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由無し一家番外編  作者: しめ村
王都の学生の日々
1/13

1年生・1

内容を整理し、1、2話を1話にまとめました。


 オルガンティーノ王国、王州フェイディアス、王都フェイドラ、フェイディアス王立高等学校。

 王国の高等学校の中で唯一の王立で、最も格が高いとされる。この上にもう一段階、卒業生の一部が進む王宮魔術師団や医師団が所属する最高学府である王立研究院が位置しているが、それはかなりの特別枠なので当面は学生たちには関係がない。



 その充実した校内で、王国歴556年度入学式が恙無く執り行われた。

 学生たちは、実家の格や入試の成績や家庭の事情などの背景を考慮され、組分けと寮部屋の振り分けをされ、まずはそこに収まる。

 なお、学生のうち寮の利用者の大半は、才能を認められた平民階級の学生である。全学生を構成する半分以上がピンからキリまでとはいえ貴族子弟のため、王都内に実家や別邸や親戚の家がある者がほとんどであり、そこから通学する者が多いからだ。

 更に、一般入試を突破した者は格安で、特待生ならば一日三食と寮の全設備を無料で利用できるのだ。生徒によっては実家より水準の高い暮らしができるとあって、これを有効活用しない手はない。

 ただ、中には、貴族であっても寮住まいの者もいる。

 例えば、辺境領から上洛して、王都に別荘の一つどころか親戚の一人もないフェルビースト家の令嬢であったり。

 また、家庭の事情とやらで、不本意ながらも平民から貴族の端くれになってしまったコルネイユ家の令嬢であったりする。



 リベカ・コルネイユの朝は早い。

 日が昇ると同時に起床。入学して一月経つ今では、隣室の物音を頼りにせずとも、朝日が射すか射さぬかの頃合に自然に目が覚めるようになった。

 手早く身支度を整え、急いで部屋を出る。

「あら、おはよう、リベカ」

 まだ眠っている周囲の部屋の学生たちを憚り、小さな声での挨拶が投げかけられる。

 隣の部屋から出てきて今にもリベカに背を向け歩きだそうとしていた少女が、足を止め体ごと振り返ったところだった。

 たった一人の友人の変わらない態度に、リベカの頬は緩む。

「おはよう、アンジー。今朝は寒いわね」

「あら、そう? ヴォジュラじゃこのくらい寒いうちには入らなくてよ。それに今日はよく晴れそう」

 北方は冬の寒さが王都と段違いだというし、彼女がそう言うならそうなのだろう。

 ヴォジュラというのは、アンジェリンの父が治める、王国最北西端の辺境領ヴォジュラ領のことだ。

 王国が現在の形になる以前から、魔物が生まれる所と伝えられている魔境との壁の役を果たしている辺境領で、フェルビースト家は元々はその地に根付いていた豪族だったそうだ。周辺領との和を重んじ王国に下ったが、今なおその独立性は強く、ヴォジュラ領の内情はあまり中央には伝わってこない。

 そんな土地で押し寄せる魔物から人類の領域を守ってきた武門の家柄であることだけは広く認知されており、領主であるフェルビースト一族は皆何かしらの形で魔境との境界防衛に携わるという。

「フェルビーストというのはね、魔境の番犬を意味するのですって」

 以前知り合いに教えてもらったという異国の言葉で自分の家名が持つ意味を、アンジェリンは誇らしげに胸を張って語っていた。

 その異国とは言語形態が全く違うそうなので、どうやってか伝わったものではなく、偶然の一致だろうとも前置きされたそうたが、アンジェリンはその一致を気に入っているようだ。

 家族と郷土を愛し、自分の生まれを誇るアンジェリン。

 リベカはそんな彼女を羨ましく妬ましく、でもそんなところを好きでもある。

 無人の女子寮の廊下を並んで歩きながら、リベカはアンジェリンの、まっすぐ背筋を伸ばし自信をあふれさせて歩く姿を、しげしげと眺めた。

 物言いばかりか仕草や整っているが勝気そうな容貌までをも含めて首から上は、典型的な高慢な貴族令嬢に見える。

 首から上だけなら。

 きれいな顔立ちといえるだろう。化粧をして、髪を整えてドレスなど着れば出自に相応しい見栄えのする素材である。赤みの強い茶色の長い髪をしっかりとまとめ上げ、瞳は焦げ茶色で、笑ったり怒ったりと感情の起伏が激しく上下すると橙色の火花がちらつく不思議な目をしている。肉付きは薄め。本人がまだまだこれからだと自分に言い聞かせているのをリベカは知っている。

