第十九話「買い物での出会い」
時刻は午前八時――。
「ふあぁ~あ、眠い。……ったく、昨日はいろいろ大変だったからな」
俺はゆっくりと起き上がり、重い体を引きずるようにベッドを出る。階段を下りて玄関のドアを開けると、新聞受けには新聞や広告がぎっしり詰め込まれていた。
「ったく……もっと丁寧に入れろっつうの!」
小さく文句をこぼしながら新聞と広告を取り、小脇に抱える。欠伸をしつつ頭をかきながら家の中へ戻り、リビングの扉を開けて電気をつけようとした、その時だった。
突然、電話のベルが鳴り響いた。
「うわっ!」
不意を突かれた俺は心臓が跳ねるのを感じながら、慌てて受話器を取る。
「え~と、もしもし?」
〈おはよう、響ちゃん……〉
この声は、まさか……!?
俺は思わず受話器を置いて電話を切ろうとした。
〈今電話を切ったら、あなたの首も切ることになるわよ?〉
「すみませんでした……」
さらりと恐ろしいことを口にする相手に、俺は反射的に謝ってしまう。
この話し方……まさか昨日、燈が言ってた――
「なぁ、茜姉ちゃん。単刀直入に訊くけど、何の用?」
〈何の用ですって? ……自分が一番よく分かっているんじゃないかしら? 何か私に隠してることなぁ~い?〉
「えっ……い、いや別に。特に何も隠してない……と思うけど?」
俺はあくまでシラを切り続ける。
〈へぇ~? 本当……なのね? 信じていいのね?〉
まるで悪魔に問い詰められているような口調だった。
くっ……これは後でバレたら、とんでもない目に遭う(体験談)。ここは正直に話した方が罪は軽いはずだ!
「分かった、正直に話す。実はカクカクシカジカで――」
〈へぇ、そうなの……空から美少女がねぇ。……響ちゃん? 本気でその話が通用すると思ってるの?〉
「いやいやいや、本当なんだって! 信じてくれよ!」
〈ええ、信じるわ。あなたの想像力が、とっても豊かだってことはね〉
「いや、そうじゃなくって……そうだ! 燈に聞いてみてくれよ! あいつなら、この話を信じてくれるから。……燈は? いる?」
〈ちょっと待ってね〉
茜姉ちゃんは意外にも、すぐ燈へ電話を代わってくれた。
〈もしもし……〉
何とも気の抜けた声だ。
「どうかしたのか?」
〈どうもこうもないわよ! あんたのあの時の光景を見たら、脱力もするわよ!〉
「だからあれは誤解で……! あいつらは本当に悪魔なんだって! その証拠に、一人は空から降ってきたんだから!」
〈……ふん! そんな話、信じられるわけないでしょ?〉
どうして本当のことを言っても信じてもらえないんだよ……。
まぁ、無理もないか。普通は悪魔が空から降ってくるなんて思わないものな~。
だが現実には、二階の俺の部屋に悪魔が五人もいる。見た目は人間そのものだが。
〈分かった、もういい……。あんたのこと心配してた奈緒にも説明しておいたから、今代わるね?〉
「ああ……」
しばらく沈黙が続いた後、微かにすすり泣く声が聞こえてきた。
しかも女の子の声だ。
〈ぐすっ……もしもし、お兄たん?〉
「えっ? 奈緒、何で泣いてんだ?」
〈だ、だって……お兄たんが、お兄たんが……ぐすっ!〉
一体あいつら、奈緒に何を吹き込んだんだぁぁぁぁぁあああああッ!!?
事情が分からず、俺は奈緒に詳しく聞いてみることにした。
「燈たちから何を聞いたんだ?」
〈ぐすっ……。だって、お姉ちゃんたちが、お兄たんは悪魔にたぶらかされて頭がおかしくなったって……〉
ちょ、ちょっと待て!
どういう解釈の仕方してんだ!?
俺は悪魔に苦労させられてるとは言ったが、たぶらかされてるなんて一言も言ってないぞ!?
「なぁ、奈緒。悪いが、もう一回燈に代わってくれるか?」
〈……ぐすっ、いいよ?〉
奈緒、すまねぇ。
もう一度ちゃんと説明してもらわないと話がどんどんおかしくなる。
〈もしもし? 何? 何度も人を呼んで!〉
「お前、何とんでもねぇ作り話してんだ!? ちゃんと真実を話せよ!」
〈えっ? 真実でしょ? だってあんた、女の子たちといつもイチャついてるんでしょ?〉
「はぁ!? 一体誰から聞いたんだ?」
〈よく分かんないけど……あんたの友達だって。何て言ったかな……あ、あ、藍……?〉
あの変態かッ!!
〈やっぱり知り合いなんでしょ?〉
「あのバカ、とんでもねぇ嘘つきやがって……! それは全部でたらめだ! 俺は別にあいつらとイチャついてるわけじゃ――」
その時だった。
俺が大声で話していたせいか、瑠璃が目を覚まして一階に下りてきた。
「ん~? 響史……誰と話してるの~?」
まだ寝ぼけているのか、片目をこすりながらぼんやりと尋ねてくる。
「えっ!? いや、ちょっと……!」
〈まさか、響史……。あんた、昨日のあの子と同棲してるの!?〉
「違う!!」
それは盛大な勘違いだ。
こいつらはただの居候なんだって!
……いや、どっちにしろ状況だけ聞けば大差ないか!?
