表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
由無し一家番外編  作者: しめ村
王都の学生の日々
10/13

4年生・1


 リベカはヴォジュラから帰るとすぐに、寮の自室の学習机に便箋を広げた。叱られてもがっかりされても構わないという気持ちでペンを取る。

 今まで排してきた主観をふんだんに盛り込んで、家族とはこんなやり取りをしたいと思ってきたことをたくさん書いた。

 これで幻滅されたら、コルネイユの祖父母に対してはこれまで通り最低限の距離を保って行儀よく振る舞おうと決めた。

 将来は王宮勤めをしたいという進路希望を思い切って盛り込んだ。それだけでは取り合ってもらえないと思ったので、学校の先輩方や進路指導の先生からも話を聞いて、一定以上の成績を有し希望する者には申し込み資格が与えられること、自分の今の成績はこのくらいで、あとこのくらい評価点を上げれば先生からも推薦してもらえる見込みであることなど、割と自分に都合の良い点を抽出して書き出す。

 こまごまと書き綴って、今まで見たこともないほど分厚くなったそれに気後れしないうちにと封をし、その日のうちに寮の配達物受付窓口に提出した。届け先は王都内だから、民間の配送業者のものと比べると割高な配送料も、与えられた小遣いで事足りる。

 今後の自由時間は勉強に注力しようと決めた。実習訓練は引き続き友人たちと一緒に校外実習に参加させてもらう心づもりだが、アンジェリンと一緒に護身術や救護などを学んでいた武芸の授業は、別の座学を取ることにした。

 ぼっちの時間にも、少しずつ慣れてゆくべきだろう。

 アンジェリンにその旨と早朝の体力作りの運動の時間を勉強に充てたいと告げると、友人は笑って同意してくれた。

「将来のためによくよく考えて決めたことなのだから、あたくしは勿論応援してよ。ちょっと寂しいけれど、あたくしだって好きなようにしているのだもの。リベカはリベカの望みを叶えるために、遠慮などしてはならないわ。他の学科は一緒なのだし、これからも、お互い協力できるところではしていきましょう」

 寮の人口の多くが帰省中のうちは寮の学習室も施錠されていたが、帰省していた学習室委員が揃い通常通りの利用が出来るようになると、リベカは冬休みの残りの日数の大半をここに籠って過ごした。

 同じように早速学習室に居座る勉強熱心な寮生も、これまでの利用の中で馴染みとなった顔ぶれで、礼儀正しい目礼を交わして相手の居心地を乱さぬよう気を配り合っている。長く共存しているとそれなりに共感も生まれ、学習室外で通りすがる際には軽い挨拶くらいはするし顔と名前を覚え合う人も増えた。

「やあ、コルネイユさん。ヴォジュラはどんな様子だった?」

「ごきげんよう、ヘクト先輩。ヴォジュラは毎年のように寒くて、人も魔獣も活気に満ちていましたわ」

 休み明けには最高学年である6年生となるバージル・ヘクト先輩が、いつものように両脇に雑多な本を抱えて現れた。癖のある黒髪に縁取られた顔の頬と顎の線は随分と硬さと鋭さを増し、背丈も伸びている。

 リベカは彼の手を見た。長く節くれだった手指は自分にない男性らしさのみならず、爪の形や胼胝の有無で彼がただの学生ではないことを物語る。それでも彼の手指はきれいで、生活に直結した労働に由来する荒れは見られなかった。

 闘技場で彼によく似た剣闘士を見かけた日以降、この場所で何度か彼と遭遇したが、リベカはそれを口にしたことはなかった。学校の寮内で時たま会う先輩と後輩としての関係に必要な確認ではないと思っているからだ。

「ヴォジュラで大きめの魔物騒ぎがあったと聞いてたんだけど、小揺るぎもしないか。やはり魔境の脅威に一番に晒されている土地柄、備えと結束は固いんだな」

「詳しくお知りになりたいのでしたら、アンジーをご紹介いたしましょうか?」

「いやいや、王宮騎士を凌ぐフェルビーストの騎士とならともかく、フェルビーストの姫と親しくなりたいなどと大それた望みは持たないよ。ただでさえサヴィア家の子息が目を着けているという噂が広まっているんだ、遠くから眺めているだけならともかく、渦中に飛び込もうとは思わないね」

「あ、やっぱり他の学年にも知れ渡っているんですね」

「うん、有名だよ、色んな意味で。分別のある人は遠巻きにして見てるんだよ」

「つまり、絡んでくる人はそうでない人ということですか?」

「さあね。それはそうとして、僕としては今年は卒業課題があるから、そちらに専念したいし」

 保守的な先輩の思考に勝手に親近感を抱いていたリベカは、それを聞いて気を引き締めた。

「先輩は、進路はお決めになったのですか?」

「うん、色々とやってみたいことはあるんだけど、やっぱり実家に戻ることになると思う。最悪卒業できなくても家業は継げるんだけど、体裁ってものがあってね。困ったものだよね」

