第五十七話「東西南北・過去(前編)」・2
「……お~い、霊」
「むにゃむにゃ」
くっ、こうなったら猫缶を利用しよう。
「……あっそ、じゃあいらないのな? せっかくお前のために猫缶を買ってきたってのに……。あ~美味しそうだなぁ、ね・こ・か・ん」
思いっきりそのワードを強調する。最後には、耳元で一言一句をはっきりとした滑舌で発するくらいだ。
そのおかげか、途端に霊がパッチリと目を見開いて飛び起きる。
「うおッ!?」
思わず頭をぶつけそうになり、慌てて仰け反る。
「あっ、猫缶っ!! もう、遅いよ響史ぃ~、待ちくたびれちゃった……。お腹が減って、昨日はぜんぜん眠れなかったんだからね~?」
と、霊はぶーたれてそう言うが、はっきり言わせてもらおう。
「……その割に、俺のベッドで寝てたよな?」
「うっ、それは……」
思わず口ごもる霊。視線を逸らし、痛い所を突かれたみたいな顔つきだ。
「……まぁ、今回は勘弁してやる。ほらよ、猫缶」
あまりイジワルすると昨日の二の舞になる気がして、俺は猫缶を霊に手渡した。
「……」
が、霊は受け取りはしたものの、すぐに表情を曇らせた。その表情に、俺は訝しむ。
「どした? 猫缶、食べたかったんだろ?」
「普通、フタくらい開けてくれてもいいんじゃないの?」
半眼の眼差しで俺にそう言う霊は、すごく不貞腐れている。
「開けろってか」
コクリ、と無言の命令をする霊に、俺はまた軽くため息をつき、それから部屋を後にすると一階へ降りた。
それから缶切りを使って蓋を開けると、再び二階の自室へ。
「ほれ、これで文句ないだろ?」
今度ばかりは満足したのか、霊は受け取るや否やパァッと表情を明るくさせ、床に猫缶を置くと、バクバクとそれを食べ始めた。
まぁ、所詮は缶なので量はそこまで多くはない。一分足らずで食べ終わってしまった。が、本人はご満悦らしく、口周りを油塗れ状態にしたまま猫のように床の上で丸くなる。
「おい、レディなんだから口周りくらい拭かんかい!」
と、俺が霊にティッシュを一枚手渡すと、唇を突きだして瞑目した。一瞬キスをせがんだのかとも勘違いしそうだが、俺は相手の意志を汲み取る。
「まさか、拭けってか?」
またも無言の頷き。口で言わんかいッ! と、ツッコミそうになるが我慢。こんなところで無駄なエネルギー消費はもったいない。
「はぁ、仕方ねぇな」
世話が焼けると内心思いながら、俺は霊の頭に片手を添えてその口元を拭ってやる。
そして、拭き終わってティッシュをどける。
「ほら、終わったぞ」
「ありがと、響史♪」
思わず笑顔を向けられてドキッとしてしまうが、すぐに俺は冷静になる。
「さて、朝食も済んだ事だし、俺は一階に行くわ」
「そろそろ時間?」
そう訊ねるのは、相も変わらず俺の勉強机の回転椅子に座っているルナーだった。
「ああ……今日は従姉妹が来るんでな」
「それってー、以前編入の時にあったよね?」
瑠璃が小首を傾げながら尋ねる。その問いに、俺はコクリと頷いて返す。
「……四年前の事、話すのね」
その言葉に、俺は驚愕する。
「どうして知ってんだ!?」
