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 ⑬ ~最終話~



ザッザッザ……。

天狗が山中を駆け抜ける。

修験者の如く、参道たる山道を駆け下りていたのは、

その方が手っ取り早いからだ。

勝手に駆け足になってしまうと言った方が正しい。

レッドカーペットよりも色とりどりの枯葉の絨毯を踏みしめて、

私は宇藤の後ろを軽快なリズムで下って行くと、

誰かが歌を歌っているのが聴こえて足を止める。

こぶしがよく回っている。

今回は音楽こそ聴こえなかったが、気のせいだろうか。

岩礁を叩きつける荒波と、

ダダダッダダダッダダダッ……という幻聴がこだまのように頭の中で鳴り響く。


「この歌、もしかして――あっ!」

 

歌の発生源を辿ると、天蛇山の途中で熊と見間違えた、

あのじいさんのヨボヨボの口元に行き着いた。

まだ山の斜面で山菜採りをしている。

歌いながら入れ歯が何度か外れそうになっていたが、

顕現界で中年の演歌歌手(仮)が歌っていたのと同じ曲だった。


「あのじいさんだったか……一緒に落ちてんなよ」

 

後から立ち止まった宇藤も、

また滑落しそうな危なっかしい老人を窺いながら口にする。


「おじいさーん! 山菜は採れましたかー?」

 

私は大きな声で呼びかけた。


「おおー、よく採れるぞー。

 最近の若人はずいぶんと激しいのー。ヒャッヒャッヒャ!」

 

カポッと一瞬外れがかった入れ歯を、

目にもとまらぬ速さでキャッチした老人は己の口の中へと押し戻す。

激しいとは、一体なんのことを言っているんだろうと考えるが、

考えるまでもなかった。

この位置からは、さっきまでいた天蛇石がよく見える。

つまり、このじいさんは現場を目撃していたのだ。

私と宇藤のキスシーンや抱擁シーンなんかを……って、

ノゾキ魔! チカン! 変態! 

ここからもう一度落っことしてやりたい気分。


「そういえば、わしゃいい夢を見たよ。

 昔叶えられなかった演歌歌手の夢を叶えられた気分じゃ。

 これも山神様のおかげ。ありがたいことじゃの~」

 

夢だと思っているじいさんは、再び上機嫌で歌いだす。

また落ちても知らんぞ。

と、そこへ――


「あー、いたいた! おーい、無事かー?」  


下る道の先から手を振る稚津彦(わかつひこ)が見えた。

彼も無事に戻ってきていたようで安堵するが、

逆に私の前に立ちはだかる宇藤から発されるオーラは豹変したように思える。

今にも短距離ミサイルを発射しそうなピリピリ感だ。

やだ、まだ根に持ってる。

もう私の指輪も消えているってのに。

宇藤って意外にも嫉妬深いのね。

な~んて。

でも、敵視されているとも知らない稚津彦は、

なにも気にしちゃいない様相で、

飄々(ひょうひょう)とこちらに向かって登ってくる。


「あ、おじいさんも無事に帰ってきたんだね。

 おかえり、ただいま。

 でも駄目だよ、おじいさんまで一緒に落ちちゃ」

 

――なに、稚津彦の知り合い!?


「おお、賢治。無事に戻ったか。

 おかえり、ただいま。

 落ちるつもりはなかったんじゃが、

 歌いながらキノコを採っていたら思わずこぶしに力が入りすぎて、

 ズルッ、あーれー……ってな有様じゃ。

 これが本当の『身・あーれー』界じゃな。ヒャッヒャッヒャ!」


なんにも面白くない。

ダジャレ検定は不合格ね。

それより――


「ちょっと稚津彦、そのおじいさんってもしかして……」

「ああ、僕の祖父の葦原賢作(あしはら けんさく)、八十三歳だよ」

「古文書を最初に解読したという?」

「うん、そのおじいさん」

「……」


とても見識を備えているような人には見えなかった。

汗水流して田畑を耕し、手ぬぐいで汗を拭いては、

のんびり茶でもすすっていそうな風体だ。

一概に、見識者だから田畑と無縁とも限らないのだが、

そういえばこの人、この山の所有者だとのたまっていた。

と、いうことは、三年前に消息を絶った自分の孫が顕現界にいることも、

予想、もしくは知っていた可能性が大きい。

だったらなんで顕現界にいる時に、

「あの人うちのじいさん」

とかなんとか言って教えない!? 

