ファーストラブレター
『拝啓 とても照れくさいのですが、天使に薦められて、僕は初めてのラブレターを君に送りたいと思います――』
あれはざあざあと嫌な雨が降り続く、大学一年の梅雨も半ばの頃でしたね。
大学からの帰り道。いつものバス停で降りた私は、途中で降り出した雨にうんざりしながらその場で立ち往生していました。傘を学校に忘れてしまったのです。
バス亭は、住み込ませてもらっている田舎の祖母の家の近くという事もあり、いつもなら多少濡れる事になっても走って帰るのですが、あの日肩から下げていた物だけは濡らす訳にはいかなかったのです。
真っ黒な雲はひっきりなしに大粒の涙を流し続け、あまつさえ雷までゴロゴロと鳴り出す始末。仕方なく私は溜息をつきながら停留所に設けられた簡素なベンチに腰掛けて、雨が上がるのを待っていました。
どれだけの間そうしていたのでしょうか。あぜ道も同然な田園沿いの道路を次のバスが来てしまいました。いつもならこんな田舎のバス亭で降りるのは私か、腰の曲がったご近所のお年寄りがちらほらなのですが、あの日ばかりは違いましたね。
バスのタラップを軽快な足取りで降りたあなたは、いよいよ土砂降りの様子をていしてきた雨に一瞬顔をしかめながらも、驚いた顔の私と目が合うと、にっこり笑って会釈してくれましたね。
あなたを見た私の心臓は、今にも飛び出さんばかりに早鐘をを打っていたのですよ?
あの日私は、まるで子供のように無邪気なあなたの笑顔につられるように、たわいもない話に花を咲かせていましたね。
同じ学部であること。いつもは自転車で通っているから滅多にバスには乗らないこと。写真で生きていくのが夢だということなどもあなたは語ってくれました。
気がつくと、あれだけ降っていた雨はいつの間にか上がっていて、薄曇りの空からいく筋もの光の梯子が大地へと降り注いでいましたね。私たちは二人揃って息を呑んで、人の作れない『世界』をただただ眺めていましたっけ。
私は「あっ」と思い出し、抱えていた厳重に布でくるまれた包みを解き、あなたに見せました。
偶然にも、その絵は空から光の束と共に下りてくる天使の絵。
キャンバスを掲げてにっこりと笑いあったあの瞬間は、大切な大切な思い出です。
今でも時折、あなたはエアメールを送ってきてくれますね。あなたの送ってくる手紙は、ほとんどが風景の写真だけで、必要以上に文字にしようとはしませんね。
しかし結婚して子供がいる今でも、あなたからの手紙が送られてくると、昔付き合っていた頃の思い出、そしてあの雨の日と初めてのあなたからの手紙を思い出します。
メールも携帯も無い時代。宛名は〈ちーへ〉件名は〈天使のラブレター〉。
あなたが送ってくれたラブレターは、後にも先にもそれっきりでしたね。
旦那にその事を言ったら「悪かったな、俺には文才がなくて」と、ふてくされた子供のように出かけてしまいました。ちゃんと後で慰めてあげないと。性格が子供っぽいところはあなたとそっくりです
さて、私も一番下の子の子育てが一段落したので、また昔のように絵を書き始めようかと思っています。
復帰一枚目は……そうですね、天使が見たあの時のバス亭を。
あなたも、どうかお身体に気をつけて、世界中で写真を撮り続けてください。
追伸 たまには奥さんに電話でもしてあげて下さい。あんなにぶつぶつ旦那さんの小言ばかり言っていたら、すぐにおばあちゃんになっちゃいますよ!
原稿用紙4枚分の掌編です。
こんな学生時代ねーよっ! ……って人は作者と一緒に妄想の世界に浸りましょう。
そろそろ長編も書きたいと思っていたりいなかったりします。