「……別にいいでしょ」
「よくない!! 何で、ルナーが……」
そう言えば、姉ちゃんがこいつに感謝しとけって言ってたな。何か知ってるのか? まぁいい、とりあえず今は従姉ちゃん達が来るのを待たねぇと。
「どうかした?」
俺が途中で言葉を終わらせたためか、ルナーが少し訝しんだ様子で訊く。
「いや別に……」
「ふっ、安心なさい。あんたのゴタゴタが片付いたら教えたげる」
軽く笑みを零しそう告げるルナーに、俺は疑問の表情を浮かべる。思わず頭上に疑問符を浮かべてしまうくらいだ。
「分かった、じゃあな」
そう言って俺は、自室を後にした。
時刻は九時。その時刻を知らせるかのように我が家のインターフォンが音を鳴らす。その音に反応し、母さんが皿洗いを一旦中止してタオルで濡れた手を拭うと、玄関へ向かう。
スリッパのパタパタという音が聞こえるが、それもどこか懐かしい感じがした。
父さんはというと、亮祐と一緒に遊んでいた。
姉ちゃんは、珍しく読書している。だが、少し違和感を覚える点があった。
「……姉ちゃん、メガネなんてかけてたっけ?」
思わず疑問が口に出てしまっていた。
「ん? ああ、読書の時にはかけているんだ。ちょっと字が小さくてな……」
確かに、小説とか新聞とかは文字が小さかったりするよな。まぁ、俺は基本漫画としか読まないから、よく分からないけど。
「そうなんだ」
姉ちゃんの解答に俺は軽く相槌し、L字ソファに座る。ちなみに、二つあるL字ソファの一つは、昨日片付けた。
もう一つは後で片付ける予定だ。
と、そこに、リビングの扉が開いて母さんが姿を現す。それから中に招き入れるようにして、母さんが誰かを案内した。
「うふっ、一日ぶりね……響ちゃん」
「わざわざ出向いてさしあげましてよ?」
「よっ、響史! 元気にしてっか?」
「おひさー、お兄たん♪」
それぞれが挨拶しながら入室を果たす。そう、リビングへ入ってきたのは、俺の従姉妹の茜従姉ちゃん、姫歌従姉ちゃん、燈、奈緒の四人だったのだ。
「四人とも、もう来たのか?」
「まぁね、本当は後一時間後くらいがいいかとも思ったんだけど……話は早い方がいいでしょう? ……私達も、いつまでも待てないのよ」
途中まで笑顔だったのに、後半突然笑顔を消し去り真摯な顔つきになる茜従姉ちゃん。余程俺の事を考えてくれているらしい。それは嬉しいんだが、ちょっと怖い。それに、相も変わらず何を考えているのか分かりずらい。多分、いつもニコニコ笑顔でいるのが原因の一つだとは思う。
「私達も久し振りにここへ参りましたから、懐かしい気分ですわ。あれからもう随分と経ちますのね」
そう言う姫歌従姉ちゃんの眼差しは、どこか哀愁に満ちていた。やはり、いつもツンツンで高飛車でまさしくお嬢様然とした姫歌従姉ちゃんにも、俺との大切な想い出があるのだろう。
「ほんっと、人は変わっても家はそうそう変わらないよね。なんていうか、懐かしい匂い」
匂い? そんなもの、俺は感じない。他人の家にお邪魔すると、その家特有の匂いがあるとか聞いたことあるけど、それに似たものだろうか?