〈とにかく、その子に代わって!〉
「はぁ? 別にいいけど、何話すんだ?」
〈いいから!〉
「分かった……」
俺は仕方なく受話器を瑠璃へ差し出した。
「響史? 何……?」
「燈がお前に用があるってさ」
「あ、あかり?」
瑠璃は、まだ寝起きなのと聞き慣れない名前に首を傾げ、きょとんとした表情を浮かべる。
「も、もしもし?」
とりあえず瑠璃は受話器に向かって声をかけた。
〈あなたが瑠璃って子ね? 響史とはどういう関係なの? どうして響史と一緒にいるの?〉
「え? わたしはただ、響史に助けられただけで……恩人ってとこかな?」
……このまま話を聞いてても暇だし、腹も減ってきた。朝飯でも食べるかな。
俺は瑠璃をその場に残し、リビングへ向かう。そのまま台所へ入り、袋を漁ってアンパンを五個取り出し、飲み物にホットミルクを用意した。
それらを両手に持ち、散らかったテーブルの上を肘で強引に片づけながら置く。
「さてと……いただきます」
アンパンを手に取り、一口かじろうとしたその時だった。
バタン!
勢いよく扉が開き、瑠璃が飛び込んできた。
「どうしたんだ、瑠璃?」
「何かよくわかんないけど、その燈とかいう子が怒り出して……」
「な!? 一体何を話したんだ?」
「え? だから、一緒にご飯食べたり、同じ学園に通ったり、一緒のベッドで寝たり――」
「誤解を生む要素がテンコ盛りだろうがぁぁぁぁああああッ!!!」
俺は慌てて固定電話の前まで駆け寄り、受話器をひったくるように手に取る。
すると――
〈響史のバカぁああああっ!!!!〉
キィイイインン……
耳をつんざくような機械音が響き、思わず受話器を耳から離した。
「いや、瑠璃が言ったことは確かに真実もあるけど、お前絶対に誤解してるだろ!?」
〈ふん! あんたなんか知らないっ! 茜たちにもちゃんと話しておくから!!〉
ブツッ!!!
一方的に電話は切られ、受話器からは虚しい話中音だけが一定のリズムで鳴り続けた。
ツーッ、ツーッ……。
俺は静かに受話器を置く。
「なんか、もうやだ……」
「まぁまぁ、元気出してよ、響史。ね?」
「お前のせいだろうがぁあああッ!!!!」
「うぅ~、そんなに怒らないでよ~。カルシウムが足りない証拠だよ?」
例えカルシウムをたくさん摂ってたとしても、こんな状況じゃ誰だって怒るわ!
「ったく……もういい。さっさと朝飯食うか」
俺はリビングへ戻り、食べかけのアンパンを口にしようと扉を開けた。
すると――
霊が俺の席に座り、アンパン五個を頬張りながら、ホットミルクを猫みたいにぺろぺろ飲んでいた。
「ぐはぁあああッ!!!」
一瞬で怒りゲージが限界突破する。
「霊ァァァッ!!! てめぇ、何してんだ! 人の朝飯をぉぉぉぉ!! しかも、一個は食べかけなんだぞ!?」
「むぐっ!?」
霊はアンパンを喉に詰まらせたらしく、慌てて胸を叩く。
「……げほっ、なっ、食べかけぇぇえええ!!? そんなの早く言ってよ~! てっきり私のために用意してくれたのかと……」
「ていうか、それ間接キ――」
「い――いやぁあああ!!!」
ザシュ!
霊の鋭い猫の爪が俺の顔を引っかいた。
「うぎゃぁああああッ!!!!!」
朝から騒がしい家だと思われるかもしれないが、俺からすれば、ほぼ嫌がらせである。
すると今度は、霊の悲鳴を聞いた霰が飛び起き、階段を駆け下りてきた。
バァンッ!
勢いよくリビングの扉が開く。
「お姉様! 今の悲鳴は一体!?」
昨日の自己紹介の時とは別人のような勢いだ。
「きょ、響史が……」
「なっ!? あなた、お姉様に何をしたんですの!?」
「い、いや……その、か、間接キスを……」
「な、ななな……!? このケダモノぉぉぉおおお!!!」
「ぶべらっ!!?」
ドシャッ!
俺は霰にぶん殴られ、そのまま床へ頭を打ちつけた。
「この変態! 人間の風上にも置けませんわ! 大丈夫ですか、お姉様?」
……お前が来たせいで余計ややこしくなってるんだが。
「しばらくお姉様には近づかないでほしいですわ! 軽々しくキスするなんて信じられませんわよ!?」
「だからキスじゃなくて間接キスだっつうの!!」
「どちらでも一緒ですわ!」
「全然違うわ!」
「んまぁ!? 今のあなたが、この私に口ごたえできる立場だと思いまして?」
俺と霰が言い争っていると、ようやく霄が眠そうな顔でリビングへやってきた。
「ほう、何だか知らんが、朝から楽しそうではないか」
「どこがだよ!」
「霄お姉様も何とか言ってほしいですわ! このケダモノ、あろうことか霊お姉様に気安くキスしたんですのよ?」
「間接キスな!?」
「ふむ……別にいいのではないか? 減るものでもなかろう」
その一言に、霰だけでなく俺まで驚いた。
「で、ですが……お姉様の初めてですのよ!?」
「あー……ならばよくないな」
「でしょう? ですから、私はここに宣言しますわ! このケダモノに、神聖な“罰”を与えると!」
「ば、罰!?」
悪魔の罰と聞き、思わず身構える。
一体どんな恐ろしいことをされるのか――。
「この男――いえ、ケダモノには、本日一日荷物持ちを命じますわ!」
「……に、荷物持ち?」
なんだ、そんなことか。
悪魔だから、生爪を剥ぐとか、とんでもない拷問でもされるのかと思った。
俺は思わず胸を撫で下ろす。
――だが、それで終わりではなかった。
「ちなみに罰はそれではありませんわよ?」
嫌な予感しかしない。
「聞けば私たち、人間界で着る服を持ってないんだとか。ですので今日は商店街へ行って洋服を買いますわ。その荷物を全部あなたが持つんですの!」
「しょ、商店街!?」
「何か問題でもありますの?」
「い、いや……」
まずい……!