「ああ……」

「春になったら実習訓練も始まるし、進級するごとに自由時間は少なくなるし、試したいことを模索するにも、無駄な模索は無駄ってわかるくらいしか得るところがないし。もっと色んなことをしてみたかったけど、無理がきかなくなってきたかな。あっという間の5年だった気がするよ」

「そうですか……」

 身につまされるところの多すぎるリベカとしては、虚ろな目で生返事を繰り返すことしかできない。

「先輩、実習訓練は校外も校内も選んだことがあると仰っていましたよね。4年の校内実習って、どんな感じ……いえ、過去のレポートはどの辺りにありますか」

 先輩はちょっと面白がるような目つきでリベカを見遣り、その場所を教えてくれた。

「課題だけ校内実習のものをもらって、資料集めや検証のために校外組に交じって行って、後は個人でレポートを作成して提出っていう形もアリだよ。フィールドワーク重視型の研究してる学生なんかが時々やってる手だね。校外組とは各自交渉次第で、たまに見返りの提供もあるらしいけど、直接金品が絡まなければ学院側も目くじらは立てないよ」

 僕もやってるから前例もあるよ、と求める情報を教えてくれた先輩は、リベカの心意気を買ってくれたのだろう。

「あ、ありがとうございます!」

 校内訓練に混じることができるような課題があるかも定かではない。魔法系統には素質が、研究系統には下地が足りていない自覚はある。しかし、校外訓練に混じるには不足がちな自力への劣等感に苛まれていたリベカにとって、先輩がくれた情報はたいへん貴重なものだ。

 早速リベカが、先輩に教わった男子寮側へ向けて奥まった一角で卒業生のレポートを漁っていると、男子寮側から一人の学生が向かってきた。

 慣れない場所なのか頻りにきょろきょろしながら本棚を回り込んできたよく日に焼けた大柄な少年は、向かう先にリベカの姿を認めると警戒も露に足を止めた。

「こんにちは」

 リベカから話しかける。愛嬌を振り撒く必要はないが、わだかまりを抱えてはいないと態度で語れる程度に気さくに、自分を基準に貴族学生がお高くとまっていると感じない程度に愛想よく努めた、経験則と打算に塗れた笑顔と挨拶である。

 これまでの3年の学校生活の中で保身のために育んだ彼女なりの処世は、それなりの成果を出しつつある。

 同学年の招待学級生であるフィンク少年は、そっけなく「こんちは」と返した。

 リベカは緩みそうになる口元を懸命に制した。

 親しくない人に挨拶をして挨拶が返ってくる。これがどんなに素晴らしいことか、リベカの周りの人々にはエイジアくらいにしかわからないだろう。

 貴族への反感が強く、入学間もない頃には『王都のお貴族様なんだから寮になんか入らずお屋敷に帰れよ』といった刺々しい当てこすりを正面から言ってきたこともある人から出てきた反応であれば、感慨もひとしおだ。陰口ではなかったところに、彼の人となりが表れていると言える。

 とはいえ、ここでお喋りに発展するほどの間柄でもない。図書室の利用者同士らしく、黙って道を譲り合い、各自の目的を果たした。

 折角なので、無害な人、礼儀正しい人だという認識を持ってもらいたいし、それを広めてほしい。



 休みが明けて、リベカたちは4年生に進級した。

 班組の変更を申請していなかった5人は同じ組だ。

 アンジェリンは慣れた様子で、兄から預かってきたと思われる手紙をジリアンに渡していた。「後日詳しいお話をさせていただきますわ。ご一族の皆さまによろしくお伝えくださいませ」とやたらと低姿勢で。帰省時のずぼらな兄との話し合いは、アンジェリンをよほどいたたまれない気持ちにさせるものだったらしい。

「ああ。兄に話を通しておく。ヴォジュラでは魔物の群れが現れて領主代理殿御自ら討伐に向かわれたと伺って、帰省中の君たちのことを心配していたんだが、無事でよかったよ」

「お気遣いありがとう存じます。ですが、一体のレラに率いられたシャグゥの群れなど、我が兄と領軍の精鋭にかかれば木端蜥蜴にすぎませんことよ。心配ご無用ですわ」

 アンジェリンの顔が生き生きと輝き、我が事のように兄と自領の兵士たちを自慢した。そこには故郷に連なる人々への深い愛情と誇らしさに溢れんばかりで、魔物の危機に晒された令嬢らしい怯えや領地に打撃を受けた一族らしい心配そうな素振りは微塵もない。

 シャグゥとはトカゲに似た魔物らしい。レラというのは魔物の等級を表す冠詞の一つで、王都近辺では滅多に現れない強力な突然変異体を指す。

 王都ではかつてこの一等級低いラが一体現れただけで、王都に本部を置くあらゆる軍務機関の意義を問われるほどの一大討伐騒ぎが持ち上がり、苦心惨澹と少なくはない犠牲の末に打ち果たしたという。リベカも魔境学と歴史で詰め込んだ知識の一つとしてしか知らない。

