⑩
言葉が続かなかった。
本当なんだろうか。
そんな話ってあるの?
うまくできすぎてない?
詐欺師じゃない?
怪しすぎる……などなど、あらゆる疑念が網羅する。
そして、沙羅が要求してきた。
「それが真実ならば、
わらわとそなたの二人だけが知る秘密も言えるというのか?」
なんだか怪しい響き。
でもそれはさすがに葦原賢治には無理なんじゃ――
「君の弱点は、甘い言葉でささやかれ続けることだ」
って、悩むことなく即答してるし。
ほんとかぁ――?
そんなのは弱点とも二人だけが知る秘密ともなり得ないんじゃ……
かと思いきや、大蛇が突然クネクネとその場で蠕動運動を始めた。
モジモジと人間が照れるように。
顔も真っ赤に変色している。
――勘弁してよ……。
なに、この変わりよう。
乙女か!
「……」
宇藤も絶句中。
あまりの凄絶な状況に眉間に指をあて、
錯綜するしわの多い『脳内宇宙』をなんとか落ち着かせようと試みている。
「わ、稚津彦……、本当に稚津彦なのじゃな!?
それに真か!? 私を守るためであったと!?」
「ああ。それと沙羅、君との永遠の愛もだ」
稚津彦と沙羅が見つめ合う。
――なに、これ……。
魂を抜かれた顔つきの私と宇藤は唖然としていた。
つき合ってられん。しかもあの男、
爬虫類が苦手だとか言ってなかったっけ?
「はかなき月の沈んだ水面に、
かすかに揺れる我が心はどこまでも深く震え――、
君のような穢れなき美しい人は見たことがない。
僕の想念はいつだってビッグバンさ。
さぁ、今こそともに飛ぼうではないか、大輪の花となって!
僕らの時間は今、解き放たれた。
情熱の粒子は宇宙空間をあてどなく浮遊し続けるだろう!」
――笑っていいんだろうか。
私は今こそビッグに笑いたい。
相変わらず稚津彦の臭い台詞に、
いちいち感銘を受けて陶酔している宇藤は放置。
それよりも、五百年も前に生きていた人に、
ビッグバンとか宇宙空間なんて通じるのかって話なんだけど、
大蛇の方に視線を移すと……、デレデレキャッキャしていた。
杞憂だった。
通じるかどうかなんてのはどうでもよさげ。
「ふぅ」と嘆息を漏らした私は、
呆れながら二人を眺めている探女さんと目を合わせて微笑み合った。
結論を言えば沙羅はツンデレだということだ。
天邪鬼に多いタイプであるのかは知らないが、
いくらなんでも同じ天邪鬼と謳われた私はこうはいくまいて。
だから稚津彦はあの時、中身は探女さんのままの『沙羅』を、
恋人ではないと仄めかしたのだ。
その点に於いては納得してみるものの、
じゃあ中身が探女さんの時に口説いていたのはなんだったのか。
今回の臭い台詞を口ずさむための予行演習だったのだろうか。
ついでに私も練習台として利用された気がしないでもない。
出会った当初の数々の言葉が思い起こされる。
それと指輪型の腕釧。
それらも演技だったのかと思えば思うほどむなしく感じられた。
弄ばれたと言えば言えなくもないけど、
別に私は稚津彦に未練などあるはずもないので、
最初からどうだっていい。
そうこうしていると、
「お願いだ沙羅、素直な本当の君が見たい――」
と言って、あの二人はいつの間にかキスをしていた。
「おいおい……」
場をわきまえろと言いたいところだけど、
二人だけの世界に突入していれば私らなんて空気。
風景の一部。二人を止められるものはこの世に存在しない。
しかし稚津彦、頑張ってるなぁ。
苦手な爬虫類と接触して、本当はいっぱいいっぱいなんじゃなかろうか。
しかもキスって、気を強く持っていないとポックリ死ぬんじゃないだろうか。
演技でさすがにこうはできないだろうから、
沙羅を愛する気持ちは本物なのだろう。
そんな彼女はうっとりとした表情で、
つと宇藤の心を見、かの名を読み取り、
本人へと投げかけた。
世にもおぞましき提案を。
「――宇藤強菜とやら。
稚津彦に負けず劣らぬ気高き愛の言霊で、
そこなおなごを口説き落として見せよ。
さすればここから出してやろうぞ」
沙羅の視線が私だけに注がれている。
そこなおなご……って、私のこと――!?
ちょ――っと待て――いッッ!!
「ひねくれたそのおなごの心の扉を開くことが、
元の世界の扉を開くことにも繋がる。
わらわのように素直な心になれば幸せは自ずと訪れるのじゃ」
ひねくれたって、あんたにだけは言われたくない。
あんたの言う素直な心って、
そのクネクネしたあからさまなデレ具合のことか?
