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魔界の少女  作者: YossiDragon
第一章:四月~五月 護衛役『現れし青髪の脅威(前)』編
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第二十二話「第二の姫君」

ついに瑠璃の双子の妹が登場です。

 時刻は既に午前十一時を回った。

 後一時間後には昼ごはん時だ。まったく、時間が過ぎるのは早いものだ。あっという間に一日が過ぎ、気づけば一年が経っている。一年は長いと感じるが、いざその一年を振り返ってみるとすごく短く感じる。

 俺は、テレビを見ながら丸テーブルに寝そべり、ぼ~っとしていた。


「昼ごはん……何にしようかな。……ん~、そうだ! 零~」


 不意に時計を一瞥し、昼ご飯のメニューを考え始めたその時、ある突拍子もない考えが浮かび、零を呼ぶ。


「何ですか?」


「ちょっとすまねぇが、イノシシを手に入れてきてくれないか?」


 丸テーブルに顎をついた状態で、俺はそんな無理難題を彼女にお願いした。


「イノシシですか?」


 流石の零も気は確かかというように、その獣の名前を繰り返しながら首を傾げた。


「ああ、光影学園の北東と南西に山があるんだ。そのどっちかの山に行って、イノシシを調達してきてほしいんだ! まぁ、無理って言うならいいんだが……」


 体を起こし、丸テーブルに両手をついて近くに立っている零を見上げる。そんな俺のけしかけるような、挑発染みた口ぶりに、零は少しムッとなったように唇を尖らせて口を開いた。


「いいですよ? どうせ暇でしたし、刀を振るえるのなら構いません」


 そう言っていつの間にか、愛刀の舞花刀を片手に携えている零。その視線に、うっすらと殺気が見て取れる。


「……絶対に、人は殺すなよ?」


「も、勿論、解かってますよ……」


――今一瞬、考えてたな……。



 どこか彼女から漂う不穏な雰囲気からそう考えたのだが、予想は当たっていたようだ。

 と、気を取り直して零が玄関へと向かいながら、こちらを振り向く。


「では行ってきます。昼前には戻ってきますので」


「おう!」


 意気揚々と出かける支度を整えた零に、俺はサムズアップで応じる。

 彼女の格好はとても山に行くような物ではなく、至っていつもの格好のまま。しかし、本人は大して気にした様子もなく、俺が先ほど話した山へとそのまま駆けて行った。

 俺は零を見送り終えてリビングに戻ると、丁度タイミング良く聞こえてきた洗濯機の終了の合図に合わせて、洗濯機の所へ向かった。それから役目を終えた洗濯機の中から洗濯物を取り出し、庭に出て洗濯物を干した。




――☆★☆――




 ここは瑠璃達悪魔の住処――魔界。

 空は凄くどす黒い色をしていて、太陽の様な明るい光は全くない。周りは不気味な山がそびえ立ち、おどろおどろしい雰囲気を醸しだしている。しかもその所々には、真っ赤な血のような池がたくさんあった。さらにその奥を行くと、見たこともない巨大な建物があった。瑠璃達の住んでいる魔王城だ。見た目はすごくボロボロに見えるが、中身は外見と異なっていた。不思議な装飾を施した内装はすごく綺麗で、青白いタイルが交互に床に張り巡らされていた。その床の上を、一人のロングヘアの少女が歩いていた。蜜柑色の髪の毛を靡かせ、周囲に優しい匂いを漂わせるその少女は、そのまま大きな扉の前までやってきた。


コンコンコン!


【入れ……】


 少女がノックをすると、少し太い声の持ち主が、扉越しに入室の許可を出す。

 その返事を確認し、少女は小柄な見かけによらず、その巨大な扉を物凄い力でゆっくりと押し開いた。

 玉座の間へと入室を果たし玉座近くにやってきたところで、少女はその場に片膝をつくように跪き、目の前の玉座に座る人物に頭を垂れた。


「失礼します……お父様。レイカ、只今修業から戻って参りました!」


 元気よくハキハキとした調子で、レイカと名乗る少女が報告を述べた。すると、それを聞いて玉座に腰かけていた父親が、組んでいた足を左右で組み替えて頷きながら口を開いた。


【うむ、ご苦労だった……。だが、さっそくで悪いが修行の成果を見せてもらおうか?】


 レイカの父親は、片方の眉毛を釣り上げ偉そうにレイカを見下ろして言った。

 彼こそ、この魔界を治めている人物――大魔王であり、メリアとレイカの父親である。見た目は人間とほとんど変わらないような姿をしているが、その真紅の瞳、紅茶のような赤毛と先の尖った耳、そして口から飛び出した二本の鋭い八重歯が、悪魔であることを物語っていた。


「と、いいますと?」


 頭を上げ、首を傾げてどういうことなのか、真意を訊ねるレイカ。


【……そうだな。実はな、貴様の双子の姉であるメリアが、人間界に家出をしているのだ】


「お、お姉様が……ですか!?」


【そうだ……。当初は護衛役に命令し数人を送り込んでいたのだが、奴らときたら連れ戻すどころか人間界でメリアを匿っている人間に懐柔され、戻って来ないのだ。……奴らだけには任せておけん。そこで、あやつの双子の妹である貴様に頼みたいのだ。メリアを魔界に連れて帰って来い! それが、我が貴様に与える仕事だ! いいな? 必ずこなせ……さもなくば、貴様にはきつ~~~~いお仕置きが待っているからな……? 修行の成果、そして吉報を楽しみにしておるぞ】


「うっ、分かりました……」


 双子の姉の家出騒動の経緯と事情を聴く中で、レイカは“お仕置き”という言葉に酷く反応してしまった。父――大魔王のお仕置きとは、一体どのようなものなのか。実際には見たことがないが、背中の皮を削がれたりするのだろうか? それとも、右手か左手の小指を切断したり? それとも、生爪のように爪をペンチか何かで剥ぐのか? しまいには舌を引っこ抜かれるのかもしれない。なんにせよ、想像すればするほど気味が悪い。

 実の父親がそこまで非道な事をしはしないと思いたいが、ここ最近の大魔王はどこか様子がおかしい。実際、その異変を噂で耳にしたのもあって、レイカは修行を少し早めに切り上げてきていた。

 と、お仕置きに関して様々な想像を脳内で繰り広げていると、大魔王がある提案をしてきた。


【……そうであった、貴様だけ行かせるのはあまりにもリスクが大きすぎるな。それに、人間界の例の人間に貴様を奪われてもいかんからな。……メアリー! ここへ来いッ!!】


 頬杖をついていた大魔王は、横に傾けていた体を起こすと、両手を玉座の肘置きに置いて声を張り上げ、ある人物の名前を呼んだ。


「……お呼びでしょうか、大魔王様」


 そう言って、滴型の下フレーム眼鏡をかけた青いストレートヘアの女性が姿を現す。護衛役と同じ上着に、ブラウスを着ているが、下はタイトスカートに青混じりの黒タイツ、首元はネクタイを締めていた。そう、彼女こそ護衛役十二人姉弟の一番上――水連寺一族の長女『水連寺(すいれんじ) (みお)』、またの名を『メアリー・ヒミレオ・ルドラ』なのだ。