 ちなみに、この学校に通う貴族令嬢の大半は、魔境学などという戦闘や魔法と環境の相互作用といった複数の異なる分野が絡み合う泥臭い学科など選択しないので、知りもしないだろうし、知ることを求められもしないだろう。

 リベカがそのことを覚えていたのは、件のラの討伐にはヴォジュラ出身の組合員が果たした役割が大きかったらしいという点に惹き付けられたからだ。もちろん、殊勲は騎士団が立てたことになっていたが。

「そ、そうか……僕たちはランサストロ領の親類のところへ行ってきたんだ。ヴォジュラほどではないが寒いところでね」

 ジリアンが冬にも拘わらず日に焼けたような顔色をしているのは、積雪地帯に出かけて雪焼けしたからのようだ。明るい金髪が濃くなった肌に映えて、夏の日差しのような快活で健康的な印象を深める。

「魔境に近い分、中央よりも魔物や魔獣の強さや出現頻度も高いらしいんだ。あいにく遭遇はしなかったけれど、普段とは違う環境での訓練は勉強になったよ」

 それはそうだろう。リベカはジリアンの親類――というか、親類の家に仕える人々――に同情した。ランサストロ領の親類とやらは家の威信と下手したら隆盛をかけて、気の休まる暇もなく中央大貴族の子息をそれと知られぬように警護していたに違いない。帰ってくれた時にはさぞほっとしただろう。

 ランサストロはヴォジュラの東隣の領だ。魔境から現れる魔物はヴォジュラ東端の軍事施設に詰めるヴォジュラ軍が阻んでおり直接的な被害は少ないというが、王都に比べて魔境に近いためか領内に突如魔物や魔獣が発生する事も珍しくないという程度にはあるらしい。

「ランサストロ領の騎士は荒事慣れしていると聞いていたから、ぜひ現地で修業させてほしいと頼んでいたんだ。王都の剣術とはかなり違いがあってかなり刺激を受けたよ。叶えてくださった父と大叔父には感謝している。よければ、また君と手合わせがしたいな。少しは成長したところを見てほしい」

 爽やかな笑顔のジリアンは、きらきらとした外見と相俟って、ああこの人はお坊ちゃんなんだなあという感想をリベカに抱かせた。

「よろしくてよ。併せて後日にいたしましょう」

 アンジェリンは、不敵な微笑を浮かべて受けて立った。そんな表情の友人は、半眼になったつり目といい長い睫毛が落とす影でちかちかと明滅する火花の激しさといい、引き結んでうっすらと口角を吊り上げた唇の描く曲線といい、つんと反らした顎の角度といい、それはそれは高慢ちきに見える。

 しかしそんな不穏な表情のアンジェリンを見るジリアンは、やけに嬉しそうなのだ。うっとりしているようにさえ見える。まあ人の趣味は人それぞれだ。

「バスティード様もお元気そうでよろしゅうございました。サヴィア様とご一緒でしたのね」

 アンジェリンが愛想よく彼にも話を振った。

「はい、ありがたくもお供の栄に浴し、貴重な経験をさせていただきました」

 同じように雪焼けした顔色のブラムは、ジリアンの後ろで半分眠っているような目をして黙って突っ立っていたが、言葉少なに答えた。こう見えて主の会話内容とその周囲で起こった目立った動きはちゃんと記憶しているのだから侮れない。

「……ところで、君たちはヴォジュラでどうしていたの? そこの彼が悟りでも開いたような顔でずっと気になっていたんだけど」

 話題を転じたジリアンが青空色の目をくるりと回して、興味津津といった眼差しを向けた先には、泰然と座り沈思する妖霊人とのあいのこがいる。

 彼は珍しいことに、まっすぐに金髪の人間を見返した。ちらりと微笑めいたものさえ浮かべると、匂い立つような華やぎと色香が漂った。

「まあな」

 変化が目覚ましいのはエイジアも同じで、リベカが知る限り、学校内では不機嫌そうだったり気のない無表情でいることが多かった彼が、無表情に似ているがこわばりの解けた顔つきで日々を過ごすようになっていた。美術品の彫刻のように整った顔立ちなので、凪いだ表情にはそこはかとない威厳のようなものさえ感じられる。