 しかし今ここで特筆すべきは、彼女の造作よりも出で立ちの方である。

 武術実習で着用する男物の運動着と平靴を着用した女子力が底を尽きそうな姿は、とても貴族令嬢には見えない。しかもその運動着は、兄のお下がりだという。

 大貴族フェルビースト家の末姫として甘やかされて育ったのは確からしいのだが、受けた教育がちょっとおかしかったみたいなのだ。

 ちなみにリベカの恰好も、アンジェリンと似たような汚れてもいい動きやすい運動用の服である。一年と一月前まで東方の小村で暮らす平民だった彼女にとっては、別の意味で抵抗がない。黄味がかった茶色の髪を、これから行う運動に備えて、三つ編みにして頭の上でまとめている。

「大丈夫よ。体操をして、走っていればすぐに体が温まるわ」

 アンジェリンは、扇でも手にしていたなら高い音を立てて打ち鳴らしそうな堂々たる態度で踵を返し、リベカを従え階下へ向けて寮の廊下を突き進んだ。

 早朝の体力作りを始めるために。

 彼女は、入学以来一日も欠かさずその日課を続けている。いささか体育会系のお嬢様なのであった。


 女子寮のまだ誰もいない受付前で、二人は体操を行い、体を解した。

 アンジェリンが入学する前に件の知人から教わったという、全身の筋肉を効果的に動かし美容と健康にいいらしいこの運動である。全力でやると息が切れたものだが、一月も続けていると体力が残るようになってきた。

 さて走ろうかと寮を一歩出た途端、少女たちの前に立ち塞がる影が二つ。

 いや、正確には立ち塞がっているのは一人分で、もう一人はやむなくその場にいるだけなのだと全身で物語っている。

「待ちかねたぞ、フェルビースト! こんな時刻にこそこそと、秘密の特訓を積んでいたのだな!」

 腕を組んでふんぞり返った姿勢で吠えたのは、リベカとアンジェリンの同級生の男子である。

 一応、人が寝静まっている時刻を憚って、心持ち潜めた声での怒鳴り声。こんな態度でもやはり一応は貴族の子息なので、それなりに周囲への配慮だとか分別だとかは持っているらしい。

 その横で頭の痛そうな顔をして黙っているのは彼の従者兼学友の、同じく同級生男子。

「サヴィア様、確かお屋敷から通われていらっしゃるんじゃなかったかしら?」

 アンジェリンがいまいち自分の記憶に自信が持てないといった様子でリベカの方を向き、こそりと呟く。リベカは頷いて、こそこそと耳打ちを返す。

「サヴィア家のご本家は王都の貴族街区の中心も中心にあったはずだけど。送り迎えする馬車が毎日通用口の車寄せまで来てるわよ」

「ということは、わざわざあたくしたちよりも早起きをして、送ってもらって来られたというの? なんのために?」

 アンジェリンは困ったように片頬に手を添え、小首を傾げる。眉尻を下げる仕草も顔つきもなよやかで、そこはかとなく色っぽい風情なのは天性のものだろう。着ているものが年季の入った運動着であってもだ。色んな意味で、リベカには逆立ちしたって真似できない。

「たぶん、あなたに対抗心を燃やしてでしょうね」

「まあ、いやだわ。兄上の仰ったとおり目立たないようにしていたのに、どうしてかしら」

 寝言は十分な睡眠をとってから、自分の過去の行いを隅から隅まで振り返り、言いたいことをよく吟味した上で口にしてほしい。

「……成績優秀だと、どうしてもある程度は注目されるものだと思うわ」

 とても本音は言えなかったので、リベカは無難な表現に置き換えた。


 本年度の首席入学者でもある目の前の少年が、同年入学した辺境領主の娘に何かと突っかかっていることは、新入生にとってはもはや周知事項だ。

 彼がアンジェリンに目を付けた理由は色々とあるのだが、少なくともアンジェリンが期待していたほど存在感希薄になりきれていないことも要因の一つではあろう。

 この少年は、学校では結構な有名人だったりする。王都で権勢を誇る大貴族サヴィア家当主の息子で、神童の呼び声高く文武両道、将来は王宮騎士団の筆頭騎士の座は間違いないと噂される有望株なのである。

