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ダージリン

作者: ゆき

彼彼とケンカした。


もう3年も付き合って、お互いアラサーともなると大抵のケンカは時間が解決してくれる。ケンカと言っても、彼が仕事を理由に約束の時間を大幅にオーバーして(彼女を外で待たせておいて!)、『ごめん、今日キャンセル』とメールを送ってきたから。結局、私が頭にきて彼からの連絡を一切無視し、彼からも連絡が来なくなるという冷戦だ。だけど、そのうちきっと何事もなかったかのようにまた彼から電話がきて、私も何事もなかったかのように電話にでるのだろう。暗黙のルール。

それをマンネリ化と呼ぶのかもしれないけれど、安穏とした人生を望む私にとっては、むしろ望ましいことなのかもしれない。


あれから一週間、いつもと変わらない朝の満員電車。進行方向左のドアが開き、あと2駅を過ぎれば東京駅だ。開いたドアから入る風が心地よい。外は雪が降りそうなくらい寒いのに、車内はコートとマフラーの雪だるまで暑いくらいだ。毎朝同じ時間に同じ場所で乗っているはずの電車だけれど、名前を知らないからだろうか、それとも興味がないからなのか、乗客の顔は誰一人覚えていない。毎朝顔を合わせているはずの人間が、お互いを全く意識せずに同じ密室に毎日閉じこもるのも不思議なものだと思う。

どっと人が降りる品川駅でコートの袖をくんと引かれ、ホームへ引きずられそうになった。反射的に引っ張った人物を探そうと顔を上げると、高校生の男の子が顔だけこちらを見たまま、品川駅で降りる集団に紛れて電車のドアをくぐるところだった。同時にくしゃっと何か紙片を手のひらにねじ込まれる。

手を開くと、紙片は折りたたまれたノートの切れ端だった。

ドアが閉まり、まだまだ混雑する車内で吊革を握りなおした。しっかりと折りたたまれたノートを手のひらごとコートのポケットに突っ込む。突然で一瞬の出来事に、頭がついていかない。ラブレターだったりして。乗客の顔は誰一人覚えていないと思っていたけれど、さっきの男子高校生は覚えている。単にサラリーマンの中に制服とスポーツバックの少年が紛れているから、という理由だけど、それを除いても可愛い顔をしていたから印象に残っていた。でも目が合ったというだけで、この満員電車で紙を渡したのが彼だと断定することはできない。


東京駅での乗り換えは、密室に閉じ込められているときよりも余計に”個人”がいなくなる。もう何度も歩いた乗り換えの道を行く集団は、黙々と躊躇いなく進み、まるで収容所へと向かう行進のように静かで無感情だ。さっきの紙切れは、開いてすぐに高校生が書いたものだと判明した。


「毎朝、電車で気になっていました。良かったら連絡ください。

A高校 N」


そしてメアドと電話番号が続いている。

若い。自分が高校生の時に、こんな行動力があっただろうか、とふと思う。なかっただろうな、あったとしても一大イベントだったに違いない。年の差を考えなかったんだろうか。遊び方も違うし、話題も違う。オネーサンを気取って、私よりももっと一緒にいて楽しい女の子なんて山ほどいるんだから、とか言ってみようかしら。このメアドを使って?だったら、せっかくだしチョット遊んでみようか、なんて。


仕事を滞りなく済ませて帰宅する。ケータイを開いたが、彼からの連絡は今日もない。

コートのポケットの紙は、変わらずにそこにあった。N君は今日一日そわそわして過ごしたんだろうな。ちゃんと渡せていたのか、見てくれているのか、自分の事で悩んでいるのか、連絡をくれるのか。青少年を悩ませていると思うと、少し加虐心を煽られるような意地悪な気持ちになった。


***


翌日は、思った通り同じ車両に彼は乗っていなかった。朝の満員電車の顔ぶれは(たぶん)いつも同じだが意識して誰かを避けようとすれば必ずできる。隣のドア付近の人の顔さえ確認できない程の人数だから車両や時間帯もずらせば、会いたくない人間に会うことはない。

働いている人間にとっての一日と学生にとっての一日は、きっと重さも長さも違うのだろう。ノートを渡した日に連絡がなかったということは、フラれた、と思ったに違いない。もし仮に私が連絡を取ろうと思っていたとしても、一日・二日のブランクはあり得るのに。

そんなことを考えていた時、また品川駅で彼と目を合わせることになった。品川を出る電車の窓越しに、彼は背を伸ばしこちらを見て何か言いたげな表情だった。寂しげな表情だった。


「佐々木さん!」

隣の課の主任に声をかけられた。

「お疲れ様です、どうしたんですか?」

「志野課長、いる?」

見れば分かるのにと思いつつ、出張から明日戻ると答えた。

「いやぁ、凄い大きな注文もらえてさぁ!客先はおたくの課の製品にも興味あるんじゃないかと思って、報告したかったんだけど。」

「凄いですね、あいにく不在ですがメールなら読めると思いますよ。」

「そっかー、良い話だから直接報告したかったのに残念。チャンスはチャンスだと気付いたもん勝ちだからね、株を上げておきたかったよ。」

最後は私にだけ聞こえるように小声で付け足した。自意識過剰な訳ではないが、誰の株を上げたっかったのか考えるまでもない。


18時、ロッカーで帰る準備を済ますとメールの着信があった。

「あー佐々木さん、彼とケンカしてるって言ってなかったけー?新しい彼氏~?」

三つ上の先輩は、独身でかれこれ2年以上フリーだそうだ。

「違いますよ~、先輩こそ、こないだのコンパどうでしたか?収穫は?」

「それがさー聞いてよ、相手の中に同級生がいてねー…」


チャンスなんてきっとこどにでも落ちているんだと思う。拾うか拾わないか。少女漫画の主人公だったら、きっと偶然会った同級生とも、ましてや隣の課の上司とだって物語を始めることができるんだろう。

ひょっとしたら、街中で肩がぶつかっただけでも長編恋愛小説を始められるかもしれない。


「じゃあ先輩、私これから約束あるんで、また今度飲みに行きましょ!」


チャンスや偶然をドラマチックにするのは本人の勝手だ。妄想だ。無気力で詰らないと言われるかもしれないが、私は、たとえばいつものお茶にジャムを落としてみたり、ハーブを混ぜてみたり、自分の人生はそんな風に楽しみたいと思う。残念ながら、私の物語がベストセラーになることは無いけれど。


『題名:無題

 本文:ごめん、今日は遅刻しないから!もう駅前で待ってるし。うまいもん食いに行こう。』


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