きせきのりんご
【訂正】カテゴリージャンルを恋愛『異世界』から文芸『コメディ』に変更致しました。
申し訳ありません。
「じゃあ、これで失礼」
きっちり2杯目の紅茶を飲み終え、なんの感慨も無い様子で立ち上がるとそのまま背を向けて歩き出した。
見送りに行かねばならない、そう思うのに体は重力に引っ張られているように重くて立ち上がれない。
そんな私の事など気にも止めずに、お茶会の東屋からエントランスへとスタスタと歩んでいくその姿に、淑女としてはマナー違反であるハアという大きな溜め息を溢してしまったのは、自宅故の気安さだったからか。
そんな時であったから、ドゴッ、という大きな音と共に頭に酷い痛みが走り、目の前が真っ暗になったことに気づく前に気を失ったのだった。
私は、アン・ハワード。我が国の建国以来の名門ハワード侯爵家の次女である。
姉弟は3つ上の姉と2つ下の弟がいる。
名門故に、王家から王女を娶ったり、王子が婿入りしたり。
アンの祖母も王妹だったので、我が国の王家と纏う色は同じ色である。
父も姉も弟も、王家の黄金のような金髪に晴れた空のような蒼い瞳が美しい。
母は、貴族派に与する辺境伯家から嫁入りしたので、隣国でよくいるブルネットの髪と鳶色の瞳の貴婦人だ。
その母とそっくりな色を得たのが、次女の私、アンである。
姉は幼い時より見目麗しく、祖母が自分に似ているのを喜んで、よく王城へと連れていった。
そこで同じ年の第一王子に見初められて、年端もいかぬ早々に婚約をし、彼女の教育は初めから王太子教育として王城で行われた。
そして、その重圧もなんのその、デビュタントの頃には、我が国の社交界の大輪の薔薇として社交界に君臨してしまった。
弟は弟でアンとは2つ違いのはずが、気づけばガバネスから出された課題に悩み涙ぐむ姉に優しく教え導いてくれるほど出来が良く、神童と呼ばれるほど。
今では、将来の宰相候補筆頭と呼び声も高いが、本人は、
「長姉がいずれ王妃様となるのに、同じ家から側近が出るなど貴族間の争い事の種ですから、私は領主の仕事を粛々と行うまでですよ」
なんて、如実無い返答をしている、優等生である。
そんな優秀な上下に挟まれた私はというと、地味な見た目と呼応する特筆すべき事の無い地味令嬢として成長していった。特筆すべき事は無いが、特技は空気になること、気配を消すことである。
いっそ、暗部になれそうな特技であるのに、残念かな、身体能力が儘ならない。
そうして自分の意見も余り持たず、周りの求めるまま無難に過ごしているのである。
婚約者のエルヴァンは伯爵家の嫡男で王太子の側近候補で、姉が初恋の君なのだそうだ。
え?なぜそれを知っているか、というと、婚約の打診を伯爵家から受けて初めて顔合わせした互いに12の年の時、
「君はキャサリン嬢とは似ていないのだな、ハロルドはそっくりなのに。とは言え、ハロルドは男だから縁付くことが出来ないからな。そこで、似てなくとも血を分けた妹である君と結ばれたいと思うのだ。はは、彼女は俺の初恋なんだ、照れるな」
頬を赤く染めて、遠くを見るような目でそう言われたのだから、間違いないだろう。
え?その話?近くにいた私の侍女と彼の侍従から各々両親には伝えられたのだけれど、どっちの親も
「可愛らしい、初恋の思い出だろう」
と言っていて、特別問題視していなかった。
それから5年を経て、月に2回の交流会も我が家に姉が居るはずの時以外はキャンセルするという露骨な態度をみせつけるに至り、やっと私の両親が彼の非礼さに眉を潜めて、伯爵家に苦情の手紙を送るようになった。
その結果、伯爵家から指導があったようで、今日は姉が王城に居る日であるのに、嫌々お茶を2杯飲みに来たのである。
一気飲みだ、紅茶を一気飲み。
そうして、話もしないまま帰宅である。
あのまま王城へ向かうのであろう。
いやー、サイテー
わー、何様よー。親だって酷いわ、元から姉が好きだけど王太子の婚約者だから代わりに似てないけど妹でいいやって言ってたじゃん。
何が可愛らしい思い出だ、そんなこと思ってても普通言わないだろ。