 王侯貴族の子弟にのみ入団資格を与えられる王宮騎士団は、家格、武芸の腕前、高等学校での成績に加え、外見にすら入団資格に細かい規定があるとまことしやかに囁かれるくらいの美男子揃いとくれば、貴賎を問わず女性たちから常に熱い視線と称賛が惜しみなく注がれる、国軍の花形的存在だ。

 貴族男子は基本的にはここへの入団を目指して学問と武芸に励む。

 基本的にはということは、中には例外もいる。例えば卒業すると同時に一直線に自領に帰って、学生時代に内定させていた就職先に収まったらしいアンジェリンの10歳年上の兄とか。


 そんな王宮騎士団への入団確実と言われるサヴィア少年だが、現在では彼の兄の方が名が売れている。

 その兄は若手の王宮騎士団員であり、ゆくゆくは家督を継ぐ立場の長男でもある。サヴィア家のザカリアスといえば、現筆頭騎士のレヴァイン氏が退けば次の筆頭騎士は彼であろうと気の早い評判が立てられているほどの剣の腕前と高潔な精神、更に眉目秀麗ということもあって、王都で知らぬ者はないとまで言われている少壮の貴公子だ。特に若い娘の間での認知度は、絵姿の流通が爆発的であったことから容易に察せられる。

 その弟もまた兄と非常に似ているとくれば、同年代の貴族令嬢たちの結婚相手としての付加価値は計り知れない。

 そんなサヴィア家の麗しき兄弟のことは、田舎から王都の祖父母に引き取られて一年半程度のリベカであっても、憧れとともに知っていた。

 なのにアンジェリンは知らなかった。

 彼女は生粋の貴族令嬢である。生まれてから高等学校に入学するまで辺境の領地を出たことがなかったおのぼりさんであっても、大貴族の令嬢である。もちろん、貴族の中でも高い地位にあるサヴィア家のことは知識として心得ていた。

 ただ、当主の息子二人が偶像化されているほどおモテになる存在であることを知らなかったのだ。

 ついでに、入学の日に学級中の学生が一人ずつ自己紹介をした時、学級中の女子が彼に見惚れてうっとりする中、彼女だけは全くそんなことがなかった。後で聞いたところによると、『だって女の子だと思ったんですもの。殿方だとしても、あたくしの好みじゃないわ』とのこと。それもまた、サヴィア弟の自尊心を逆撫でたと思われる。その発言がなぜ彼にもたらされたのかはリベカの知るところではないが、彼に話しかけるネタを欲していた誰かが、親切を気取った結果だろうと思っている。

 加えて彼が主張するには、サヴィア兄とアンジェリンの兄とは高等学校時代の同級生で、何やら悶着があったらしい。

 らしいというのは、サヴィア弟の方はかなり気にしている兄同士の過去の諍いとやらを、アンジェリンは全く知らなかったからである。

 つまり、傍目にはサヴィア弟が一方的にアンジェリンに難癖を付けているようにしか見えない。


 ふふん、とサヴィア家の次男は得意げに笑った。生来の品の良い顔立ちに、年相応の生意気さが生彩を添える。淡い金髪に青い瞳と、見た目だけなら小さな王子様めいた容貌なのに、今はただのやんちゃ坊主だ。

「おまえが毎朝寮の起床時刻より早く起きて、特訓を行っていることは調べた。何をしているのか、この僕直々に突き止めに来たのだ」

「何と仰いましても、ただ走るだけですわ。木剣は授業中にしか貸与されませんから、素振りもできませんもの」

 勝手にその辺の木の枝を折り取るなどして振り回していると考課表にマイナスを食らってしまうので、即席の木剣を用意することもできない。ちなみにこの学校の清掃は毎日専門の業者が専門の機材を持参して行うため、掃除用具というものは非常用として限られた場所に設けられた鍵付きの物置にしか存在しない。つまり箒やモップといった手頃な棒きれも入手できないのだ。

「ふむ、人知れず特訓を重ね、努力によって不利な性差を補っているのだな。見上げた心意気だ」

 体力差といっても、彼ら新入生はまだ12、13歳。それほど身体能力に優劣はないはずである。もう二、三年もするとどうすることもできない違いが表れてくるものだが、努力が結果として出るのはその頃になってからでもある。

