第四十七話「江口久熊と星空叶亞の関係」・2
体育祭編は変態成分多めです。
《そうね……ちなみに、どのくらいで着くのかしら?》
《ん? そうだな……》
質問されて、ふと自身の手首を見る久熊くん。手首に着けられた腕時計で時間を確認する。
《約三十分くらいだろうか》
確かに時間はかかっているものの、思いのほかそこまで時間がかかるわけでもなかった。てっきり私はもう少し――一時間くらいかかるのではないかと思ったのだ。そんな私の予想に比べればまだマシな時間だった。このくらいであれば、往復するとしてもそんなに面倒だとは感じないと思う。
しかし、ここで私は人の話は最後まで聞くべきだと改めて思った。
《――近道を使えばな》
《え? どういうこと?》
《今言ったのは近道を使った場合の時間だ。もしも使わなければ一時間以上はかかるだろう》
それを聞いて私は怖気を感じた。一時間以上!? つまり、最低でも一時間はかかるということだ。そんなの私の足が持たない。そもそも、一年の大半を執事の送り迎えで過ごしている私だ。それなのに、一時間もかかる距離を往復などすれば、次の日には確実に足の筋肉がパンパンに張って大変なことになるだろう。
《それはさすがに……》
《そうか? まぁ、俺が君をおんぶしてゆくという方法もあるが……》
その選択肢に私は思わず顔を真っ赤にした。お、おんぶ!? と、とんでもない! どうしてこの男に私の体を触れられなければならないのだ。そんなの生理的に受け付けないに決まっている。
《い、嫌よっ!》
内心で思ったことをそのまま口にする私に、久熊くんはフッと鼻で笑った。もしかすると、私がこう返すことがわかっていた? まぁ、それはともかくこのままここでこうしているのも無駄だ。時間を無駄にするのはあまりにももったいなさすぎる。
《では歩いて行くのだな?》
《ええ、歩くわ! 歩きますとも!》
ついついムキになって私は強気でそう口にした。
こうして私と久熊くんは星空邸を後にして江口宅を目指すことにしたのだった……。
あれから何分経過しただろうか? 足が痛い。もう歩くのに限界を感じている。でも、久熊くんの歩速度は遅くなることはなく、未だに軽やかな足取りだ。やはり毎日その足で歩いている人は、足腰の筋肉もすごいのだろうか? あまり、そこらへんの事はよく分からない。
今、雨は少し収まってきている。このまま止んでくれれば久熊くんから少しでも距離を置けるのだが、さすがにそこまで都合良くはいかない。ちなみに久熊くん曰く、後三十分くらいで到着とのこと。まだ後三十分も歩かなければならないのか……。まだまだ先は長いと見える。
と、その時、久熊くんが振り返って言った。
《やはり近道を通った方がよかったのではないか?》
《いいのっ! それに、今更近道なんて……》
そう、私はある選択肢をミスってしまった。というのも、思わず意地になってしまったのだ。これが私の悪い癖。どうにも負けず嫌いな部分があるらしい。それほどまでに強い負けず嫌いではないのだろうが、私は久熊くんに向かって近道を通るという選択を選ばなかった。
そして現在――私は思いっきり後悔していた。なぜあの時近道を通ると言わなかったのだろうか。自分で自分を殴りたい気分だった。ただし、そんなことをすれば私は傍から見たら変人にしか見えないのでやめておくことにする。
《今ならまだ間に合うぞ? この路地裏を通れば後十分で家につく》
その言葉が私には天の声にも聞こえた。通常の道ならば三十分のところを、この見るからに狭くてジメジメしてて暗がりの路地裏を通るだけで十分後には着く!? そんな美味い話、普通ならば信じないだろう。しかし、私の足の痛みが精神にまで異常を来していたせいだろう、私は静かに頷いてしまっていた。
《こちらだ》
そう言われて私は路地裏に案内される。
《お先にどうぞ?》
こんな狭苦しい場所でレディファーストをされても困るのだが、せっかくの厚意なのだから有り難く受け取っておくことにする。
私は路地裏へと入った。こんなところを家族に見られたら絶対に怒られるだろう。にしても、本当に狭い。こんな時程大きな胸が邪魔だと思ったことはないだろう。制服がブロック塀にすれてボロボロになるのが怖くて、必死に注意を払っていた。だが、そのせいで私は開けてくる視界の明るさに疎くなってしまっていた。そのせいだろう、後ろから私の名前を呼ぶ久熊くんの声が聞こえなかった。多分、雨のせいもあるのだろうが、私が別のことに意識を集中させすぎていたのが多分にあるだろう。
結果――。
バシャァアアアンッ!!
