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 ⑫



――『虹』っていう字は、『蛇』という漢字に似てる……。


まぶたを半分だけ押し上げて、

今見えているものについて真っ先に思い浮かんだこと。 

それは山の側面から天蛇石の真上まで伸びている橋のようにも思えた。

まるで異空間とを結ぶ架け橋――。


「……あれ? 私、なんで寝てたんだろう? ええっ、なにこれ!?」

 

ガバッと跳ね起きると、天蛇石の真横に自分が寝ていたことに気づく。

しかも天蛇石の天井石が二つに割れて崩れていた。

自分の身につけている衣服を見れば自宅を出てきた時のままだ。

天蛇石の反対側では、

冬眠を終えたばかりの獣のようにのっそりと上体を起こした宇藤が、

辺りを見回しながら頭上に「?」マークを浮かべている。

二人で仲良く気絶していたようだ。


「っと、こうしちゃいられない! カメラ、カメラ!」


私は急いで立ち上がると、ウェストポーチからデジカメを取り出し、

電源を入れながら颯爽と画面を虹へ向けていた。

せっかくのシャッターチャンスを逃したくはない。

虹は、眼下に見下ろせる顕現池(みあれいけ)の方から立ち上がっているようだった。

つられて立ち上がった宇藤も、

「なんで虹が……」

とますます困惑した顔つきでクエスチョンマークを増殖させ、

次の瞬間には「あっ!」と唐突に叫んでいた。


「宇藤、どうしたのよ?」

「見ろ! 顕現池に、さっきまでまったくなかった水がある!」

「ええっ!?」


私も驚いて、宇藤と並んで山の側面を見下ろすと、

確かに先ほどまではなにもなかった顕現池に、満々と水が湛えてあった。

水面に反射した光がキラキラと輝いている。

一体なにがどうなっているのか、私も宇藤にもさっぱりわからなかった。


「でもこの池は涸れたわけじゃなくて、

 初めから水はなかったと研究者が言ってたって聞いたけど?」

「ああ、確かにそんな発表もあったな……ってお前、

 なんで知ってるんだ? 俺、そんなことまで言ったっけ?」

「……。ええと、誰かが言ってた」

 

誰だっけ? 

喉元まで出かかってはいるんだけど、その名も顔も思い出せない。


「こりゃ大スクープだぞ。ビッグニュースにもなる。

 『研究者驚愕! 一夜にして出現した顕現池の水!』とかってな」

 

宇藤も自分の首に隠し持つ一眼レフを取り出して、

夢中でシャッターを切り始める。

一方の私は自分の記憶の海へと船を漕ぎ出していた。

なぜ二人一緒に寝てしまっていたのかも謎だけど、

石が飛んできてぶつかった形跡も怪我をしているわけでもないので、

気絶という点では不自然さがある。

なにかが抜け落ちている気がする……根本的ななにかが。


――顕現池……の顕現界……? そう、それだ! 


「夢……だったのかな? 私、この池と同じ名の世界へ行ってた。

 あんたはバカにするかもしんないけど、

 本当にこの池の主の龍神にも会ってたの……」

 

思い出した。

研究者の話は稚津彦がしてくれたんだ。

でも夢を見ていたとしたら、その名を語っても宇藤にわかるはずもない。

その証拠に宇藤はなにも言わずにいた。

思いつめた様子で笑ってもいない。

――んん? 

なにかがおかしい。

いつもなら、「変な妄想してんなバーカ」とか言って、

からかってくるのがお決まりなのだが。

どうした宇藤? 

いつものお前らしくないぞ。

なので私も話を続けることにした。

 

「それで私、ここから下の池に落ちたんだけど、それも夢だったのかな……」

 

そして宇藤に助けられたことも、

守ると言われて抱きしめられながら落ちていったことも――……。

思い出したら顔がカッと赤くなった。

駄目だ、こんな顔を宇藤に見られてはまずい……。

私は並ぶ宇藤から横に数歩移動すると、きびすを返して背を向けた。


「――キスしたのも夢か?」

「!」


い、今、なんて言った……? 

私は宇藤に背を向けたまま硬直する。

背筋がつりそうなほど、ピンと張っていた。

な、なななんで私の夢を宇藤が知ってるのよ! 


「まぁ、龍女を納得させるにはそれしか方法がなかったしな。

 臭い台詞(せりふ)も言って――」

「ゆ、夢よ夢! 夢なんだから、あ、あんたなに言ってんの! 

 ま、まったくしょうもない、あああ悪夢よね!」

 

顔面で大火災が起きているのがわかる。

私は恥ずかしいとすぐに顔に現れるから、ほんとイヤになる。

ろれつも露骨に回らなくなるし、ごまかしようがないじゃないの! 

