第五十五話「目醒めの時」・3
「なぁ、隣のアパートには雫の部屋があるだろ? とりあえず、そこで匿ってもらうわけにはいかないのか?」
「……ダメね。少なくとも今は……」
「なんでだよ!」
どうしても理由が気になった俺は小声で訊いた。
「はぁ、帰ってないのよ……雫がね」
「帰ってない?」
「それも今は後回し! そんなことよりも、あの家に隠し部屋はないの!?」
少しムッとなった表情で俺にそんな質問をするルナーに、俺は手振りを加えて言った。
「ねぇよ、んなもんッ! あの家はカラクリ屋敷か何かか!? とにかく、そんな場所はない。屋根裏部屋もお前が使ってるからな」
「そう。なら、もうあの方法を取るしかないわね」
「あの方法?」
「とにかく、すぐに完成させなければならないわっ! じゃあ、私戻るから後でね!?」
慌ただしい様子でそう言い残すと、俺の制止の声も聞かずにルナーはその場から消えた。恐らく、鏡の力で人間界から鏡界へ行ったのだろう。だが、これで何とか伝えなければならないことは伝えられた。少々気になる事をいくつか漏らしていたが、その事についての追究は家に帰ってからでも出来る。
とにかく、ずっとここにいてはいい加減菅野さんに怪しまれるし、下手をすると家族も来てしまう可能性がある。
俺は、いつまでも恥態を晒してはいられないとズボンを穿いて、洋式便器のコックを捻りあらゆる汚物を下水道送りにした。
それから個室から出て手を洗う。それはもう、入念に。
「はぁ、目覚めてそうそう災難だな。いや、ルナーもか……」
ポケットからハンカチを取り出して濡れた手を拭くと、鏡を一度チラ見してからトイレを後にした。
「あ、お待たせしました菅野さん。行きましょうか」
「かしこまりました、坊ちゃん」
そう言って俺と菅野さんは、皆の待つ病室へと戻った。
――☆★☆――
「……ま、眩しっ! うぅ……何でこんなに朝は明るいの? もぉ……太陽なんか滅べばいいのに」
などと、顔を俯かせて太陽を侮辱る少女。漆黒のマントに身を包み、肌の露出を出来る限り控えているその少女は、太陽の光に敵わず路地裏に逃げ込んだ。
「はぁ、はぁ……もぉ! 何でこんなに今日は蒸し暑いの? 昨日の天気予報だと、今日は雨だって言ってたのに……。まぁいいや、あの変な格好をした女の子に渡された台本のおかげで、キー様は目覚めたことだし……その嬉しさに比べれば、こんな光なんて――うわっぷ!?」
路地裏から出てしまい、せっかく慣れ始めていた暗闇から明るみに出たため、視界がボケる。
「だ、だめぇ……! め、めい……お日様なんてだいっきらい! た、太陽のぉ、……ばかやろ、うわぁあああああんっ!」
何を思い出したのか、急に大声をあげたかと思うと、自身をめいと呼ぶ少女は出来る限り日陰の中をめいっぱい駆けて行った。
――☆★☆――
「あっ、おばさん! 戻って来たのー?」
「瑠璃、緊急事態よ!」
「緊急事態って、どーゆーこと?」
帰ってくるなり血相を変えていたので、瑠璃が少し驚いた様子で尋ねる。
「私、これから少し最終調整が残っているから、その間に瑠璃は皆を集めて!」
「え、でも――」
「とっととやるっ!」
「は、はいっ!!」
ルナーの命令に少し納得できない様子の瑠璃だが、少し目つきを険しくさせたところで即座に命令に従う。
「急がないと!」
瑠璃が双子の妹である麗魅と護衛役を呼びに行ったのを見届けて、ルナーは屋根裏部屋にある自分の研究室へと向かった。
一方、瑠璃は麗魅を呼びにリビングへ赴いていた。
「麗魅ー!」
「ん? なに、お姉さま」
「叔母さんが呼んでるの。皆を集めてって!」
「は? 叔母様が? でも、集めて何をするの?」
「とにかく集めろって……そう言われた」
瑠璃からそう言われて、麗魅は少し首を傾げながらも仕方ないと護衛役を探す手伝いをすることにした。
そうして十分後、神童家のリビングに居候メンバー全員が揃った。
「それで、これから何するん? 姫様、何か聞いてへんの?」
「ううん、なんにも……」
「うむ、私としてはまだ零と共に修行をしていたかったのだが……」
「姉上、もしかすると響史さんについて何か情報を得たのかもしれません」
「マジかよ!? 響史のヤロー、体育祭以来全然顔見せてねぇからよ! 死んじまったのかと思っちまったぜ!」
「ダメだよ霙、縁起でもないこと言っちゃ」
「お姉様の言うとおりですわ! にしても、このまま放置なんて味気ないですわね。一体いつまで待っていればよろしいのやら……」
「もうそろそろお昼ごはんの準備したいんだけど……」
「まだ眠い……もう少し寝かせてほしいのに」
「ならなら! お姉ちゃんとお寝んねしようよ、雪ちゅわ~ん♪」
「断固拒否」
「酷いっ! でも、よくそんな難しい言葉言えたね? 偉い偉い!」
「さわらないで」
「ぐっは!!」
などと、瑠璃に対して霞が訊ねてからそれに続く様に、霄、零、霙、霊、霰、霖、雪、露が声をあげる。
とそこへ、ルナーがやってきた。頭に目を守るための専用ゴーグルを装着し、いつもの白衣を少々油で汚している。
「待たせたわね、あんた達にはこれを飲んでもらうわ!」
「それ、何?」
麗魅の質問だ。彼女が指さすルナーの手元には、一つの小瓶が握られていた。見るからに怪しい雰囲気が漏れているが、ルナーはその蓋を開けると皆に中身を教えた。
「これは、一つ飲めば相手に気配や存在を勘ぐられなければ絶対にバレることのない錠剤……その名も――『インビジブルン』!!」