「気になるなぁ。どういう心境の変化があったんだい」

「魔法の使い方について的確な助言をするやつと会った」

 端的な説明を背景に、リベカは友人の故郷で出会った異国めいた地味な顔だちの少年を思い出した。思わず知らず、表情が和らぐ。

「あたくしたちとそう変わらない年の頃だというのに、魔術師の資格を取得しているんですの。今後の活躍が楽しみな逸材ですわ」

 使用人の少年を手放しに評価するおおらかさはアンジェリンの美点だと捉えているリベカは、発言内容には同意する。

 だがそれは今掘り下げるべきことではない。冷静な保身が囁くままに、滔々と解説しそうだった友人の肘を軽くつまんで黙らせた。

 2ヶ月ぶりに再会したばかりのジリアンに気を揉ませることはない。

 怪訝そうに睫毛を瞬かせて見上げてくる愛らしい焦げ茶色の瞳を笑って見返すと、リベカの言いたいことを理解してくれたアンジェリンはそそくさと目を逸らした。

 リベカの無言の訴えの甲斐あって、ジリアンはアンジェリンが開きかけた口の形に言及することなく、直前の話を引き継いだ。

「へえ。じゃあ何か、すごい訓練の成果を見せてもらえたりするのかな」

「ご期待に沿えなくて悪いが、特にそういう予定はない。成績に反映させるつもりもないしな」

 しれっと答えるエイジアは、これまでならつっけんどんだった態度を余裕の窺えるものに変えている。彼の内心を映したように美しいグラデーションを織りなす緑の髪色から、光を透かした若葉の樹冠のようにきらめく美しい瞳を覗かせた。

 成績に反映させると面倒だという彼の言外の主張を、他の4人は正しく理解した。

「それもそうか」

「……そうですわね」

「ともかく、次の訓練実習が楽しみだね」

 ジリアンが明るい声を張り上げて話題を切り替えると、黙っていたブラムが目を開き、予定表でも読み上げるようにすらすらと告げた。

「次ははるかぜの月半ばからのようです。5年生になったらそれぞれの選択科目毎の訓練に多くの時間を割くことになりますから、現在の班組で活動するのは4年生ことしが最後になるかもしれません」

「ああ、騎士科の訓練は遠征も多いそうですわね。軍事演習や魔獣討伐のようなこともなさるとか?」

「羨ましそうね、アンジー」

「そりゃあ、そういうの大好きですもの。あたくしの本分はあくまで魔法学と弁えているから、羨ましがるだけで我慢していてよ。まあ、高学年からの校外実習に期待というところかしら」

 リベカは、皆の参考になればと、先日ヘクト先輩から得た情報の一部を披露した。

「寮の先輩から伺った話では、わたくしたちが2年生で体験した時のような、上級生の有志とお手合わせをしていただける訓練の、有志としての志願資格が得られるのも4年生からだそうですよ」

「まあ、それも面白そうね!」

 すかさず食い付いたアンジェリンに、苦笑を返す。指を組んだ掌を軽く曲げて頬の輪郭に添える仕草が愛らしい。

「戦力の振り分けが下級生の班組に即したものになるから、個人では戦力にならない私は参加できないけどね。でもアンジーと皆さんならどこに割り振られても成果を出せるのではないかしら。それから……」

 彼女たちはそれからも、ジリアンとブラムの騎士科志望の友人が誘いにやってきて彼らが席を外すまで、ああでもないこうでもないと言い合った。



 グリゼルダ・デュアー嬢とアンジェリンとの交流は細々と続いている。

 先日もそっと女子寮を訪ねて来て、アンジェリンから別の新聞を借りていった。

 おっとりとして心優しい彼女は、目的の情報を所有するアンジェリンだけでなく、彼女との接触を機に知り合う形になったリベカのこともないがしろにせず、単独でいる時に校舎で出会えば朗らかに挨拶を寄越してくれ、一言二言、お義理ではない近さと不自然ではない遠さの距離感の言葉を交わして通り過ぎていってくれる。

 美貌と優秀な成績と実家の権勢とを兼ね備える学年屈指の有力者でもある彼女が、思いやりある態度で接してくれるので、自然とリベカを取り巻く貴族学生の当たりもやわらかいものになる。その分陰でやっかみが増しているかもしれないが、グリゼルダの態度自体はありがたいことだと思って、せめて彼女と挨拶を交わす時の言動にありったけの感謝を込めているリベカだった。

 そんな彼女がどうして剣闘試合なんてものに興味を持ったのかは謎のままだ。

 彼女とアンジェリンとの会話を言葉少なに合いの手を入れるだけの簡単なお仕事の中で、リベカはグリゼルダは剣闘士勢の中でも、特定の個人のファンだということを知った。具体的にはケアリーだった。

 そういえばグリゼルダが自らアンジェリンに接触してきたのは、ケアリーの話をしていた日だったなとリベカはぼんやりと思い出したが、それがリベカの日常に影響するわけではない。



 4年生になって最初の休日、リベカは一人で寮を出た。

 アンジェリンはにこにこしながら、どこか励ますように送り出してくれた。彼女は彼女で、今日はグリゼルダのお忍びの闘技場行きを手伝うという話になっている。

 予め実家にて祖父母と向き合ってきますと宣言しておかなければ巻き込まれたかもしれないと思うと、よかったのか悪かったのか判じかねるリベカだった。

 校内の車寄せに、コルネイユ家の貴族のものとしては質素な、しかし辻馬車などと比べればはるかに見目も仕立ても良い馬車がやってきた。

 御者台に座っている者の姿勢は、厳しく仕込まれたのだろう仕事ぶりを窺わせた。ぴしりと踵を揃えて直立し、それでいてどこか遠慮がちに聞こえる口吻で「お嬢様」と呼びかける白髪の御者は、リベカがこの学園に入学する時に送ってくれた人物だった。無駄口を叩かず、手際良く丁寧に、乗車の介添えをこなす。

