④
どこからか力強い音楽が聴こえていた。
荒れ狂う冬の海の波飛沫が、ザッパーンと岩礁を叩きつけるイメージ。
その曲調からして演歌っぽい。
クラシック好きの父が演歌を聴くはずもなく、
町内会でイベントでもあるのかなと漠然と思って目を開けると、
辺りは真っ白な空間が広がっていた。
「なに……これ? 私の部屋がおかしくなってる!」
しかしすぐに、ああ、私はやっぱり死んだんだと思い直す。
つまりここは俗に言われる『あの世』で、自分はさまよえる霊魂。
なのに意識がこんなにもはっきりとあるものなんだ……と、変に感動もする。
おそらく、即死だったのだろう。
それで受けた痛みは幸い感じられなかった。
――よかった、苦しまずに無事に死ぬことができて……。
死んだことに無事と言うのも変だが、とりあえずは胸を撫で下ろす。
「そうだ! 宇藤は……!?」
起き上がって辺りを見回してみたが誰もいない。
どころか、霧がかっているのか白光しているのか判然としないが、
全体が巨大な白いベールかスクリーンで覆われているかのように、
なにも見えないのだ。
「猛吹雪……なわけないよね」
テレビなんかで、
冬の北国で風が強い日に起こるというホワイトアウトがよぎる。
方向や高度が識別不能に陥る現象だ。
そして、ここに自分しかいないことを考えると、
もしかしたら宇藤が、運よく生きている可能性もあり得る。
「まさか、あいつだけ生きてるの?
ぶん殴って毎日二十四時間祟ってやる」
なんとなく納得できなくて不平を漏らす私。おこがましいにも程がある。
だって、理不尽じゃないか。
なんにもない世界にポツンとひとりぼっちだなんて心許ない。
どこからか聴こえてくる音楽も、天上界の音楽なのだろうか。
でも、なぜこうも演歌調なのか。
耳を澄ませば、こぶしを回すような歌声も聴こえている。
カラオケ大会?
――もしかしてこれは夢……?
おもむろに頬をつねってみるが、痛いだけだった。
目もぱっちり開いているし、呼吸だってしている。
そこでふと私は、自分の格好に違和感を覚えて我が目を疑った。
スカートなんて学校の制服以外はくことはないのに、
両足が太ももまで露わなピンクのミニスカートをはいていたからだ。
しかもめいいっぱいのフリルつきときた。
「ゲゲゲッ!?」
蛙がみっつ鳴きした。
さらにスカートは、上半身までばっちり続くワンピースだった。
ウエスト部分で縛られたリボンは、後ろの方で蝶々結びにされている。
胸元にもワンポイントアクセサリーというより、
私が主役よと言わんばかりの大き目のリボンが威風堂々とくっついていた。
見ようによってはロリータファッションでも通りそうな服装に、
私は辟易した。
「いやぁあああ! なんなのこの少女趣味な格好は――!?
一体誰の趣味よ!?」
普段、ダークで地味な色を好む自分にとっては、
あまりにもショッキングなセンスと身のこなしに悶絶しそうになる。
フリフリとしたフリルや、淡い華々しい色彩に目がくらむ。
「でもなんか、どこかで見たことのある衣装なのよね……ん?」
足首に巻きつけるリボン付きのピンクの靴がなにかにぶつかって、
私は足元を見下ろした。
棒のような先にハートがくっついている、
これまたラブリーなステッキだった。
「えぇええ――!? これってばこれってばもしかして!」
昔好きだった憧れの、
【魔法少女シェルニー】ちゃんのアイテムの一つだったことに気づく。
小さい頃、両親に駄々をこねて買ってもらった、
思い出の変身用グッズ(オモチャ)だ。
確信した。
私は今まさに、魔法少女の格好をしていたのだ。
だからってなんでこんな格好!?
「そうそう、これこれ! 懐かしいわー」
思案に暮れるまでもなく私は昔に思いを馳せて、
ニンマリと顔の筋肉をたゆませていた。
「昔は純だったわー。今でもこれ、動くのかしら?」
ステッキのグリップ部分に一つだけあるスイッチを押すと、
息を吹き込まれた電池式の玩具は作動を開始させた。
てっぺんのハート部分がクルクルと回転を始めたのだ。
「うわーうわー。……でも、くっさ!」
思わず私は顔を背けた。
納豆の臭いが鼻を突いたのだ。
そういえば買ってもらった当日、
あまりの嬉しさに手に持ちながら夕飯の納豆ご飯を食べた記憶が甦った。
ちょうどハート部分に納豆をこぼしてしまったのだが、
水で洗うとそこに貼られたシールもはげてしまうので、
拭くだけにとどめておいた。
しばらく匂いは消えなかったが、未だ健在だったなんて……。
というより、本当に自分のステッキだったことに驚きを隠せなかった。
現物はとうに捨てられてしまったのに、
一体全体どういうことなんだろう。
摩訶不思議、あの世の神秘!