【貴様を呼んだのは他でもない。貴様にはレイカを護る役目と、こやつが人間界でふざけたことをしたりしないようにという、お目付け役も兼ねてついて行ってもらう……】


「つまり、私も人間界に行くということですか?」


 レイカの隣に片膝をついて跪いたメアリーがそう訊ねると、大魔王は大きく頷き答えた。


【その通りだ……】


「……」


 メアリーは内心少々驚いていた。今までこんな命令を受けたことは一度もなかったため、どんな言葉を返せばいいのか、よくわからなかったからだ。

 黙りこくって俯いてしまうメアリーに、大魔王は構わず続ける。


【……それに、人間界には貴様の妹や弟達がいるからな。ついでに連れて帰って来い! ……いいか? しくじるなよ、二人とも?】


 最後までは口にしなかったが、恐らくその言葉の続きには「もし失敗した場合はどうなるか」というセリフが続いていたのだろう。まるで脅すようなその大魔王の顔つきで、賢い二人は理解してしまい、声を揃えてすぐさま応えた。


「「りょ、了解しました!」」


 そんな二人の声は、恐怖に少し震えていた。




――☆★☆――




 ここは光影都市の双子山の片方の山の(ふもと)。そんな場所を、二本の刀を手に持った一人の少女が歩いていた。――零だ。


「イノシシ……イノシシ。そんなもの、一体どこにいるんだろう。響史さんには任せてくださいなんて言ったけど、はっきり言って見つからないよ……」


 零は悲しげに独り言ちた。すると、そんな彼女の気持ちが届いたのか、ガサガサと草むらから物音がした。


「だ、誰ですか!?」


 慌てて音のする方にサッと体を向けると、それと同時にその場に姿を現したのは、猪は猪でも、物凄く大きな巨大猪だった。


「す、凄く大きい!!?」


 普段あまり表情の変化の乏しい零は、声もそこまで大きい方ではない。しかし、今の反応は自分でもびっくりするくらい驚きの表情を浮かべ、いつになく大きな声をあげていた。


「ブヒィィィィィィイイイイイ!!!」


 零の声に反応したのか、巨大猪は口を大きく開け、凄まじい雄叫びをあげた。その牙は鋭く尖り、中でもクルッとウェーブを描いた八重歯部分の二本の牙が、木々の間から差し込む日差しを浴びて白くキラキラ光り輝いていた。

 巨大猪は咆哮をあげ終えると、後ろ脚をズッズッと動かして脚を踏み込み、走る準備を整えると、そのまま前屈みになるようにして、お得意の猪突猛進をしてきた。


「くっ!?」


 こちらに向かって来る巨体。零はそれを大きくジャンプして宙返りするようにして躱した。


ズドォォォォオオオオオオンッ!!


 攻撃を躱された巨大猪は、それでも止まる事無くそのまま目の前の木に向かってお構いなしに突っ込んだ。そのあまりの強い衝撃に耐えきれなかった木は、跳ね飛ばされるというよりも、ドミノ倒しのような状態で倒れていった。


バキバキッ!


 という木がへし折れていく音が次々に聞こえてくる。その音はまるで、木々の叫び声のように聞こえた。


「なんて力……。あんなのに巻き込まれたら、流石の私でも重傷を負うことは間違いありませんね……」


 表情は少しも変化させることなく、喋る言葉だけが恐ろし気な零。

 そんな彼女は不敵に笑むと、舞花刀を構えて口を開いた。


「相手にとって不足はありません。ふふっ……響史さんのお願い事は、どうやら無事に果たせそうですね」


 そう口にした零は、巨大猪狩りを始めるため、巨大猪が猪突猛進で作り出したへし折られた木々の道を通って、後をついていくように追いかけ始めたのだった。




――☆★☆――




 同時刻。自宅。

 俺は洗濯物を干し終え、木で出来たテラスのような場所に座って、「ふぅ~」とため息をつきながら休憩していた。すると、急に霄が慌ただしい様子で現れた。


「響史!!」


「な、何だよ……そんなに焦った顔して。何かあったのか?」


「零……はぁはぁ、れ……零はどうした!?」


 急いで走って帰ってきたのか、霄はすごく呼吸を乱していた。

 そのいつにない慌て様に、俺も段々と焦燥感に駆られてくる。


「こ、ここにはいないぞ? 俺が、山にイノシシを調達するように頼んだから……」


「くっ! ……零が危ないっ!!」


「何ッ!?」


 霄の一言に、俺は目を見開いて驚愕の声をあげた。一瞬にして背中に悪寒が走る。

 すると、俺の驚きの声が聞こえたのか、後ろから瑠璃がやってくる。


「どうかしたの響史?」


「いや、その……零に危険が迫ってるらしくて!」


 首を傾げて訊ねる瑠璃の問に俺が事情を説明すると、今度は瑠璃が慌てだす。


「そ、それって、大丈夫なの!?」


 少し不安気な面持ちの瑠璃。そんな彼女の様子に、もしかすると俺はとんでもない事を零に頼んでしまったのかもしれないと、後悔の念に苛まれた。だが、心のどこかでそれを認めたくない俺がいたのだろう。


「だ、大丈夫だろ……あの零だぜ? イノシシごときにやられはしないだろう」


 軽い気持ちでそう口にするが、その声音は少し震えてしまっていた。

 と、その話をリビング内で腕組をして聞いていた霰が、う~んと唸って言った。


「分からないですわよ? もしかすると、敵はイノシシではないやもしれませんから……」


「それってどういう意味だ?」


 敵がイノシシではないという意味がよく分からなかった俺は、怪訝な表情で霰に訊ねた。

 すると、顎に手をやって考え込んだ霰が口を開いた。


「……先ほどから嫌な魔力を感じるんですの……。恐らくは――」



ピンポ~ン♪



 と、霰が最後まで言いかけたところで、大音量のインターフォンが家の中に鳴り響いて霰の言葉の最後の部分をかき消してしまった。

 インターホンの音量部分を誰かがいじっていたのだろうか。後で戻しておかなきゃな。


「こんな時間に誰だろう……?」


 今日は特に宅配の予定はなかったはずだ。来客の予定もない。

 俺は首を傾げて玄関ドアに向かった。

 それから扉を開けて来訪者に対応しようとドアに手をかけた瞬間、霊にその手を掴まれ制止させられた。


「響史、そのドアは開けちゃダメ!!」


 切羽詰まった様子で声を張り上げる霊の言葉に、いきなり言われた俺は何が何だかわからなかった。


「な、何だよ急に……」


 その時、俺はまだ気づいていなかった。玄関扉の向こう側にいる人物が、一体誰なのかを――。



ガチャ!



 霊の言葉とは裏腹に、俺は無意識の内にドアノブを回していた。

 ゆっくりと玄関が開く。すると、そこにいたのは二人の少女だった。二人は少し変わった服を着ていて、俺の事をじ~っと睨みつけていた。

 一人は瑠璃と同じ顔立ちで蜜柑色の髪の毛の少女。違うのはその髪型と、やや釣り目で目つきがキツそうな所だろうか。後、体格も少々異なっているようだ。

 もう一人は、空のように透き通った薄い水色の髪の毛に、海のように蒼く澄んだ瞳……そして、特徴的な滴型のメガネをかけている女性だった。見た目的に俺よりも年上っぽい感じだ。


挿絵(By みてみん)


「この男が、お姉様をたぶらかした変態……?」


 開口一番、瑠璃にそっくりな少女が失礼極まりない発言を繰り出す。


「はい。情報の通りですと、そういうことになりますね……」


――初対面早々変態扱いかよ!?



 目の前にいる二人がこちらを凝視したままそう口にしている事から、その変態という人物は十中八九俺なのだとすぐに分かった。


「ちょっと待て! 誰が変態――」


バシッ!!


