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 ③



   ***



その後も勾配のきつい道は俄然続くわけで両手をつきながら登っていくが、

ふとした拍子に顔を上げれば、

頼んだわけでもないのに必ず宇藤がその先で待ってくれていた。

――いや、もしかしたら休憩していただけなのかもしれないが、

相変わらず余裕の面持ちで凛然と立っている。

啓発バカの宇藤ではないので、

「この道は我が人生」だなんて殊勝なことは誰が思ってやるものかと

胸中でうそぶいていると、視線の先、

宇藤の五メートルほど前に黒い物体がうごめいているのに気がついて、

私は思わず大きく目を見開いた。


「く……熊ッ!?」 


目を凝らすが両端の木々が邪魔していてよく見えない。

宇藤は気づいているのかいないのか、どんどん近づいていく。

私はウェストポーチからデジカメを取り出して、

急ぎズームでそれがなんであるかを確認した。

しかし――、


「……なんだ、人か。紛らわしいっての!」


後ろ姿しか見えないが、どうやら男性の年配者のようだ。

その熊じいさんは、杖でなにかを探している。


「こんにちはー。山菜採りですか?」


宇藤が熊じいさんに話しかけている。

じいさんはゆっくりと振り返って、

「ああ、この山はわしの山で、いろいろよく採れる」と返していた。


「そうなんですか。気をつけてくださいね」

「ああ、あんたらもな」


へ? と、じいさんを見上げると、私と熊じいさんの目が合った。


「邪魔はせんから、じっくり二人が結ばれるよう願掛けしてくるんじゃぞ~」

 

すっかりカップルか同伴者と思われているようだ。

まぁ、他には誰もいないし、この状況じゃ勘違いされるのも仕方がない。

それはいいとしよう。 

問題なのは、この熊じいさん、今なんと言った?


「はは、違いますよ。あいつの相手は俺じゃないんです」

「おりょ? 違うんかい? 

 しかしなぁ、ここに男女が二人で一緒に登ってくると、

 やがてその二人は結ばれるっちゅう伝承があるんだがなぁ。

 だがお前さんとじゃなく、わしとあの娘っ子かもしれんしなぁ。

 ワハハ! ……おっと!」

 

笑えない……。

一体どういう伝承なのそれ! もうろくしてんじゃないの? 

陽気なじいさんだけど、笑いながらよろめいているけれど、

そのまま自分の笑い声で滑落してしまえ!

……なんてことはさすがに思わないけれど。


しかしゲンナリしてしまった私は、そんな言い伝えがあったのかと、

目の前が真っ暗闇に閉ざされてしまう。

私こそ滑落したくなる。

足が地面に張りついて一歩も進めなくなるが、

せっかくここまで登ってきて中途半端なままでは終えたくない。

そんなことであきらめたくはないのだ。

先輩との明るい未来だけが私を突き動かしている。

でも神様にまで勘違いはされたくなかった。


――なのに、さもそれを強調するかのように、

その旨を記す説明板が見てくれといわんばかりに、

太陽の光を浴びて神々しく佇んでいた。

じいさんの言った言葉がそのまま埋め込まれたかのように印字されてある。

嫌みだ。

今すぐ山ごと燃やし尽くしてやりたい! 

……なんてことは絶対思わないけれど。

多分。



 


――それから一時間が過ぎたところで、

ようやく目的の『天蛇石』が見えてきた。

石は奇異な形態をしていて、

第一印象は「わーおもしろーい! テーブルみたいー」だった。 

『ドルメン』と言うらしく、扁平な一枚の天井石を数個の支石で支える巨石だ。

自然にできたものにしてはあまりに不自然だ。

神の()(しろ)、もしくは古代の墓石説もあるとのことだが、

はっきりとはわかっていないらしい(宇藤談)。


「でも異次元への門の入り口、もしくは石の鳥居にも見えるわね」

「いい着眼点だ。そういう意味も含まれているのかもしれねーぜ」

 

その神秘的なテーブルが、陽の光を斜め上空から浴びて白く照り輝いている。


「とうとう着いたわ! 山神の(ほし)、ここに参上! 