ババンッ! と、何やら架空の効果音がした気がするが、それよりも彼女達は気になる事があった。
「一体、それで何するつもりなんや?」
「ふふっ、よくぞ訊いてくれたわね! あんた達、今から絶対に見つかってはならないかくれんぼをするわよ!!」
霞の質問に、含み笑いをしたルナーが腰に手を添えてこれから行う事を告げる。
「か、かくれんぼ?」
ルナーの言葉にいまいち事態を呑み込めていない面々が訝しむ。
「かくれんぼ、ボクやる!」
「やってもいいけど、お昼ごはんまでには終わるよね?」
雪に次いで、霖が少し時間を気にしながら尋ねる。
「ああもうっ! あんた達は危機感という物がないわけ!? それでも血で血を洗う古の一族なのかしら!! まったく……いい? かくれんぼと言っても見つかってはいけないのよ!? それが何を意味するのか解っているのかしら?」
「? いまいち理解し難いのですが、どういうことですの? 一体何をそんなに焦っていらっしゃるのか分からないですわ」
ルナーが苛立っている事に対し、霰が不思議そうな顔をする。
「はぁ、実はかくかくしかじかで――」
そこからルナーの説明が入り、時刻は十時を回った所。
「な、何ですって!? あいつの両親が帰ってくる!? どうして!? あいつ、一体体育祭の後に何があったの!?」
「そうだよ、叔母さん! 響史は独りぼっちだったはずだよね? なのに、何で親が? それに、なんで病院からなの? 響史は病院にいたってこと?」
「ああ、いちいちうっさいわね! 後、叔母さん言うんじゃないわよ!! 事態は一刻を争うのよ! あいつの頼みなの。あんた達がここにいることがバレたら、どうなるか分からないわよ? 最悪、追い出されるかもしれない……」
脅しにも似たルナーの言葉に、魔界の少女達は一斉に黙り込む。
「だが、今更言われたところでどうすればいいのだ? 隠れようにも隠れる場所などどこにも……」
「姉上、以前霞姉様がここへ来た時に使用した隠れ場所を使用すればいいのでは?」
顎に手をやり考え込む霄に、零が半眼でそう提案する。
「残念だけど、今現在屋根裏部屋は使用できないわよ?」
零の提案を打ち消すかの如く、ルナーが肩を竦めて言う。
「そ、そんなぁ。ルナーさん、なんとか出来ないんですか?」
霖の質問だ。エプロンをしたまま、少し困惑した表情を浮かべている。そんな彼女にせがまれたルナーはううんと困り果てたが、どうにもしようがないと首を左右に振った。
「しゃあない、いつまでもこうしてたかて、どうなるもんでもあらへんし……隠れるんやろ? ほなら、早よせんと!」
辛気臭いムードになるのを邪魔するように、霞がルナーの手から錠剤――インビジブルンを一つ摘まんで手に取る。
「あっ、ちょっと! 勝手に取らないでよ!」
「ええやん、これを飲めばええんやろ? 水はいるんかいな?」
「い、いらないけど……」
いくら注意しても霞があっけらかんとしているため、調子が狂ってしまうルナーは少しどもりながら水が要か、不要かを伝える。
「ほなら、あ~ん!」
そう言って錠剤を上に放り、顔を上に向けて大きく口を開ける。そして錠剤を飲み込むと、霞はニヒッと笑った。
「あっ、まだ指示してないのに!」
「大丈夫やって! 喋らへんかったらええんやろ? そないなもん簡単やで!」
と、言葉にした直後、霞の体が背景に溶けるように消えた。
「お、お姉ちゃん!?」
「霞おねえちゃんが、消えた……」
霖と雪が、姉の姿が消えたことに驚愕する。
と、同時、別の意味で姉が消えた事に歓喜の声をあげる人物が一人……。
「やった、これで私の独壇場よ!!」
「んなワケないでしょ!? ったく……あんた達まで勝手なことしないでよ?」
ツッコミ役がいなくなったことでほぼやりたい放題の自由になった露が、だらしなく表情を綻ばせているところに、ルナーが即座にツッコミを入れる。
まだ一人ツッコミ役が残っていた事に落胆した露は、心底残念そうに気落ちしてペタンとテーブルの傍に座り込んだ。
「ねぇ、叔母さん。響史いつになったら帰ってくるの?」
「さぁね……後、叔母さん――」
ピンピーン♪
突然鳴り響くチャイムの音。その音に一斉にこの場にいる居候メンバーが肩をビクつかせた。
「マズイっ! 帰って来た!? とにかく、各々どこかに隠れて!! これ、渡しておくわね!」
そう言ってルナーが慌てた様子で一粒ずつ残りのメンバーにインビジブルンを渡していく。
そして、全員に回し終えた事を確認して最後に一言。
「それじゃあ、……健闘を祈るわ!」
ルナーのその言葉を皮切りに、ルナーの姿は他人の視界から視認出来なくなった。
一方、他のメンバーは目を見開き互いにアイコンタクトを交わすと、頷き合ってインビジブルンを服用した。
すると、霞やルナー同様にその体が透明になり始める。
「す――」
瑠璃が思わず感嘆の声をあげそうになるが、そこでルナーに言われた一言も声をあげてはならないの言いつけを思い出して閉口する。
するとそこへ、リビングの扉が開いて何者かが入ってくる。
「ん? 響史、テーブルに食器が出っ放しだぞ? それに、何だ? どうしてこんなに皿が出ているんだ」
と、リビングへ入るや否や声をあげたのは、響祐だった。さらに、その指摘を受けて一番反応を示したのは、響史よりもこの場にいる霖だった。
――し、しまった! そうだ、朝ごはんを食べ終わってお皿かたづけるの、すっかり忘れてたよ~!! ど、どうしよう~!