魔法のステッキは、なんでも願いごとを叶えてくれる、
それは素晴らしいアイテムだった。
アニメの中でも現実世界でも。
ただ異なっている点があるとすれば、
アニメでは困っている人のために願いを叶えてくれていたけれど、
現実のステッキは私の願いのみの自己満足なだけだった。
利己的にはなれても、決して利他的にはなれなかった。
さっきだってそう。
死ぬのは自分だけでいいと言っておきながら、
いざ自分だけが犠牲になったのだとわかると、
ぶん殴ってやるとか支離滅裂なことを言う。
最低な自分。
元々生きている価値なんて私にはなかったんだ。
先輩を好きだと思っても、
いざ行動を起こすとなると尻込んでしまっていた。
だから願掛けをして楽して叶えてもらおうとしていた。
所詮は浅はかな考えをしていたに過ぎない。
だから多分、あの時宇藤は『美女淵』で、
私の覚悟を本当なのか確かめさせるために水の中に頭を押しつけたのだろう。
本気で先輩を好きなのかと私自身に気づかせるために……。
「――もしかして、あいつは気づいていたの……?
いやいやまさか……宇藤の分際で」
支離滅裂な感情に揺れ動く私の本心を、
察していたのではないかと勘繰ってしまう。
「くっさ……」
スイッチを押しながら、私は納豆臭の風に包まれていた。
それでも、いくら過去のことをああだこうだと振り返ってみても、
今となってはもう遅い――終わってしまったことなのだ。
いつまでもこうしてこの場にうずくまっていたって、
別に親や先生に叱られるわけでも問題が起こるわけでもなし、
もうすべてがどうでもいいとさえ感じてしまっていたが、
とにかく前に進まねばという思いに駆られて私は歩き始めていた。
どこに向かっているのかなんて知る由もない。
こんな純白の中を、ちゃんと前に向かって進んでいるのかなんて、
どうやって確認すればいいんだ。
どこもかしこも雪原のようで感覚まで麻痺してしまう。
スマホでもあれば家族にも連絡したり、
GPS機能で自分の居場所を知ることもできるかもしれないけれど、
ここはそれが通用する世界ではないのだろう。
自分の居場所が見れたら面白いが、
今自分が手にする荷物はこのステッキしかない。
頬をつねると痛みを感じて、
肺が呼吸をして心臓も動いていることを感じる。
生と死の境目があまりにも不明瞭すぎて、
実はまだ生きているのではないかと期待感を抱くが、
それこそが成仏できていない証しなのだろうと、
私は前に進むことに決めたのだ。
自縛霊や浮遊霊になんぞなりたくない!
誰がなってやるもんか!
これは私なりの意地だ。
今となっては未練なんてものはなかった。
宇藤に対しても先輩に対しても……。
意外だったのは、先輩に告白できなかったのが、
そんなに悲しくなかったということ。
むしろスッキリと吹っ切れたおかげで、
よけいな重荷が取れて逆に軽くなった気がする。
――と、そんなことを思案していると、
なにかがこちらに向かってやってくるのが見えた。
「あれって、バス……?」
目を細めてよく見れば、なんと、
天蛇山へきた時に乗っていたバスと同じタイプだった。
外観まで一緒。
でもどこか透き通っていて、
シャボン玉のようなブヨブヨとした不安定感も否めない。
「なに、これ……? これに乗れっての?
どこへ連れて行く気よ……って、乗客どころか運転手もいないし、
怪しさ千パーセントでしょうが!」
やはり夢でも見ているのだろうか。
ここはあの世ではなく夢の中?