 リベカはアンジェリンとヴォジュラ行きの馬車に乗り込んだ時を思い返した。友人は家臣に気安く労いと感謝の声をかけ、ちょっとしたお喋りに発展することもあったが、それが社交界での評判を度外視するがゆえの大胆な行為であることをわかっていた。

「ありがとう」

 使用人に親しむ言動はしないようにと引き取られてすぐに祖父からは言い付けられていたが、つんと顎を逸らして奉仕を甘受することはできなくて、できるだけさらりと、気持ちを口に乗せるよう努める。

 気持ちとしては仕事中の年長者に「ありがとうございます!」と頭を下げながら言いたくて仕方がないのだ。落ち着かなくてたまらない。

 御者は言葉を返さず、折り目正しく一礼して、箱の扉を閉め、御者台に戻った。

 馬車はゆったりと王都の通りを南へ向けて走り、小一時間して、南貴族街区を少し進んだ所で止まった。

 王都の貴族街区は北と南の二種類ある。

 北は、建国当時魔境から流れてきた魔物の襲来から王城の守りとして立ちはだかるように展開した近衛騎士や君側の臣、サヴィア家やデュアー家などの名家が立ち並ぶ。古参のサヴィア家の忠実な家来だったバスティード家は、150年ほど前に直系の男児がいなくなり当時のサヴィア当主の息子の一人がバスティードの娘と婚姻したことを機に血を濃くしてゆき現在の地位を確立したが、それ以前から主家に従って北に邸を構えている。

 一方南の貴族街に連なるのは、時代が下ってから貴族に列せられたり王国が領土を広げる過程で下った豪族らの家々だ。北の貴族と比べて家格も役職も低い傾向にあり中央貴族の血統ではない当主も数多くいる。

 その例に倣えばアンジェリンの家もこちら側になるのだが、魔境の盾でもあるフェルビースト家は、領土の運営維持に関してかなりの権限を認められている。ヴォジュラ領の運営を他の家に担わせフェルビースト家にはその下で防衛に専念させればいいという声もあるようだが、武を尊ぶヴォジュラの民は防衛の責任を負わない統治者など認めない。辺境民は扱いにくいのでフェルビーストがよきにはからいたまえ――というのが、色々と前例があっての現状らしい。

 さて、コルネイユ家は下級貴族であり、例えばフェルビースト家の領主の館と比べれば、その広大さも使用人の数も雲泥の差。家の敷地もリベカが11歳まで暮らしていた小村の村長の家が何軒分も収まってしまうくらいには広い、彼女からすれば充分お屋敷と言える規模のものだ。

 そんな中に、貴族家に仕えているという矜持を持って働いている使用人が数人でもいて、自分がその上にいるという感覚にリベカは慣れない。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 コルネイユ家に二人いる侍女の一人が、初めて出会った時のケイセイのような表情でリベカを出迎え、祖父母の待つ部屋へと案内に立つ。

 会話はなかった。

 豪奢ではないが落ち着いた調度で品良く設えられていて南向きの大きな窓が複数切られた部屋で、祖父母は立ってリベカを迎えた。

 リベカの目には、二人は変わっていないように見えた。白髪が増えたくらいか。事更に痩せたり病を得たといった風でもなく、しゃんと背筋を伸ばして立つ姿勢は力強い。三年と少し前の記憶の中の厳格な二人が変わらず厳格でいることに、不思議と安堵する。

 彼らの表情には、幾分変化があるように思った。どちらかというと痩せ形で鷲鼻と尖った口髭が気難しそうに見える祖父と、黄褐色まじりの白髪をまとめ上げ厳格な女教師のように見える祖母。具体的にどこがどう違って見えるのかはわからない。

 顔を合わせて最初に何を言うかは決めてあった。学校生活3年間の中での心境の変化に伴う、これまでの世話の感謝と不精の謝罪だけはしようと。

「ただいま帰りました。おじい様、おばあ様。折々のご挨拶などすべきところを長らくご無沙汰しておりまして、申し訳ございませんでした。至らぬわたくしに変わらず温かいお心配りをいただきまして、ありがとう存じます」

 息継ぎを省いたので少し早口になったかもしれないが、おどおどせず、情感込めて言えたと思う。リベカは作法の授業で学んだ内容と繰り返した動作の全てをこの日この時に振り絞る気迫で中央貴族の婦人の礼をし、姿勢を維持した。学校で及第点を得た今、ここでも通用するはずだ。

「お座り」

 まず祖父が完璧に感情を抑制した声で言い、一同はそれに従った。被覆布が皺一つなく掛けられた重厚な厚みの木机を挟んで、奥の長椅子に祖父母が並び手前の長椅子にリベカが一人で座る。