 宇藤、神なる私を崇めなさい!」

「……イカレたか」

 

先に着いて、哀れむような眼で見つめる宇藤に向かって居丈高に叫ぶ私。

 

「山神、山上、参上にかけて言ってみたかっただけよ」

「ダジャレをそんなに自負してどうする。オヤジか」

「あらやだ。私にぴったりな崇高なこの名前に嫉妬? 宇藤強菜。

 あんたなんて不釣合いな名前よねぇ。どこが強い菜っ葉なの?」

「知らねーの? 強い葉菜類はイコール栄養価も高いってことなんだぜ? 

 つまり俺の栄養は頭脳に集約されているってことだ」

「……言ってて恥ずかしくないの? 辟易して返す言葉もないわ」

「天邪鬼のお前が言うな。ああ、そういえばこの『天蛇石(てんじゃいし)』、

 古くは『天邪鬼石(あまのじゃくいし)』とも呼ばれていたそうだ」

「いくら読書家だと言っても、なんでそんなにいろいろと知ってんのよ」

「郷土史研究部の所属だから」

「ふーん」


自己啓発部じゃなかったのか。

聞き流しながら、私は既に宇藤よりも、

『天蛇石』の方に興味のベクトルを向けて熱い視線を送っていた。

すると宇藤が、太陽に照らされる巨石をまぶしげに見上げながら、

語り部よろしく流暢に語りだす。


「伝説がある――昔、顕現池(みあれいけ)龍女(りゅうにょ)が、

 この山の麓に暮らすある若者に恋をした。

 だが気性の激しい龍はこの男と結ばれぬことを嘆いて、

 村人の命の水でもある池の水や山の水をことごとく蒸発させた。

 無論、美女淵も不動滝も涸れた。

 そこで蛇巫(へびふ)という巫女に祈祷してもらったところ、

 龍女を石で封印すれば水は戻ると言われてその通りにすると、

 水が流れ出した。

 しかし顕現池の水だけは元に戻らなかった、らしい……」

「ふーん」


そういう言い伝えがあったとは。

ま、伝説なんてどこまでが本当なのかわかったものじゃないので、

私も「ふーん」としか言いようがない。

そして突然宇藤が石の前で、二礼二拍手一礼をし始めた。

流されるように私も真似をする。

自然と心も引き締まる。

こう言う時、自分もやっぱり日本人だな~と感慨深くしみじみとしてしまうが、

私は強制的に宇藤にもらった水を誰に言われるでもなく手向けてしまっていた。

キャップを開け、清める意味で石にかけてやったのだ。

もちろんボトルは持ち帰る。


「いいのかよ? 喉かわいてんだろ?」

「いいの。こうしたかったんだもん」


別にあんたにもらった水は飲みたくないって言う意思表示じゃないんだからね。

と、心の中で補足しておいた。

そうして私はそそくさとウェストストポーチからデジカメを取り出すなり、

『天蛇石』を写しまくった。


「気をつけろよ」


と、宇藤。

山の中腹に位置する一段と狭い道幅は、油断したら最期、

まっさかさまに滑落するであろう。

神がかり的な不思議な巨石。

人工的に置かれた感がいっぱいの道の真ん中にドドンとある孤高の石。

ここからさらに山道は続いていたが、この先へ足を踏み入れる予定はない。

すると宇藤が、いきなりジャケットを脱ぎ始めた。

刹那に変な警戒心が沸いた私は顔を引きつらせる。

実は宇藤は首からカメラをかけていて、

どういうわけかジャケットの中に隠していたのだ。


――あいつ、あんなのを首にかけてたの……!? 


ここにきてようやくお目当ての石を写し始めたということなのだろう。

しかも、私の薄っぺらい安物カメラとは違い、

重量も性能も値段も格が上の一眼レフだった。


――うぬ~、負けてなるものか! 枚数で勝ってやる!