「お兄たん、もう大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だよ。ごめんな、奈緒……心配させて」
「ううん、なおはお兄たんが元気ならそれだけでうれしいから♪」
「ありがとな」
ああ、ホント奈緒はいい子だ。思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが、ここは頭ナデナデだけにしておく。身内とはいえ、他人の目があるからな。
「心の準備は出来たのか? そのために少し猶予を与えたつもりだが……」
父さんの言葉だ。確かにそうだよな……これから話すのは彼女達四人だ。まぁ実際は四人というか、奈緒を除く三人だが。
とにかく、あの事は俺もうろ覚えでしかない。思い出すのが嫌なのは皆分かる。でも、これも俺の記憶を取り戻すためなんだ……耐えてくれ。
「はい、これお水。お茶じゃなくていいの?」
「ええ、お水で……。お茶だと、トイレが近くなってしまいますから」
母さんの言葉に、相変わらず丁寧な口調で茜従姉ちゃんが返す。
「それでは、始めますね……」
そう言って水を一口飲んだ茜従姉ちゃんが、一層真剣な面持ちになって語り始めた。
――☆★☆――
事の発端……。それは今より五年前とちょっと前……七月七日が始まりだった。
当時、茜、中学一年生。姫歌、小学六年生。燈、小学五年生。奈央は、五歳という年齢だった。
この日は毎年七夕ブームで、商店街などはよく竹に短冊を吊るしていた。商品も、織姫と彦星などとにかく七夕にちなんだ物が多く、いつになく光影都市は賑わっていた。
しかし、とある二人の男によってすべては狂わされてしまう。
時刻は朝の九時。神童豪佑の住む邸宅に、一本の電話が入った。
「はい、もしもし?」
そう言って電話の受話器を取ったのは、豪佑の秘書である弦鐘箏鈴だった。
「はい……はい。……えっ!? ほ、本当なんですか!? はい、はい……そうですか、かしこまりました」
電話の相手の言葉に、何度も応答しながら頷き、それから沈んだ声音で一言言葉を洩らすと、電話を切った。
それから箏鈴は、表情を一変。少々慌ただしい様子で社長室へと歩を進めた。
「社長!」
「どうしたのじゃ、弦鐘……騒々しいのぅ。今わしは孫達と遊んどるのじゃ、邪魔をするでない」
「そのお孫様に、お伝えしなければならない事があるんです!」
いつにない表情に、社長――豪佑も何かを感じ取ったのか、ゲームを中断する。
「あら、お止めになるんですか?」
物足りないと言わんばかりの声音で言う茜に、豪佑が口を開いた。
「弦鐘が、お主達に話があるんだそうじゃ」
「何用ですの?」
姫歌が腰に手を添えて尋ねると、箏鈴が深刻そうに言った。
「茜お嬢様、姫歌お嬢様、燈お嬢様……お三方の御親友が、意識不明の重体で病院へ運ばれたとの事です」
『――っ!?』
箏鈴の発言に、三人は絶句して目を見開いた。当然だ、突然の知らせは三人の親友が緊急入院した事だったのだから。
「一体、どういう事ですか?」
「そうですわ、意味が分かりませんわよ?」
「説明してよ、ことりん!!」
茜、姫歌、燈の三人が口々に箏鈴に詰め寄り詰問する。が、電話を通して事実を知った彼女も、何が何だか理解出来ていない。
「とにかく、病院へ向かうのじゃ」
そう言って杖を突き立ち上がったのは、豪佑だった。その行動の速さに、慌てて三人も身支度を始める。
「弦鐘、留守は頼んだぞい?」
「は、はい! 行ってらっしゃいませ!!」
箏鈴はキリッとした表情で返事をすると、会釈する。
「菅野!」
「はッ! お呼びでしょうか、社長」
豪佑に呼ばれて社長室に現れたのは、執事長の菅野鍵之助だった。スラリとした長身で、黒い燕尾服を身に纏い、両手に真っ白な手袋をしている。
「菅野、車を出すのじゃ!! すぐに病院へ向かっとくれ!!」
「かしこまりました!」
理由は問わず、鍵之助は言われた通りに行動へ移った。
病院へとやってきた豪佑率いる茜、姫歌、燈の三人は、各々親友の病室へと早足で向かった。本当は全力疾走したいところだが、院内はお静かにとされているので仕方なく従っている。