「陰の努力は認めるが、それをおまえの専売特許としておくほど僕は甘くはない。空狼イェルクは鼠を仕留めるにも全力でかかるという。僕は本気だぞ」

「同意いたしますわ。油断は命取りになりますもの。それでは、あたくしたちはこれで」

 アンジェリンが慎ましく一礼して横を向こうとすると、少年は慌てたように声量を大きくした。

「確かにおまえは奇抜な技で存在感を示したが! この僕が同じ土俵に立つからには、そんな差などすぐに覆してやる!」

「サヴィア様の武芸の腕は学年でも抜きんでておいでですわ。あたくしなど及びもつかぬお強さとおなりでしょうね。では、あたくしたちは失礼してもよろしいでしょうか」

「ま、まだだ!」

 焦ったように坊ちゃんは喚いた。それでも声を潜めている辺りは大したものだ。

「まだ何かおありですの?」

 努めて冷静に応対しているが、アンジェリンは速く走り出したくてうずうずしている。朝の時間は飛ぶように過ぎるのだ。こうして立ち止まって益体もないことを喋り合っている時間がもったいない。

 リベカは彼の言いたいことを薄々察したが、本人の前で補足するべきことではないと思ったので黙っておくことにした。

「……つまり、ジリアン様はフェルビースト嬢とコルネイユ嬢の朝の特訓にご一緒したいと仰せなのです」

「ブラム!」

 見かねて口を出した従者を、ジリアン少年が明らかに図星を言い当てられた人の気まずさと、むきになった人の反抗心がないまぜになった顔つきで睨む。頬が赤くなったのは照れくささゆえであろうか。


 一方、アンジェリンはジリアン本人から聞いたわけではない、ジリアンの目的を、理由も訊かずに快諾した。

「まあ、そうでしたの! 学生生活を恙無く送るための資本は健全な肉体、そしてそれを維持する体力ですわ。それでは今からサヴィア様とバスティード様もご一緒いたしましょ! 少し時間が押してまいりましたので、駆け足で学校の外周を三周、参りましょうか!」

「さっ……!?」

 男子二人組は絶句した。ついでにリベカも顔色をなくした。

 学園の外周三周という距離は、リベカの記憶に誤りがなければ、ジリアン達が貴族街区から馬車に揺られて運ばれてきた距離の1.5倍に相当する。この学校、二、三街区くらいはすっぽりと入ってしまいそうなくらいに広いのだ。

 朝っぱらからそんなに走っては、育ち盛りの男の子は昼を待たずに空腹で授業どころではなくなるしれない。ただでさえ実家からの通学者だ。寮で朝食にありつけるリベカとアンジェリンとは引き替えにする物が違いすぎる。

「ま、待って、アンジー。詳しい訓練内容をご存じなかった方々に、いきなりいつもの練習量を要求してはいけないと思うの」

 学園の王子様が腹の虫を鳴らしながら授業を受けるなど、あってはならない。それを聞く者も、いてはならない。まして、それにリベカ達が関わっているなどと知られようものなら、今後の学校生活の危機である。

「そう言われればそうね。準備運動もなしに走っていい距離ではないわね」

「そう、そうよ!」

 そうじゃない。でもアンジェリンが納得するならそういうことにしてもいい。

「フェルビースト嬢、気軽に仰るが、この学校がどれだけ広いかおわかりですか!?」

 慌てて叫んだのは、ジリアンの従者の少年。あっぱれなことに、それでもリベカ達の背後にそびえる女子寮の住人を叩き起こさない最低限の配慮がなされていた。

 ジリアンの乳兄弟でもある彼自身そこそこの貴族だが、格はアンジェリンの実家の方が上なのだ。

 現在進行形で人に仕えている仕事意識からか、バスティード少年は形式にこだわる傾向にあり、少々お固いようである。

「あ、そうですわね。そのお姿では走りにくいかと存じますわ。汗もかきますし、次からもおいでになるのでしたら、動きやすい服装と、着替えをお持ちになった方がよろしいわ。寮の浴場は朝には停止していますけれど、水だけならば自由に浴びられますから、汗も流せましてよ。多分男子寮でも同じだと思いますわ」

 いかにも名案を思いついたと言わんばかりに両手を打ち合わせてにっこり微笑むアンジェリンにひきかえ、男子二人はますます顔を引き攣らせる。

「水ならって……この時期に……?」

「そこの水たまりに張ってる氷が見えてないのか、おまえ!?」

 リベカは友人について色々な意味でおかしいと改めて感じたが、賢明にも黙っていた。そんな友人と一緒に走り(いつも途中で脱落するが、その走行距離は日々伸びている)、冷水で体を清めることに慣れてきた自分も大概フェルビースト色に染まりつつあると、いささかのショックとともに実感したからだ。

