻す。
なにかを言いたそうに目を泳がせていた。
「あんま足さらすな……それだけだ」
――は? それだけ?
それだけを言うために私の眠りを妨げたっての?
「さらすなったって無理でしょ、この衣装じゃ。
せいぜいあんたも今の内、とくと拝んでおけばいいじゃない」
「……こっちの身にもなれっつーの」
吐き捨てる宇藤がどこか、しどろもどろだ。
珍しすぎて私は宇藤を凝視する。
「こっちの身って、熊になんかなりたくないわよ」
「そういう意味じゃねーし。――とにかくこれつけろ」
宇藤はどこから取り出したのか、一枚の布を私の膝の上に落としてくれた。
別に寒くないのに……と言いかけたが、そういうことでもないのだろう。
実際、私も気になってはいたのだ。
年頃の女が太ももまで露わにするなど……お金をもらうべきだ。
というのは冗談で、確かに気恥ずかしさは私にもあることはあった。
稚津彦には見られても平気なのに、
なぜか宇藤に見られるとどことなく落ち着かない――
宇藤に限ってどうして……。
それにしてもこの布はどこから?
「これ、どこから?」
宇藤に問い質すと、彼は後ろで幸せそうに眠りながら、
ムニャムニャ口を動かす男をしゃくった。
稚津彦は、きっと夢の中でも沙羅さんを口説いているんだろう。
「奴が着ている着物の一部をぶっちぎった」
「え、ぶっちぎ……?」
よく見れば、袖の片方がない。
稚津彦の肩口から腕が丸見えとなっていた。
あれをぶっちぎったのだろうか。
結構な力がいると思うのだが、
熊の着ぐるみを装着しただけで、
その力も付加されたとでもいうのだろうか。
――と、同時に、そんなことをされてもまったく目覚めない稚津彦も、
どんだけ図太い神経をしているんだか……。
「――おや、星ちゃん。イメチェンかい?」
目覚めた男の開口一番。
気づいていないのかわざとなのか、
面倒くさいので私もあえて応えなかったが、
彼の着物の袖部分を一枚布に広げて前の方で結んでいるので、
以前よりは私の足も幾分隠れたが、
長さ的にあんまり変わらない気もする。
が、まぁよしとしよう。
はっきり言って、ミニスカートのままでは困るのだ。
短パンでもあればいいけど、そんなものはない。
今後、走る必要性のある場面に遭遇しないとも限らないし、
それぐらいの羞恥心はさすがの自分にも備わっている。
お金をつぎ込まれてもお断りだ。
ところで、いつになったら鬼さんの所へ辿り着くのだろうか。
いい加減乗っているだけなのも飽きてきた。
ステッキいじりも今となってはまったくしたいとも思わず、
大人になったものだねと感慨深げに物思いに耽る。
元の世界であれば紅葉シーズンまっさかり。
窓から眺める景色も、哀愁漂う散りゆく錦を見られたことだろう。
「――って、あの黒い煙なに……? まさか、また例の魑魅魍魎!?」
哀愁を漂わせている場合ではなかった。
黒いモヤモヤがまた漂っている。
しかも今度は巨大だ。数もハンパない。
「きたね、奴らの第二波が。この先どんどん酷くなっていくよ」
「なんですと――!? よーっし、
こうなったら徹底的にとっちめるわよ!
ものども、やっちまえ――っ!」
言ってみたかった台詞。
追っ払うのは自分一人だけだったけど。
私はステッキを落とさないようしっかりと握りしめる。
こっちには納豆臭があるから、余裕、余裕!
「おい山上。装身具がありゃ、向こうも勝手に退散してくれるんだから、
無駄な体力消耗すんな」
そうだった。
なにを鼻息荒く意気込んでいるんだ私は……。
出番のなくなってしまったステッキを見下ろす。
しかし、負けるわけにはいかない。
「フン! パフォーマンスよパフォーマンス!
人間も物も動かさないと鈍るでしょ!」
真の敵は宇藤強菜だ。
悪霊(=宇藤強菜)退散!
悪鬼(=宇藤強菜)撲殺!