 差し向かうと、先ほどは今までと違って見えた表情はやはり、感情の乗らない瞳で冷ややかに自分を見つめている気がしてきた。用心深いリベカは心中密かに、祖父母の返答次第で家族と相容れないと覚悟を決める瞬間に備えた。

「学業が滞りないようで、なによりだ。先日の手紙にあった……」

「お待ちになって、あなた。先に言わねばならぬことがありましてよ」

 続けて話し始めた祖父の固い言葉を、やんわりと祖母が遮った。少し眉尻を下げてリベカを見る。

「リベカさん、お帰りなさい。会いに来てくれて嬉しいわ」

 リベカは改めて目の前の二人の目を見返し、自分の中に先入主となっていた思い込みがあることに気づいた。自分に都合よく見えているだけなのかもしれないが、無機質に見えた二人の目は生気を帯びて読み切れない感情の欠片を映している。

「おじいさまも緊張なさっておいでのようだわね……なんとお話しようかと、ずいぶんとお悩みでしたのよ」

 祖母の困ったように垂れた瞼の下で、瞳が揺れている。祖父の噤んだ口が、落ち着きのなさを示すように灰色の髭の下で緩んだり引き結ばれたりしている。目元は厳めしく眇められたままであるのに、妻の口出しを咎めるでも内容を否定するでもない。

 緩みそうになる肩に力を込める。それとも、緩めてもいいのだろうか。

 リベカは少しだけ悩んで、一人で悩むばかりでは答えの出ない疑念に浸るのではなく、差し当たっては目の前にいる答えを持っている存在が自分に歩み寄ってくれているという都合のいい思い付きを信じることにした。



 リベカがよい気分で学業に励んでいた翌日の放課後、人気のない廊下の端から不意に現れたブラムが、ちょいちょいと指先だけの小さな動きで手招いてきた。

「コルネイユ嬢」

 わずかな動きと小声での呼びかけは、ジリアンやアンジェリンら共通の友人のいない状況下でのリベカの保身を尊重しているらしい。周囲に噂の発生源になりそうな女子生徒が一人でも視界内にいたならば、リベカは会話には応じられない意を示しただろう。そして彼はそれを許しただろう。

 リベカ・コルネイユという人間がそういうものだと理解して、容れてくれている態度はありがたい。

 今は他に人目もなく急ぎでもないし、今日は朝から機嫌よく警戒心が薄らいでいるリベカは、のこのこと廊下端の物陰に近づいて行った。

 ブラムがすぐ側の扉を開いて先に通してくれる。そこは屋外の露台入り口だった。彼は露台端の物陰にリベカを誘導し、少しだけ開いた扉の隙間を塞ぐようにして立った。早速顰めた声で要件を切り出す。

「ご存知かもしれないが、私は先日の休みに、ジリアン様とともにフェルビースト嬢とデュアー嬢とご一緒した」

「伺っております」

 自由になる人手が手近にないアンジェリンと実家に内緒で出かけたいグリゼルダの送迎を請け負ってくれたのが、彼らだったらしい。

 アンジェリンは実家との連絡には、基本的に学生の手紙や小包の集配を受け持っている寮の窓口を利用しているし、そこを介さない情報を得たい時には自ら王都の組合に出向いてどうにかして調べを付けてくる。その移動手段も乗り合いの巡回馬車に通常料金を払って行って帰ってくるという具合で、大貴族のお嬢様らしからぬ足回りの軽さを発揮して大抵のことは自分で済ませてのける。

 もはやアンジェリン・フェルビーストとはそういうものだとリベカは思っている。

 しかし単独行と同じノリで、世慣れぬグリゼルダを連れて行くつもりだと聞かされたリベカは文字通り飛び上って反対し、せめてサヴィア様にご相談なさいと強く勧めたのだった。

「その時、前回の長休みでのヴォジュラ領帰省の際、たいそう腕の立つ同じ年頃の少年と知り合ったという話を伺った。なんでも、シェイファーの的確な助言者と同一人物ということだそうだが、それを差し引いてもフェルビースト嬢のその人物への評価は、少々理解しがたいものがあり……」

「ああ……アンジーったら……」

 リベカは束の間遠い目になった。今日、教室で見かけたジリアンは授業態度にこそ粗が出てはいなかったが、おおむね上の空だった。その理由がわかって。

 アンジェリンには相手を煽るなどといった他意はなかったのだろうし、純粋に故郷の新しい友人の良いところを賛美しただけに違いない。純粋だからこそ本心からの称賛だとわかるのだ、聞く者には。

「まずシェイファーにその人物について尋ねてみたのだが、私には彼が何を言っているのか理解できなかった」

「そ、そうですか」

 エイジアの説明は魔法的・感覚的な表現に特化しすぎていて、前衛型のブラムの情報処理能力とは相性が悪いのだろう。

「その人物について、あなたのご意見も伺いたい」

 真剣な眼差しのブラムからは、リベカからなら主人に報告できそうな普通の情報が出てくるに違いないという無言の期待が滲んでいる。そんな妙な信頼を寄せられても困る。

「……バスティード様、去年、班の皆様と闘技場にご一緒させていただきました際には、とても紳士的なお言葉遣いでいらしたと記憶しておりましたが、あの時はよそ行きでいらしたのですか?」