稚津彦あんた、演歌歌手(仮)をスルーしてたんだけど!? 

いくら若返ってたって、普通、雰囲気でわかるもんでしょ! 


……あ、でもわかんないかも。

結構、渋いイケメンのおじ様だった(さすがは先輩の血縁者!)。

今ではすっかりその面影もないけど。

私は黙したまま心の中でベラベラ独白する。

それにこれから稚津彦は、

どこかに沙羅が生まれて成長するのを待つつもりなんだろうか。

その見分けもどうやって知るんだろう。

出会ったらビビビッとくるものなの?


「それはそうと探女(さぐるめ)さんちの洋館部分って、

 あんたのアイディアだったんでしょ?」 

「いや、探女だよ。あの人、世界中を見るのが好きだったから。

 和洋折衷(わようせっちゅう)、ワールド。

 これからの龍は時代の波に乗らないと乗り遅れる、

 やっていけないとか言ってたし」

 

龍にも時代の波が……。

龍にとっても切実な悩みなんだろうか。

それにしてもいやはや、さすがは神。

グローバルに生きてらっしゃる。

だから言葉遣いも現代風だったのかと納得してみるけど、真相はいかに。


「ついでに訊くけど、探女さんとこに泊めてもらったりして、

 変なことしてないでしょうね?」

 

龍と言っても、メス……女性であることには変わらない。

なのに稚津彦は意味ありげにニヤッと笑って、

「あ、おじいさん手伝うよ」

と急に話をそらしてごまかしている。

怪しい……。

私の冷めた視線が山菜の入ったかごを担ぐ、

女好きの疑いのかかる男へと投じられた。

そして不意に、なにかを思い出したのであろう、

その男がポツリと口にした。


「――僕……、まだ大学に行けるのかな……?」

 

対する宇藤は、同情の(はら)んだ優しい声音で、


「三年もサボってりゃ無理なんじゃねーの」

 

と、したり顔で突き放す。

四年制大学の休学なら、あと一年は大丈夫……かもしれない。 

大学によりにけりだけど。




   ***




苦労した行きとは違い、

あっという間に麓の不動滝まで下りてきた私たちは、

滝の前の神社で一礼してから、道の途中にある淵へと向かって歩いていた。

忘れもしない、宇藤に殺されかけたあの『美女淵』へ。

でも私は恨んでなどいない。

だって、生まれ変わりを果たしたかのような、

心地好い解放感にこんなにも包まれている。

きた時とはまるで違う自分自身。

一皮でも二皮でも()けたように。

昔の人々が、蛇を神聖視するのもうなずける。

 

そして、草むらに入った私は、投げ捨てられたままの看板……というより、

薄っぺらなベニヤ板に手をかけ起こしてやると、

土に突き刺して立て直してやった。

当然、宇藤は唖然とした顔つきで見ているばかりだった。


「お前……、その詩に『きもい』とか言ってなかったっけ?」

 

あんたこそ、稚津彦自身を前にしている時と、

彼の詩を読む時との態度や感情の差が激しいわよ。 


「最初はね。でも今読み返してみると、

 心に染みるというか、私も感動してしまうのよね」

「ふーん……。変わったな」

 

ジャケットの両ポケットにそれぞれの手を突っ込んだ宇藤が、

感慨深げに私の一連の行動を傍観していた。

ちょっとは手伝いなさいよ! 