でも純粋にひたむきな想いと表情は、本当に少女のようだった。
私だってこの衣装は、
疑うことの知らない夢と希望と魔法がいっぱいつまった少女時代のものだ。
そんな淡い色の昔に思いを馳せていると、
それをぶち壊す愚者の声が耳にとどろいた。
「納豆ステッキよりも、あの男よりも何倍も臭い台詞を、
山上に言えってのかよ」
うるさい宇藤!
絶対言うな!
こっちからお断り!
……と猛烈に叫びたいところだったけれど、
それを言ったら帰れなくなるのでグッと堪えた。
私って大人。こういう時は大人でいい。
それに私は待つより行動派。
受身より先に告白する主義だ。自分から突き進んでいく。
あたって砕けろだ。砕けるのは怖くない。
伝えずに後悔する方がずっと怖いしイヤだから。
沙羅の要求に宇藤がうんざりしているのは否めない。
愕然としているのは見なくてもわかる。
だけど宇藤が無理なら、逆に私が宇藤を落としてやるしかないだろう。
それしか道はない。
だから私は紡いだのだ、誠心誠意を込めて言霊を――
「じゃあ、私が代わりにあんたを口説き落としてみせる。
さぁ、宇藤! 今こそともに飛ぼうではないか、妄想の果てまで!」
この際、稚津彦のパクリめいた言い回しだろうが関係はない。
大事なのは心なのだから。
……ちょっと演技臭いが。
「おい、正気か? なんだよ妄想の果てまでって。
……冗談じゃねーぞ」
宇藤め。
せっかくこっちが勇気を振り絞って口説き落とそうとしたのに、
そんな態度じゃ帰れる見込みがなくなってしまうじゃないか。
またまたこの男に妨害された。
男って本当に度胸が足りない。
「イヤなのはわかってるから、ちょっとは我慢しなさいよ!
妄想だって実行しなきゃ、ただ絵に描いた干物よ!」
「……餅な。ったく、だからそれが冗談じゃねぇっつうの」
本心から忌み嫌う強い声音に、さすがの私も傷ついた。
心が、折れかける――。
――そんなに、私がイヤなんだ……。
私とじゃ絶対無理ってことなんだ……。
宇藤に好きな人がいるかなんてことは自分は知らない。
知ろうともしなかった。
宇藤を好きになる子は何人かいたが、
宇藤自身の口から気になる特定の女子の名前を聞いたことは一度もない。
ただの犬猿の仲のクラスメイト。
それでも高校に入ってからの一年と半年、一番近くにいたのは宇藤だった。
その彼が、思わずうつむいて黙り込む私に、
追い討ちをかけるように大仰に舌打ちした。
痛みを堪えるように顔をしかめている。
――きっと私は、
今までの関係が崩れてしまう瞬間を迎えるのかもしれない……。
私は硬く目を閉ざして握る掌に力を込めた。
「お前が先に言うなよな。これ以上、俺を情けねぇ男にすんな」
「――え……?」
なにを言っているのかわからなかった。
顔を上げると、目の前に立つ宇藤が私の両肩に手をついて、
自分の方へにわかに引き寄せる。
――な、に……?
真っ直ぐな黒い瞳に射抜かれたままの私は、身動きができなかった。
呼吸も停止する。
「星――」
はい?
初めて宇藤に名前で呼ばれた気がした。
なに、この異様な空気!
聞いたことさえない彼の甘やかで優しい声は、
睦言を耳に入れてしまったかのような危険な雰囲気をまとっていた。
狂気の沙汰としか思えない。
私の胸では、動悸と警鐘が激しく打ちまくっている。
そのまま穿たれて、
ブラックホールでも生み出してしまいそうな勢いだ。
そして、とち狂った宇藤が甘くささやく。
「さざなみのない水面に映る可憐な星は、
月が嫉妬するほどの輝きを放ってこの身をも照らす。
それは極上の甘い吐息――己の呼吸が静止した瞬間。
願わくは、この腕に閉じ込めて自分だけの星にしたい。
山上にきらめく愛しの星、ティアラよ――」
「……」
――ち、近い……。
宇藤の顔がすぐ目の前にあった。
私は宇藤に身体を引き寄せられていたが、
いかんせん相手が熊の格好であることが萎える。
それから、身長はさして変わらないと思っていたのに、
こうして面と向き合うと結構な差があることに気づく。
熊スーツの一番下には、厚底となる土台も入っているに違いない。
捕らわれたウサギみたいに身を硬くした私は、
宇藤をおっかなびっくり見上げ続けるのに必死だった。
その熱い視線が、宇藤の吐息があまりにも切なくて……。
刻一刻と妖しい唇が重なってしまいそうで……。
「――星の女神を我が腕にかき抱いて、
下賜する甘美のその吐息を、我が楔で封じ込めよう」
とどめの一発。
ああ、今すぐブラックホールに飛び込みたい!