休日の商店街なんて知り合いだらけに決まってる。
もし誰かに見られたら……俺の精神が終わる。
何とか回避する方法を考えなければ。
そんなわけで俺は、罰ゲームという名の買い物に付き合わされることになり、荷物持ちまで任される羽目になった。
しかも今日は休日だ。
絶対に知り合いの一人や二人は歩いている。
……本気で作戦を考えないとまずい。
時刻は午前十一時。
はぁ……本当なら今日は、のんびり平和な一日を過ごすつもりだったのに。
それが、こいつらのせいで荷物持ちなどという面倒な役目を押しつけられてしまった。
「さて、まずはあの店からですわよ!」
「へいへい……」
「響史! 男ならもっと背筋を伸ばして歩かんか!」
「だって……なんかダルくてさ。それに、さっきから四十代くらいのおばちゃん達が、ずっと俺のこと見てるし」
「人気者だな」
「そういう問題じゃない!」
ツッコミを入れる気力すら薄れてきた俺は、近くにあった木製のベンチへ腰を下ろした。
座り心地も悪くない。
瑠璃達が買い物を終えるまで、ここで待つことにするか。
ふと見上げると、商店街のアーケードの透明な天井から柔らかな日差しが差し込んでいる。
ガラス越しには、雲一つない真っ青な空が広がっていた。
「洗濯物でも干してくればよかったな……」
そんな独り言を漏らし、日向ぼっこをしながら待っていると、ようやく瑠璃達が戻って来た。
しかも、両手いっぱいの買い物袋を抱えて。
「なッ!? お、お前ら……ものには限度があるだろ! ていうか、その服どうやって買ったんだ!?」
「無論……お前の金だ」
「えええぇぇぇぇッ!?」
嫌な予感がして、慌ててポケットへ手を突っ込む。
財布が――ない。
「そんなに探しても無駄だぞ? 財布なら私が預かっている」
「ちょッ!?」
彼女の手の上に俺の財布が載っているのを見つけると、慌てて奪い返し、中身を確認した。
「ぐはぁあッ!! 俺の一ヶ月分の生活費がぁああああッ!?」
「……同情するよ」
「お前らのせいだろうがああああッ!!」
財布の中からは、ぐっちー(野口英世)がほぼ消え去り、ゆっきー(福沢諭吉)に至っては全滅していた。
「では、この荷物頼みましたわよ?」
「なッ……俺の金を勝手に使っただけじゃ飽き足らず、荷物まで持たせるってのか!?」
「当然ですわ!」
霰は胸を張って言い放つ。
「これは罰ゲームですのよ? それに荷物持ちは最初から決まっていたはずですわよ? これはあなたが苦労することに意味があるんですの。お姉様が受けた苦しみに比べれば、この程度安いものですわよね?」
俺は返事もせず、霊へ視線を向けた。
すると当の本人は、近くのたい焼き屋の前でじーっと立ち止まっていた。
「お姉様? 何をしてるんですの?」
「ん~? たい焼き、美味しそうだなぁ~って」
その一言を聞いた途端、霰は俺の胸ぐらを掴んだ。
「こら、ケダモノ! 早くたい焼きを買うんですの!」
「はあ~ッ!?」
「お姉様が食べたいとおっしゃってるんですわよ!? まさか、お金がないなんて言いませんわよね?」
あまりにも理不尽すぎて、思わず深いため息が漏れる。
「はぁ……。お前ら、さっきあれだけ服買ったばっかりだろ? ぐっちーもほとんど残ってないし……ゆっきーに至っては、一人もいないんだぞ!? そんな状態でたい焼きまで買えなんて、無茶にもほどがあるだろ」
「ぐっ……う、うるさぁあああい!!!」
霰は一瞬たじろいだものの、負けじと耳元で怒鳴り散らした。
鼓膜が震え、思わず耳を押さえて後ずさる。
「私に口ごたえするんじゃありませんわ! ケダモノは黙って言うことを聞いてればいいんですの! さぁ、お金をお出しなさい!」
「……」
これ以上抵抗する気力もなくなった俺は、小銭入れから五百円玉を取り出して霰へ渡した。
すると彼女は――
シュッ。
五百円玉にアルコール消毒液を吹きかけた。
「えっ? 何してんの……?」
「ケダモノから受け取ったお金は穢れてますわ! ですから、こうして浄化してるんですの」
「うッ……」
胸に鋭い何かが突き刺さるような気分だった。
俺は胸を押さえながら、その五百円玉が霊へ渡されるのを見つめる。
「おじちゃ~ん! たい焼き一つ下さ~い!」
「はいよ!」
日に焼けた肌にサングラス姿のおじさんが、手際よくたい焼きを焼いていく。
「お譲ちゃん、お待ちどおさん! ほれ、こいつはおまけだ!」
「えっ、本当!? ありがとう~♪」
霊は二つのたい焼きを抱えて戻ってくると、一つを俺へ差し出した。
「はい、これあげる!」
「えっ、俺に?」
「お、お姉様!? どうしてこんなケダモノに!?」
「もういいよ。別にそんなに気にしてないし……それに、直接じゃないから大丈夫だよ♪」
――その瞬間だけは。
俺には霊が悪魔ではなく、天使に見えた。
「お姉様がそこまでおっしゃるなら……仕方ありませんわ」
霰は俺が持っていた荷物を半分受け取り、抱え直す。
「さぁ、帰りますわよ」
「ああ……」
俺も残りの荷物を抱え、家へ向かって歩き出した。
数分ほど歩いたところで、ふと気付く。
……ていうか。
この買い物袋、前が全然見えねぇ。
そう思った次の瞬間。
ドンッ!