声に出すとインビジブルンの効果が消えてしまうので、小さな手で口を押さえモノローグで自分の失態を後悔する霖。
無論、それは霖だけでなく他のメンバーも悔いていた。普段こんな場面がないのですっかり気が抜けていたのだ。
以前の自分達ならばこんな遅れは取らなかっただろう。何よりも、魔界で過ごしていた時の経験がある。それを活かせばこんな事にならなかったはずなのに……こうなってしまったのも、すべては自分達が怠けていたせいだ。
先刻の太陽系の守護者とのバトルでもそうだ。本来の実力であれば苦労することなく成し遂げられたはずの勝利が、なかなか訪れなかった。
それを今更ながら痛感し実感する護衛役メンバーは、何とかバレないように神に祈った。魔界の少女としてどうだろうという部分はあるものの、この場を凌いでもらわなければ始まって早々に失敗に終わる。
護衛役として、任務は全うしなければならない。その使命感が、いつもだらけていた彼女達の心に火をつけたのか、一層真面目に背景に溶け込む事に専念した。
雑念を捨て、無心になる。
「父さん、何やってるんだ?」
「ああ、響史。何でこんなにたくさんの皿が出ているんだ?」
「え? あ、ああ……ごめん! 体育祭の前日に、ちょっと……そう! パーティをやっててさ! その片付けをしようとしたんだけど、ちょっと疲れてたから体育祭が終わった後にやろうと思って……」
響史は咄嗟に出た口から出まかせで上手くこの場を乗り切ろうと思った。
「そうか。だが、いかんぞ? ちゃんと食べ終わったらすぐに片づけないと、頑固な汚れなんかはなかなか落ちんからな!」
響祐が息子の肩に手を置いてそう忠告する。すると、唯奏が庭へ出るための窓を開けながら一言。
「あら、普段皿洗いをしないあなたが、まるで常にやっているように言うわね」
「うっ、いや……それは」
大黒柱としてのメンツが丸潰れと言わんばかりに顔を背ける響祐。そして、その場から離れるようにテーブルの方へ近づいていく。
と、その時だった。
ギュムッ。
「ぬわッ!? な、何だ!? い、今何か踏んだぞ!?」
何か柔らかそうな物を踏んだ響祐が飛び跳ねて何事かと足元に目を向ける。が、そこには何もない。
「と、父さんどうかしたのか?」
「響史、何かいるぞ!! まさか、空き巣か!?」
「え!?」
父親の空き巣発言に、響史は思わず妄想の中で登場した秋好太を想起する。
が、すぐに現実に戻って頭を振る。
「ま、まっさか~! 空き巣なんているわけないって!! な、なぁ姉ちゃん!」
「え? あ、ああ、おう! そうだぜ、父さん。第一、この近辺で空き巣はめったにないと思うぜ? この近辺は不良の陽河組が牛耳ってるから、悪さは出来ないはずだし……」
響史が共感を求めるために姉の唯にふると、唯が少し焦った様子で首肯し、それから理由を父親に伝える。
それを聴いて、響祐もなるほどと頷いた。
というわけで、いきなりの雫不在発言。一体、どこに行ったのやら。
にしても、響史はこれで二度目です痴態を晒すの。
そして、途中にめいちゃんの独り言ブツブツ。ロリボイスでいきなりの太陽ディスリ。んで、いきなりダッシュ。
戻って今度は魔界の少女メンバーへ。三部目後半から次話のスポットライトは彼女達の予定です。
で、ルナーの発明品がまたもや登場。さらに、家族が帰宅。にしても、響史の言い訳スキルはすごいですね。
てなわけで、次の四部で五十五話終わりです。