なにも知らない、怒涛に車中に進入してきた顔のある黒きモヤたちは、
装身具を見るなり慌てるように飛び出していった。
きらびやかでまぶしいものが苦手なんだろうか。
装身具の威力抜群。
こりゃいいわ。
「でも彼らが襲撃してくるのも無理はない。
どちらかと言えば、
彼らのテリトリーに侵入しているのが我々の方なんだからね」
そうだったのか……ごめんよモヤモヤたち。
驚かせちゃってただけなんだね。
だったらこのバスも気を利かせて、そのエリアを避けてくれればいいものを。
そう都合よくはいかないものだろうか。
このバスが水成分でできているのだとすれば、
おそらく川の流れに沿って進んでいるようなものだろうから、
きっといろんな所を駆け抜けていくんだろう。
「あ、そうそう。彼らのように、とっとと逃げてくれるあやかしばかり、
というわけでもないから気をつけてね」
なんだって――!? なに笑って話しているんだこいつは!?
そんなことを内心で突っ込んでいると、
早速天井からなにかがドサッと落ちてきた音がした。
「?」
不審に感じた私がキョロキョロとその辺を見回していると、
やがてドサドサドサ――ッと、怒涛の白蛇(普通サイズ)が降ってきた。
まさに青天の霹靂!
「ギャ――ッ! なんじゃこりゃ――っ!」
ワラワラワサワサニョロニョロ……。
通路や空席がみっしりと爬虫類に埋め尽くされる。
マムシと違ってこの蛇は、
細くて大人しそうで顔が可愛いからまだよかった……って、
そういう問題じゃなーい!
たった今説明されたとおり、確かに蛇たちは特に逃げようともしない。
蛇さんたちもここに居座る、もしくは冬眠するおつもりであろうか?
滑落直前にもマムシと遭遇出した私は確かに驚いたものの、
それは毒を持っているという意味で畏怖してしまったのだ。
個人的に蛇は苦手ではない(顔だけ見れば可愛い部類に入ると思う)んだけども、
でもさすがにこんなにいれば気持ちのいいものではない。
宇藤も引きつった顔で、頭の上にかぶった蛇を払い落としていた。
私はすかさず無意識でステッキのスイッチをオンにした。
「食らえ! 必殺、納豆臭!」
効くか効かないかは一か八かだった。
案の定、面白いように蛇たちが焦ったようにシュルシュルピューッと、
バスから次々途中下車していった。
装身具が効かないのに、なぜこれが効果覿面なのか。
要は、霊的なものには装身具が効いて、物質的なものには納豆臭?
と思ってみたが、となるとあの子はどっちにあてはまるんだ、と謎めく。
よくわからない。
私は車中の蛇を全部追い出さんと、何度もスイッチを押し続けた。
発生源のわからない宇藤が、鼻をつまんで変な面相を装っていた。
「お仕置き完了! ……あれ、稚津彦、大丈夫?」
後ろの席に座る稚津彦に視線を移動すれば、
彼が固まって微動だにしていない。
私や宇藤以上に息も上がり汗もかいていた。
じんましんを浮かび上がらせ、両目も白目を剥きかけている。
「稚津彦?」
返事どころか反応すらなかった。
「あ! あそこに美女が!」
「え!? どこどこ!?」
そんなもんはいない。
私と宇藤は白い目で、女好きの彼に冷たい視線を送ってやった。
「おお、魔女っ子ティアラが、この僕を蘇生させてくれたのか。
感謝の意をどう捧げたらいいか……」
そんなもんはいらん。
気絶しない程度に普通に案内しろ。
「――もしかしてあんた、爬虫類が苦手だとか?」
「はっ、ははー!
ま、まさかっ、そ、そんなことは、ななないんだにょ?」
思いっきり動揺、しかも噛んでるし。
私は完全に、
頼りないこの案内人を両腕を組んで睥睨していた。
――なにが「俺が守る」や「僕が守る」だ。
結局二人を守ってやってんのはこの私じゃない。
以前、二人に言われた言葉を思い出す。
「ほんっと情けないわね。
少しはこのステッキを見習ってほしいものだわ。これぞ宝物よ」
まぁ、なにはともあれ、
使えない男どもを掌握したこの私がこれからも、
この素敵なステッキで突き進んでいけばいい。
例えこの先、宇藤や稚津彦が犠牲となっても、
このステッキだけは絶対守るんだと心に誓う。
しかしその直後、またもや事件が発生。
ステッキが健気に電池切れを起こし、お陀仏となってしまったのだ。
「――ああ、どいつもこいつも使えない!
私が一体なにをしたってのよ――ッッ!」