「うわッ!?」
目の前の電柱に思い切り激突し、その反動で後ろへよろめく。
しかも――
「きゃっ!?」
後ろを歩いていた通行人まで巻き込んでしまった。
「いったたたた……あっ、すみません! 荷物で前が見えなかったもので……」
「いえ……気にしないで? ちゃんと前を見てなかった私も悪いんだから」
「そう言ってもらえると助かります」
俺はゆっくり体を起こし、相手の顔を見た。
ぶつかった相手は、俺とあまり歳の変わらない少女だった。
髪色は霊や霰達とよく似ていて、一瞬護衛役の一人かと思ったが、どうやら違うらしい。
理由はよく分からない。
だが、何となくそんな気がした。
「立てますか?」
「ええ――っつ!?」
少女が立ち上がろうとした瞬間、表情をしかめる。
「ご、ごめんなさい……。どうやら足をくじいてしまったみたいで……」
「そいつは大変だ! おーい、霰!」
俺が呼ぶと、霰は露骨に面倒くさそうな顔で戻ってきた。
「何なんですの? 私は今、この紙袋を持つので忙しいんですの! 用件なら手短に済ませてほしいですわね、“ケダモノ”」
「ぐッ……!! お前、いちいちその呼び方しかできないのか!?」
歯軋りしながら抗議する。
「ふんっ! そんなの私の勝手ですわ! それより、その方はどなたですの?」
「ああ。俺がぶつかって怪我させちまって」
「んまぁ! なんてことを! か弱き乙女に怪我を負わせるなんて……まさにケダモノですわね!」
ぐぅ……。
言い返せない。
何せ、今回は完全に俺が悪い。
「なぁ、頼む。この人を運ぶのを手伝ってくれ」
「嫌ですわ!」
即答だった。
「これはあなたへの罰ゲームだということ、お忘れではありませんわよね?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて?」
足を押さえた少女が、逆に俺達をなだめる。
すると騒ぎに気付いたのか、先へ行っていた皆も戻ってきた。
「ちょっと、何やってるの霰?」
「お、お姉様……。私は、この男に罰ゲームを――」
「霊、頼む!」
俺は霊へ頭を下げた。
「罰ゲームなら後でいくらでも受ける。この人を助けたいんだ! 俺のせいで怪我させちまったんだし」
「はぁ……。響史って、お人好しにもほどがあるよね」
「サンキュー、霊!」
「お姉様! そんなのダメですわ! 第一荷物はどうするんですの!?」
「霰が持って?」
「えっ!?」
「お願~い♪」
「うっ!? ……りょ、了解ですわ……」
……猫好きにもほどがあるな。
そう思いながら、俺は少女へ背中を向けた。
「乗れますか?」
「え、ええっ!? そ、そんな……私は別にいいのに……」
「そういうわけにはいかないですよ。これくらい気にしないでください」
「そう?」
少女は遠慮がちに俺の背中へ身を預けた。
「神童くん」
「えっ?」
「……ありがとう」
「ど、どうして俺の名前を?」
「あっ、それはね――」
「ちょっと!」
霰が大声を上げる。
「話してる暇があるなら、荷物を持つのを手伝ってほしいですわ!」
「いや、俺は今、両手ふさがってるし……」
「ふんっ! どうせ瑠璃姫さまにいいところを見せたいだけですわ!」
「なッ!? んなことねぇよ!」
「ほらほら、焦ってますわ~♪」
「おちょくんな!」
思わず顔が熱くなる。
……まったく。
俺はそんなつもりじゃないのに、本心だけは顔に全部出てしまう。
本当に厄介な性格だ。
そして、俺達はようやく我が家へたどり着いた。
俺はポケットから鍵を取り出し、二重ロック式の鍵を開ける(といっても、すでに壊れているのだが……)。
時刻はすでに午後一時を回っていた。腹は減っていたものの、少女一人くらいならおぶるだけの体力はまだ残っている。
「……すぐに手当てしますから、そこで待っていてください」
俺は少女を壁にもたれかかるように座らせると、急いで救急箱を取りにリビングへ向かった。
「なぁ瑠璃! この前使った救急箱、どこにしまった?」
「え~? 確か収納棚の中だったと思うけど?」
俺は瑠璃の言葉どおり収納棚を探し回り、ようやく白い救急箱を見つけ出した。
「……あった! お待たせしました。すぐ手当てしますから」
そう言うと俺は、少女をお姫様抱っこのような体勢で抱え上げ、リビングまで運んだ。
「えっ、あの……」
水色の髪の少女は恥ずかしそうに何か言いかけたが、寸前で口を閉ざしてしまった。
「少しヒヤッとするかもしれませんが、湿布貼りますね?」
「あっ、ええ……」
俺は湿布をハサミでちょうどいい大きさに切り、少女の細く白い足首へ貼る。
「ひゃっ!?」
小さな悲鳴が聞こえた。
「あっ、すみません。痛かったですか?」
「い、いえ……その、少し冷たくて……」