「主に付き従っての外出は全て任務であるゆえ。勿論、例外はある」

 ちくりとした皮肉は、さらりと受け流された。つまり今は例外時間ということのようだ。

「……その人物についての所見はアンジーからお聞き及びのことでしょうから、わたくしから言葉を重ねられることはありませんの。わたくしはアンジー以上に彼のことを知っているとはとても申せませんから」

 リベカの眉尻が下がり肩が落ちる。自分で言っておきながら、そのことが少し悲しいような気がする。

「……能力の寸評までは要求しない。人柄はいかがか。あなたから見て魅力的に映ったのだろうか。どのような点がフェルビースト嬢の関心を引いたと思われるか。主観で結構だ、考えをお聞かせ願いたい」

 ブラムはいつ息継ぎをしているのか。どうして彼は真顔なのか。その手帳はいったいなんなのか。アンジェリンはどんな説明をして、ブラムの主人にどんな打撃を与えたのか。リベカの脳裏をどうでもいい疑問が激流のように洗い流していき、束の間頭の中を空っぽにした。人はそれを現実逃避という。

 とはいえ、書き付けの用意までして待ち構えられては、何も知らないの一点張りで済ませるのも気の毒だと思うくらいの情けはリベカにもある。

 リベカは気持ちを切り替え、話題の主を鮮やかに思い浮かべた。自然と口角が上がる。

「そうですね……わたくしの主観での説明になりますけれども……あの方に初めて出会った時にはお仕事中で、躾の行き届いた使用人らしい完璧な勤務でした。正式にご紹介をいただいてからは、会うといつもにこにこしていて、あの方の周りだけ空気が明るく物柔らかくて、見ているだけで安堵するような気持ちになれました。喋り方がね、ヴォジュラ訛りの他に彼の故郷の訛りが混じっているらしくて、それがまた真率な感じを受けるんですの!」

 前回の長休みで紹介を受けて以来、リベカの記憶の中の彼は常に笑顔だ。なんにでも興味を持って目をキラキラさせて近づいていく幼子に近い開けっ広げな人懐こさと、序列への尊重と年齢と経験への尊敬をごく自然に示す礼儀正しさが同居する、好もしい笑顔だった。

 そういえば、彼も雪焼けした顔色をしていた。ほぼ常に雪が降りしき、そこかしこに掻き分けた堆い積雪の壁が見受けられた冬のヴォジュラにあっては当然だろう。

 彼は、ジリアンやブラムに比べて目元が濃く焼けていて、それがまるで小動物のような愛嬌を醸し出していた。一重の切れ長の目は、例えばこの学校でその特徴を持つ人物を見れば涼やかな印象を与えるものなのに、彼は目をくるくるとよく巡らせ、なぜかリベカより一歳年長という年齢よりも幼げに、純真に見えた。

 いつも姉に髪を切ってもらうのだが、昨年初めに田舎から主都に出てきてからというもの伸ばしっぱなしだとかで、雪焼けした鳥の子色の顔を縁取るつんつんした黒髪を、時折むずかるように払っていた。

 肩の上に乗る使い魔を撫でたり掻いてやったりもするその手指は、大きくはなかったが見るからにごつごつとして、指先は荒れて赤らんでいて、甲には白くなった細かな傷跡がたくさんあった。

「どんなことも前向きに受け止めて、謙虚で勉強熱心で、夢を抱いてまっすぐにそれを目指すひたむきさがおありで。ご家族を深く愛し尊敬していらっしゃいます。彼と話していると、私もこんなふうに朗らかに笑ってどんなことでも受け止めて生きていきたいと思いました。今まで尻込みしていた物事に向き合う勇気が湧いてきました……」

 興が乗ってすらすらと説明していたリベカだが、ふと、ブラムが目を丸くしてまじまじと自分を見ている視線とぶつかり合い、思いがけず熱く語ってしまっていたことに気付いて我に返った。