当の宇藤は、

しばし山上(やまがみ)劇場を面白おかしく堪能している(てい)たらく。

笑いを堪え切れずに吹き出している様子が、背中越しの鼻息でわかる。

あれが夢じゃないとすれば現実ということになるわけだけど、

いやいやいや、そんなのは断固認められない! 


「夢が共有できるとは知らなかったな。

 【魔法少女シェルニーちゃん】……だっけ? 結構似合ってたぜ」

「ぶっ! 魔女っ子と一緒でキスなんて演技よ演技! 

 あんただってそうでしょ! 仕方なくしたことなんだから、

 一番いいのはお互いにはやく忘れることね!」

 

取りつく島もないから開き直ってみたけど、

これ以上墓穴を掘りたくなかったので、

私は宇藤のそばから逃げ出すように登ってきた山道を下ろうとした。

その時――、


「――俺が演技でキスなんかできっかよ」

 

すれ違い様に宇藤に手首をグイと掴まれた。


「は、放しなさいよ!」

「また落っこちるから放さねぇよ」

「もうそんなヘマしないから、はーなーせー!」  

 

ブンブン掴まれた方の手を振りまくる。

それを見て、打ち出の小槌が脳裏をよぎった私は、

すっかり忘れていた願掛けの件を思い出した。


「そうだ、先輩! 先輩に願掛けの効果があったか確かめないと!」

 

私は宇藤の一瞬緩んだ手を振り解き、

焦りながらウェストポーチからスマホを取り出し、

あわや落としそうになるも間一髪むんずと掴み取って、

先輩の電話番号を懸命に探す。

 

――やっ、やだっ……、なんでこんなに焦ってんのよ私……っ!


先輩に告白して、デートの約束を取りつけたい一心で、

忙しなく登録アドレスを血走るほど見開いた両目で必死に追うけれど……。


「……どうしたんだよ? 先輩に告白するんじゃなかったのか?」

 

ため息を漏らしてポーチにそそくさとスマホをしまい入れる私に、

静観していた宇藤は問う。

そしてここでは圏外であることを見抜いて、

「ぶふっ」と吹き出すあいつが憎らしい。


「腹立つわー。なんなのよ、その余裕の笑顔はー!」

「余裕あるように見えんのか?」

「え? ないの?」

「俺の心の中をのぞけよ」

「バカじゃない? どうやってよ」

「――こうやって」

「!」


期せずして宇藤に腕を引っ張られた私は、

そのまま後ろから抱きすくめられた。

急勾配の下り坂なので、

後ろの宇藤の身長が高くなるのは必然的な現象だが、

私が同じことをしていたらこうはなるだろうかと、

なぜかこんな時に考えあぐねる。

前かがみに転がらないよう私の身体は宇藤側に寄りかかった状態だが、

鎖骨辺りでがんじがらめにクロスされた両腕を見下ろし、

自分よりも太さも膂力(りょりょく)もありそうなその腕に、

愕然(がくぜん)としていた。

 

――負けたくはないのに……。


「な……、なんのつもり!? 放して!!」

「さっきお前が言ってた、『キスなんて演技』っていうのは本当か?」

「……」

 

うつむいて、グッと呑み込んだ。

 

――そんなのっ、できるわけないじゃない……っ!


くやしいから口に出さず、

宇藤の腕の中に抱き込まれながら無言を貫き通す。

だって、気づいてしまったから。

先輩のことを好きだったわけではないことに気づいてしまったから……。

美女淵で宇藤に頭を水の中に入れられて、

目が覚めたというか、深淵が見えたというか。 

もちろん、葦原竜希先輩のことは尊敬もし憧れもあるけれど、

好感を持てていたのは、同じ陸上部としてひたむきに真っ直ぐに駆け抜ける、

あの情熱とチャレンジ精神にこそ。 

惹かれていたのは異性としてではなく、同じ道を行く者として。


ゆくりなく、先輩の優しい笑顔が浮かんでは消えていった。

私は優しいだけじゃ駄目なの。

ズバズバズケズケ物怖じしないで素直に言い合えるような相手じゃないと、

息がつまってしまって――私が私じゃなくなるのが一番イヤだから。

石は意志。

私はきっと、自分の気持ちを試すためにここに呼ばれた……

ううん、自ら赴いたのだ。

自分の本当の気持ちを確かめるために。


「自己啓発も自己満足で終わっちゃ、本末転倒だわね」

 

宇藤の気をそらすために、無理矢理の話題づくり。

このままでは「演技でキスしてみせろ」と言われかねないので、

その対処法としての苦肉の策だ。

なんとしてでも阻止せねば。

それぐらいヤバイ雰囲気に、身を(ゆだ)ねさせている状態だった。


「――は? なんだそれ?」

「あんたの言うことも、たまにはタメになるってこと」

「たまにじゃねーよ。

 いつだって人を戒めてくれる最高のサプリメントだ」

 

こんな体勢で人を戒めてくれると言われても、

全然説得力が感じられないんだけど……って、

いつまでこうしている気よ! 絶対からかわれている!