俺は救急箱を閉じ、元の場所へ戻す。
すると、それを見届けた少女が意味深な笑みを浮かべて口を開いた。
「ありがとう。これではっきりしたわ……。あなたなら、世界の崩壊を止められそうね」
「え?」
「あっ、そういえばまだ名乗っていなかったわね。実は私、太陽系の一人――水星の守護者なの」
「太陽系の一人?」
「ええ。もし商店街で私を助けてくれなかったら、あなたを殺していたわ。……本当に助けてくれてよかった」
「た、確かに……それはよかったです」
ほんと、助けてよかった……! 危うく死ぬところだったぜ。
知らないうちに死亡フラグを回避していたらしい。まさかあんな場所にそんな罠が仕掛けられているなんて、夢にも思わなかった。
「そして、あなたには第二関門を突破してもらうわ!」
「第二関門?」
俺が聞き返すと、少女は頷いた。
「そう。これから私と戦ってもらうわ。――さぁ、これを使って?」
いきなり話があらぬ方向へ飛び、半ば強引に剣を手渡される。
俺は困惑しながらも受け取ったが、状況はいまいち理解できていなかった。
「な、何を……」
「今からあなたには、私がつけているこのカチューシャを取ってもらうわ。どう奪うかはあなたの自由。助けてもらった恩はあるけれど、手加減はしないから気をつけてね?」
そんな笑顔で言われても……。
ようやく話が見えてきた。
どうやら俺は、これから彼女と戦わなければならないらしい。
「そういえば、まだ自己紹介もしてなかったわね。本当なら、顔を見れば私の名前くらい分かってほしいものだけれど……次からはちゃんと覚えてよね?」
少女は胸を張って名乗る。
「私の名前は『水滝 麗』。太陽系・水星の守護者よ!」
「水滝……麗さん。でも、ここで戦うわけにはいきません。家が壊れるし、中央公園に行きましょう」
名前を聞いてどこか聞き覚えがあるような気がしたが、今はそれどころではない。
最悪の事態を避けるため、俺は戦う場所を変更するよう提案した。
「平和主義者なのね」
「ええ、まぁ……」
本当は単に家を壊されたくないだけなのだが、褒められたような気がして、俺は照れ隠しに頭をかいた。
すると水滝さんは時計を見ながら言った。
「でも、この時間だと公園ではまだ子ども達が遊んでるはずよ? それに――」
グゥゥゥ……。
静かな部屋に、お腹の鳴る音が響いた。
「……お互い、お腹も空いているみたいだし」
お腹を押さえながら、水滝さんは恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「だから決戦は、午後九時でどうかしら?」
「いいですよ、午後九時ですね」
「ええ。じゃあ、また後で……。湿布、ありがとう」
そう言って水滝さんは家を後にした。
「あ~っ! 響史、顔赤くなってる~!」
「なッ、ち、違うって!」
「あら、本当ですわ!」
「なッ、霰まで!」
瑠璃だけでなく霰にまでからかわれ、俺は怒りながらも思わず笑ってしまった。
そして、約束の午後九時――その一時間前。
日もすっかり落ち、辺りは真っ暗になっていた。住宅街には点々と街灯が灯り、静かな夜道を淡く照らしている。
俺は夕食を少し早めに済ませ、出掛ける準備を整えていた。
夜は冷え込むという天気予報を信じ、脱ぎ着しやすい上着を羽織って、午後九時になるのを待つ。
九時まであと十分ほど。
そろそろ家を出れば、ちょうど中央公園に着く頃合いだろう。
そう思った俺は玄関へ向かい、少し大きめの靴を履いて踵を合わせた。
「じゃあ、行ってくる……」
「なるべく早く戻ってきてね?」
「ああ、分かってる」
瑠璃にそう言い残し、壊れた玄関のドアを開けると、俺は中央公園へ向かった。
時刻は午後九時。
場所は中央公園のど真ん中。
腕につけた銀色の腕時計を何度も確認しながら、水滝さんを待つ。
やがて、公園の入口から一人の人影が姿を現した。
服装は昼間と変わらない。
だが、髪型だけが違っていた。
昼間はサイドテールだった髪を、今はポニーテールにまとめている。
……いや、それだけじゃない。
何か足りないような、そんな違和感があった。
「どうやら、あなたの方が早かったみたいね」
「いえ、少し早めに家を出ただけですから」
「そう?」
「ところで、勝負の件ですが……」
「安心して? ちゃんとあなたの武器も持ってきたから」
そう言うと水滝さんは、一歩手前の地面へ向かって一本の剣を放り投げた。
剣は地面に突き刺さり、小さく震える。
「えっ、これは?」
「昔、私が稽古用に使っていた剣よ。安心して? ちゃんと刃も研いできたから切れ味は抜群よ? 試しにこの大根を斬ってみて?」
言われるまま剣を抜き、大根へ振り下ろす。
スパン!
