第五十九話「唯の懊悩」・1
平穏な日々は、瓦解するように崩れ去った。あの日、私の大事な弟が記憶障害を負った。せっかく今まで築き上げてきた想い出が音を立てて崩れ去るのが、私にはよく分かった。
大事な弟――響史。当時の私は、愛称で響ちゃんと呼んでいた。嫌がられるかもと思っていたが、当時小学六年生の響ちゃんは、喜んでその愛称を許してくれていた。
今でこそ私の家族は五人家族で従姉妹も四人いるが、私がまだ産まれてしばらくは、弟妹も従弟妹も存在しなかった。寂しい日々ではあったが、その分両親が構ってくれたので楽しかった。
私が産まれて数年が経ち、私に三人の従妹が出来た。彼女達の両親は仕事が忙しくて滅多に家に帰れないらしく、祖父である豪佑お爺ちゃんの家で生活していた。
私は妹が出来たみたいで嬉しくて、楽しく遊んだ。
やがて、私に初めて弟が出来た。お父さんに良く似た銀色の髪の毛は、照明の光に反射してキラキラ光っていた。宝石のエメラルドの様に輝く双眸も、眺めていて飽きないくらい綺麗だった。
それからというもの、私は響ちゃんの世話ばかりした。抱っこしたりおんぶしたり、とにかくいろいろだ。
響ちゃんが四歳になって、綺羅星幼稚園に通う事になった。私とは四歳離れているので、面倒は見切れない。少し心配だ、イジメられたりしないだろうか。今思えば少々過保護かもしれないが、当時の私はそんな事少しも考えていなかった。
ある日、響ちゃんに友達が出来た。名前は琴音ちゃんというらしい。少し天然の気があるのか、少し呆けた部分があるものの、そこが少し可愛らしい。フワフワの栗毛髪を肩まで伸ばしている彼女は、少し頬を赤らめて響ちゃんの後姿を見ていた。
それを見た私は瞬時に理解した。ああ、そうなんだと。
一体幼稚園で何があったのかは、敢えて聴かない事にした。でも、少し気になる事はある。どういう経緯で出逢ったのか。そこが謎だ。まぁ、それは追々聞くつもりだった。
でも、それを聞く前にあの事故があって記憶を失ってしまった――もとい、記憶回路に鍵をかけられてしまったというべきか。
またまたある日のこと、響ちゃんがまた別の女の子を家に連れてきた。名前はめーちゃんというらしい。恐らく愛称だと思うが、本名は聞きそびれてしまった。
彼女は極端に肌を服で隠していて、ご丁寧にフードまで被っていた。何をそこまで重装備なのかは知らないが、何か訳があるのだろうと考えた。
二人目の弟が出来た。私が小学五年生、響ちゃんが幼稚園年長組の時だ。名前は亮祐。響ちゃんに似てとても可愛らしい顔立ちをしている。でも、響ちゃんほど髪の毛はツンツンじゃない。どちらかというと、髪質はお母さんに似たのかもしれない。それでも髪の毛の色は、響ちゃんやお父さんと同じ銀髪。
それから数年が経ち、響ちゃんが小学六年生になった。琴音ちゃんとめーちゃんも同じクラスらしい。あの二人なら、幼馴染という立場からも任せておける。既に中学三年生という受験シーズンに差し掛かっていた私は、さすがに響ちゃんに構っていられなくなっていた。
中学校はちょっとした理由で別の学校に通っていたのだが、高校からは響ちゃんと同じ学校に通おうと思ったのだ。
私の住むこの光影都市は三つの区画に分かれていて、私の住居は黄昏区に区分される。そしてこの近辺に高校が一か所しかないのだ。それが来年の春から通う事になる光影学園だ。中高一貫校であるこの学園ならば、響ちゃんと同じ学園に通う事が出来る。今までの心配もこれでなくなるのだ。
この話を友人にしていた時、「唯怖いよ?」とか言われたが、私にはよく分からなかった。何が恐いのだろうか? 私はただ、弟が心配でなるべく近くにいたいだけなのに……。
話は前後するが、私は中学一年生の時に柔道部に所属していた。理由は単純、響ちゃんに迫りくる魔の手から守るためだ。弟を傷つけるなんて絶対に許せない。
そんな思いで私は必死に稽古に取り組んだ。気づいたら何だか強くなりすぎて、近所の男子高校生よりも強くなっていた。
それなのに、守れなかった。私はこの力で勝てなかったのだ。大事な弟を傷つけられ、後遺症まで負わせて、今まで何のために力をつけていたのか分からなくなった私は、途方もない絶望感に打ちひしがれた。