《……》
《だ、大丈夫か星空叶亞さん!?》
黙り込んだまま顔を俯かせる私に、久熊くんが心配そうにそう声をかける。その様子は先程の私とは真逆の立場だった。ちなみに先程私に向かって思いっきり水たまりの水をぶっかけてきたのは配達トラック。向こうも突然路地裏から姿を現した私になど、気にも留められなかったのだろう。そのせいで私は全身ずぶ濡れになる有様となった。
ポタポタと私の金色の髪の毛から汚い水たまりの水の滴が垂れる。制服に水が染み込んできて、一気に不快感がこみあげる。スカートの中にも染み込んできて、下着も何もかもビシャビシャだ。一気にネガティブな気分になる。
私がどよ~んとした空気を漂わせていると、私の髪の毛を誰かがタオルで拭いてくれた。誰――と言ってもこの場には一人しかいないのだが……。
《あ、ありがとう》
《いや、俺の失念だ。ちゃんと手を引いてでも守るべきだった。すまん……レディファーストなどではなく俺が先に行くべきだったのだ!》
何故か突然自分を責め出す久熊くん。私はその姿に慌てて止めにかかった。
《あ、あなたは何も悪くないわ! 私がちゃんと周囲に気を配っていなかったのがいけなかったの!》
手を前に出して首を横に振る私。だが、久熊くんは一向に沈んだ表情を変えることはなかった。
《こうなったらもう傘など必要ないッ! 乗れッ!!》
突然通学バッグの紐を首にかけてバッグをお腹側に持ってくると、その場にしゃがみこんでおんぶの準備をする体勢を取り始めた。
《ち、ちょっと何をしているの!?》
《君が風邪をひくわけにはいかんッ! 体育祭実行委員会の委員長が風邪を引いてもしも体育祭がなくなったりすれば、それはとんでもない事態だッ!! 世界の終焉とも呼べる危機的事態だ!!》
そこまで非常事態なのだろうか? でも、その気持ちは嬉しかった。
《で、でも……私今濡れているのよ?》
《構うものかッ! 俺もずぶ濡れだ! それよりも早く俺の家に行きシャワーを浴びねばッ!!》
すごい。学校にいる時によく見る変態染みたあの顔が別人のようだ。水も滴るいい男というのはよく聞くが、もしかすると、今目の前にいるこの人がそうなのだろうか?
《でも……私、重いし――》
《そんなことはないッ!!》
即座に否定の言葉を口にする久熊くん。物凄く必至だ。それほどまでに私の体を心配してくれている?
《分かった……》
さすがにこれ以上彼をこの格好でいさせるのは可哀想だと思い、私はコクリ頷いて背中にぴとっとくっついた。本当はこんなことしたくない。でも、今はそんなこと気にしている時ではない。
《よしッ!》
一気にその場に立ち上がる久熊くん。すごい、私をこんなにも軽々と持ち上げるなんて。しかも、結構背中大きい……。まるで、お父さんの――。
確かに私は小さい時からお父様と遊んだことはない。でも、一度だけ……感じだことのある温もり。それは、幼稚園の運動会のかけっこで優勝した時のこと。あの時、初めて私はお父様からおんぶしてもらった。それがとても嬉しくて、私はあの時の感触が忘れられなかった。でも、それは一度だけの体験……。それ以降は一度もしてもらえなかった。仕事で忙しいのが大半だが、そもそもお父様が私たちに目を向けてくれなかった。お父様に娘と仕事……どちらが大事なのかと問えば、もしかすると後者を選ぶかもしれない。
《しっかり捕まっていろ?》
そう言うと、久熊くんは全力疾走で住宅街の道路を駆け抜けていった。
《お、重くない?》
《問題ないッ!》
私の問いにも普通に答える久熊くん。おかしい……普通女の子が背中に密着してたりしたら胸が背中に当たったり、体を支えている腕にお尻が当たって興奮したりするものだ。それなのに、変態軍団のトップともあろう男がそんな劣情を抱いていないとは、もしかすると……変態軍団のボスとは言っても、この男は変態は変態でもまだ紳士的な一面のある、謂わば変態紳士とかいうものなのではないだろうか?