 急に足元が火花を散らせたので、俺は驚いた弾みで後ずさりしてしまった。そのせいで、言いたいことが最後まで言えずに終わってしまった。

 見ず知らずの相手に突然そんなレッテルを貼られては黙っていられないと、異議を申し立てようとしたのだが、残念だ。


「いきなり何しやがる――」


「黙れ変態!!」


 人の話を最後まで聞かずに攻撃してくるとは不届き千万と、文句の一つでも言ってやろうとしたのだが、またしても少女の激しい一喝で俺の台詞はかき消されてしまった。俺の不満の声よりも相手の怒りの声の方が大きかったらしい。

 少女は続ける。


「あんたみたいな人間の言い分を聞くつもりはない!! 大人しくお姉様を返してもらうわよ!」


 先ほどまで、何をそんなにお怒りなのかどうにも明確な理由が分からなかったが、今の彼女の言葉で理解した。それと同時に、こんな直接攻撃に打って出てきたかと俺は内心恐怖し、やや声を震わせて確かめるように声を絞り出した。


「る、瑠璃を?」


 と、俺のその一言に、少女は愕然として目を見開き、一瞬絶句したかと思うと体を震わせた。


「なっ!? あ……あんた……お姉様を呼び捨てにするなんて……くっ! 許さないっ!!」


 瑠璃と酷似した容姿の少女に、激しい怒りをぶつけられる。きっと瑠璃が隣に並べばすぐには分からないだろうその見た目。その少女は、怒気をオーラに籠め、俺に向かって波状攻撃をぶつけてきた。

 あまりにも突然のことで上手く状況が把握できず、俺はそのまま攻撃をまともに受けてしまった。

 不意に、瑠璃と初めて出会った時の事を思い出す。

 突如空から眼前に振ってきた、自身を悪魔と名乗る魔界の少女。下手をすれば衝突していたであろうあの時は、正直向こうにしてみれば不可抗力だった。無論、攻撃の意思はない。しかし、例え見た目がよく似ていようと、こちらの少女の思想は違っているようだ。明確な敵意――いや、殺意を感じる。それは今自身の体に走っている痛みからも明らかだろう。


「くっ! ()ってて……」


 攻撃された部分を優しくさすり、相手の手を見やる。その手には、何かしらの邪悪な魔力が(とも)っていた。それを見た瞬間、俺は言葉を失った。あまりにもの恐怖に体が震えあがり、足がガクガクと痙攣する。


「ふっ、足が震えてるわよ? 口ではあんなこと言ってたけど、実際には私の力に恐れをなしたんでしょ?」


 腰に手を添えて、偉そうに威張ったような態度を取る少女。性格はどう見ても瑠璃とは異なる。外見と中身では大きく差があるのだろう。いや、容姿でも髪型や体の起伏は異なっていた。

 俺は少女の言葉に、唇を震わせて否定の声をあげた。


「そ、そそそ、そんなわけ……あ、あ……ああ、あるか!!」


 明らかに虚勢を張っている。それは自分でも理解している。だが、その見え透いた嘘は相手にも手に取るように分かっているようで。


「声まで震えてるし……。いい加減認めちゃいなさいよ。その方が、後々楽になるわよ?」


 余裕綽々というように、口元に笑みを浮かべて催促をしてくる。

 だが、ここでそう簡単に諦められるほど、俺は聞き分けの言い人間ではない。


「ふん、よけいなお世話だ!」


 せっかくの提案を跳ね除けるように俺は声を張り上げた。

 そんな俺の態度が余計に少女の神経を逆撫でたのだろう。目元をヒクつかせ、大きく嘆息しながら口を開いた。


「あ~そう!? ……だったらいいわよ。どうしてもと言うなら、あんたには少々痛い目に遭ってもらうわ!」


 危険を感じ、咄嗟にその場にしゃがみこむ。と、それと同時、突如救世主が大声を張り上げて参上した。


「響史に手を出さないで!!」


 そう言って、俺に攻撃をしようとしていた少女に飛びつく何者か。それは、瑠璃だった。


「きゃっ!? お、お姉様!? ちょっ、お姉様! そこどいて! お願いだから……っ! もしもしくじったら、私達が酷い目に遭うのよ!?」


 いきなり標的本人が自分の体にしがみついてくるものだから、少女は一瞬呆気に取られて攻撃を打ち損ねてしまった。それから、邪魔をしてくる瑠璃をどうにか振りほどこうと、腕や顔を強引に押し退けにかかるが、意外にも瑠璃の方が力があるのか、なかなか振りほどけずに悪戦苦闘を始めてしまった。

 と、そんな二人の争いに一瞬目を奪われていた俺は、今しがたの少女の口にした台詞が気になった。


「どういう意味だ!?」


 少女を問い質すと同時、思わずその場に立ち上がる。


「んっく! あ、あんたには……関係ないでしょ? これは、こっちの問題なんだから……っ!」


 質問には答えてくれなかった。それどころか、頑張って瑠璃を引き剥がそうと試むもなかなか離れてくれない彼女に苛立ちを抑えきれず、こちらにその怒りの視線まで向けてくる始末。


「くっ……とにかく、瑠璃達は渡さないぞ?」


 ひとまず俺の今の意思だけでも伝えるつもりだった。しかし、さらに少女は怒りを露わにして声を荒げた。


「私はあんたみたいなクズには訊いてないのよ! お姉様に訊いてるの! さぁ、答えてお姉さま! もちろん、私達と一緒に魔界へ帰るわよね?」


 引き剥がすのは諦めたのか、少女は逆に瑠璃の腕を捕まえるようにして問うた。

 その問いに、瑠璃はさっきまでの威勢を衰えさせて顔を俯けると、押し黙っていた口をようやく開いて、小さく声を漏らした。


「……や」


「え?」


 あまりに小さい声だっただからだろうか、あれほど至近距離にいてもよく聞こえなかったのか、それとも聞こえていたが、それを認めたくなかったからなのか、少女は疑問符を浮かべて瑠璃の声にもう一度よく耳を傾けた。


「いやっ!!」


 瑠璃は、いつにない悲痛な面持ちで拒絶の声をあげた。


「んなっ!? ど、どうして……お姉様? 魔界へ帰らないと、私達が酷い目に遭うのよ?」


 信じられないというように、少女は目を見開いて首を左右に振る。それから、納得できないと言わんばかりに瑠璃に理由を尋ねた。


「そんなのわたしには関係ないよ! それに、わたしは二度と魔界へは帰らないって心に決めたの。

一度決めたことはやり通す! それがわたしの性格だって麗魅(れみ)だって知ってるでしょ?」


「うっ……どうして」


 一向に首を縦に振ってくれない我儘な瑠璃。しかし、家族だからこそ分かるのだろう。瑠璃の口にする言葉の意味が。

 瑠璃が口にした“麗魅”という名前。それがあの蜜柑色のロングヘアを持つ少女を指すのは分かった。だが一方で、その背後で控えている女性の名前が未だに分からない。恐らく髪の毛と瞳の色から察するに、護衛役の一人だとは思うのだが。

 と、考え込みながら突然の来訪者二名を見ていると、偶然にも麗魅と目があった。

 直後、露骨に嫌そうな目つきでこちらを睨んでくる。そして、すかさず一言。


「何よ、こっち見ないでくれる? クズ……」


「ぐっ……」


 さっきから、こいつにクズ呼ばわりされてばかりいる。こいつは、人間を全員クズとしか見ていないのか? しかし、それも無理ないかもしれない。人間出来たやつばかりではない。中には悪事ばかり働くとんでもない輩だっているのだ。そして、そんな悪人に巻き込まれるのは、いつだって善人なんだ……。