いや、でも、この納豆の臭いがこんなにも鼻腔を刺激する。
しかもその臭さがより強力になっている気さえする。
こんなに臭けりゃ起きてもおかしくはないじゃないか。
私はそんなに鈍感ではない。
それでも恐る恐るバスの乗車口前に立つと、
ドアが勝手に開いて私を誘う。
まぁ、これに乗った方が目的地も明確になるだろうし、
なにもかも経験だろうと好奇心も働いて、
とりあえず乗ってみることにした。
整理券も出なかったが特に気にすることもなく、
私は適当に目についた近くの座席に腰をおろした。
「うわっ」
水風船のようにブヨブヨで面白い。
だけど、体重制限があったらイヤすぎる。
油断したらすぐにでも破裂しそう。
ここは乙女心。
私は前かがみになって、
なるべく椅子に体重をあずけないよう一意専心した。
間もなくしてスゥッと音もなくドアが閉まり、
水のように滑らかにゆっくりと車体が動き出した。
このバスがなにで動いているのかも気になる。
ガソリンではないだろう。
フワフワと空中を漂うような無重力状態で、
私の身体もわずかに浮いている。
「このバス、どこへ行くんだろう……?
ま、まさか、地獄行きだなんてことはないでしょうね?」
悪寒が走り抜けた。
冠をかぶった閻魔大王が微笑む姿が脳裏をかすめて、
私は咄嗟に払いのける。
例え地獄の覇者・冥界に君臨する王だろうと、
自分の頭を支配するのは自分なので無遠慮で構わない。
ご退散いただく。
窓から外を眺めても、一向に白銀の世界は延々と続いていた。
どれくらい時間が経ったのか皆目見当もつかないが、
眠気が襲来する様子もなく、
あまりにも暇なのでステッキのスイッチを何度も押して、
納豆の臭いを楽しむ他は別段することがない。
「シェルリラ・シェルリラ・ランラララン!
運命の王子様と幸せになるお姫様になぁ~れ!」
宙でステッキを山の形にクルクルと回転させながら大きく振り回す。
と、その直後――、バスが徐々に速度を落として、ある地点で停車した。
なにげに外を見やると、一人の王子がそこに立っていた。
『第一あの世人』発見!
――と、そこで私はすぐに目を丸くした。
「――せ、先輩っ……!? どうしてここに!?」
一つ年上の憧れの葦原竜希先輩その人が、バスに乗り込んできたのだ。
私はポカーンと口を開けて、間抜け面を隠せずにいた。
でも改めてよく見れば、先輩とはなにかが違っていた。
えもいわれぬ爽やかな笑顔は同じだったけれど、
先輩よりさらに年上っぽく、身にまとう装いは日本の着物だが、
いつの時代のものかはわからない。
時代劇で見かけるよりも、もっと古風な出で立ちだ。
後ろで一つに束ねた髪も、腰に届く寸前まで長い。
葦原先輩はイケてるスポーツ刈りなのだ。
一日二日で腰まで伸びる髪だったり、カツラだったら話は別だけど。
コスプレの趣味でもあったのだろうか。
あまつさえ――
「こんにちは、お嬢さん。
閉ざされたこの白銀のフロンティアへようこそ。
おお! ソー、キュート! 僕は今、可憐な魔女っ子に……いいや、
魔法の国のプリンセスに迎えられているのか!」
外国人ふうに両腕を広げて、大仰に驚きと喜びを存分に表現している。
そして男は、片目でウィンクするなり私の斜め後ろの席に座って、
「今日はマジカルデーか。いいことありそうだ。
今日のこのよき日をマジカル記念日にしよう」
などとわけのわからない独り言をつぶやいてウンウンうなずいている。
正直、引いてしまったことは言うまでもない。
そして即座に結論づいた。
このイッちゃってる男は葦原先輩ではないと。
王子様であるはずがないと。
あまり関わりたくないタイプだったので、
私は窓だけを見ることに専念した。
でも彼は何者なんだろう。
なんでこんなに先輩に似ているのだろう。
頭が混乱してくる。
とにもかくにも、葦原先輩ではないことだけは確かなので、
無視を決め込むことにしたのだ。
だけど、この前にも後にも見かけた人間は、
この軽そうな男ただ一人だけだった。
話しかけられても素っ気ない態度、あるいは無視していたため、
向こうも嘆息しながら次第に話しかけてこなくなったが、
この空気にも慣れてきた頃、突然バスの中が薄闇に覆われた。
夜が訪れたわけでもトンネルを通過したわけでもなく、
モヤモヤとした煙に似た大小様々な黒い物体が、
次々車中に入り込んできたのだ。
「……ひっ! なんなのこれっ!? やだっ、気持ち悪い!」
モヤの中に顔がついているし、酷薄そうな笑い声まで聞こえている。
ギャ――ッッ!
私は必死になって膝の上においていたステッキをブンブンと振って、
追い払おうとしたが、相手は煙のように宙を舞って、
かつ変幻自在なので枚挙に暇がない。
片やあの男はというと、取り乱す様子は一切なく、
終始嬉しそうな顔でのほほんと私を観覧しているような雰囲気。
どういうこと!? あいつには見えてないの!?