それを躊躇なくいうヤツなんて地雷だ、どう考えても地雷。
なんで私が代わりにされなきゃなんないのさ、なんなのよ。
放置子だったら放置子らしく放置しといてよ、変に嫁入り先とか政略に使おうなんて考えんじゃないわよ、何様よ。お父様か、ははははh、
「お嬢様、アンお嬢様」
ゆっくりと意識が浮上してきた。
ズキンと頭に痛みが走り、ウッと唸り声をあげて頭に手を当てた。
「お嬢様痛みますか、大丈夫ですか」
「アン、アン、痛いのね、アン」
「アン大丈夫か、痛みが酷いのか、大丈夫か」
専属侍女の声に重なって、父と母の問いかけがあった。
「い、痛い、痛いわ。どうなっているの、ここはどこ、痛い痛い痛い」
私はズキズキする頭を抱えて涙を流して痛みを訴えた。
「傷口を縫ったので痛みが酷いのでしょう、鎮痛剤を打っておきます」
そうしてチクりとした感覚の後、深く眠りに入ったのであった。
(ねえ、ねえ。ねえってば、起きなさいよ、お馬鹿アン、起きなさいってば)
え?失礼ね、お馬鹿とは何よ、人に向かっていう言葉じゃ無いわ
(あら、起きたじゃない)
そこは白い白い空間で、その真ん中に私が腕組み仁王立ちして浮かんでいた。
あなた、…わたしよね、え?なにこれどういうこと?
(私はあんたよ、あんたの本音。あんたいつもいつも黙ってシュッとした顔してその心中、ずっと悪態付いていたじゃない)
や、え、そんなの普通じゃない、貴族はそう言うものだってガバネスに教わったのだもの
(違うわ、あんたは言わなきゃいけないことも言わないで、なんでも気づかないフリしてやり過ごしてただけ。ガバネスは貴族の矜持は忘れちゃダメって言ってたじゃない。舐められっぱなしじゃダメなのよ)
で、でもどれが言わなきゃならないことかわからないんだもの
(それがダメなのよ。わからないなら自分が嫌だなって思った時点で言わなきゃダメなのよ)
でも、でもだって
(はい出た~でもでもだって~それがダメなのよ。あんた一旦引っ込んでなさいよ、今までずっと前に居たんだからこれからは私が前に出るわ!)
え?え?
(そーれ、そっちで見てなさいな。じゃ~ね~)
パチリと目を開けるとそこは自室のベッドの上。
まだ夜明け前なのかしら?
ベッドから這い出てカーテンを開けると、案の定日の出前のようだった。
室内灯を明るくして姿見で自分の姿を写してみる。
頭には包帯がグルグルと巻かれている。
どうやら何かで頭を怪我して気絶したらしい。
ブルネットの髪と鳶色の瞳はそのまま、顔色は少し青白い。
可もなく不可もない造形。
でも、ニヤリと弧を描く唇と何についてかは定かでないが、怒りに燃える目は今までの私には無いもので、私に代わったことを表していた。
「なに?」
父が目を見開いて驚いて聞き返してきた。
「ですから、私の婚約を破棄してください。そして、貴族学院も退学しますわ。もう1秒もあの顔を見たくもないので」
「確かにエルヴァンの態度は悪かった。しかし、嫁ぐまであと1年も無い今婚約を破棄してどうする」
「どうもしませんわ。寧ろ初めからお姉さまに恋していたと本人が言ってたのですから、その身代わりに私を娶りたいといった非常識な申し入れを受け入れた、両親の真意がわかりませんわ。私に対する嫌がらせですの?そんなに私疎まれてますの?」
「な、な、ただわたくしは貴女の為をと思って、」
お母様が淑女にあるまじき大声をあげた言い訳を遮って、私は言葉を被せ言い募った。
「じゃあお母様、お母様は、女辺境伯の叔母様の代わりに君を娶りたいってお父様に言われて、はい嬉しいですわ~って嫁入り出来まして?」
母は年子の姉に並々ならぬ対抗心を持っているので、そこを刺激して問いかけると、
「え?え?」
一瞬焦ったように目を瞬かせたので、もう一押し。
「そう言うことですわ。私は絶対イヤですわ、一生誰かの代わりだなんて!」
大袈裟に悲しんでみせると、
「そうね、そんな不幸は無いわ。わかりました。婚約破棄しましょう」
やっと自分の事としてその失礼さを思い知り、母は怒りを纏いはっきりと言い切ったのだった。