 それでも、彼女と友人になったことを、後悔してはいない。




 リベカとアンジェリンの出会いは、入学前日に遡る。

 入寮時に部屋が隣同士だったため、挨拶をした。その時はそれだけだった。

 貴族と平民はそれぞれ学級を分けられており、貴族の組は三つある。アンジェリンとは同じ学級で、貴族学級三組の中で寮の顔見知りはアンジェリンだけだった。そのように取り計らってもらえたのだろう。

 もう一人、寮の食堂で見かけた顔が別の貴族学級の男子の中にあったような気がするが、寮で男子と顔を合わせるのは食事時の食堂でか、自由時間に任意で赴く学習室くらいのものなので、関わりは全くない。

 その日も、入学式とその後の説明会や施設案内などを粛々と行うだけで、アンジェリンとは取り立てて深く話はしなかった。


 二人が急接近したのは更にその翌日。

 学生の実力を量るため、数日かけて一通りの授業を行う入学最初の護身術の授業で、数人の女子に取り囲まれ、ちゃんとした教育を受けていらっしゃらないようだからわたくしたちが手ほどきして差し上げるわ、との名目で、訓練に取り紛れた暴力行為を受けた。

 といっても授業の最中のことであるし、お嬢様のなさることなので、手を取ると見せかけて爪を立てたり、体の陰で髪を引っ張ったりといった暴行というにはかわいらしいものだ。両親と東領の村で暮らしていた頃には近所の子と取っ組み合いの喧嘩などもしていたリベカにとって、耐えられないものではなかった。

 それでも痛くないわけはないし、そういう仕打ちを受けた、その事実に傷つくのが人情というもの。

 リベカは迫害は覚悟していた。だからその時も挫けなかった。やられっぱなしで泣き寝入りなんてできなかった。

 コルネイユ家に引き取られてから入学試験までの一年は、座学と礼儀作法を覚えるだけで手いっぱいだったため、護身の術はほんの基礎すら身に付けていなかった。彼女がその時点で採れた対抗手段はそれこそ取っ組み合いの喧嘩の流儀でしかなかった。それをすればたちまち加害者に仕立て上げられるとわかっていたから、歯を食いしばって耐えた。

 令嬢方のどなただったかが言った、『鄙の出で栄光ある学舎の貴族学級に入り込むなんて』という発言に応えるかのように、いつの間にか近くにやってきていたアンジェリンが、『あたくしも鄙の出で王都の方々の華やかさには圧倒されておりますの。よろしければコルネイユ様、あたくしと二人一組で練習をいたしませんこと?』と、明らかに取り込み中だったリベカと令嬢方に対して、場違いに朗らかな声をかけてきたのが始まりだった。

 鼻白んだお嬢様方がそそくさと離れて行って、二人だけになっても、アンジェリンは目撃していた出来事について触れなかった。『では、何から始めましょう。何か、身に付けたい技などありまして?』と、何事もなかったかのように訓練の続行を促した。

 憐れまれてのことであれば、二人の交流はその場限りのものだっただろう。しかし幸いにもそうではなかったので、二人はなし崩しに友人になった。

 アンジェリンは護身術どころか実践的な剣術をみっちり仕込まれていて、同学年の女子では最強でもある。それも、その授業で誰の目にも明らかになったことだ。

 それ以来、直接的な被害はぱたりと止んだ。


 今でも、大貴族の令嬢で成績優秀なアンジェリンとつるんでいる意義は大きい。少なくとも、彼女といる間は貴族学生からは何も言われない。言われてもささやかな負け惜しみ程度。

 アンジェリンとて中央貴族の学生からは、田舎者だのちょっと目立つからっていい気になってるだの、万年二位の女とか陰口を叩かれている。

 武芸科目の首席者はサヴィア家のジリアンだ。魔法科目の首席者は別の貴族学級の男子学生で、教養科目は新入生一の美少女とも名高い中央貴族デュアー家の令嬢がぶっちぎりの単独首位を独走している。

 アンジェリンはそれらの科目全てにおいて、入学以来二位を保っているところから来た悪口である。なお、一般座学の首位と二位は科目ごとにこの四人が入り乱れる混戦状態となっている。