私の闘争心がオンになる。

テーブルの下に入ってみたり、上から下から斜めから、

あらゆる角度から被写体の『天蛇石』を連写で写し続けた。

二人きりの撮影会。

軽快にシャッターを切る音が山中にこだまし続けた。


「それより山上……、ここには願掛けにきたんじゃねーのかよ?」

「――あ……、忘れてた」


本気ですっかり忘れていた私。

それが目的でここまでやってきたというのに、

それをしなくてはここにきた意味がないじゃないか。

宇藤に教えられなければ、

写真を撮って満足したまま引き返すところだった。

どこか呆れる宇藤は、

冷笑して再び石をカメラに収めようと身体を構える。

私は気持ちを切り替えて、カメラを持ったまま両手を合わせ目を閉じ、

「葦原竜希先輩云々(うんぬん)」と念仏を唱える。

そしてひととおり念を送……願掛けを済ませた(百回唱えた)。

これであとは待つのみで、願いはいずれ成就されるであろう。

心なしか気分も清々しい。

周辺の山々から吹き抜けてくる風も心地好かった。


「やはり自然はいい。山は偉大なり。

 実に素晴らしい眺めではないか! ヤッホー!」

 

木々が密集しているため、その隙間からの風景ばかりだったが、

私は修行を積んだ修行僧のように悟りきった面持ちで、

もう思い残すことはなにもない境地にさえ至っていた。

一方、宇藤は、狭い巨石の周辺を散策している。


「ちょっとー、お宝でも探してるつもり――?」


見つけたら私に全部よこしなさいよと言いかけた。

その時――、自分の身長よりも高い『天蛇石』の上に突然現れた物体に、

私の身体と全神経は瞬間冷凍されたように硬直した。

そこにはマダラ模様の不気味な、

頭が三角の蛇――マムシがトグロを巻いていた。

三角形の頭をした蛇は猛毒を持ち、毒が回れば死ぬこともある知識は、

さすがのこの私でも知っていた。

トグロが蛇の戦闘態勢であることも。 

だから反射的に――


「山上っ!」


エコーがかる宇藤の呼び声が聞こえた時には、

私の後ろへ跳び退った身体は傾いて、既に宙に浮いていた。

遠ざかる宇藤と『天蛇石』。

だけど不思議と私の目にはスローモーションに映っていた。


――私……、死ぬの……?


このままどこかに激突しながら転げ落ちるのだろうか。

考えていた刹那(せつな)

右腕の痛みとともにガクンッと、

落下をとどめる衝撃が体中に伝わり私の身体は空中で止まった。


「――っ……、えっ……?」


腕と肩に走った激痛を堪えてゆっくりと見上げれば、

あの宇藤が私の右の手首を掴んでくれていた。  

 

――ウソ……。

 

宇藤が必死になって、私の身体を持ち上げようとしてくれている。


「山上っ……! 今、助ける……っ!」


非力な宇藤が持ち上げられるわけがない。

そんなの無理。

その前に私の身体が引きちぎれそうだ。

宇藤は歯を食いしばりながら、

斜面に生える木の幹を左手で掴んで、

自分の身体が滑り落ちないように支えている。

バラバラと小石が落ちてくる。

下手をすれば彼まで落ちかねない。


「くっそ、こんなことなら、もっと腕力つけとくべきだった……!」

 

宇藤は非力な自分を責めていた。

後から後悔したって遅いのよ。


「こら、バカ宇藤! ここで私を落としたら一生許さないから! 

 末代まで祟ってやる!はやく引っ張り上げなさいよ!」

「……」

 

こんな時でも、

憎まれ口を叩かれるとはさすがの宇藤も思いもしなかっただろう。

私はさらに辛辣(しんらつ)に言ってやる。 


「あんたってば本当、頼りにならないのね! それでも男なの!? 