 と、俺が神妙な面持ちで物思いに耽っていると、瑠璃が声をかけてきた。


「……響史。ここはわたしに任せてくれない?」


「瑠璃? 大丈夫なのか?」


 何だかあまり大船に乗った気持ちではいられなかった俺は、少し不安そうに瑠璃に訊ねた。


「多分……」


 俺の気持ちが伝播してしまったのか、段々と瑠璃も不安気な気持ちになってきたようで、自信なさげにこくりと頷いた。

 と、瑠璃の言葉を聞いてか、完全にバカにした様子で麗魅が嘲笑した。


「ふふ、まさかお姉様が私と戦うの? そんなの無理に決まってるわよ!」


「なっ!? どういう意味!?」


 これには温厚な瑠璃も流石に怒ったのか、眉尻を吊り上げて文句を言う。しかし、大した効果はなく、呆れたような顔つきで麗魅は静かに口を開いた。


「そういう意味よ」


 何故だろうか。それには凄く同意出来る気がする。この人間界に来て、瑠璃が戦っている姿は一度も見た事がない。そのため、彼女の戦闘能力は未知数だ。しかし、何より彼女からはいつだって敵意というか戦意が感じられない。おまけにあの天然気のある天真爛漫さだ。あの雰囲気を見ていると、どうにも強そうには思えなかった。

 それにしても、今思えば瑠璃ってどうやって戦うんだろう。そう思うと、なんだか無性に気になりだした。

 その時、背後からヒヤリとした冷たい殺気を感じ、瞬時にジャンプしてその攻撃を躱した。振り返り確かめてみれば、どうやらその攻撃は、ずっと麗魅の傍に控えていた女性からの物だった。


「あっぶねぇ……。いきなり何すんだ!?」


「チッ、惜しい。後もう少しで黙らせられたのに……」


 文句を言う俺に対し、女性は眼鏡を怪しく光らせて舌打ちをした。

 俺はごくりと喉を鳴らした。まるで喉奥につっかえた何かを飲み込むような感じ。俺の右頬を、一筋の汗が流れていき、顎下で重力に耐えられなくなった汗の滴が、床に落下する。


「あなたの相手はこの私がしてあげるわ……。レイカ姫とメリア姫……二人の姉妹の戦いを邪魔するわけにはいかないからね」


「本来なら、その二人の戦いを止める立場にいなきゃいけないんじゃないのか?」


 睨み合う瑠璃と麗魅を横目に見て、お節介ながらも女性に向かって強気で言い放つ。

 すると思いの外痛い所を突かれたのか、女性は動揺を見せて声を張り上げた。


「そ、そんなことくらい、私にだって分かるわよ! でも、これは二人だけの問題。私にはどうすることも出来やしないわ! それよりも今は、あなたがあの二人の戦いの邪魔をしないように見張っている事が先決だわ!!」


「……ということは、俺はあんたを負かして二人を止めればいいってことか」


 目的が分かりやすくて助かる。

 一方で女性はというと、俺の口ぶりがどうにもいけすかないのか、腹を立てたように眉根を寄せた。


「随分言ってくれるわね? まだ私の実力も知らないクセに……。それに、あなたのような人間が私に勝てると本気で思ってるの? 本当にそう思っているのなら、今すぐに考え直しなさい。そんなもの……単なる無駄なあがきにしかならないわ! それと言っておくけれど、私はあんたじゃなくて澪……『水連寺(すいれんじ) (みお)』。水連寺一族の長女よ! 覚えておきなさい!!」


 片手で眼鏡をクイッと持ち上げ、ようやく澪と名乗る女性が自己紹介してくれた。覚えておきなさいも何も、今しがた挨拶してきたんじゃないか。

 と、俺は思わず文句を口にしそうになったが、それよりも俺が驚いたのは別にあった。


「あんたが長女!? ていうことは一番年上ってことか」


 ここにきてもう一番上の護衛役が現れるとは思ってもみなかったため、俺は驚きだった。だが、よくよく考えてみれば、大切なもう一人の姫君を一人で出向かせる訳にはいかないための付き人なのだから、その護衛となれば一番上の人物が来てもおかしくはないか。と、一人で納得の頷きを見せていた。


「あんたじゃなくて澪よ、澪!!」


 澪と名乗る女性が自身の胸に片方の手を当て、大声で名前を繰り返す。


「……。それで、俺に武器はねぇのか?」


 一拍置いて、俺は周囲を見渡し、自分が得物一つ持たぬ無防備状態である事を相手にアピールする。そんな俺に対し、澪は心底呆れ返ったように声を発した。


「はぁ? あなた……自分の武器くらい持ってない訳? 本当にどこまでも屑なのね……」


 嘆息混じりに項垂れてやれやれと首を左右に振る澪。


――うっ、麗魅だけかと思ったら、こいつにも言われるのかよ……。



 ズキッと心が痛み、俺はぎゅっと胸を掴んだ。

 

「仕方ないわね……。これ使いなさい!」


 と、そんな見下げ果てた俺にお情けでもくれるのか、澪がこちらに何かを放ってきた。

 てっきり武器を渡されるのかと思った。しかし、それは単なる俺の勘違いだった。周囲をもう一度見渡すが、何も落ちてきた様子はない。とどのつまり、澪は俺に何も渡さなかったのだ。


「あれ? 使えって……一体何を?」


 疑問符を浮かべ、俺は目を丸くして澪に訊ねる。すると澪は、驚いたように目を見開いて、驚きの声をあげた。


「見えないの? この武器。これはバカには見えない、特別な武器なの。あなたがもしもバカじゃないのなら、見えるはずよね?」


「うっ……」


 その問いに、思わず呻いた。

 なんて見え透いた嘘だ。……そう思うのだが、澪の口ぶりはどうにも嘘のように思えない。まさか、本当にそんな武器が存在するのか? 確かに彼女もまた、悪魔の一人だ。そんな彼女達がやってきた魔界であれば、存在してもおかしくはないのかもしれない。

 そう考えた俺は、少し動揺しつつもその場を取り繕うように応えた。


「も、もちろん見えてるさ……」


「そう。じゃあ、さっさと取りなさいよ!」


 澪はしたり顔で俺を急かしてきた。

 すっかり困り果ててしまった。もちろん、そんな武器全く見えない。だが、ここで見えないと言ってしまったら、俺にバカ・変態・クズの謎三原則が成り立ってしまう。そうなってしまうわけにはいかない。

 俺は迷いに迷った末、相手の目の前で跪き頭を垂れるように謝罪した。


「調子に乗ってました、すいません。俺には見えません……」


 悔しいが、俺なりの心からの謝罪だった。だが、そんな俺の下に澪から帰ってきたのは、最悪の一言だった。


「見えなくて当たり前じゃない!」


「……は?」


 思わず目が点になった。


――どういうことだ? まさか、本当に嘘? いや待て……これは相手がさらに騙そうとしている腹じゃないのか?



 相手の表情を(うかが)い、必死に相手の心を読み取ろうとする。が、生憎と読心術を持ち合わせていない俺には、澪の考えが読めなかった。

 そんな俺に、澪がまたしても溜息を吐く。


「あなた、本当にバカね……。でも確かに、メリア様があなたに好意を抱いている理由も少しだけ分かる気がするわ」


「?」


 俺は何のことかさっぱりわからなかった。


――こういう男を、俗に言う(うと)い男子というのだろうか?



