第五十三話「七日間大舞台準備」・3
一人変人がいるのでご注意ください。
「はい、コーヒー。ちゃんと砂糖は多めにしておいたわよ」
「お、おう」
突然差し出されたコーヒーカップを手に取り、一口二口と飲み味を確認する響祐。
「確かに砂糖は多めだな」
「当たり前よ、あなたは甘党だもの。妻としてそれくらいのことはやるわ」
嬉しそうに前で手を組み、少し首を傾げる妻の姿に、響祐は感涙して目頭に手をやった。
だが、それをよしとしないものがいた。
「ぶぅ~っ、お兄たんが甘党なのはりっつんも知ってるもん! ほら、お兄たん! 大好きな角砂糖十個入り、全部あげるっ♪」
頬を膨らませてどこからか取り出した角砂糖の袋を手にしたのは、りっつんこと――律奈だった。中から一個砂糖を取り出しあ~んと差し出す律奈の表情は非情にうっとりとしていた。
「い、いらん! 第一、何故直接砂糖を舐める必要があるっ!!」
身を反らして拒絶反応を示す響祐。しかし、それでも納得のいかない律奈は目を輝かせると、何か思いついたかのように指を鳴らした。
「そうだっ! 舐めるのがメンドーなら、りっつんがお口でナメナメして溶かしたシロップ状のシュガーあげちゃう♪ なら、りっつんの唾液と混ざってより甘~くなるコト間違いナッシンだよっ!!」
親指を立ててウインクする律奈。その提案に、顔面蒼白となる響祐だが、それを止める前に動き出してしまった。
彼女は砂糖を一つ口に放り込んで飴玉の様に舐めだした。その突飛な行動に若干引き気味になる響祐や唯奏だが、こんなやりとりも小さい時から見てきた茜、姫歌、燈はもちろんのこと、そんなおかしな行動ばかりやってる人物から産まれた奈緒はなおさら慣れたものだった。
実の父親である豪佑もやれやれと嘆息している。
「よし、二個目もいっちゃうよ~♪」
その調子でどんどん口に砂糖を放り込む律奈。だが、ここで彼女に異変が生じた。八個目というところで突然渋面を作り出したのだ。
「うっ、あ……甘い~おぇっ」
と、ついには嘔吐きだす始末。だったらやめればいいのにやめる事もなく、律奈は十個全ての砂糖を口の中で溶かし切った。
「ほら、ひふよ~ほひいた~ん♪」
ほら、いくよ~お兄た~ん、と頭をやや上に向けて零さないようにしてから口を開き、響祐に近づく律奈。
「や、やめろバカッ! く、来るなッ!!」
「ほぉら、ふひあへへ?」
口を開けるように指示する律奈だが、断固として口を開かない響祐はその場から逃げるように駆け出して室内の端に逃げる。
と、同時、茜、姫歌、燈の三人へお昼ご飯を差し出していた唯奏にぶつかってしまう。
「きゃっ!?」
「ぬおぅ!?」
顔を上に向けていた律奈は上手く躱す事も出来ず、唯奏にぶつかって前方に倒れた。同時、口を開けていたために中身(ドロドロに溶けた砂糖十個分の量)が、目の前にいた茜、姫歌、燈の三人の顔に嫌がらせと言わんばかりにぶっかかった。
「うっ!?」
「いやっ!?」
「うぇっ!?」
三人も突然の事に対処出来ず、仲よく三人とも液体の砂糖の洗礼を浴びた。
「叔母さま~!?」「叔母様~!?」「叔母さん~!?」
各々様々な呼び方で律奈に詰め寄る。
「うっ、おぇっ! こ、これは……そのね? うぷっ、りっつんの邪魔をしたカナちゃんが悪いのであって……おっぷ、りっつんに罪は――」
「律奈」
言い訳をする律奈の背後に立っていたのは響祐だった。その表情を見て律奈は完全に観念する。
その後、彼女はこっぴどく叱られ、しばらく身動きを封じられる事となった。
時刻は五時。響史が重傷を負って病院に運び込まれた時間。この二時間後、響史は例の病室で七日間深い眠りに就く事になるのだ。