 あんたが落ちればよかったのよ!」

「……」


彼は今、助けたことをこの上なく後悔しているだろう。

これで手が緩めばいい。

憎たらしいこの女を、

恩を仇で返すような卑劣極まりない女など助ける必要は微塵もないのだと。 

だけど、その握りしめる彼の手の力加減が緩むことは一切感じられなかった。

なんてバカな奴!


「あ、あんたなんかと心中なんてごめんだからね! 私が勿体無い! 

 だからはやく手を――」

「んな手には乗るか」


私は目を見開く。

手を放すよう促していたことにすっかり気づかれていた。

ああ、なんてバカな私!


「い、いいからさっさと放しなさいよ! 

 あんたまで巻き添え食らってどうすんの!」

「うるせぇっ! 黙ってろ!」

 

叫べば叫ぶほど二人の身体が反動で下がっていく。 


――いいからもう、その手を放してよ……。


死ぬのはイヤだし痛そうだし苦しそうだし、ものすごく怖いけど、

誰かを巻き込んでしまうのはもっとイヤだ。

例え犬猿の仲だろうとうっとうしい奴だろうと……。

ふと視界がぼやけた。

あいつの憎らしい顔が見えない。


「宇藤……もういい、ありがとう。

 なんだかんだ言って、楽しかったよ」

 

自分でも信じられなかった。あり得ないと思った。

最初で最期、泣き顔を見せながら、

あいつに最高の笑顔を捧げる日がくるなんて――……。

宇藤も意表を衝かれた顔を浮かべている。

そして辛そうな表情で舌打ちをして、

あいつは次の瞬間、信じられない行動に出た。

自分の身体を支えていた幹から手を放したのだ。


「!?」


スッと急降下する二人の身体。声も出ない。

意識が遠のく。

衝撃にも堪えられるよう、きつく閉じた私の眼。覚悟は決めていた。

でもまさか、こんなふうに宇藤と落ちることになるなんて――

バカバカ宇藤の大バカ! 

涙を溢れさせながら胸中で叫んでいると、

手首を掴んでいた宇藤が私の身体を自分の方へと引き寄せ、

さらに私の頭を抱きかかえるように両腕にがっちりと包み込んだ。


「お前だけは絶対守る。――俺……、あの伝承を聞いて、

 お前とここにこられてラッキーって思ったんだぜ」

 

落ちながらも頭上からささやきかける彼。

あの伝承とは、二人の男女がここに一緒にくると結ばれるという、

私にとってははた迷惑なジンクスだろう。

だけど、パニック中の私はこの時なにを言われているのか、

その意味するところをまったく理解できていなかった。


「だがこれも運命なら仕方がない――

 本当に好きな奴と幸せになるんだぞ」


それは私を生かすための行動だったのだろう。

多分、大怪我は免れないだろうけれど、

頭さえ無事ならば死なずに済むだろうとの考えからか。

けれどそれで宇藤が死んでしまえば、大勢の女子や皆が嘆き悲しむ。

私も悲しむ。

きっと今以上に泣く。

顕現池のように涸れるほど……。

そして死んだように生きるだろう。

それならばいっそ、私も宇藤と一緒に――





死ぬ直前、人は走馬灯のようにこれまでの自分の人生を振り返るそうだ。

映画のシーンを早送りするみたいに回想するのだろうか。

そして私も今、それらしき過去の自分の姿を回想するように見ていた。

家族や友人たちとの思い出が、

楽しかったことも悲しかったことも忘れていたこともすべて辿っていた。

その中でも特に懐かしかったのは、

物心ついた頃に好きで好きでたまらなかった、

テレビアニメの魔法少女に憧れて親に買ってもらった魔法のステッキ。

嬉しくて一緒にベッドで眠ったりもした。

そんなあの頃の無邪気で素直な心の自分に、再び私は出会っている。

だからもう、私は死んでしまうことが確定しているのだろう。

 

――ごめんね、お父さんお母さん……。それに宇藤……。


皆みんな、ありがとう……。

私は幸せだった。






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