 澪はふ~っと深呼吸をして一呼吸置くと、目つきを変えて俺を鋭い眼差しで見据えた。


「でも、やはり魔界に連れて帰らなければならないことには、変わりないわ……」


「考え直さねぇのか?」


 再度相手に考えを改めるよう催促する。しかし、頑として澪はそれを許さなかった。


「これだけはどうしても譲れないわ!! 止められるものなら止めてみなさい!! あなた自身の力でね」


 澪はそう言って、俺に向かって鞭を振るった。あれが、彼女の得物のようだ。

 鞭は蛇の様にうねりながら距離を確実に縮めていき、ついには俺の背中を攻撃していた。


「っぐがぁ!!」


 背中に激痛が走った瞬間、火のように熱い感覚が、神経を通して俺の全身に行き渡る。

 堪らずもがき苦しみ、痛みで家の廊下を転げ回った。

 そんな無様な俺を眼下に見据え、澪が冷笑する。


「っふふふ……。やはりあなたではダメね。それでは姫様を護る事など出来やしない……」


 散々な言われ様に文句の一つでも言い返したかったが、実際事実なのだ。返す言葉など毛頭なかった。

 今を思えば、最初からそうだったのかもしれない。今までが上手くいきすぎていたのだ。これから先も、澪と同じように様々な力を持った護衛役が、俺を殺しにくるかもしれない。瑠璃に護ってほしいと言われて付き合ってきたが、それも段々と限界なのかもしれない。

 背中からの痛みが全身へと広がって行き、それがマイナス思考のエネルギーに変わっていく。体に残る痛みの感覚が増えれば増えるほど、俺の脳内がネガティブ思考になってしまうようだ。

 その時、ふと小さい頃に言われた言葉を思い出した。




《響ちゃん。響ちゃんは将来、どんな男になりたい?》


《僕は、弱い人たちを守りたい!》


《そっか。だったら、その人を出来るだけたくさん守れるように、自分自身がもっと強くならなきゃね!!》


《うん! 僕、頑張るよ!!》


《ええ、頑張って!!》




 小さい頃、姉ちゃんに言われた言葉……。何年前のことかはあまり覚えていないが、このセリフだけは未だに脳裏に焼き付いている。しかし、人間の記憶というものは全く不思議なものだ。いいことは曖昧な記憶で覚えていて、よくないことは、大体鮮明に覚えている。おかげさまで、俺の昔の記憶には、やんちゃしてた時の記憶しかほとんど残っていない。その他の記憶は忘れてしまっているか、他の記憶とごちゃ混ぜになった状態だ。まぁ、例のアレが酷く作用しているのもあるだろうが。

 

「だったらどうだってんだ? 言っておくが、俺はこんなもんで負けやしないぜ?」


 心の中で姉ちゃんに勇気をもらった俺は、拳を強く握りしめて澪に向かって言い返した。

 だが、澪は怯んだ様子も見せずに不敵に笑んだ。


「もちろん、それぐらいのことは分かってるわ……。でも、本当にそんなこと言っていいのかしら?」


「どういう意味だ?」


 何やら含みのある物言いに、何かあるのだろうかと尋ねた。すると、彼女はもったいぶる事なく答えた。


「そうね……。分かりやすく言えば、後悔するってところかしら」


「後悔……。俺はそんなことになりはしない」


 後悔という言葉に、思わず脳裏にある記憶がぼんやりと蘇ってくる。それを、俺は首を振って振り払った。


「自分ではそう思っていても、なかなか上手くいくものではないわ」


 澪にもそんな経験があるのだろうか、どこか彼女の口ぶりには不思議な説得力が感じられた。

 だが、ここで言い負かされてはいられない。


「だったら、それを証明してやるよ!」


「くす、では是非お願いするわ」


 澪は妖しい笑みを浮かべて軽く会釈してきた。悪魔だからこその妖艶さか、あるいは大人っぽい雰囲気と格好が俺にそう感じさせているのかは定かではない。そんな彼女の青い瞳は、まるで何かを企んでいる悪人のように不気味に映り、妖しく光り輝いていた。何よりその口元がそれを示していた。上唇と下唇の間から微かに見える白い歯。それが、どうにも俺には少々不気味に見えて仕方がなかった。


「……それじゃあ行くぜ」


 俺は、とりあえずなりふり構わず、無謀にも相手の間合いに向かって突っ込んだ。既に戦術を殆ど熟知している彼女にとって、そんな俺の不審な行動には、目を丸くして驚きを隠せないでいた。


「なっ、あなたバカじゃないの!? 無防備なあなたが、どうして武器を持っている私に向かって突っ込んでくるの? ホント、人間って何を考えてるか理解できないわ……」


 予測不能で滅茶苦茶で出鱈目な俺の動きは、澪に相当な衝撃を与えたらしい。

 少々身の危険を感じたのか、サッと俺から間合いを取ると、ポケットから取り出した眼鏡拭きで、自身の荒い吐息で曇った滴型の眼鏡を、親指の腹で丸く円を描くようにキュッキュッと拭いた。

 その少し余裕そうな態度に、俺はムッとした。気づけば先ほど澪に攻撃された痛みは、いつの間にか消えていた。いや、忘れているだけなのかもしれない。恐らく、アドレナリンでも出ているのだろう。

 だが、さっきから相手は俺の動きを避けてばかりで一向に攻撃してこない。これは、畳みかけるチャンスじゃないか?

 そう安易に考えた俺は、勢いづいて強気な態度で打って出た。


「どうしたんだ? 間合いばっかりとって全然攻撃してこないな? まさか、負けたくないから戦わないなんて言わないよな?」


「そ、そんなわけないでしょ!? そこまで言うならいいわよ! あなたの望み通り殺してやるわよ!!」


 安い挑発だ、そう容易く乗りはしないだろうと考えていたのだが、思いの外簡単に乗ってくれた。

 澪が拭き終えた眼鏡をかけなおす。白く曇っていたレンズはすっかり元に戻り、ゴミなども拭き取られたおかげか、先ほどよりも少し綺麗になっていた。家の照明が澪の眼鏡に反射して一瞬俺の視界を遮る。


「っ眩しい!!」


 俺は堪らず腕で顔を覆ってしまう。その隙を澪は逃さなかった。


「やぁあああああっ!!」


「うわっ!?」


 俺は顔を護るために慌てて両手を前に出した。きっと両手をもってかれると思った。しかし、待てど暮らせど何も起きない。咄嗟に瞑っていた目を恐る恐る開けてみると、驚いたことに俺は、澪の鞭攻撃を防いでいた。どうやったのかは分からない。だがそれは向こうも同じのようで、何が起きたか分からないというように、狼狽えていた。


「ど、どうなっているの? 何の武器も持たない――それも愚かな人間如きに、私の鞭が弾かれた!? 一体どういうこと!?」


 澪は、いきなりのことに何が何だか上手く状況が掴めていない様子だった。しかし、それは彼女だけでなく、俺も同様だった。何故攻撃を防ぐことが出来たのか、理解出来ていないのだ。不意に先程突き出した手元を見下ろす。すると、その手に僅かに重みを感じた。

 次の瞬間、点滅信号のように、突然俺の手の上で剣が見え隠れを繰り返し始めた。どうやら先程の彼女の攻撃は、この剣が防いでくれたようだ。どこかで見覚えがあるシルエットのそれ。

 しばらく見続けて、ようやくそれが何であるかを思い出した。

 そうだ、この間瑠璃にもらった腕輪から呼び出された聖剣――『聖夜の月夜(ミッドナイト・ルナー)』だ。確か、またの名を妖刀『夜月刀(やげつとう)』とか言っていたはず。もっと詳しく言えば、零と初めて戦ったときに使った“アレ”だ。