逡巡してツンデレ大蛇を見やれば、なぜか呼吸がひときわ荒い。
目も一段とギラギラさせながら凝視している。
「宇藤まっ――……!」
待たせてもらえなかった。
目を剥いた状態の私の唇に、彼の唇が触れた――と思ったら、
何度も押されるだけの不慣れな接吻が続く。
それでも温かで柔らかな感触に、
天邪鬼の私の心が完封されたのは間違いない。
私にとっては、人生で初めてのキスだったのだから。
――ウソでしょ……。私、本当に宇藤とキスしてる……。
やがて宇藤の唇が静かに離れると、
彼の腕の中に包まれながらまばたきできずにいる私は、
宇藤とゆっくり見つめ合う。
「――宇藤……」
「俺のことも名前で呼べよ、星……」
「――し、強菜……」
輪郭をなぞるように骨張った長い指が私の頬を辿り、
あごをそっと持ち上げた。
すると、再びすぐに彼の顔が接近してきて、
最初の接吻よりも力強く深く、角度を変えて離れては吸いつくを繰り返す。
感電したように脳天を貫かれる衝撃波。
顔が熱い。
腰が砕けそう。
でも宇藤が、私の背中や腰に腕や手を回して支えてくれていたおかげで、
なんとか立っていられた。
――けれど獣臭い。
別に着ぐるみ自体に匂いはなかったが、
なんとなく獣じみた行為に感じられたのは、
宇藤が野性的に見えてしまったせい……。
見られていることも忘れるくらい私たちは求め合った。
だって、ここまでしないと合格点をもらえないんだもの。
だからこれは演技。
本当に求め合っているわけではない……なんてのは言い訳か。
思えば、滑落して宇藤に助けられたあの瞬間から、
私の中でなにかが覚醒した気がする。
それまでは、口論するほど相性の悪い相手だとばかり思っていた。
けれどあの時、私は気づいてしまったんだ。
宇藤がいなくなったら、私は泣いて悲しむということを――それが本心。
私はもうずいぶんと忘れていた素直な気持ちの自分へと戻っていた。
「ヒューッ、やるねぇお二人さ~ん。見ているこっちが恥ずかしかったよ」
キスをする発端となった稚津彦がパタパタと手を仰ぎながら、
自分の顔面に風を送っている。
そんなに恥ずかしいことをしていたのかと、ますます私も恥ずかしくなる。
宇藤の顔なんて見れたもんじゃない。
でも沙羅を見れば、彼女も納得したのかご満悦なので結果オーライ!
「――さて、満足したところで、わらわも人間の身体に戻り成仏してやろう」
「え?」
「この身体を探女に返すと言うのじゃ。
もちろん、そちたちも元の世界へ返してやろう」
嬉しいが、素直に喜べないのは、
元の身体に返って成仏するというのはつまり、
沙羅の命も尽きるという意味をさしているのか。
彼女が顕現界から出るつもりなのだと察知する。
「探女に身体を戻せばきっとこの顕現界も水の底に沈むであろう。
そして顕現池にも水が戻るであろう。そうじゃろう? 探女よ――」
彼女たちの視線が絡み合う。
「そのとおり。この界を元通りにしなければならないから」
――ここが水の中に沈む……?
しかし当然なのだろう。
龍神は水の神様なのだから。
そして沙羅は私と宇藤を見下ろした。
「そちたちをここへ呼び寄せたのは他でもないわらわじゃ。
心とは裏腹な態度をとるそちたちが面白くてな。
つい、からかってやりたくなった」
だから滑落したってこと!?
やっぱり天蛇石の上に現れたマムシは、
沙羅の縮小版に投影された姿だったんだ。
オモチャみたいに人で遊ぶな!
でもそのおかげで私は自分の気持ちに気づくことができたんだ。
本当は宇藤が好きなんだってことを……。
奇跡的なことだ。
「長く生き過ぎた。
稚津彦、わらわが生まれ変わったら迎えにきてくれるか?
待っていてくれるか?」
「ああ、何年でも待つ。君を見つけ出してみせるから安心しろ。
そして今度こそ一緒に幸せになろう――」
「その言葉、今度こそ信じよう……。
探女よ、悪かったな。今、この身を返す」
そうして蛇巫である沙羅は、聞き慣れない呪文の言霊を唱え始めた。
次第に光を放って、みるみるうちに呪縛を解くように、
我が身とこの空間を隅々までまぶしく照らしていた。
「うわっ! まぶしっ!」
やがて光が消え、緩慢に目を開けるとそこにはただ、
清らかな神気を辺り一面に漂わせる大蛇だけが残っていた。
周囲の空気も迅速に変わって、清浄さが満ち満ちていた。
「探女……さん……?」
「ようやく龍体に戻ることが相叶った。
ついに、長く待ってたこの瞬間を――。
あなたたちのおかげね。感謝します」
辺りを見回せば、沙羅の姿がなかった。
彼女は光に還ったのだ。
でも、私たちはまだここにいた。
裏切られた……かに思えた。
すると――、龍神に戻ったばかりの探女さんが告げる。
「あなたたちを元の世界へ帰すのは龍たる私の役目よ。
この身に宿す神力でしか、ここから出すことができないのだから」