気持ちいいほど綺麗な音とともに、大根は真っ二つになった。
切り口は驚くほど滑らかで、刃が引っ掛かった跡もない。
「すげぇ……」
「そして、これが私の愛刀――『村雨』」
水滝さんは自分の刀を軽く掲げた。
「型は五つほどしかないけれど、それとは別に奥義があるの。本来は五つの型を破られた時だけ使う切り札。でも、今まで誰一人として五つの型を破った者はいないわ」
そう言って俺を見る。
「もしあなたが五つの型を破り、私に奥義を使わせることができたら、この指輪以外にも有力な情報を教えてあげる」
「有力な情報?」
それが何なのかは分からない。
だが、不思議と知りたいという衝動だけは湧いてきた。
俺は静かに頷く。
「ルールは神童くん家で話した通り。私のつけているカチューシャを――あっ、ごめんなさい!」
水滝さんは慌ててどこからか黄色いカチューシャを取り出し、頭につけた。
なるほど。
謎の違和感はこれだったのか。
納得したところで、水滝さんは刀を抜き、静かに構える。
その所作は、どこか霄に似ていた。
「じゃあ、始めようか?」
「あっ、はい……」
相手の動きに見惚れてしまい、一瞬だけ返事が遅れる。
「じゃあ、私からいくわよ?」
その声と同時だった。
地面を強く踏み込み、一瞬で間合いを詰めてくる。
「おわッ!?」
咄嗟に身を捻り、紙一重で斬撃を回避する。
崩れた体勢は受け身を取りながら立て直した。
「これはまだまだ序の口よ」
そこから先は、水滝さんの猛攻だった。
攻撃、攻撃、また攻撃。
俺は防戦一方で、反撃する隙すら見つからない。
「どうしたの? どうして反撃してこないの?」
剣を振るいながら、水滝さんは笑う。
「まさか、私を傷つけるのが怖い? でも、そんな甘いこと言ってたら――」
「ぐッ!?」
腰に鋭い痛みが走る。
慌てて目を向けると、黄色い服が赤く染まり始めていた。
「なッ……いつの間に!?」
「ふふふ。これが村雨・一の型――『水刃』」
声のした方を見る。
そこには血の滴る刀を持った水滝さんが立っていた。
街灯に照らされた白い肌が、不気味なほど美しく見える。
嘘だろ?
今の攻撃、まったく見えなかった。
こんなの、どう避ければいいんだ。
焦りが胸を支配する。
それでも、零と戦った時よりはまだ戦える。
そう思った。
――だが、その考えは甘かった。
その後も傷は増え続けた。
普通の斬撃には少しずつ慣れ、動きの癖も読めるようになってきた。
だが、『水刃』だけはどうしても見切れない。
――せめて相手に近づくことが出来れば。
そう考えるものの、突破口は見つからない。
時間だけが過ぎていく。
必死に攻撃を躱し続ける中、不意にあることに気づいた。
――水滝さん、疲れてきてる?
呼吸が少し荒い。
足運びも、さっきよりわずかに鈍くなっている。
どうやら『水刃』は相当体力を消耗する技らしい。
つまり、長期戦になればなるほど不利になるのは向こうだ。
――なら……。
俺は作戦を切り替えた。
無理に攻めない。
普通の攻撃は確実に防ぎ、『水刃』だけを紙一重で避け続ける。
すると、最初は自在に動いていた彼女の足取りが、少しずつ直線的になっていく。
まるで勢いのついた猪のように、一度踏み込むと軌道を変えられなくなっていた。
――間違いない、彼女は疲れてきている。
そうと分かれば、『水刃』攻略まであと一歩だ。
そう自分に言い聞かせながら、俺はひたすら同じリズムで攻撃を躱し続けた。
それから約十分後。
ついに水滝さんの動きが止まった。
「はぁ……はぁ……。どうして攻撃が当たらないの?」
「もうあなたの『水刃』は攻略しましたよ」
「へぇ~。どうやら、この技の弱点を見破ったみたいね。まずは一つ、といったところかしら? でも、まだ見せてない型が四つあるわ」
そう言うと、彼女は再び姿を消した。
次の瞬間、放物線を描くように剣を振るう。
剣先から大量の水が噴き出し、俺の周囲およそ十メートルが一瞬で水浸しになった。
そのまま彼女は大きく後方へ跳び、距離を取る。そして、地面へ剣を突き立てて叫んだ。
「二の型『水固』! 三の型『水影』!」
「何ッ!?」
グサッ!
一瞬だった。
背後に殺気を感じ、反射的に身を躱そうとした――だが、体が動かない。
「ガハッ……!」
ビチャビチャ!
口から血がこぼれ落ちる。
視線を落とすと、腹を真っ赤な剣が貫いていた。
「ごめんね、神童くん。でも、これは勝負だから手加減するわけにはいかないの……許してね?」
苦しみながら振り返る。
そこには、悲しそうな表情を浮かべた水滝さんがいた。
その顔を見た瞬間、俺の脳裏に今でも忘れられない“ある人物”の姿がよぎる。
「ぐッ……言っておきますけど、俺はこんなもんじゃ死にませんよ……?」
「えぇッ!? ど、どうしてまだ喋れるの!? 普通の人なら、もう立ってることもままならないはずなのに……。神童君、あなた一体何者なの?」
「へへ……悪魔に囲まれて暮らしてる、ただの人間ですよ」
俺は苦笑する。
「でも、このままだと出血多量で死ぬかもしれないですね……」
そう言って、腹を貫いている剣を両手で掴んだ。
「や、やめて! そんなことしたら手が……!」
彼女が止めた時には、もう遅かった。
俺の手のひらから血が滴り落ち、地面を赤く染めていく。
その光景に耐えられなくなったのか、水滝さんは技を解除した。
腹を貫いていた剣が消え、ようやく体の自由が戻る。
だが、腹の傷口からは今も大量の血が流れ続けていた。
「うッ……!」
慌てて傷口を押さえる。
しかし、指の隙間から血が滲み出てきて、到底止まりそうにない。
俺は震える手で携帯電話を取り出し、霊へ電話をかけた。
「も、もしもし……た、霊か?」
〈霊なら今、お風呂だよ?〉
「……はぁ、はぁ……その声は瑠璃か?」
乱れた呼吸を必死に整えながら問い返す。
〈そうだけど……どうしたの、その声? すごく苦しそうだけど……〉
電話越しにも瑠璃の心配そうな声が伝わってくる。
「霊に……すぐ中央公園へ来るよう伝えてくれ……!」
「戦いの最中に電話は禁止でしょ!」
「うわッ!」
完全に油断した隙を突かれ、彼女の一撃で携帯が弾き飛ばされた。
バキッ!