その室内にはまだ響史の姿はない。この後、本番前に運び込まれる予定だ。それまでは、この場所が親族十一人の練習場となる。
「あの二人と連絡は?」
「今唯が電話してる。多分、五時半までには来れるはずだ。ことりん――箏鈴、迎えは行っているんだよな?」
「は、はい。あの……別にことりんでいいんですよ? 坊ちゃまが小さい時からそう呼んでくださっていたのですから。私としてもそれで呼び慣れていますし」
響祐の言葉に、返答しながら人差し指で頬をかく秘書の弦鐘。
「そうか。まあ、それは置いといて。迎えには誰が?」
「はい、銀之助さんが行っています」
「うむ、菅野であれば心配はないのぅ。問題は唯の方じゃ。電話の相手はあの子らじゃろう? 幼馴染という立場上、どういう反応が返ってくるか……」
豪佑が丸椅子に座って両手で杖を地面に突いたまま響祐と箏鈴を見上げる。その表情には心配の色が見受けられた。
「確か、茜の話では二人も体育祭に出ていたらしいからな」
響祐がそう言って鏡に手を突き、自身の顔を見る。
「この鏡にある汚れも、再現されてるようだな。無駄な再現力ではあるが、これも必要なのか?」
そう言って後ろを振り返り、父親の豪佑に尋ねる。
「さてのぅ……。じゃが、ここまで来たんじゃ。後はわしらはわしらの役目を果たすだけじゃ。台本の確認もしておくとするかのぅ」
黒い台本を開き、自分のセリフの部分とシーンを確認する。時間もまだあるので、病室にある薄型テレビで映像と照らし合わせる。
「別に劇という訳ではないのじゃが、何故かこう……緊張が走るのぅ」
胸を抑えてもう片方の手で額の汗を拭う豪佑。
「社長、あの……私のセリフが少し少なくはありませんか?」
「仕方なかろぅ、ことりん――」
「箏鈴です」
「あり? 響祐にはそのように呼ばせておったではないか!」
「社長には呼ばれたくありません」
笑顔でさらりとそう言われ、豪佑はショックを受けて口をあんぐりと開け、それから納得いかんぞいとプリプリ言い出した。
そんな彼は放っておいて、響祐が話を進める。
「まぁ、ことりんは台詞よりも行動の方が多かったからな」
DVDに映ったビデオを早送りして確認する響祐に、なるほどという様に箏鈴は納得の頷きを見せる。
そして、数分後唯が戻って来た。
「ただいま……」
「どうだった? 二人とも来てくれるか?」
「うん、一応……。ただ」
「ただ?」
娘の浮かぬ顔に少し心配になる響祐は疑問形にして尋ねる。豪佑と箏鈴の二人も心配そうに見守る。
「琴音ちゃんが……ショックで泣き出しちゃったの」
その言葉にその場にいたメンツは全員俯いてしまった。だが、泣いた人物の事を考えれば当然の事だった。
雛下琴音。響史の幼馴染にしてずっと古くからの付き合いだった彼女は、事件後に後遺症を負った響史の事を凄く世話してくれたのだ。さすがに周囲に後遺症の事を知られる訳にはいかないため、一部の人間以外には知らさないようにしていたのだ。そのため、琴音は光影学園の中等部に入った時から高等部の一年生になるまでの四年間、ずっと同じクラスだった。
これも、世話をするために教師に事情を伝えたおかげによるものである。
「それで、優ちゃんの方は?」
「うん、そっちは大丈夫。問題があるとすれば、少し元気がなかったくらい……かな」
その言葉に豪佑と響祐は互いに視線を交わして閉口した。意識を目覚めさせるための大きな賭けとはいえ、あまりにも無理があったのではないだろうか。
以前唯から聞いたところによると、事件当日に重傷を負ったと知らされた時にはショックで気絶してしまったという。身内ならともかく、赤の他人にしてはあまりにもオーバーではないかとも思ったが、それほどまでに琴音が響史の事を想っているという裏付けでもあった。