「はいはい、言ってろ言ってろ。――ところであんた滑落した時、

 『ラッキー』とかなんとか言ってたけど、あれ、どういう意味よ? 

 状況が状況だっただけに、さっぱり理解できなかったんだけど」

「ラッキー? ……ああ、ここにきた男女が結ばれるっていう伝承か。

 どういう意味って、そのまんまの意味だろ」

「だから、あんたが言うラッキーがどういう意味で使ったのかを訊いてんのよ! 

 別に私のことなんてどうとも思ってないでしょうに。

 あえて、犬か猿かのどっちかにしか……」

「ふぅ――……」

 

どこか呆れたようなため息をつきながら、

宇藤は右手を離して顔にかかる自分の髪を憂いを帯びた表情でかき上げた。

私の頭の上でかき上げんな、うっとうしい!


「まだわかんねーの?」

「だからなにが!」

「――俺のこと、苗字じゃなく名前で呼べよ、(てぃあら)」 

「んなっ! なんでよっ、馴れ馴れしい!」

「つまり俺はお前と、そういう馴れ馴れしい関係になりてぇってこと」

「え……」


再び後ろの男の腕に力がこもり、私はされるがままに強く抱きしめられた。

宇藤の首からカメラが、背中にめり込んで痛い。

ツボ押しじゃないんだから。

こいつはなんだってこんなに後ろから攻めるのが好きなんだ。

私と同じで、実は宇藤も顔を見られるのが恥ずかしいとか……? 

いやいや、宇藤に限ってあり得ない。


「……」


身動きできない私は、黙り込んでしばらく抱きしめられたままでいた。

私の身体が柔らかくて抱き心地もいいといいな……、

なんてあられもないことを考えながら。


「はやく呼べよ」


宇藤がせき立てる。

宇藤って、こんなにサドっ気あったっけ? 

変な方向に覚醒した?


「で、でも……」

「呼ばなきゃキスするぜ?」

「……っ! ああ、もうわかったわよ! 呼んでやるわよ。

 呼べばいいんでしょ、呼べば!その代わり呼んだら放しなさいよ!」

 

私はスゥッと息を吸い込む。

そして――


「うっとうしいな! うっとうしいな! うっとうし――ひいゃっ!」

 

イタズラな宇藤の唇……ではなく歯が、

私の可憐な耳朶(じだ)を噛みやがった! 

甘噛みで!


「ちょ、なにすん――んんっ!?」

 

振り向き様に、今度は愛らしい私の唇に接吻を。

 

――やりやがったな……。


でも不思議と怒りは湧き起こらず、

もっとしてほしいとさえ思ってしまうのは、私がおかしくなった証拠だろうか。

こちらの世界へ戻ってきてからというもの、こいつには狂わされっぱなしだ。 


――調子に乗りやがって……。


ようやく唇が解放されると、

魂を抜かれたようにどこかうろんげだった私は、

ハッと我に返り即刻異議を申し立てる。


「どっちみちキスしてんじゃない! このウソつき! 隠れサド! 変質者!」

「なんだ、照れてんのか? 可愛いぜ、(てぃあら)――」

「う……」


調子が狂う。

この私を褒めるなんて、宇藤の分際で生意気な……。


「そんなウブな顔してっと、もっとしたくなるぜ……俺の天邪鬼――」

 

気持ち悪いこと言うな。

でも、顔面紅潮、す巻き状態の私にはなんにも言い返せない。

但し私は、ツンデレじゃないからデレたりしないのよ。

あくまでツンツンよ!


「うっさいバカ宇藤! そのロン毛、むしりとってやる!」

「おっと、こえー山上様のお怒りだ」

 

両腕を離し、ヒョイッと身をかわして逃げ出す宇藤。


「この短距離走者・山上(やまがみ)(てぃあら)様のカモシカの足を舐めんなよ!」

 

錦で敷きつめられた落葉の山道を、

笑いながら駆け下りていく彼の足は意外に速かった。 

そして今ならわかる。

顕現界で私の指輪がはまる指を一瞥したり、

急にイラついてみせたり、どこか素っ気なかったのも、

きっと嫉妬のせいだったのだと。

そう考えると、

嬉しいような気恥ずかしいような胸の奥が切なくなるような、

思春期の乙女のような淡い気持ちに揺れ動く。

 

まさか、宇藤とこんな関係になる日が訪れるなんて――……。


数時間前まで先輩一色だった過去の私に密告してやりたい気分。





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