「ああぁぁぁぁッ!? 俺の携帯がぁぁぁぁあああああッ!?」
追い打ちをかけるように、水滝さんが形態を踏み砕く。
高かった携帯は無惨に壊れ、データもろとも原形を失ってしまった。
「そ、そんな……これ、高かったんですよ!?」
「そんなの関係ないもん! 戦いの最中に電話なんかする方が悪いんだもんね!」
頬を膨らませ、子どものようにぷいっとそっぽを向く水滝さん。
俺は怒りと悲しみを押し殺しながら、痛む腹を押さえて立ち上がった。
「いい加減、本気を出してくれない?」
――いや、もう十分本気なんだが……。
それより問題なのは、二の型と三の型の連携だ。
あれを攻略できなければ、確実に俺が死ぬ。
どうすれば防げる……?
必死に考えていると、水滝さんが口を開いた。
「何を考えているのかは知らないけれど、型の攻略法を考えているなら諦めなさい!」
彼女は静かに続ける。
「今まで私と戦った中で、二の型と三の型の連携を防いだり避けたりできた人は、ほんの数人しかいないのよ? 素人剣士のあなたにはムリよ!」
その言葉に、俺は少しムッとした。
「なッ……んなことありません! 俺にだってできる……と、思います」
「その間が答えじゃない!」
水滝さんは小さくため息をつく。
「悪い事は言わないわ。この勝負、降参なさい。私だって、弱い人間を殺す趣味はないの」
その言葉に耐え切れず、俺は剣を振り上げて突っ込んだ。
だが、案の定あっさり受け止められる。
「人が話してるんだから、ちゃんと最後まで聞きなさいよ!」
腰に手を当て、呆れたようにため息をつく水滝さん。
「……すみません」
「とにかく、諦めなさい」
「それはできません!」
「はぁぁぁ~……どうして?」
俺は剣を握り直した。
「俺があなたと戦う理由は、天界へ行くためです。でも、それだけじゃない」
一度息を吸う。
「瑠璃のお母さんに、大魔王の計画を止めてもらうためでもあるんです! それに俺は、この人間界を守らなきゃいけない。じゃないと、あなたもこの世界から消えることになるんですよ?」
「……言っておくけど、私たち太陽系の守護者は、すでに世界の理から外れた存在よ。だから世界が滅んでも消えないわ」
「……え」
思わず間の抜けた声が漏れた。
「う、嘘……」
「なんで私が嘘をつかないといけないのよ!」
「ご、ごもっとも……」
それでも俺は拳を握る。
「けど、それでも俺はあなたに勝たなきゃいけないんです! どんな手を使ってでも!」
「……仕方ないわね。本当に聞き分けのない子」
水滝さんは小さく笑う。
「でも、その覚悟だけは認めてあげる」
そう言うと、剣を高く掲げ、魔力を込めて一気に振り下ろした。
「四の型――『水溶』!」
次の瞬間、俺の足元の地面が液体のように崩れた。
「うわぁッ!?」
足が沈み、まるで底なし沼にはまったように動けなくなる。
「これは『水溶』。水に触れたものを液状化させる技よ。コンクリートだって、水みたいに溶かせるの」
――くッ! まさかそんな技まであるとは!?
身動きが取れない。
「さぁ、もう一度だけ言うわよ? 降参なさい!」
「嫌だ!」
「頑固者ね! だったら――」
彼女は剣を天へ向けた。
「五の型『水爆』!!」
「なッ!?」
俺の頭上に巨大な水球が現れる。
「それは『水爆』。特殊合金の容器に封じた爆薬入りの水よ。私が合図を出せば、その場で爆発する」
彼女は静かに言った。
「そして、あなたは動けない」
水球が不気味に揺れる。
「どう? 怖いでしょう? だから降参して」
「くッ……断る!!」
「もう、本当に頑固者なんだから! どうなっても知らないわよ!?」
「望むところだ!!」
俺は覚悟を決め、歯を食いしばる。
そして、静かに目を閉じた。
――その時だった。
奇跡としか思えない出来事が起きた。
「ひやっ!?」
「な、何だ?」
「やっ、誰なの……!?」
暗闇でよく見えない。
だが目を凝らすと、水滝さんの胸を後ろから誰かが触って――いや、がっしりと掴んでいた。
まさか痴漢か?
最近物騒だとは聞いていたが……。
そう思った俺だったが、相手は男ではなかった。
見知らぬ制服に、体格に合っていない白衣。
さらに、エメラルドグリーンの髪という、ひと目で忘れられない容姿をした少女だった。
「へぇ~。なかなかいい胸してるじゃない。でも、それでも私の方が勝ってるかなー?」
「な、何なのあなた!? いきなり人の胸触って……!」
水滝さんは顔を真っ赤にし、胸を両腕で隠しながら少女を睨みつける。
「私のこと知らないの? はぁ……これだから人間は」
意味深なことを呟いた少女は、そのまま俺のところへ歩いてきた。
そして――。
俺の頭をわし掴みにすると、まるで子猫でも持ち上げるような軽さで、液状化した地面から引き抜いてしまった。
「うわッ!?」
そのまま安全な場所へ降ろされる。
「あ、あの……」
「礼ならいらないわよ? 人間に感謝されても、ちっとも嬉しくなんかないし」
「は、はぁ……」
そう言われたので礼を言うのはやめておく。
……と思った矢先。
少女が振り返り、不機嫌そうな顔で言った。
「……やっぱムカつくから、ちゃんと礼を言いなさい!」
――どっちなんだよ!?