一気にやる気がなくなって、私は高等部一年生の時に所属していた空手部を止めて、その後どの部活にも入らず三年間を過ごした。部活動の勧誘に何度誘われたか分からない。けれど、それも全て断った。中学校が同じだった人も何人かいたので、彼らはさぞかし驚いた事だろう。あんなにもスポーツ万能だった私がどの部活にも所属しないなどと。
だが、私にはもう無理だ。響ちゃんが事故に遭って何日かして、私はおかしくなった。いつまで経っても目覚めてくれない弟に、私は何かとてつもない不安感と恐怖に襲われたのだ。
そして、気づいたら病院の屋上にいた。
夏だというのに、夜風は少し冷たくてひやっとしていた。私は柵を乗り越えようとして片足をかけた。
瞬間、何かに片手を引かれてそのまま後方に退けられた。見れば、そこにはお父さんがいた。サングラスをかけて目は見えないが、どうやら怒っているらしい。無理もない。だって私は――。
「唯、今お前……。…………自殺するつもりだったのか?」
一旦言葉を区切ってお父さんが単刀直入の質問をする。私はその問いに頷いて答えた。
「何故だ、何故こんな事を」
「だって……だって私のせいで響ちゃんは!!」
「唯、何度も言っているだろう。お前のせいじゃない、あいつらが狙ったのは俺達全員だ。たまたま次の標的が響史になってしまっただけだ」
「そんな……! どうして、どうして響ちゃんなの!? 響ちゃんが何をしたってのよ!! まだあの子は小六なんだよ!? まだまだ人生これからなのに、友達だってこれからますます増えていくっていうのに、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのよっ!!!」
私はムキになっていた。大事な弟の全てが奪われて、私の何もかもが奪われた気がして堪らなくなったのだ。人生を狂わされた。その責任を取らせてやりたい。それなのに、相手がいない。こんな事ってない。これでは誰にこの負の感情をぶちまければいいのか分からないではないか。
結局私は、父さんに肩を抱かれながら響ちゃんの眠る病室へ向かった。その後ははっきりとは覚えていないが、一つ確かな事があるとすればあの二人がお見舞いに来てくれた事だろうか?
響ちゃんを見守っててくれた大切な二人。だけど、その二人さえも響ちゃんは忘れてしまいそうになっている。いや、片方に至っては本当に忘れているようだ。
どれほどそれが、彼女――めーちゃんにとって辛いかが、私にもよく分かった。彼女は私と少し似ている部分がある。粘着質というか、執着しやすいのだ。気に入ったらとことんその人に付きまとう。それがやがてどういう結果になるかは、私自身分かっているつもりだ。
だから、そろそろ止めようと思う。もしかすると、これがいい機会なのかもしれない。
そう思った私は、家族会議の際に家を離れる事を打ち明けた。幸い、一人暮らしに持って来いの物件に見当は付いている。
そして、最愛の弟が目覚めて……時は来た。響ちゃんの辛くて寂しい四年間が始まるのだ。家に帰っても誰も迎えてくれない悲しい暮らし。どれほどその哀しさが私の心に深く刺さったかしれない。それでも仕方なかったのだ。私の心を保たせるには、必要な仕打ちだった。
けど、それが響ちゃんの心だけでなく、記憶にも負担をかけていたのだろう……一年経ったくらいから顔色が優れていなかった。そんな弟の変わり果てた姿を見て、私の心は更に強く絞めつけられた。心臓を握られているようで息苦しい。喉に何かが詰まったような感覚さえする。
光影学園の中等部に入学した響ちゃんの姿を、私は毎日廊下の角から見ていた。その暗い顔を見る度に、ズキリと心が痛んだ。ああ、これは私への罰なんだと思った。響ちゃんが私達に逢えない事が辛いように、その姿を見ている私達も辛いのだと。
時間が早く過ぎればいいのに。普段そんな事は考えもしないが、この時ばかりは別だった。
おかしい、本来同じ学園に通える事になって嬉しいはずなのに、全くそんな感情が出て来ない。
響ちゃんが部活動に入った。どうやら剣道部のようだ。そういえば、響ちゃん言ってたっけ。
「男の子は女の子を守るもんだって!! だったら僕は、お姉ちゃんにもらったあの木刀で、お姉ちゃんを守るッ!!」