 でも、自分が悪く言われてもアンジェリンは気にしない。

 目立たないことを心がける彼女は、衝突を避け、自分がつきあいたい者とだけ交流を持つ。そうした人々は基本的に人柄がよろしく、リベカに批判的な態度を取ったりしない。

 逆にそれがフェルビースト家の者は付き合いが悪いだとかお高くとまっているなどとアンジェリン個人への非難の要因となったりもしているのだが、やはり彼女は気にしない。

「兄上から、うちの人間はみんなそう言われるって忠告されていたもの。万人に気に入られるようになんてできないなら、自分にとって居心地のいいおつきあいをしたいわ。この点に関しては、あたくしは我慢なんてしないの」

 顎を逸らしていかにも我が儘なお嬢様といった風情で言い切ったアンジェリンは、次いでふ、と静まり返った目をした。

「それに、上には上がいるということを、あたくしは知っていてよ。だからあたくしにだって人並みの向上心はあるつもりだけれど、首位にはこだわらないわ。学校で一番になったって、何の意味もないもの」

 リベカは、アンジェリンは武芸の授業ではジリアンに首位を譲っても、本気で相手を打ち負かすつもりのぶつかり合いならば、彼に容易く勝ってしまうことを知っていた。とはいえ、形式にこだわらない自由を謳歌しながらも優秀な成績を維持するものが、これまでに積み上げてきた基礎能力の賜であることも知っている。

 能力も努力の貯金もないリベカは、とにかく時間を惜しんで勉強を頑張るしかないのだった。悲しい凡人の限界である。



 フェイディアス王立高等学校では、特待生のための特級授業がある。

 特待生は武芸か魔法のどちらかの才能を見込まれて特級に組み込まれている。リベカの友人アンジェリンは魔法の特待生、サヴィア家のジリアンは武芸の特待生というように。

 リベカは他の大半の学生と同じで、詰め込み方式の勉強で一般入試をなんとかくぐり抜けた口だ。むしろ準備期間一年でよくぞ滑り込めたものだと自分に感心している。

 もう一年入学を送らせれば、もっと入念な準備はできただろう。

 しかし一年遅れの入学者という肩書は、ただでさえ気づまりな元平民貴族という出自と併せて悪目立ちしすぎる。どんなに土台を固めても、貴族学級にいる以上、出来の悪い平民上がりという評価は常について回るだろう。ならばなんとしても通常の時期に入学を果たし、浪人という経歴は回避しようと考えたのだ。

 どうにかこうにか成功して、それでこの様なのだから、来年入学していればどうなっていたやら。

 頑張ってよかったと心から思う。

 平民上がりの貴族令嬢なんていういわくつきの肩書が邪魔をして、どちらの階級からも遠巻きにされながらも、アンジェリンという友人ができた。成績は最下層だけど、努力の甲斐あってか一度も赤点を取ることなく半年を迎えようとしている。まだまだ予断を許さない状況だが、留年はしなくて済みそうだ。

 それもアンジェリンと、自分のような立場の者を気にかけてくれる一部の親切な先輩たちのおかげである。

 ここで一生分の運を使い果たしたような気がしないでもないが、きっと気のせいだろう。まだまだこれからいいことだってあるはずだ。

 あとは成績維持して、できればもっと高めて、一部の矜持の高い貴族のお嬢様がたに睨まれないように気を付けて万事控えめに過ごしていれば、あと五年半の在学期間中に、身の丈に釣り合った階級と能力と気の合う男子と知り合って、恋愛とかも、できるかもしれない。

 この高等学校がそういう側面を持つ機関であることは、貴族位にある者なら誰でも知っている。

 在学中に釣り合う男性と出会えればよし、さもなくばやがては祖父母が身繕った相手と見合い結婚ということになるはずなので、リベカとしてもまるきり他人ごとではないのだ。その可能性は限りなく薄くても、夢くらいは見たっていいではないか。