「な、何なの、その剣は!?」


 澪は、驚きのあまり完全に冷静さを失っていた。突然俺の手の上に剣が現れたもんだから、その異常現象に尻餅をついてしまっている。

 俺は剣をその手に掲げ、改めてその全体に視線を這わせた。

 柄から鍔、さらに刃まで全てが月の光のように黄金色で出来ている剣。まだ明るい時間帯だというのに、その剣は一層明るい光を放っている。


「な、何なの、その剣は!?」


 澪の声は少し震えていた。もしかすると、彼女はこの剣の事を知らないのだろうか? その青い双眸に俺の持つ聖剣が映る。

 と、少し落ち着いてきたのか、その場にゆっくり立ち上がり、少々位置がズレてしまった眼鏡を元の位置に戻しながら口を開いた。


「……聞いたことがあるわ。大昔から天界に伝わる癒しの聖剣。全ての悪を薙ぎ払い、その悪の心さえも浄化するとの噂。それがそうなの……? でも、実際私の……いやでも、まさか本当に実在するなんて」


 初めて目にする噂の聖剣。澪の驚き様で、改めてこの剣の凄さを痛感した。


「へぇ、これってそんなにすごいのか……」


 剣に視線を落とし、裏や表面を向けながら思わず感嘆の声が漏れる。


「ま、まさか、あなたそれを知らずに今まで使ってたの!?」


「あ、ああ……まぁな」


 俺の一言に澪は衝撃を受けて絶句した。

 しかしそうなると、ますます俺は疑問に思うことがあった。なら、何故魔界に住む悪魔の姫君である天魔の瑠璃が、天界の聖剣を呼び出すための腕輪を付けてる? 俺はそのことで頭がいっぱいになった。

 と、考え事をしているところに澪がすかさず攻撃してきた。


「うわっ!? あぶねぇあぶねぇ……」


 てっきり戦意喪失していたもんだと思って、完全に油断していた。


「余所見する暇なんてあるのかしら?」


 鞭をピシッとしならせて、澪が俺を睨みつける。


「ふん。ちょっとボ~ッとしてただけさ」


 鼻を鳴らして俺はそう言い訳する。実際考え事をしていたのだから、似たようなものだ。

 形勢逆転したかと思ったが、依然として状況は好転していない。冷や汗を流しながらも、俺は剣を構えて澪に向かって斜めに振り下ろした。すると、剣から出現した衝撃波が、攻撃を受け止めようとしていた彼女の鞭を切り刻んだ。しかもそれだけではない。鞭の二の舞になるように、澪の頬や腕、足、服などの何か所かが切り裂かれた。


「うぐぅっ!!」


 血飛沫が舞い、痛みに喘いだ澪は堪らず渋面を浮かべる。それから丸腰状態になったことに気づいたのか、放心状態に陥った。

 ようやく訪れた形勢逆転。俺が澪に歩み寄ると、彼女は突然顔面蒼白になり、力が抜けたかのように崩れ落ちて廊下に膝をついて座り込んでしまった。


「そ、そんな……、この私が、人間に、ま……負けるなんて。う、ウソ……。い、いや……いや、いやぁああああああっ!!!」


 ゆっくり首を左右に振り、信じられないという表情を浮かべたかと思うと、彼女は両手で顔を押さえ、急に叫び出してその場に蹲った。


「ど、どうしたんだ!?」


 その突然の行動に、俺は何事かと声をかける。

 しかし、澪の肩に手を添えようとしたところで、それに気づいたかのように大きく身を起こして俺の手を払い除けてきた。

 それから歯噛みして声を張り上げる。


「くっ、私は負けられない! 負けるわけにはいかないのよっ!!」


 そう言うと、澪は俺に飛びついてそのまま押し倒してきた。懐から短い果物ナイフを取り出し、俺の喉に突き付けてくる。


「くくっ! もう終わりよ……。あなたは、ここで私に負けて死ぬ……。そして、私は勝つ……!」


 異様なまでの勝ちへのこだわり。俺はどうにもそれが妙に感じられて、命の危険を顧みず、彼女に問うた。


「くっ! どうして、そこまでして……俺に勝とうとするんだッ!?」


「平和ボケしているあなたには分からないでしょうよ……。私は魔界の大魔王様の秘書を務めているの。その私が、何の条件もなしにここに来れると思う? もしも私が、あなたに寝返ったりして、大魔王様の情報を流したり負けたりした場合のことを考えて、大魔王様はあらかじめ私にある印をつけてるの……」


「印?」


 相手のその焦り様と、嘘とは思えない彼女の迫真の説明に、俺は息を飲んだ。その瞬間、俺の喉仏が動き、俺に突き付けられたナイフの刃先が、首に少し刺さった。血は出ていないものの、少しばかり痛みが走る。

 澪は俺が無意識に口にした言葉に応えるように、左手で白いブラウスのボタンを二、三個外し、いきなり胸元を見せてきた。ハニートラップでも仕掛けてきたのかと俺は思わず目を背けかけたが、その途中で視界の端に映り込んだ何かに反応して、逸らしかけた視線を彼女の谷間――もとい、胸元へと戻した。

 そこには、たわわに実った果実――ではなく、紫色の蠍のような形をした刺青が彫られていた。いや、彫られているというよりも、浮き出ている? いや、それだけじゃない。よく見ると、動いてる!?


「これがその印――『蠍の紋章(スコーピオン・スペル)』よ……」


 右手で俺の首元にナイフを突き付けたまま、澪は静かにその名を口にした。


「な、なんなんだこれ!?」


「これは所謂爆弾のようなものよ。大魔王様がある言葉を口にすれば、私の胸に刻まれたこの紋章から蠍の毒が注入され、血液の循環する血管から全身に回り、一日で死に至る。つまり、私が人間に負けたりすれば死……。あるいは姫様を連れ戻すことが出来なくても、死を意味するのよ!! 分かった!!?」


 俺の顔に自身の顔を近づけ、強調するように俺の目を見て声を張り上げた。その目は真剣そのもの。とても嘘をついているようには見えない。

 澪はさっきまで縦に突き付けていたナイフを横に向けて、刃の方を俺の顔と首の境目あたりに突き付けた。


「こんなことをしたって、自分が負けたことに変わりはないだろ? それに、こんなことをすれば自分が惨めなだけだ」


「くっ、うるさい!!」


 俺の言葉に腹を立て、さらにグイッと剣を突き立てる。刃が俺の喉に食い込み、ついに赤い血がタラ~ッと首を伝っていった。俺は今、仰向け状態に倒れているため、首から廊下の床に向かって血が流れていく。重力に耐え切れずに血は床に落ち、綺麗な土色をしたフローリングの床を真っ赤に汚していく。所々に点々と落ちる血の滴。その光景は、よくあるホラー映画の中でも少し易しめの物のようだった。


「ぐぅぁ……! そのナイフを、ど、どけろ……! お前には、そ、そんな……ことは、出来や……し……ない!」


 喉を押さえつけられているため、上手く声が出せない。しかし、それでも十分彼女には効果は抜群のようだった。


「黙れ……黙れ黙れ黙れ!! あなたに……あなたに私の気持ちなんて分からないわよ! 自分がその立場になれば分かるわよ! “負け”が“死”を意味するというその恐ろしさを!!」


 俺の上に跨った状態の澪は、悪魔を通り越して死神のような顔つきでナイフを高く振り上げると、両手でそれを強く握りしめ、心臓部分に向かって勢いよく振り下ろしてきた。



カキィィィン!!!



 万事休すかと目を瞑った俺の耳元に、ナイフの弾かれる音が響き渡る。一体何があったのだろうか? 目を瞑ったままのため、何があったのかまだ理解出来ていなかった。そこに声が聞こえてくる。


「響史を放せ!!」



ドガッ!