そのため、少なからず響史の親族達は琴音の心境を察していた。
しかし、目覚めさせるには見舞い客が必須となる。四年間の間に見舞い客が何人来たか忘れかけていた親族としては、ビデオを確認して三人しか来ていなかった事を悲しいと思うよりも嬉しいと思った。あまりにも多すぎると、今度は逆に見舞い客を収集するのに時間がかかるからだ。
しかも、遠方の場合は余計に時間がかかる。本番は昨日の今日のために時間を要する人物が遠方にいることは避けたかったが、不幸中の幸いにも、見舞客は三人とも光影都市内だったために助かった。
「はぁ、それで今は?」
「菅野さんが捕まらない程度にスピード出して病院に向かってるって」
「そうか……」
響祐の質問に唯が答え、その応答に豪佑が首肯して瞑目する。
「弦鐘、茜たちは何処じゃ?」
「今は集中治療室かと。恐らく、ぼっちゃんを見ているのでは?」
居場所までは正確に把握していないようで、箏鈴は少し首を捻って場所を推測する。
と、その時、病室の扉が開いて執事長の銀之助が入室した。
「お待たせ致しました、社長。琴音様と優歌様をお連れしました」
その言葉に瞑目していた両目の内、片眼鏡をかけていた方の目を開ける。
すると、視線の先には雛下姉妹が深刻そうな顔つきで立っていた。
「よく来たのぅ、二人共。夏休み前だというのに、わざわざすまんかった。詫びは入れるつもりじゃから安心――」
「響史くんは!?」「響ちゃんは!?」
二人の声は見事にハモっていた。
顔を見ると、瞳には涙が浮かんでいる。事件当事者ではないとはいえ、関係者である二人にとって響史は小さい時から良く一緒に遊んだ関係である事もあり、心配なのだ。
「今は集中治療室だ。安心なさい、命に別状はない。ただ、目覚めないというだけだ。事情は唯から説明を受けているのかい?」
優しく問いかける響祐の顔を見て、琴音と優歌は少し困惑してコクリと頷く。というのも、響祐の顔が響史にそっくりだったからだ。と言っても、全く同じというわけではなく、いうなれば響史の未来の姿という感じだ。
少しだけ顎鬚と口髭を蓄えた短髪の響祐は、ダンディーなおじさんという感じだった。
「あなたが、響史くんのお父さんなんですか?」
いつもの委員長モードの口調で尋ねる琴音に、ポケットに手を突っ込んだ響祐はああと頷いた。
「おや? 二人はこやつに会うた事はなかったかのぅ」
「いえ、会っているとは思うんですけど、四年前より前からあまり家にはお邪魔しなかったので」
「そういえば、ちゃんとした面識はここでだったかな? 今更ながら挨拶させてもらうよ……響史の父の響祐だ」
そう言って挨拶する響祐は、見た目に反して柔和で優しそうな父親という印象だった。
その自己紹介に今度は優歌が声をあげる。
「凄く似てますね」
「ああ、よく言われるよ。本当にすまないね、二人には申し訳なく思っているよ」
物凄く罪悪感に苛まれたような顔で謝罪する響祐は、膝に手を突き頭を下げる。
「いえ、そんな! あ、頭をあげてください!」
「そ、そうですよ!」
恐れ多いと言わんばかりに琴音と優歌が焦ってそう言う。
「事情が伝わっているのなら話は早いね。ことりん、例の物を」
「はい、お二人ともこれを……」
そう言って響祐の指示で箏鈴が二人に手渡したのは、先程豪佑が閲覧していた黒い台本だった。
「これは?」
「これに書かれている台詞は四年前の事故後の再現なんだよ。二人には悪いけど、これから俺達と大がかりな演劇舞台をやってもらうことになるんだ。七月二十一日の事は覚えているかい?」