いや、本当は何かを恐れていたのかもしれない。
そうして茜と姫歌と燈が各々分かれる。
一人単身で茜は病室へとやってきた。病室の入口にある名前のプレートを確認し、親友であることを再度視認。それから一呼吸おいて扉を開けた。
そこには、変わり果てた親友の姿があった。
「……あ、あの」
恐る恐るという感じで茜が声をかけると、窓に向けていた頭をこちらへ向ける。酷いものだった。
元々はある程度の長さを持っていたサラサラの黒髪は、乱暴に切り刻まれ長さはバラバラ、さらにその上から頭部に包帯が巻かれていた。片目には青タンが出来ており、鼻の骨が折れているのか、ガーゼを当てている。唇も切れていた。さらに、暴行を受けた際に流した涙の痕か、目元は赤く腫れあがっていた。右腕は丸々包帯に巻かれ、左腕は肘より先を包帯で巻かれている。左足は布で吊り上げられた状態で見るからに痛々しい。
「誰、あんた」
まだあどけなさの残る少々低めの声音。それは、女の子のものだ。大怪我したせいで、あの綺麗で端正な顔がすっかり変わり果ててしまっていた。しかも、それは何か人成らざる物によって与えられた怪我ではない。明らかに人の手によるものだった。
頬も余程ビンタでもされたのか腫れ上がっており、まるで虫歯をアニメチックに描いたかのようだ。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい? そんなんで許されると、思ってるの? あんた、私に何か恨みでもあるワケ? どうしてくれんの、この顔……それに、この体……マジありえない。酷過ぎ……あんたに関わったせいで、こんな目に遭ったの。こんな事になるって知ってたら、絶対親友なんか、ならなかった」
ズキリ、と心に痛みが走る。思わず茜は胸元をぎゅっと握った。
「……誰にやられたんですか?」
「は? あんた、私に死ねって言ってるの? そんなコト教えたら、今度こそ殺されるわ!! あいつら、いきなり背後から襲いかかってきて、ホントに怖かった! 訳も分からず殴られて、制服も破られて……刃物を突き付けて脅されて! 震えて泣いたらさらに殴ってきて、挙句にはこの様っ!!」
そう言って少女は自分の変わり果てた片足を見据える。言わずもがな、骨折させられたと言う事だろう。何か重い物でもぶつけられたか、もしくは何か硬い物で殴られたかだろう。どちらにせよ卑劣だ。
しかし、茜には何の心当たりもなかった。別に親友を貶めようとした訳でもない。むしろ彼女は、大金持ちの家系で少し友好関係を築きにくい状態にあった茜と、友好的に接してくれたのだ。
「本当に、申し訳ありません」
自分には謝ることしか出来ない、当時の茜はそう思った。何の力もない自分には、こうする事でしか誠意を見せる事が出来ない。
ところが、帰って来た言葉は信じられないものだった。
「絶対に許さない……あんたとは、絶交よ」
「――っ!? そ、そんな……どうして?」
「は、どうして? そんなの分かりきってんじゃん。あんたと関わったらロクなコトになんないからだよ。意味わかんない、私はただ……あんたがいつも独りぼっちでかわいそうだと思ったから、話しかけて……それから……それなのに何? 恩を仇で返すっての? マジ信じらんない……」
言い返したいが、言い返せない。いや、言い返す言葉が見つからないのだ。矢継ぎ早に飛び出す相手の言葉には、言葉足らずの茜には難しかった。ただ、俯くしかない。ただひたすら、謝るしかない。
そして、そんな茜にトドメを刺すかのように、少女の口からある言葉が発せられる。
というわけで、二部です。前半は魔界の少女との絡みで、後半から今回の大筋について話します。にしても、霊は響史に甘え過ぎですねぇ、世話焼かれすぎです。もしも霰が起きていたら――。
ルナーも少し怪しい言葉を仄めかしていました、伏線です。
また、姉の唯が読書の時にはメガネという……まぁ、たまにいますね。
事の始まりは、一本の電話……従姉妹四人の内の三人の親友が入院したという一報。これは驚愕ですよね。今回の視点は主に茜を主軸にしているので、お見舞いも茜のみしか映してません。
またまた区切り悪いですが、三部へ続きます。