よくもまぁ、あんなにもこっ恥ずかしい台詞を言えたものだ。でも、それが幼いが故に出来る事なのかもしれない。現に、あの言葉に私は救われていた。
私があげた木刀で、本当に響ちゃんは救いに来てくれた。ボロボロになりながらも、私を悪魔の魔の手から必死に守ろうとしてくれた。凄く、嬉しくて、だからこそ自分が許せなかった。守るべき相手に守らせて、守るべき相手を傷つけた。これでは何のための力か分かったもんじゃない。
因果応報とはよく言ったものだ。その言葉を聞くだけで耳が痛い。
響ちゃんは、入部してからずっと頑張っていた。同じ部活内の女の子とも仲良くなったようで、帰りがけにたまに見ていた。
私はちゃんと理解していなかった。響ちゃんが何のために剣道部に所属しているのか。
いや、分かった上でこんな行動に出たのかもしれない。
響ちゃんが中等部三年になった時、私は高校を卒業して浪人していた。無論、響ちゃんの事で頭がいっぱいで勉強なんてしていられなかったのだ。いや、響ちゃんのせいにするのはお門違いだ。全責任は私にある。
第一、そのせいで私はまたしても響ちゃんを傷つけてしまったのだから。
周囲の人間をも巻き込み苦しめた四年間は、ようやく終止符を打とうとしていた。私も一人暮らしに慣れ始めていた。時折、電柱の陰から響ちゃんの登校姿を眺めていた。
当時の私の心は、いつしか痛まないようになっていた。もう傷つき過ぎて、傷が亀裂を入れて、砕けてしまったのかもしれない。もしくは、その寸前で耐えているのだろう。何かのきっかけで、それは粉砕してしまいそうだ。
ある日、響ちゃんの顔色が変わった。
久しぶりに電話がかかって来たので何事かと電話に出ると、響ちゃんが訳の分からない質問をしてきた。ついに限界を迎えたのかもと思ったが、どうやら違うらしい。しかも、電話越しに確かに女の子の声を耳にした。それも、私の知らない女の子。一体、どこの誰だろう?
その上、響ちゃんは独り暮らしだ。気づくと私は、玄関ドアを蹴破っていた。何だか心の奥がズキズキ痛んで、モヤモヤしたのだ。何だか気分が悪い。苛立ちに似た何かを感じているのだろうか?
そして、出逢った。今まで見た事もないような、美しい整った顔立ち。蜜柑色の髪の毛に檸檬色の双眸を持つその少女は、ツインテールに結んだ髪の毛を揺らしながらこちらを見ていた。
吸い込まれるようなその眼力に、私は戦慄を覚えた。この女の子はただの人間じゃない、直感的にそう思った。
でも、彼女の存在が明らかに響ちゃんを変えていたのは分かった。そうか、私じゃダメなんだと、この時思った。同時、私の中で何かがバラバラに砕け散ったのを感じた。
様々な思いが心の中で迷走し、グチャグチャになる感覚。早く綺麗に掃除したい。
時は流れ、四年が経とうとしていた。
口調を変え、己を騙し続ける事で心の平穏を保ち続けていた私は、体育祭へ赴いていた。最初は驚いた。まさか、電話で呼ばれる事になるだなんて思わなくて、いざという時の言い訳を考えていなかった。
本当は嬉しかった。誘ってくれなくてもいいと思っていたせいか、その気持ちは少し強かった。
体育祭が終わり、全てが丸く収まるかと思われたあの時、偶発的にも発作が起きた。
敗北という言葉が響ちゃんの記憶に影響を及ぼしたのか、はたまた長時間雨に打たれて体を冷やしてしまったためか、響ちゃんは高熱で倒れた。
しかし、その寸前で、私は四年間に及ぶ響ちゃんの想いを聞いた。
「なんで、高校を卒業してすぐ、俺と連絡を絶ったんだよ!! 迷惑だったから? それとも、俺が弱いから? はぁ……俺がきら……い、だから――」
そんなわけ、ないじゃない。嫌い? そんなわけない……嫌いなんか、あるわけない。
むしろ、その逆。逆の感情が強すぎて、怖いくらい。
だけど、この感情は決して許されない。今までただの姉弟愛だと思っていたのに……。
体育祭後にそれを聞いて、再び自分の気持ちと見つめ合って、理解っちゃった。
私も……そうなんだって。砕け散ったはずの心は、いつのまにか再生して輝き放ち始めていた。許されない、そんな資格はないはずなのに……。これ以上、自分の気持ちに嘘を吐きたくない、そのような感情が、芽生え始めていた。
今を思えば、何故これほどまでに響ちゃんに執着しているのだろう?