「ぐはっ!! ぐぅううっ!!!」


 第三者の声に俺が目を開けた途端、鈍い音が木霊し、蹴り技をくらった澪の体が廊下を転がる。  命からがら俺を救い出してくれたその人物は、あろうことかここに来て俺を最初に殺そうとしてきた霄だった。よく見ると、玄関ドアにはイノシシ狩りに向かった零もいた。そうだ、零を助けに行った霄が帰ってきたんだ。


「久しぶりだな……姉者。しかし、このような形で会うことになるとは…、私も正直言って残念だ……。知らぬ間に変わってしまったのだな」


 霄は至って落ち着いた様子で実の姉を強く睨みつけたかと思うと、悲し気な面持ちになった。


「ふんっ! 変わったのはそっちもでしょ? こんな平和ボケした所でいつまでも大人しくいられるなんて、今までのあなたじゃ考えられないことだわ。その男に何をされたのか知らないけれど、今すぐ魔界へ戻ってきなさい! 大魔王様もカンカンになっているわよ?」


 妹を叱りつける姉のように、澪が言う。その差し伸ばされた手を一瞥し、霄は嘆息した。


「そうであろうな……。だが、私はもう戻るつもりなど全くない。あの真っ暗な冷たい世界には帰らない。もう放っておいてくれ……!」


 語気を強めてそう言い放つ霄の表情は、どこか辛そうだった。それもそうだろう、同じ護衛役であり血を分けた姉妹なのだ。そんな彼女と、場合によっては二度と再会出来ない事態になるかもしれない。そんな最悪の可能性を考えてしまっているのだろう。


「そうはいかないわ! 私の目的は、人間界にいる護衛役全員を連れ帰る事と、メリア様を魔界へ連れ帰る事なんだから」


 そう言って、澪は刀を握っている霄の手を掴んだ。


「くっ、何をする! 放せ!!」


 いきなり手首を掴まれ、声を荒げて抵抗する霄。そんな聞き分けのない彼女に、苛立ちを隠せない澪が怒声をあげた。


「何度も言わせないで! 私には時間がないの! さぁ、急いで帰るわよ!!」


「や、やめろ!!」


 強引に連れて行こうとする澪。霄は武器を握った状態で手を掴まれているため、上手く刀が振るえなかった。しかし、それだけではない。


「ダメだ、手に力が入らない……」


 そう、何故か力が出せず、普段の強さを発揮出来ない状況にあったのだ。

 すると、にやりと怪しい笑みを浮かべた澪が説明した。


「そりゃそうよ……。何せ、あなたの手を握っているこの手には、痺れ粉を液体化させたものを塗っているからね。力が入らないのも無理ないわ」


 澪はふふっと勝ち誇ったように笑った。その姉の言葉に、悔しそうに歯噛みした霄が一言。


「無念、ここまでなのか……」


「何言ってんだ、諦めんな霄!」


 いつになく簡単に諦めてしまっている霄を鼓舞するように、俺は声をあげた。


「響史……」


「何言ってるのはあなたの方よ! これ以上何をしようっていうわけ? 言っておくけれど、さっきは油断しただけ……今度は負けやしないわよ?」


 まだまだ戦う気満々の様子の澪。どうやら戦意は喪失していないようだ。あまり事を荒立てたくはないが、殺されかかったのだ。そう悠長にもしていられないだろう。


「そうか……。じゃあ、遠慮なく攻撃してもいいんだよな?」


 俺は嘆息混じりにそう澪に訊ねる。


「えっ? そ、それは……」


 俺が一歩前に踏み出すと、澪は急に焦った様子で後ずさりした。やはり聖剣を見せた事で、少しは怖気づかせる事が出来たのだろうか。


「どうした? やっぱ負けるのが怖いんだろ?」


 小馬鹿にしたように俺は悪い笑みを浮かべる。そんな俺の物言いに、澪は顔を真っ赤にして叫んだ。


「そ、そんなことない!!」


 声を荒げて否定の言葉を口にはしたものの、その目は完全に泳ぎまくっていた。明らかに怪しい。人は嘘を吐く時、相手と目を合わせられずに目を逸らすという。今の澪は、まさにそれだった。


――いや待てよ? 今思えばこいつ、悪魔じゃん。まぁ、きっと悪魔も同じなんだろう。とにかく、こいつの挙動不審さには警戒すべきだ。いつ何時、何をしでかすか分からない。



 顎に手をやりそんなことを思案していると、澪の体に異変が生じた。


「ぐぅぁ! ごほっ、げほっ!」


「な、何だ!?」


 澪は胸をぎゅぅっと掴み、呻き声をあげたかと思うと、咳き込み始めた。

 突然の事に澪は焦り、霄のことなどお構いなしで自分の体に起こる異変に意識を集中する。

 ついには霄を掴んでいた手を離し、両手で胸を押さえ始める。とても苦しそうだ。何か楽にしてやる方法はないかと考えるが、今のところこれと言って名案は浮かばない。

 一方、澪の体に走る痛みはさらに強くなっているようで、とうとう彼女はその場に倒れた。横向きになって丸く蹲り、激痛のあまり張り裂けんばかりの絶叫をあげる。


「うぅぐぁあああああああ!!」


「ど、どうなってるんだ!?」


「私にも分からん……」


 俺も霄も、こればかりは流石にお手上げ状態だった。


「ゴホゲホ、ゴホ……、ガハッ!!!」


 咳き込む口元を手で塞ぐ澪は、盛大に一つ咳き込んだ。その目は半開きで、虚ろ。それに、凄く辛そうな顔をしていた。震える彼女の手をふと見てみると、その手には真っ赤な血がついていた。


「!?」


 驚きのあまり、目を見開き絶句する澪。それは俺達も同様だった。

 そう、どうやら彼女の胸に刻まれた紋章から、毒が流れ始めたようだ。つまり、大魔王は気づいたのだ。澪が俺に負けたことに。


――しかし、大魔王は魔界にいるはず……。一体、誰がどうやってヤツに教えたんだ?



 俺はそれが気になって仕方がなかった。だが、今はそんなことをしてる暇はなさそうだ。一刻も早く、澪を助けなければ。俺は身動き一つ出来ない状況に陥っている彼女をお姫様抱っこのように抱き上げると、リビングへと運び込んだ。


「お、おい、響史……何してるんだ?」


 姉の異変に狼狽えた様子の霄が、俺の行動を訝しんで訊ねる。


「何って、こいつを助けるんだよ!」


 そんなの決まり切っているだろうと言わんばかりに、俺は語気を強めた。

 その俺の一言に、霄は驚きの声をあげた。


「なっ……しかし、姉者はお前を殺そうとしたんだぞ?」


 殺そうとした相手を助ける筋合いはないだろう。霄はそう言いたいのだろう。確かにそうかもしれない。だが、霄のそのいつになく不安そうな顔を見て、考えは変わった。


「そんなの関係ない! 今はそんなこと言ってる暇はないんだ。お前だって、実の姉を助けたいだろ!?」


「……ぁぁ」


 その俺の言葉を聞いて、霄はハッとしたように一瞬目を見開くと、小さな声でボソッと返事をした。

 俺は額の汗を拭い、腕組みをして考えた。しかし、威勢のいい事を口走ったはいいものの、どうすればいいのか皆目見当もつかない。相手は魔界の強力な紋章だ。そう簡単に消すことはできないだろう。だが、澪の話を聞く限り、残り時間は一日しかない。さっき発動したと考えて、大体、後二十三時間五十分と言ったところか……。