 閑話休題。


 三日に一度、放課後に特待生だけの課外授業が行われる。

 リベカにその内容は知る術もないが、より分野の専門性に特化したものであるのだろう。

 今日は三日に一度のその日で、アンジェリンは魔法特級に行っていた。

 つまり、アンジェリンしか友達らしい友達のいないリベカは、その間一人で過ごさねばならない。

 これが結構つらい。

 ただでさえよろしくない成績向上のためにと校舎併設の図書館に行けば、『平民上がりがのこのことこんなところにまで』『今日は威を借りられる空狼イェルクはいないようね、とうとう飽きられたのかしら?』『ほら、今日は特級日だから、まとわりつきたくてもついていけないのよ』『まあ、かわいそうに。成り上がりとはあんなに無様なものなのね』『平民は平民らしく出しゃばらずに大人しくしていればよろしいのよ』などと、貴族位のお姉さま方からちくちく攻撃される。

 寮の学習室にいれば、寮生の大半を占める平民出身の学生からは俄か貴族として遠巻きにされている。攻撃されないだけこちらの方がましだろう。

 血気盛んな男子生徒の一部からは、お貴族様なんだからお屋敷に帰れよなどと当てこすられたことはあるが、そんな気楽に帰れる家があるのなら、そもそも寮に入ってない。

 リベカがアンジェリンの早朝鍛錬に同行させてもらっているのは、彼女の強さに肖るためであり、『辛いなら無理せず辞めればいいのに』との嘲りを少しでも減らすためでもある。


 自室にこもって今日の復習に取りかかるも、すぐに行き詰ってしまう。

 そもそも知識量が絶対的に足りていないのだ。アンジェリンがいる時ならわかりやすく解説してくれてなんとか理解が追いつくのだが、そうでなければ途端にこれである。悔しいが、いくら悔しさが募っても頭の良さに変換することはできない。

 仕方がないので、寮の学習室に向かい、参考書を物色することにする。


 寮の学習室は、一歩踏み込むとすぐに司書台があり、利用の都度学籍情報を書き入れ司書に確認を受けて初めて中に入ることができる。

 なぜかというと、学習室そのものは男子寮と兼用の間続きとなっているからだ。

 男子寮側の出入り口にも同じ司書台があり、入退室を事細かに管理される。学習室閉鎖の時刻になっても退出の確認が取れていない者が居残っていたり、男子寮から女子寮へ、あるいはその逆の侵入を図る不届き者を取り締まるためだ。

 なお、これほど監督が厳しくなったのは過去のいくつかの前例に因るもので、それは男子寮側から女子寮側への侵入未遂が圧倒的に多かったことを付け加えておく。

「あら、コルネイユさん。いらっしゃい」

「あっ、モス先輩、こんにちは。学習室委員だったのですか?」

 司書台の向こうにいた人は、楚々とした黒髪黒目の背の高い少女であった。女子寮で新入生の世話役を務めてくれたローナ・モス先輩だ。入寮初日からリベカの複雑な出自を慮って気を配ってくれた、ありがたい人である。

「委員は学習室の施錠も担当するから、一番遅くまでここにいられるのよ。その分長く自習できるから願ったり叶ったりなの」

 ローナ先輩はおっとりと笑った。素朴に切り揃えられた前髪が小さく揺れる。村の世話焼き姉ちゃんを思い起こし、リベカも釣られて笑う。

 放課後の寮だからローナ先輩は私服で、リベカの故郷の村ともそう遠くない土地の出身なのか、大きさの異なる胴衣を重ね着して色違いの襟元や袖を覗かせるゆったりとした服装が似ている。先輩と出身地の話で盛り上がれるほどには親しくないので、推測を巡らせるに留めておいた。

「今日は何か探しに来たの?」

「はい。算術と地理の参考書をお借りできないかと」

「授業内容に即したもののほうがいい? 応用問題集なんかもあるわよ。ちょっと待ってて、誰か代わりにここにいてくれる人を……」

 わざわざ案内してくれるつもりなのか、ローナ先輩が司書台から出てこようとしているので、リベカは慌てて止めた。

「あの、大丈夫です。ちゃんと案内板もありますし、自分で見つけてきます。これからも来ることがあるでしょうし、その都度委員さんに手伝ってもらうようではいけないと思うので」

「そう? 参考書類はあっちの、左奥の方よ。男子寮側とはちょうど真ん中あたりになるかしら。男子と出くわすことも多いから、気を付けてね。たまに逢引き中の男女にもね」

「うわあ、気を付けます」


 出入りこそ厳重だが、中は普通の図書室だ。

 ずらりと本棚が立ち並び、分類ごとに案内板が取り付けられている。机と椅子が用意された一角で、勉強熱心な学生が自習や読書に励んでいる。自分の時間に耽っている彼らは、リベカが足音を忍ばせて入り込んできても、ちらりと一瞥しただけか、何の反応も示さない者ばかりだ。