私には弟が二人いる。響ちゃんだけでなく、亮ちゃんだって甘やかしていいはずなのに。亮ちゃんに執着してもいいはずなのに、何故か私は響ちゃんにご執心だった。
何か特別な、女の子を惹きつける何かを持っているのだろうか?
亮ちゃんにない何かを、響ちゃんは……持っている?
一体それが何なのかを、私は知るべきだろうか? 振り返って、何か分かるだろうか?
知りたい、響ちゃんの何が私を引き寄せるのか。
響ちゃんが産まれて六年後、亮ちゃんが産まれた。その六年後、事件は起こった。
私が成人式を迎える年齢になるより四年前……。思い出したくもない想い出……。
二月八日。この日、響ちゃんが風邪をひいてしまった。無論私は勉強に専念出来ずにいた。たかが風邪で寝込んだだけなのに、この時異常なくらい響ちゃんの事が心配だった。
受験シーズン真っ盛りのこの時期に、私は焦りと不安などで冷静さを欠いていたのかもしれない。
響ちゃんの看病をしていると、お母さんからお使いを頼まれた。最初は断るつもりだったが、風邪を感染されたら元も子もないと言いくるめられ、仕方なしに外に出た。
道中、私は買い物メモを見ながらエコバッグ片手に路地を歩いていた。
そして曲がり角を曲がった直後、一台のバイクに接触した。幸い轢かれはしなかったので怪我せずに済んだが、この時私は大事な物を落としてしまっている事に気付かなかった。
肉薄する鉄の塊を避けようとして、私は尻餅をついてしまっていた。雪が積もっていたらお尻が濡れていただろう。幸いにも、今日はまだ雪は降っていない。
バイクの運転手はヘコヘコ私に謝ると、そそくさとエンジンを蒸かして行ってしまった。
しばらく放心状態でいた私は、ハッと我に返って目的地へ歩を進めた。
と、目的地まで後ちょっとというところで、ふと私は違和感に気付いた。
「あれ? お金が、ない!?」
前ポケットや後ろポケット、コートのポケットを探るがどこにもない。おかしい、確かにズボンのポケットに入れておいたはずだ。それなのにないということは……。
「どこかに、落とした?」
ふと後ろを振り返る私。落とした可能性があるとすれば、先程のバイクとの接触の際だ。あそこしかない。
私は急いで元来た道を帰った。現場に辿り着き、焦燥感に駆られて探した。が、見つからない。道路の真ん中は何度も車などが通って雪が溶けてしまっているが、道路の両端は塀などが影になってまだ雪が残っていた。
「どこ? どこに行ったの!? だめ、見つからないっ!!」
私はこの時酷く後悔した。何でお金単体でなく、財布を持って来なかったのか。お金の大きさは小さい。財布ならばまだそこそこの大きさがあって見つけやすかったのに。
ますます冷静さを失った私は、仕方なく家に引き返す事にした。お母さんに謝らなければならない。どうしよう、今日はどうにも調子が悪い。
そんな事を考えているその時、私はまたしても曲がり角で何者かに接触した。
今度は乗り物ではない。人だ。それも少し背の高い男性。ガッチリとした肉体ではないものの、そこそこ筋肉質の男性は、サングラスをかけていて耳に金色のピアスをしていた。
――まずい、もしかして……ヤクザ?