「なぁ、霄はどうすればいいと思う?」


 ここは澪と同じく魔界出身である霄の意見を聞こうと、俺は彼女にそう訊ねた。

 すると、腕組をしてしばし唸り声をあげた霄が、何か策が浮かんだのか、浮かない顔で口を開いた。


「う~む、これだけはしたくなかったのだがな……」


「何かあるのか?」


「危険な賭けだ……。それでもやるかどうかは、姉者の気持ち次第だ」


 そう口にした霄の瞳は、最初に出会った時の目と同じだった。昔の血がざわついているのだろうか。


「……お前はどうしたいんだ?」


 霄の言葉を聞いて、俺はソファに横になっている澪に訊ねた。

 はぁはぁと息苦しそうに呼吸を乱し、口の端から赤い血を垂らしている澪は、脂汗を滲ませながら声を振り絞った。


「くぅっ! ……どちらにせよ、このまま放っておけば死ぬ体……。私は、どちらでも……構わないわ」


 喋っている最中も、未だに胸を強く握りしめるように掴んでいる。衣服への指の食い込み具合から、その痛みの強さがよく分かる。毒に侵された澪の容体は、どんどん悪くなる一方だった。元々色白の肌だったが、それ以上に顔もすっかり青ざめてしまい、血色も悪くなっていた。


「あぁっ!!? お願い……やるなら、早く……やって……」


 一際強い痛みに喘いだ澪は、訴えかけるように涙目で俺達に言った。その意思を確認し、俺は大きく頷くと霄を見やった。


「分かった……霄、お前がやれ!」


「な!? わ……私がやるのか?」


「ああ。ここはお前がやった方が、こいつも少しは安心するだろ?」


 自信なさげな霄を勇気づけるように、もっともらしい理由を取り繕う。その俺の言葉を聞いて、霄もようやく踏ん切りがついたのか、決意を胸にしたように胸に手を当て頷いた。


「承知した。そういうことならば、私がやろう……」


 と、そこで霄は、俺から聖剣を盗った。


――そういえば危険な賭けと言っていたが、一体何をするのだろうか?



 これから何をするのか仔細を聞いていなかった俺に、ふとした疑問が浮かぶ。

 しかし、霄はそんな事お構いなしに着々と準備を進めていった。


「姉者。すまぬが、少し服を脱がせるぞ?」


「……はぁはぁ、えぇっ?」


 意識が朦朧としていたせいか、澪は何が何なのかあまり分かっていない様子だった。しかし、そんなことはお構いなしに、霄はさっさと姉の服の第二ボタンに手をかけた。そして、そのボタンを外し終えると、胸に刻まれた紋章がよく見えるように、ブラウスをはだけさせた。

 白く柔らかそうな柔肌と胸の谷間が(あら)わになり、事の発端である蠍の紋章(スコーピオン・スペル)もまた、よく見えていた。霄はその位置をしっかりと確認すると、瞼をゆっくり閉じた。


「そ、霄……?」


 一体何をしているのだろうと、俺は不意に彼女に話しかけた。


「話しかけるな、気が散る……。これから集中力を高めるのだ。しばらく話しかけてはならんぞ?」


「わ、分かった……」


 鋭い視線でそう忠告され、俺は言われた通りにした。どうやら、瞑想に入るらしい。

 霄は聖剣を振り回し、重さや剣の振りやすさなどを確かめているようだ。一体何をするのだろうか? 未だに理解出来ない。

 と、そうこうしている間に瞑想が終わったのか、目を開けた霄がキリッと目を光らせて剣を構えた。


「ふぅ~……では行くぞ、姉者!!」


 今一度深呼吸をして意識を集中させた霄が、大声で姉に合図を送る。


「はぁはぁ……え、ええ。来なさい!!!」


 その声に、荒い息遣いで澪が応じた。どうやら、なんとなく霄が何をやろうとしているか勘づいたらしい。

 一人置いてきぼりを食らっていた俺は、説明を求めるように声をかけようと口を開いた。


「ちょ、何を――」


「やぁあああああああ!!」


 言い切るより先に、霄が動いた。掛け声をあげて大仰に聖剣を振り上げた霄は、両手で柄を握りしめ、澪の胸元に蠢く蠍の紋章めがけ、勢いよく振り下ろした。


グサッ!!


 肉に深々と突き刺さった生々しい音が聞こえた。直後、澪があまりの激痛に叫び声をあげた。


「ぅぐうぁああ!!!」


ドサッ!


「……」


 先程までの澪の荒い吐息が途絶え、壁にかけてある時計の秒針のカチカチという音のみがリビングに響き渡る。

 その沈黙を破ったのは、取り乱した俺の声だった。


「おい霄、何やってんだよ! それじゃ、助かるものも助から――」


「ふっ、これでいいんだよ」


 俺の言葉に、霄は含みのある物言いで鼻を鳴らす。俺は疑問符だらけだった。


「だけどよ――」


 そんなこと言ったって息してねぇじゃねぇか! 第一、剣刺したら普通死ぬだろ!!? と続けようとしたのだが、その最中に澪の体にさらなる変化が起きた。


「――ゴホゴホッ!! はぁはぁ……」


 そう、突然咳き込み始めたと思ったら、再びあのはぁはぁという乱れた息遣いを始めたのだ。つまり、彼女は生きていたのだ。いや、むしろ息を吹き返したと言った方が正しい気がする。


――しかし、どういうことだ? 確かに今、剣を刺して貫いたはずなのに……。それに、剣にもちゃんと血がついてる。



 考えても答えが見つからない俺は、困惑して正直に霄に訊ねた。


「な、なぁ……霄。一体どうなってるんだ? どうしてこいつ生きてるんだ?」


「ああ。どうやら姫は、貴様に言い忘れていたようだな。この聖剣には、もう一つの力があるのだ……」


「もう一つの力?」


 それを聞いた瞬間、何か素晴らしい力でもあるのかと一瞬わくわくしてしまったが、それはどうやら違ったようだ。


「それは、癒しの力だ。相手を助けたいという気持ちでこの剣を振るえば、その対象者はあっという間に癒しの力によって回復するのだ。そして、その力量は、剣を使った者の心の強さに比例する。つまり、例え魔界の施した魔法のようなものだろうがなんだろうが、簡単に治す事が出来る可能性を秘めている。だからこの剣を使う事で、姉者の体から紋章が消え、体内の毒も浄化されるだろうと……そう踏んでいたのだ。一か八かの賭けだったが、成功して良かった」


 説明を終えた霄は、感謝するように聖剣を見つめ、口元に笑みを浮かべた。その表情はどこか安堵しているようにも見える。それもそうだろう、命の危険に晒されていた姉をその手で助ける事が出来たのだ。いくら聖剣の力といえど、説明を聞く限り気持ちも大事だという話だし、霄の助けたいという気持ちに聖剣が応えてくれたのだろう。

 それにしても、なるほど霄は頭がいい。まさか、そんなことまでこの剣に可能だったとは、俺は正直、驚きでいっぱいだった。

 とにもかくにも、どうにかこうにか一時間半程度で彼女を助けることが出来て、本当によかったなと思った。慌ただしい一日だった。

 澪は、その後しばらくの間、気を失ったままだった。俺は張り詰めていた緊張が解けると同時、疲れ果ててその場に座り込んでしまった。

 しかし、まだ瑠璃と麗魅の二人の戦いが、終わっていなかったのだった……。

というわけで、本格的に大魔王が喋り、水連寺一族の長女である澪と、瑠璃の双子の妹である第二の姫君――麗魅が登場です。魔界で修行を行っていた麗魅が修行の成果として人間界にやってきたわけです。きちんと任務を成功させなければキツイお仕置きがあると知り、焦る二人。一体お仕置きとはどのような物なのか……。

そして、響史は無事に麗魅の手から瑠璃を守り切ることが出来るのか。

また、今回は以前登場した夜月刀がまたもや活躍です!

次回は、麗魅の実際の心情を詳しく書いていこうと思います。

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