 

作詩した張本人、ポエマー・稚津彦は、

じいさんと一緒に別の所で別の山菜採りにつき合わされていた。

どんだけ山菜好きのじいさんなんだか。

『熊出没注意』の看板はあれど、

『毒キノコ収穫注意』の看板は見当たらない。

気をつけて。


「変わったのはあんたもでしょ。天蛇石からここに至るまで、

 一度たりとも宝物の自己啓発本を開いてないじゃないの。

 どうしちゃったのよ。捨てた?」

「いや、ここに入ってるよ」

 

ジャケットの右ポケットの上を叩いて、

宇藤はパンパンと音を立てさせた。


「そういや久しく開いてねーな。俺にしちゃ珍しく……。

 まぁ、それどころじゃなかったってのもあるが、

 要は必要なかったからだろ」

 

カメラだってそうだ。

きた当初はあんなに写しまくっていたのに、

滑落してからは一枚も撮っていない。

ここに戻ってくるまでの間だって写真を撮る機会はいくらでもあったのに。

今だって写そうと思えば写せる。

けれど、別にそうしたいと思わなかったのは、必要性を感じなかったからだ。

そこにあるものを実際に目で見て、匂いを嗅いで、音を聴いて、

時に味わって、身体で感じることこそが重要なんだと。

それこそが真髄。

人間にとっても本当に大切なことなのかもしれない。 


「――凪いだ風が森を駆け抜けた時、舞う木の葉が着水した波紋……

 おお! それは奇跡のエレメント!」

「――透き通る心の奥、そこに潜む天邪鬼(あまのじゃく)

 彼女が優美にひっそりと微笑んでいる……」

 

私の後に続いて、宇藤も読み上げた。

葦原賢治の詩を。

風が木々を揺らし、

色とりどりの葉がヒラヒラと二人の頭上から舞い降りてきた。

きっと自然が祝福してくれたのだろう。

私と宇藤は、互いに必要とし合うエレメントだ。

宇藤が手を引く。

笑顔と素顔を咲かせる私の手を――。


「それに私、気づいたことがあるの。

 あんたが意外に頼りになるってことを」

 

砂利道を歩きながらやぶからぼうに賛辞を述べた私に、

怪訝な表情をあからさまに向ける宇藤。

きっと私がなにか企んでいるに違いないと奴は思っているのだろうが、

残念ながらそんなものはウェストポーチの中にもどこにもない。

そして私は言った。

ずっと言いたかった言葉を。

感謝の意を。


「――ありがとう……。

 天蛇山から落ちた時、私の手を取って助けようとしてくれて。

 嬉しかった」

「……ああ、まぁ、当然のことをしたまでだ」

 

私の褒め言葉に慣れていない宇藤はどこか歯切れが悪く、

照れているのか頭をガリガリとかきだしていた。

しかしそれはすぐに終了する。

私が誤ったことわざを口にしたからだ。


「能ある鷹は爪を切るってね」

「――それを言うなら隠すだろ」

「どっちだっていいのよ」

「よくねーよ。幼稚園から学びなおせ」

「幼稚園児は使わないわよ!」

「俺は既に使っていた。

 人間、いついかなる時であっても、意欲さえ示せば学べるものだ」

「うっさいわねー。別にいいじゃない、この啓発バカ!」

「ただのバカにバカと言われたくねーよ、バカ」

「バカバカ言うんじゃないわよ、バカ!」

「バカなんだからバカバカバカ言ってなにが悪い」

「バカが一つ多いわよバーカバーカバーカバーカ! 

 ついでに先輩とも一度くらいデートしちゃおっと」

 

スマホを取り出して、私は突然走り出す。

宇藤の足が私に追いつけるはずがないので、余裕の『ながら電話』だ。

下界に下りてきたとあって、電波も脱・圏外だ。


「――あ、もしもし先輩?」

 

そこまで言うや否や、私のスマホが手の中から姿を消した。

宇藤に奪われたからだ。


「ちょっとなにすんの! 返しなさいよ!」

「ほんっと天邪鬼だなお前」

 

立ち止まって私の頭の上に電源を切ったスマホを置く宇藤……が、

私の横に並んでいるってどういうことー!? 

参道を下りてくる時もそうだったけど、宇藤って実は私よりも足が速い……!?

そして宇藤は走り出した。

バス停に向かって。

私も慌てて走り出す。


「おっせーぞ(てぃあら)!」

「生意気なのよバカ強菜(しいな)!」






   

    ― 了 ―






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