その問いに、二人は少し目を見開くとコクリと首肯した。忘れもしないあの日だ。二人はさっきまでの顔つきとは打って変わって真剣な面持ちになる。
台本を開くと、自分のセリフを発見して声をあげる。
「これって、四年前のあの日の時のセリフですよね!?」
「ああ、とある人物が提供してくれたんだ。後は、行動も四年前を再現しないといけないらしい。だからこれを見てほしい」
そう言って今度はテレビに注目を向けさせる。そして映像を流した。
『――っ!?』
二人は同時に口元を手で覆って驚愕の表情を浮かべた。そこには、紛れもない四年前の自分達が映像として記録されていたからだ。
撮り覚えのない映像に、普通ならありえない俯瞰というハイアングル。
「……嘘っ」
「これ、誰が撮ったんですか?」
「分からない。ただ、今はこれを使わざるを得ないんだ。なにぶん、四年前とはいえ忘れ去りたい事柄の記憶だったのでね。自分が無意識に取っていた行動を確認するにはこの映像が頼りなんだよ」
そう言われると二人は納得するしかなかった。
「確か、唯さんには失敗は許されないって……言われたんですけど」
「うん、そうだよ。二人にはプレッシャーかもしれないけど、一度しかチャンスはないの。響史の記憶機関に語りかけるための四年前の再現。しくじれば一生響史は寝たきりの生活かもしれない。一生喋れないかもしれない」
「そんなっ! そんなのあんまりですよ!! あとちょっと……ほんの数日だったのに……ようやく四年が経って、後遺症から解放されて――」
――私も、この想いを伝えられると……思ったのに。
途中からは内心で語った。思わず口に出してしまいそうだったが、そんなことはできない。
「どうやら、体育祭での敗北がこんな事態を引き起こしたらしい」
「……それで。心配してたんです、教室にも戻って来なかったから」
「ごめんね、琴音ちゃん。響史ったら、教室に戻らずに私のトコに来てさ……」
体育祭での琴音が知らない事を説明して、琴音は真剣な面持ちを一瞬悲しそうに歪めた。
「とりあえず、時間がないから一日目のリハをしよう。ことりん、全員をここに集めてきてくれ!」
「分かりました!」
響祐の言葉に軽く会釈して、秘書の箏鈴は残りの関係者の元へと向かった。
時刻は六時五十分。夏の時期でいつもよりも暗くなるのが遅いが、さすがに周囲の建物は視認しにくくなっていた。
病室には既に響史が寝かされている。リハも済ませた親族達は各々準備を整えていた。ちなみに見舞い客は開始時刻から数時間後に出番なので、それまでは外で待機だ。
「いよいよね」
「ああ、失敗出来ない大舞台の幕が開けるまで……後十分だ」
妻の唯奏が心配そうな顔で見上げてくるので、夫の響祐はその体を優しく抱きしめてあげる。
そしてカウントダウン。十秒後には演技が始まる。病室のテーブル上に置かれたデジタル時計が秒数をカウントして、ようやく午後七時を示す。
同時、病室の扉が開いて響史の担当医師が入室する。それに反応した響祐と唯奏がその場に立ちあがる。
こうして、響史の記憶に関する当事者及び関係者達の七日間の大舞台が、幕を開けるのだった……。
というわけで変人――律奈が、ブラコン過ぎて暴走してますが、成敗されました。
そして、見舞客の内の二人が来ました。琴音ちゃんと優ちゃんですね。
まぁ、琴音に響史の今の現状を伝えるのは結構酷ですが、耐えてもらう他ありません。
そんなこんなで次の五十四話はいよいよ本番です。
演技とはいえ、途中途中マジになる部分もあると思いますが、温かく彼らの演技をご覧ください。
では次回予告、大舞台だけします。ルナーが出るかもしれませんが、多分魔界の少女メンバーは出ないと思われます。