思わず心の中でツッコむ。
「あ、ありがとう」
「はあ? それが人間のお礼? もっとちゃんとしなさいよ!」
「どうやって?」
「全く……役立たずの人間ね。こうよ!」
少女は突然その場に正座すると、勢いよく土下座した。
「ありがとうございました!!」
「いや、別にお礼を言われるほどの事は何も――」
「あんたに言ってるんじゃないわよ!!」
「え、違うのか?」
「もうヤダ! 何で私がこんな能無し人間に付き合わなきゃいけないの!? ストレスで死んじゃったらどうしてくれんの!?」
――それくらいで死んでたまるかよ……。
それより気になる。
さっきから「人間、人間」と言っているが、こいつは人間じゃないのか?
……いや、悪魔って感じでもない。
妙な威圧感はあるのに、悪魔特有の気配はまるで感じなかった。
「さっきから何ジロジロ見てんの? ははぁ~ん、さては私の体を見て興奮してたんでしょ? この変態っ!」
「なッ!? んなわけねぇだろ! 何で俺がお前を見て興奮しなきゃいけねぇんだよ!!」
「なっ!!? 誰に向かってそんな口聞いてるわけ?」
「お前ですが!?」
「きぃいいいっ!!! ムカつく! この男マジムカつく!!」
今にも飛びかかってきそうな勢いだったが、少女はふっと息を吐いて冷静さを取り戻した。
「……本当なら今すぐ殺してやりたいところだけど、今日は人間を殺すなって命令されてるのよね」
腕を組み、ため息をつく。
「だから今日は見逃してあげる。でも、私の用はあんたじゃない」
少女が指差したのは俺ではなく、水滝さんだった。
「わ、私?」
「そっ! 悪いんだけど、その変態に証渡してくれない?」
「えっ!?」
「な、何言って――って、俺は変態じゃないっつうの!!」
「変――じゃなかった、神童くんに、どうして証を渡さないといけないのよ!」
「今、一瞬『変態』って言おうとしましたよね?」
「あはは……ご、ごめんね? つい」
……胸が痛い。
いろんな意味で。
「俺は真剣に水滝さんと戦ってるんだ! あんたは黙っててくれ!」
俺がそう言った瞬間、少女の目が鋭く細くなった。
「……はあ? あんた、今なんつった?」
「だから、少し黙って――」
最後まで言い切る前に、少女はズカズカと近寄ってきて、俺を軽々と突き飛ばした。
「うわッ!?」
「今は命令があるから殺さないだけ。だけど、その気になればあんたなんか一瞬で消し去れるんだからね? 分かった!?」
「……は、はい」
尻もちをついた俺は、その威圧感に完全に飲まれていた。
「あんたは大人しく証を受け取ればいいの! それに今日は分が悪い。本気で決着をつけたいなら、また今度にしなさい!」
何なんだ、この子は。
俺とそんなに歳は変わらない……いや、むしろ年下にしか見えない。
なのに、どうしてこんなに偉そうなんだ?
それなのに、不思議だった。
初対面のはずなのに、どこか懐かしい。
いつも会っているような感覚がある。
記憶を必死にたぐる。
あと少しで思い出せそうなのに、どうしても届かない。
もどかしくて仕方がなかった。
「さぁ、証を渡して!」
「嫌よ! 年下の子に命令される筋合いはないわ」
「……この私を、年下扱い……?」
少女はぴくりと眉を動かした。
「あなた、名前は?」
「水滝麗……だけど?」
「水滝麗……、その名前、ちゃんと覚えたわよ?」
少女は小さく頷く。
「証を渡したら、一緒に来てもらうから」
「えっ? あの――」
「質問は一切受け付けないわ!」
水滝さんが何か言おうとしたが、その言葉は最後まで聞かせてもらえなかった。
――そして。
結局、水滝麗さんとの決着はつかないまま。
俺は証だけを受け取り、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「何やってるの? ホントあんたはバカね……」
「お前に言われたくねぇよ!」
「お前じゃなくて、"ルナー"よ! ル・ナ・ァ!」
「るなー? 外国人か?」
「え? ま、まぁ……そんなとこかしら」
少女は肩をすくめる。
「あ、そうだ。名前を聞いてなかったわね」
「ああ、神童響史だ」
「響史……ふぅ~ん」
そう呟くと、ルナーは壊れたはずの携帯電話を差し出した。
「これ、必要なんじゃない?」
「えッ!?」
確かに俺の携帯だ。
だが、見た目が少し変わっている。
「ちょっと改良しておいたわ。便利な機能しか追加してないから安心して。こう見えても私、発明家なんだから!」
そう言って踵を返す。
「じゃあ、ルリによろしくね?」
その一言に、俺は思わず目を見開いた。
「……おい! 何で瑠璃のことを!?」
慌てて振り返る。
だが、そこにはもう誰もいなかった。
街灯に照らされた道路と、道路脇のカーブミラーだけが静かに立っている。
――なんだろう。ルナーって名前、どっかで聞いたような……。
腕を組みながら必死に思い出そうとしたが、結局、家に着くまで答えは出なかった。
そして俺は、その間ずっと、自分が重傷を負っていることさえ忘れていたのだった……。
というわけで、今回は少し更新に間が空いてしまいました。起床早々、不幸なことに見舞われる響史。従姉である茜からの連絡にビビり、さらには従姉妹の中で一番年下である奈緒にまで誤解される始末。
そして、商店街でばったり出くわした少女――水滝麗。そんな彼女の正体は、太陽系の水星の守護者なわけで――。
おまけに、勝負に割り込んできた謎の少女――ルナー。どこかで見覚えがあるなどと気になる言葉を口にする響史。
次回は大怪我を負った響史を手当する話です。