怯んだ私は、慌てて二、三歩後ろに下がった。すると、男性はニッと口の端を吊り上げて言った。
「なんやァ、お嬢ちゃん……えらい怯えとんな。そない怖がらんでもええやん……ちぃと道を訊きたいだけやねん」
「そ、そうなんですか?」
それならここまでビビる必要もないかと、私は少しドキドキしながら確認する。
「ここへ行きたいんやけど……」
そう言って男は地図を見せてきた。
「ああ、ここなら……ここを曲がって、突き当りを左に曲がった先です……」
相手からの視線を感じながら、私は指で地図を指し示し教えた。
「なるほどなァ、よォ分かったわ……」
よかった、これで解放される……そう思っていた。
「……お嬢ちゃん、エラい困っとるみたいやないか。よかったらお兄さんに話してくれへんか? 道を教えてくれた礼やァ、協力すんでェ?」
ホント、今思えばどうしてこんな言葉に乗ってしまったのだろう。冷静に考えれば分かる話だ。だけど、当時の私にそんな考えは浮かんでこなかった。
その結果――。
「実は――」
そう言って私は説明してしまった。今までの経緯を話し、私は男性にお金を落とした事を教えた。
男性は、静かに笑ってこちらを見据えた。そしてサングラスを取り外して胸ポケットにしまう。
「お金落としたんかァ……せやったら、わいが払ったろかァ? いくらや、お兄さんが貸したるわ……言うてみィ?」
受験が迫り、響ちゃんが風邪に倒れ、お金を落としたという三つの出来事が、私に過度のストレスを与えていたのかもしれない。精神的に参っていた私は、その甘い囁きに耳を傾けてしまった。
悪魔の囁き……まさにこれがそうなのだろう。私は、悪魔との仮契約賃金を、無謀にも受け取ってしまった。
その後、私は無事に買い物を済ませて一旦家に帰ると、祖父――豪佑お爺ちゃんからもらったお年玉を握りしめて、先刻の悪魔の元へ急いだ。
当時の私は本当に馬鹿だ。なぜ悪魔の言葉などに耳を貸さず、一旦家に帰って自分のお年玉を使わなかったのか。
それさえも考えられない程、私はおかしくなっていたのか。
しかし、そこに悪魔はおらず、借りたお金を返しそびれた私は、当惑しつつも帰路に着いた。勉強時間が惜しかったのもあるが、何よりもあの不気味な悪魔にもう一度会うのを避けたかったのかもしれない。
四月四日。今日は私の光影学園への入学式だ。高等部に通う事になった私は、制服姿でこの日を迎え、家族皆で祝った。学園に植わっている桜の樹の下で、家族全員で写真を撮った。私が真ん中に立ち、左に響ちゃん、右に亮ちゃん、私の後ろに両親が並んでいる。平和な学園生活が送れる……そう、思っていたのに。
日常は、あの日仮契約を交わしてしまった悪魔の魔の手によって、切り裂かれ壊された。
入学式が終わって、私達家族は一度帰宅していた。その後、お爺ちゃんや従姉妹達、またその家族全員でパーティを開いた。私の入学式如きにこんなにたくさんの人が集まってくれて、とても嬉しかった。
「お姉ちゃん、入学おめでとう! 来年になったら、僕と同じ学校だね!」
そう言う響ちゃんの笑顔がとても明るくて、眩しかった。
私は、パーティの前にケーキを準備する事になって、それを待っている間に末っ子の亮ちゃんと一緒に買い物に行った。本当は私の入学式だから他の者に頼むと言っていたが、どうしても私が直接行きたかった。
そうしてやってきたスーパーで、私はあの悪魔に再会してしまう事になる。
買いたい代物を全て買い終えて、レジに並ぼうとしていた時の事。亮ちゃんがやけにはしゃいでいるので、私は彼を抑えようとしていた。
と、その時、亮ちゃんが側に居た男の人に当たった。
「あっ、す、すいません! 亮ちゃんも、謝って!」
「ご、ごめんなさい」
亮ちゃんの頭を押さえつけるように下に下げて、私も一緒に男の人に謝罪する。怒られるかもしれないと不安感を抱きつつ恐る恐る顔をあげると、そこには悪魔の浮かべる不気味な笑みがあった。
「あ、あなたは……!?」
「キヒィ……久しいのぅ、唯ちゃん?」
「な、何で私の名前を!?」
私は愕然とした。目を見開き、言葉を失ってしまう。ありえない、教えてもいない名前を相手が知っているなんて。本当に不気味な男だ。彼自身が不気味という言葉で出来ている、そんな訳のわからない感じがした。
「細かいことはええやん……」
「あっ、そうだ!」
彼からお金を借りていた事を思いだした私は、急いで財布から借りた分の金銭を取り出すと、彼に見せた。
しかし、悪魔はきょとんとした顔を浮かべると、それから表情を消して首を振りこう言った。
というわけで、今月一回目の投稿です。今回の視点は唯です。いろんな出来事が起きて混乱しているので、時間が少々前後しますが、ご了承ください。
三部構成です。