「お願いしますね。キチンと慰謝料も取ってくださいね。それは私の口座へと入れてください。それから私の輿入れの持参金もそのまま私に贈与してくださいな。今まで私を苦しめたのは、エルヴァン様とお父様お母様の無理解なんですから」
ここぞとばかりに、私は立ち上がり、にっこりと弧を描く笑顔を両親に向けてそう言い放った。
「な、な、」
お父様はプルプルと震えながら驚愕の眼差しを向けて私を見ていた。
「アン、あの大人しかったアンが。貴女どうしてしまったの?やはり頭がおかしくなったんじゃないかしら?」
お母様が私の包帯の巻かれた頭を見上げながらブツブツと呟いていた。
「学校を辞めてどうするんだ、あと1年でそちらも卒業じゃないか」
「ええ、慰謝料が入ったら隣国に留学しますわ。そこで今度こそ、専門的なことを真面目に学ぼうと思いますの、将来を見据えて」
「そんな勝手は許さん」
父親の威厳か、厳しい声でそう怒鳴った父親に、絶対零度の冷たい半目を向けて、
「放置子の私など放置なさいませ。今までだってそうだったではないですか。出来の良い姉弟が居るのですもの私などお気になさらず」
そう言い捨て、私はスタコラサッサと父の執務室を出て行ったのだった。
程無くしてエルヴァンとの婚約は彼有責で破棄され、私は貴族学院も退学した。
私は手に職を持って働けるようになりたいと思っていたので、隣国の薬学を学ぶ学校へと編入を希望したけれど、基礎学力が少し足りないので始めは予科で学ぶことにした。
これらの手続きはかつてのガバネスに相談して自分で決めて、手続きも聞きながら自分自身の手で行った。
やってみたら出来るものだと自信がついた。
そうこうして隣国へと向かう前日、招かざる客人がやって来た。
「アンに会わせてくれ」
「お引き取りを」
「このままなんて納得できない、彼女に俺の話を聞いて貰いたいんだ」
「お引き取りを」
そう、あの姉が居ない日は交流をドタキャンしていた元婚約者のエルヴァンが、突撃してきて玄関先で騒いでいるのだった。
「ええ、お話しましょうか、最後ですし」
彼を押し返している家令の後ろから声をかけると、彼はえっと息を飲んで私の顔をまじまじと見たのだった。
応接室で、ドアを開けてソファに向かい合って座った。
私の後ろにはいつものように侍女が立ち、彼の後ろには先ほど彼を止めていた我が家の家令が立ち、室内に1人ドアの外に1人護衛騎士も付いた。
もう彼は婚約者ではないし、突然の訪問で両親が不在であるし、万が一にも間違いがあってはならない。
婚約者でない彼は家格の劣る、単なる非常識な男。
腐っても私は由緒正しい侯爵令嬢なのである。
「随分物々しいな」
エルヴァンは明らかに警戒しているという対応に眉を潜めた。
「普通ではないかしら。事前の問い合わせも無くやって来た者が、我が侯爵家の応接室に招かれるだけでも感謝するべきでは?」
私は片眉を上げて半目でそう言い放つ。
「な、な、な、」
彼は私が嫌みを言うなんて思ってもなかったようで、カッとした目を向いて睨み付けた。
すると室内にいた護衛騎士が腰に下げている剣に手を触れ、カチャッと鳴らした。
その音にハッとした様子で護衛を一瞥すると、冷静な顔を作り私に向き合った。
「あの日君が怪我をした、その時に帰ってしまったことは謝罪する。偶然とは言え大ケガを逐った君に駆け寄らなかったのは本心から申し訳ないと思っている。あの日まで私たちは上手く行っていたではないか。5年間喧嘩もなく過ごしてきた、それをたった1回の不幸な偶然で無かったことにするなんて薄情じゃないのか」
「ふ~~~~ん」
謝罪と見せて強めに私を非難すれば、気の弱い私だったら言いくるめられる、そんな浅はかな考えが透けて見える。
私は扇を開くと口許を隠しながら、目を細めて彼を見た。
「な、な、なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言えば良いだろう。君はいつも何も言わないじゃないか」