とか思っていると、久熊くんが話しかけてきた。
《すまない、星空叶亞……。こんなことならばあのまま君の家の前で待っていた方がよかったな。俺としたことが、君をそんなずぶ濡れの格好にさせてしまって申し訳ないッ!》
《ううん、気にしないで江口くん。そもそも私がいけないのだから……》
《君は何も悪いことなどないッ!! もうすぐだ、後五分で家に着くッ!!》
呼吸を乱しながら雨の中をおんぶで駆けていく男子生徒。それを物凄く間近で見ていた私は、不思議な気持ちでいっぱいだった。何だか、少し胸の奥が熱くなり始めていた……。
《はぁ、はぁ……着いたぞ!》
私と久熊くんは、江口宅に到着していた。今は、玄関前にいる。
久熊くんは呼吸を整えながら鍵を取り出して玄関の鍵を開けた。
《さぁ、汚い家だが入ってくれ》
《え、ええ。お邪魔させてもらうわ》
軽くお辞儀して私は家の中へと招かれる。
中に入ると、そこはいつも私が目にしている家とは別の風景が広がっていた。これが普通の人たちの家なんだ。初めて見る……。
《そこで待っててくれ。すぐにタオルを持ってくる》
《うん》
私は静かに短くそう言うしか出来なかった。
少ししてすぐに久熊くんが真っ白なタオルを持ってきてくれた。
《すまない、綺麗なのはこれしかなくてな》
《別にいいのよ? そこまで気を使わなくて……》
《いや……。それよりも風呂は既に沸かしてある! 急いでシャワーを浴びるんだ!!》
《でも、江口くんの方が濡れてからしばらく経つし、風邪ひいちゃうんじゃない?》
《心配ない、バカは風邪をひかん! それよりも、君の方が風邪をひくかもしれん!! さぁ!!》
何故そこまで急かすのだろう。余程心配なのか? ここまで来ると逆にお節介だとも思ってしまうが、不思議とそんな感情はわかなかった。
《ええ、えと……場所は?》
《こちらだ!》
そう言って私を案内してくれる久熊くん。
私は脱衣所へとやってきた。不思議だ。私の家では脱衣所は普通の温泉とかにある脱衣所と同じ広さがあるのだが、久熊くんの家はトイレくらいの広さしかない。でも無駄に広いと逆に空間に余りがあって不安感が出てくるが、狭い空間だと密閉感が逆に気持ちを落ち着かせてくれるような気がするのでいい。
《これに服を入れてくれ。乾燥機にかけて帰りがけに渡す》
《ここまでしてもらわなくても……》
《でないと、どうやって帰るのだ? 裸で帰るのか? まぁ、それはそれでそそるが……じゅるり》
《へ、変態っ! 何考えてるの!? ち、ちょっといやらしい目で見ないで!》
《す、すまん》
私が胸を庇うように腕で覆いながら頬を染めると、本当に申し訳なさそうに久熊くんは私に謝った。何だろう、少し調子が狂ってしまう。
とりあえず私はブレザーから脱いで、次にリボン、靴下、髪留めなどをどんどん網籠に入れていった。それからスカートに手をかけてふと目の前の男に視線が行った。
《……。もしかしてこれが目的?》
《ん、んん? な、何の話カナ? り、理解できんな~》
明らかに棒読みの久熊くん。やっぱりこの人は変態紳士だ。
《もう、自分で出来るから出てって!》
《お、おう》
久熊くんは私に背中を押されておっとっととなりながら脱衣所から退散していった。ふぅ、これで落ち着いて脱衣が出来る。
私はスカートを脱ぎ終えてブラウスのボタンを一つずつ外しながらふと思った。
――そういえば私……男の子の家でお風呂使うのって初めてかも……。
しかも、それだけではない。私は他人の家にあがったこともないのだ。なので、久熊くんのような普通の家を見るのも今日が初めてだった。何だか、今日一日でものすごい体験をしているような気がしてならない。現に今も、一つ屋根の下で同い年の異性といる。しかも、このブラウスを脱ぎ終えたら私は下着だけとなる。
何だか突然顔が熱くなってきた。ふと鏡を見ると、そこには顔をりんごのように真っ赤にさせている私がいた。
それを見て私は慌てて全て脱ぎ捨てて籠の中に入れると、まるでその鏡から逃げるように風呂場へと向かった。
――☆★☆――
おっす! 俺、江口久熊! 通称『エロ変態』! よろしくッ!!