 リベカはよそよそしくなったり冷たくなったりしない空気にほっとしながら、棚の横手に打ち付けられた案内板を頼りに、算術と地理の項目を探し歩いた。

 故郷の村では殆どお目にかかることはなかった高級品の紙が、王都では比較的安価に取り沙汰されていて、こうして大量の書物として収められている。この部屋の中身いくらくらいするのかなあ、などと考えながら背表紙を目で追っていると、突然横合いから声をかけられた。

「君、新入生? 学習室は初めて?」

「ふわっ」

 人当たりの良い声だったにも拘わらず過剰な反応をしてしまったのは、内心の不料簡が口に出ていて訊き咎められたのかと焦ったわけではない。まさか自分に悪態ではない言葉をかけてくる者がいようとは思いもよらなかったからだ。どぎまぎしながらリベカは振り向いた。

 まず目についたのは、熟したリブルの実のような灰がかった黄色の肌。学校の制服を着たままなので服装から出身地を判断することはできないが、癖の強い黒髪と黒い瞳をいきいきと輝かせたその容貌は、この辺りでは珍しい南方領から来た学生だと伝えている。

 少し年上の面差しの男子学生が人のよさそうな微笑を浮かべて、一人で読むには多すぎる書物を両脇に抱えて立っていた。

「は、はい。今年入学しました。算術と地理の参考書を探しています」

 恐縮してお辞儀をするリベカに先輩男子は「ああ」と一つ頷き、先に立って歩き出した。

「算術はこの列の二つ目の棚、地理は後ろ側の右四つ目の棚にあるよ。一年生の授業の進行に合わせたものが必要なら、学校推薦図書のラベルが貼ってあるのがお勧めかな」

 説明の合間に、手際良く抱えていた本を抜き取り、書棚の隙間に戻していく。彼も学習室委員らしい。

「ありがとうございます、先輩」

「うん。じゃあ」

 名乗ることもなく去っていった親切な先輩を再度お辞儀して見送り、リベカは本の群に向き合った。


 ややして、これはと思う参考書二冊を手に、司書台へと向かう。

 ローナ先輩はリベカが提出した参考書が確かに題名通りの文書であり、持ち出し可能なものであるかを確認して、貸出帳票のどこに何を書いてねと教えてくれた。

「そういえば、さっき、男子側の学習室委員さんらしき人に遭遇して、これがお勧めだって教えていただきました」

「今日の男子の委員はノット君だけど、彼、司書台から離れてたの? そういう隙を狙って不正な持ち込みや持ち出しが起こるのに。ちゃんと代理の人を置いてたんでしょうね。ノット君ならやりかねないわ……」

 ちょっとローナ先輩の眉が釣り上がっている。こういう楚々とした無害そうな人ほど怒らせると怖いのだ。これは藪蛇だったかとリベカは慌てて男子先輩を弁護する。

「いえ、でも、返却された本を元の場所に戻して回ってるみたいでしたし、一応お仕事中だったんじゃないでしょうか」

「……もしかして、南方系の見た目だった?」

「そうです……」

「じゃあヘクト君だわ。彼、自分の当番の日以外も毎日来て、勉強したり他の委員の仕事を手伝っているのよ。そうね、彼が選んだ参考書なら間違いないと思うわ。このラベルのシリーズはわかりやすいし、練習問題も豊富だから」

 リベカは胸を撫で下ろした。知られざるところで損なわれようとしていたヘクト先輩とノット先輩の名誉は守られたようだ。ローナ先輩のご機嫌も直って一件落着である。

 途中で止まっていた貸出帳票への記入を再開するリベカを見るローナ先輩は、やさしげに目を細めた。

「頑張っているのね」

「ええと、はい、なんとか食らいついています」

「知りたいことがあれば、気軽に学習室に来てね。ここには勉強する気のある人しか来ないし、皆先輩だから、わからないところは質問してくれれば教えられるから。もちろん私も放課後は大抵ここにいるから、相談に乗るからね」

「はい、ありがとうこざいます」

 いい人だ、ローナ先輩。

 自分も大きくなったら、こういう風に。アンジェリンみたいに目立ちはしないけれど、こんな風にささやかに誰かの力になれる人になりたい。

 リベカはそう思う。

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