 頬が熱くなり、自分でもわざとらしいと思う咳を二度する。

「つ、つまり……不思議な方でしたの!」

 強引に話を打ち切った。不自然だがぶった切った。にっこり笑って強制終了した。

 ブラムの開きかけた口元を見て、慌てて言葉を推し被せる。どうしてか、今の自分の発言を掘り下げられると大変恥ずかしくていたたまれない思いをするような気がして。

「といいますか、アンジーがその方に好意的なのは、アンジーの好きな人の弟さんだからです! ですから何もかも良いように見えもするし解釈できるのだと思いますの!」

 それをうやむやにして問答無用の関心を惹くには、これしかないと思って口走った。言ってから、心の中の友人にやけくそな勢いで『アンジーごめーん!!』と叫ぶ。

 しかし羞恥に追い立てられてあたふたしているリベカの口は止まらない。

「いつも剣闘士の誰それが素敵だと彼女は言っていますでしょう? でも実際にヴォジュラでアンジーの好きな人に会ってみると、そのようなむさくるしい方ではありませんでしたの。見上げるほどに大柄で精悍で朴訥で威厳がありましたけれど、剣闘士の誰やらというほどにむくつけしい風ではなくて、野の獣のようにしなやかで涼しげに見える方でしたわ。ええと、つまり、理想と現実は人それぞれで必ずしも一致するわけではありませんし、サヴィア様にも充分にチャンスはあるのではないかということなのです……あっ、でも、私はそのお兄様の為人は全く存じ上げませんので、詳しくお話しすることはできませんの! ですがケイセイさん……ええと、シェイファーさんの助言者のお名前ですけれど、彼はお兄様を本当に敬愛していらっしゃいましたし、いい方なのだと思います。ただ、アンジーに限っては、見た目はそれほどお気になさらずともよろしいのではないでしょうかということで……!」

 途中から、自分が何をまくしたてているのかを把握できなくなってきたリベカだったが、さすがに息が切れてきたので言葉の奔流が途切れた。

 できるだけ平静を装って息を整えつつも内心うろたえまくっている彼女を、ブラムは青い目を瞠ったまましげしげと見ている。メモを取る手も止まっていた。

 リベカは彼の主人に対して口が過ぎたと気づいたが、今の自分の精神状態で誤魔化しを図ると失言を重ねるばかりだと判断できるくらいの理性は残っていたので、突っ込まれない限りは黙っておくことにした。

 顔で少し考える素振りを見せながらメモを取る動きを再開させていたブラムは、ややして手帳を閉じて懐に仕舞った。

 視線の焦点が合わなくなるのは眼前の物事から注意が逸れている、つまり考え事をしている時の彼の癖のようなものだったが、特にその考えを発表するでもなく、目の前のリベカの存在を今思い出したかのように彼女と目を合わせる。

「把握した。そのケイセイなる人物が他者に好印象を残した効果的な特徴を挙げるとするならば、笑顔と人当たりと礼儀正しさ。そしてその兄とやらがフェルビースト嬢のお気に入りで、実際は剣闘士ドドメスや剣闘士ゴンザレスや剣闘士ゾルビーといった者どもと似通ったところはない。そうですね」

 真顔で念を押される。

「え、ええ……」

 確かにリベカはケイセイに対して感じた魅力の一つとして、笑顔という言葉を多く使った気はしている。

 剣闘士ドドメスやゴンザレスといった友人の話題の常連の容姿を全く知らないが、彼女が普段口を極めて褒め称えている人々の大体の特徴を有している人々と思っていいだろうと判断した。

「あ、あくまで私の主観ですからね!? アンジーは勿論、他の方々がどうお感じになるかは保証できかねますよ!」

 リベカは慌てて付け加えたが、はてさてどこまで聞き入れられたものやら。

 彼は参考になったと礼を述べて帰っていき、その日はお開きになった。



 ジリアンとブラムの様子が変わったという噂が、学園の女子勢の間を駆け巡ったのはそれから程なくしてのことだった。

 ジリアンは元から紳士的で愛想のよい人だったが、いっそう物柔らかく、女性に親切になった。それは、傍で見ていたリベカの目にも確かだった。

 例えば、彼の近くで女子学生が転ぶ。彼はさっと駆け寄って助け起こす。肩を抱くに等しい体勢から露骨ではない態度で礼儀正しいといえるだけの距離を空け、気づかわしげな憂いに眉を寄せて尋ねるのだ。

「お怪我はありませんか?」

「だ、大丈夫です……ありがとうございます」

 女子はぽうっとなって、ふわふわと宙に浮き上がりそうな声でお礼を言う。

「どういたしまして。ご無事でよかった」

 ジリアンはにっこりと笑って返す。このにっこりというのが、今までより3割増しくらいのにっこり度合いになっているようにリベカには思われる。

 その他、話しかけられれば微笑んで振り返り「どうなさいましたか」と優しく尋ねる。先生に指名されれば爽やかな笑みを口の端に浮かべて「はい!」と勤勉に応える。にっこりして「この後演習場で模擬戦をしようと思うんだが、君も時間があれば立ち会わないか?」と貴族学級と招待学級隔てなく学友を誘う。

 うさんくさくて気持ち悪い。ケイセイの態度と違って感じるのはなぜだろう。

 肉体改造計画を強行せずに済みそうだとわかったからなのか、肩の力を抜いた感はある。無茶な体作りの訓練は控えるようになったようだ。

 それを教えてくれたブラムまでが、主に便乗したのかこころなしかにこやかになった。

 主人に比べれば稀といえる頻度ながらふとした時に見せる、これでいいのだろうかと自問するかのようなためらいがちなはにかみ笑いが可愛いと女子の間で評判になっていて、リベカは見てはならないものを見てしまった気分で、そっと目を逸らすことになった。

 リベカはあくまでも自分の価値観に照らし合わせて自分の意見を述べただけだ。

 自分のせいではない。きっとない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