と、挨拶はそこそこにして、まずは何で通称エロ変態と呼ばれているか。それは、名前のせいだ。名前の字に注目していただきたい。
江口……これ、よく見るとエロに見えなくもない。次に変態だが……変の上の部分を外すと、久に見えなくもない。そして、態……熊に見えなくもない。
ほぼむちゃくちゃというか強引なものだが、そんなわけで俺はエロ変態と呼ばれている。
で、現在俺は敵対勢力の体育祭実行委員会の委員長こと星空叶亞さんと一つ屋根の下にいる。はっきり言ってさっきから鼓動音が凄まじいことになっている。現在の鼓動音は、ドッドッドッドッドッドッドッドッ!!と、まるでトイレを我慢している人がトイレにこもって大をしている人に向かって激しくノックをしている様な感じだ。
《こ、これが……さっきまで叶亞さんが身につけていた制服……ごくり》
俺は激しい衝動に駆られていた。目を血走らせながら制服の中から先程まで身につけていたと思われる下着を取り出す。そのレモン色のパンツに思わず鼻から興奮の証がこぼれ落ちるが、そこでグッとこらえる。
《いかんいかん! 俺はこれを乾燥機にかけるためにここにいるんだ! 決して脱ぎたてのパンツをゲットしにきたわけでは――》
と、そこでまたしても理性と欲望の狭間に立たされる。
《くっ! だが、今この手に女子高生の……しかも同学年の美少女の脱ぎたてパンツがあるのだぞ!? そんな幸運、もう二度とないだろう! ならば、ここで嗅がねば男が廃るッ!! 男、江口久熊! いざ出陣――》
ガラララッ!
ふと耳にした扉の開閉音。そちらを向けば、そこには叶亞の産まれたままの姿があるわけで……ただ残念だったのは、豊満な胸が横髪で見事なまでに隠されていたことだった。
《ほ、星空叶亞さん! こ、これはそのだな――》
《きゃああああ! えっちぃぃぃぃ!!!》
バチィィィンッ!!
俺はモロに張り手をもらうことになるのだった……。
――☆★☆――
《全く……あなたという人は油断も隙もない人ね》
《仕方ないだろう。俺も腐っても男だ。俺のせいではない。俺の中の荒ぶる何かが俺にそうさせたんだよ!》
《何を中二病みたいなことを言っているのかしら? 言い訳は聞きたくないわね。しかも、よりにもよってその……わ、私のし、下着の臭いを嗅ごうとするだなんて、は、破廉恥にも程があるわっ!! 今すぐにでも豚箱に叩き込んでもいいのよ!?》
私は、久熊くんをリビングで叱っていた。少し人が気を緩めたと思ったらすぐにこれだ。これだから変態は困る。
《だから謝っているだろう! 服も乾燥機にかけている。後少しすれば濡れた制服や下着も乾くだろう……それまでの辛抱だ》
久熊くんはそういうが、どうにも信用ならなかった私は、ムッとなったまま続けた。
《それはどうかしら? そのまま私に服を返さないでこんなはしたない格好のままだなんてこともあるのではなくて?》
というのも、今現在私の格好は裸にYシャツという財閥の娘とは思えない格好だった。私自身としてもこんな格好をするのは初めてだった。物凄く恥ずかしくて、下着を着ていないから股もスースーするし、何よりもYシャツの肌触りが直接胸などに当たって変な感じがする。
《うぅむ、それも一理あるか》
《そこは否定しなさいよ!》
などとやり取りを繰り広げていると、久熊くんが一つくしゃみをした。
《ズズッ……いかん、鼻水が》
《は、早く入ってくれば? 風邪ひくわよ?》
てなわけで、久熊と叶亞の過去編が四部に渡って書かれるわけなんですが、いやはやこの男は変態紳士ですね。気遣いは凄いんですが、変態的行動が凄まじい。
しかし、一方の叶亞の心も少しばかり動いているような気が……。
今回は四十六話の最後で叶亞が昔話をやるという下りなので、叶亞視点なのですが、一応、久熊視点のシーンも用意しました。まぁ、のっけから地の文がやばいですが。
では引き続き三部もどうぞ。