「いやぁああ! こないで――っ!」
無意識にステッキのスイッチを押していた。
クルクルとハートが回りだす。
すると不思議なことに、
それまで私の周りに群がっていた黒い物体らは、次々と退散し始めた。
「ひぃ~っ」と苦しみながらなぜか去っていく。
私はホッと一息ついて、「た、助かった……」と脱力し椅子に崩れ込む。
椅子が破れないかと一瞬心配したが、
案外丈夫なようでさらに胸を撫で下ろす。
その時、背後の男が、くぐもった声で話しかけてきた。
「失礼、お嬢さん……、一体この臭いはなんなんだい?」
振り返ると、渋面をあからさまに浮かべる男が鼻をつまんでいた。
さすがにこの臭いには参っているらしい。
「納豆よ。ここにベッタリつけちゃったの。文句ある?」
「オーマイガッ! 僕、納豆は大の苦手なんだよ……。
ああ、なんてこった……」
「知らないわよ。それより今の黒いの見えなかったの!?
よくも知らんぷりしてくれたものね! 助けるって精神はないの!?
てか、あれは一体なんなの!?」
「ああ、あれはね……。魑魅魍魎、あやかしだよ」
「あやかし……って、妖怪――ッッ!?
いっや――! 見ちゃった――! 本当にいたんだそういうの――!
てか、あんたもしっかり見えてたんじゃないのッッ!」
私は憤慨する。
ならばなんでこの男は、あんなに平然としていたのか。
ひょっとして慣れているっていう設定?
「まぁ実際には、
うらみ・つらみ・ねたみ・そねみを持った浮遊霊や動物霊も多い。
僕の清浄な言の葉をいくら紡いでみせても浮かばれない、
哀れな迷い子たちさ」
清浄な言の葉って、さっきのわけのわからない独り言みたいなの?
そりゃ浮かばれないわね。ますます怒らせるわ。
ひょっとしてあんたが原因なんじゃないの?
……とは心の声。
でもなんだって急に、霊たちが逃げ出したのかが意味不明だ。
と思ったのも束の間、
当の彼が私の心を見透かしたように説明してくれた。
「納豆の強烈な臭いは、邪気を遠ざける。
彼らにとっては天敵なんだよ」
「へ!? そうなの? だったらあんたも魑魅魍魎?」
思わず素敵なステッキを前に振りかざして身構える。
鼻持ちならない彼は「いや、僕は違うよ」と否定するが、怪しいものだ。
先輩そっくりな着ぐるみを着たあやかしかもしれない。
なんのコスプレ?
私をだまそうたってそうはいかないわよ!
私は強くステッキを握りしめた。
まさかこれが私のお守りになるとは思わなかった。
必須アイテムだ。
『あの世』とは、まるでゲームの世界のようではないか。
その後も魑魅魍魎どもと車中で何度も出くわすこととなるが、
もはや私は怖いもの知らずと化していた。
悲鳴を上げながらも、納豆臭攻撃で果敢に戦いに挑み続け、
次々と敵を鮮やかな舞いで追い払っていく。
地味なゲームだけど、その間も薄情で使えないヘタレなあの男は、
ただ傍観しているだけだった。
謎だったのは、
なんであの男にだけあやかしが、
一匹たりとも近寄らなかったのかってことだ。
やはり魑魅魍魎の類いであるに違いない。
仲間だから襲われることもないし、
そもそも奴こそがあやかしを呼び寄せているのかもしれないのだ。
だから下手に近づかない方がいい……。
そう決断した、はずだった――
「そうそう。
このままずっとこの水バスに乗ってたら、
怖~い鬼の所へ行っちゃうよ」
悪びれるふうでもなく、サラリと爆弾発言を告げる。
怖い鬼って、閻魔大王のこと!?
私がきたこの世界が、仏教でいう冥界であることを証明されたようなものだ。
サァーッと、血の気が引いた。
顔も真っ青になっているに違いない。
しかも水バスって……。
「よかったら一緒にくるかい?
これから知り合いの女性の家に行くんだけど」
女性と聞いて安堵感が生まれたが、
それも妖怪だったりしたらと思うと躊躇してしまう。
しかし、バスに乗っていても地獄、降りても地獄もどきならば、
今バスを降りてこの男について行く方がまだマシかもしれない――
と見込んで、結局ついていくことにした。
でもいずれは、
鬼の所にも行かなければならない予感を心のどこかに抱きながら……。