「ええ、そうね。でも何も言わないからといって何も感じない訳では無いのよ。まあ、言えば良いと仰るのだから言わせてもらいましょうかしら。あなたのこと、ずーっとずーっと本当に嫌いだったわ。貴方との約束の日が来るのを指折り数えていたの、イヤすぎて。このまま貴方と婚姻するのかと思うと、苦痛で悲しくなったわ。そしてあの日、誕生日に貴方から贈られた輝石で造られたリンゴを象った他国の置物が始めは姉へのお土産で、渡せなくて私に回ってきた物だって知って、本当に失礼しちゃうって、腹が立って腹が立って、ベランダから庭に投げ捨てたのよ」
「な、なぜそれを!」
エルヴァンは驚きで目を見開いた。
「姉の侍女は当家から王城へと付き添っているのよ。貴方があのリンゴを姉に渡そうとして、やんわり『そう言う物は婚約者の妹にこそ渡さないとダメよ』と断られて、それが誕生祝いとして私に渡されたんですもの、侍女から侍女へと伝わって私の耳にも入るでしょ?そう言う使い回しって、失礼だって思わない?」
私は冷たい視線を彼に向けた。
「い、いや、申し訳ない。それはデリカシーが足りなかった」
彼は額に汗の粒を浮かべて謝罪の言葉を述べた。
「それは?まあ良いわ。それで、その投げ捨てたリンゴを烏が拾って飛び立った拍子にポロリと溢れて、私の頭上に落ちてきて、私は痛みで気絶してしまったわ」
「だから、それは不可抗力だ」
「ええ、でもそれで私、目が覚めたのよ。初めから姉の代わりに結婚の申し込みをしたなんて言う人、私には必要ないって気付いたの。ついでに、出来の良い姉弟にだけ目を向け私を放置している親も、もういいかなって。私の我慢を軽く見て地味令嬢なんて陰口を叩く貴族学院の同窓生も社交界も、私には必要ないって気がついたのよ。だから私は出ていくわ、ここから」
私はそう言うとパチンと扇を閉じて姿勢を正した。
「不誠実な元婚約者様、貴方のお陰で目が覚めました。貴族の矜持を取り戻せたことは僥倖、貴方様の未来が明るいことを遠い国よりお祈り申し上げます」
そう言うと、ニコリと笑って帰宅を促した。
「さ、ご令息」
家令に即されて、エルヴァンはノロノロと立ち上がって呆けた顔を私に向けると、部屋から追いたてられるように護衛騎士にも誘われて帰っていった。
「お嬢様、ご立派です」
「ねえ、帰ってくるのに何年かかるか、寧ろ帰ってくるのかさえわからないのよ。本当に付いてきてくれるの?リサの適齢期が過ぎてしまうわ」
「何を仰います、ガバネスのアリス先生もご一緒されるのに私をお連れ下さらないなんて、冷たいこと仰らないで下さい」
「ありがとう、リサ。ずっと私が覚醒するのを信じて待っていてくれてありがとう」
「当然です。私のお嬢様ですもの」
翌日、私は侍女のリサとガバネスのアリス先生と一緒に隣国へと旅立った。
それから数年を経て私は薬学を修め、体調を整えたり肌を綺麗にしたりするドリンク剤を販売する商会を隣国で立ち上げると、リサとアリス先生と一緒に働くことになり、忙しくもやりがいのある毎日を過ごすようになった。
姉は王太子と婚姻してその後王妃となり、弟は切れ者侯爵となった。
姉も弟もエルヴァンとの婚約の話には強く反対してくれて、まだ覚醒する前のぼんやりしていた私を心配してくれていた。
姉は、エルヴァンが初対面で私に姉が初恋なんだと告げたことを侍女から聞いて、
「無い無い無いわ~アンが可哀想よ、こんな婚約に意味ないわ」
と両親にも強く言ってくれていたし、王太子にもエルヴァンのことを伝えたりしてたので、結局エルヴァンは、貴族学院卒業後側近候補から側近に上がることは出来なかった。
私が貴族学院を退学した理由も、それとなく弟が噂と言うか真相を流したりしたので、未だ独り身だとか。
ねえ、お馬鹿アン、いる?まだいるかしら?
あれから何度も自分の中に昔の大人しかったアンを探しているけれど、アンは見つからない。
アンは今の私に溶けて一緒になって成長していったのかもしれない。
あの日、頭に偶然落ちた、きせきのりんご
これは、その輝石の奇跡のお話である。
リサ「そう言えば、あの日寝言であいつは地雷だの、両親は放置子は放置しとけだの言ってましたよ。何様?お父様って大きな声で」
アン「え、声に出てた?」
リサ「はい。そりゃあもうハッキリと。前侯爵ご夫妻涙目でしたよ」
アン「あ~」