さん てんし
「学校には一人で通ってるの?」
「うん、一人でちゃんと行けるよ? 偉い?」
「偉い偉い。でも俺は一人だと寂しいからこれから一緒に行こうね」
彼女と共に学校を出て並んで歩きながら、彼女の日常生活について尋ねると一人で学校に通えると言いながら褒めて欲しいのか期待するような目で俺を見やる。
少子化に伴い途中で廃止されたが本来であれば登校班の引率をする立場だし偉くも何ともない、と無粋な事は言わずに彼女を褒めてやるも、既に彼女の視線の先はその辺をとことこ歩いている野良猫。
「猫だ!」
「飛び出しちゃ駄目だよ」
猫は俺も好きだし、何なら俺も野良猫を見つけたら少しずつ近寄るタイプの人間ではあるが、交差点ということもあり猫を見つけてダッシュしようとする彼女の手を掴んで制止する。
「……! あっ……」
「ああ、ごめんごめん。デリカシーが無かったね」
手を掴まれた彼女は驚いたように俺を見やり、咄嗟の判断とは言え女子の手を掴むのは良く無かったなと反省するも、彼女が気にしているのはそういう意識では無いようで少し表情が曇る。
「……皆、私の手に触りたく無いから。私の手って、変なのかなって」
「別に変じゃ無いよ。トイレで手だってちゃんと洗ってたでしょ?」
「何で知ってるの? 女子トイレに入ってたの?」
「手がちょっと濡れてたからね」
自分がばい菌扱いされている理由や意味は理解していないものの、周囲に拒絶されていることは理解しているのか自分の手を眺めながら不安そうな表情になる彼女。
彼女に実際に頭を悪くする菌がある訳では無いし、自己管理が出来ていないため不衛生なイメージはあるのだろうし実際そうなのかもしれないが、去年までは男子と遊んでいただけに男子の不衛生さを理解しているので五十歩百歩だと落ち込む彼女を励ます。
「ここが私の家!」
「一軒家かぁ、俺はマンションだからちょっと羨ましいよ。それじゃあまた明日。7時40分くらいに迎えに行くね」
やがて住宅街の中にある家の前で彼女が立ち止まる。大きくは無いし新しくも無いが、小さくは無いし古くも無い。
普通の一般家庭なのだろうという印象を感じつつ、この住所なら自分の登下校コースから大きく外れてはいないし送り迎えも十分可能だろうと明日迎えに行く事を告げてその場を去ろうとするが、
「……家で遊ぼう?」
「ちょっとだけだよ」
彼女は俺に手が変じゃ無いと言われたのが嬉しかったのか、俺の手を引いて家に入れようとする。
今後彼女の世話をするにあたり彼女の事はある程度知っておくべきだろうと、俺は素直に彼女の提案を受け入れ、彼女は嬉しそうにチャイムを連打する。
「お母さん、ただいま!」
「……おかえり、三滝。……ええと、いらっしゃい」
「こんにちは、高下って言います」
「あたるくんは、今日友達になったんだよ!」
やがて玄関のドアが開き彼女の母親が姿を現す。元気良く帰宅の挨拶をする彼女とは対照的に疲れ果てた表情で出迎える彼女の母親に対し、向こうは察してはいるのだろうが流石に世話係ですと言うのは失礼だろうなと名字だけ伝えて家の中に上がり、彼女の部屋に案内される。
「ここが私の部屋だよ! ここで待ってて、お菓子持ってくる!」
「綺麗じゃ無いが、思った程でもないな」
俺を部屋に招くなりお菓子やジュースを取りに外に出て行く彼女を見送り、ベッドに座ってぬいぐるみや絵本で散らかっている部屋を眺める。
同年代の女子の家に遊びに行った経験は無いが、姉がいるので女子の部屋に幻想は持っておらず、部屋の汚さにもこの状態の部屋に人を招こうとする彼女にも特に衝撃を受ける事は無い。
「お待たせ! ……あたるくん、何やってるの? 泥棒?」
「ごめんごめん、どうしても気になってね」
「勝手に散らかさないでよ!」
「あー……うん」
ただし俺の部屋は整理整頓のされた綺麗な部屋だし、姉という立場上勝手に掃除が出来ないだけで散らかっている部屋を見ると掃除がしたくなってしまう性分だ。
落ちているぬいぐるみや絵本を机や棚に置いたりしている中、お菓子の袋とペットボトルのジュースを抱えた谷串が戻って来て、少し変わってしまった部屋のレイアウトに怒る。
床に物が置いてある状況は俺にとっては汚い部屋でも、彼女にとっては手の届く場所によく使う物が置いてある綺麗な部屋ということらしい。
「……お父さんはいるの?」
「いるよ? サラリーマンって言うんだって。何でそんな事を聞くの?」
「気になってさ。お母さんとの仲は良いの?」
「あんまり話した事が無いからわからない」
お菓子とジュースを頂きながら、彼女の家庭環境についてそれとなく探りを入れる。彼女のような子供が産まれてしまった家庭は離婚してしまうケースも少なくは無いと聞くが、谷串家はどうにか両親が健在らしい。
「お母さんとはどんな話をするの?」
「うーん……あまり話さない」
サラリーマンとして平日は家を空ける事の多いであろう父親とはあまり接点が無いだろうと、母親と普段どのような会話をしているのかを聞いてみるが、彼女は寂しそうな表情をして喋る代わりにお菓子を食べるペースを速める。
「お母さんも、お父さんも、私の事嫌いなのかな」
「そんな事無いよ」
俺が踏み込んだ質問をしてしまったせいで頭が悪いなりに色々と考えてしまったらしく、表情を曇らせながらそう呟く彼女。
俺は咄嗟にそれを否定しながらも、脳内では家に来た時に彼女の母親が見せた表情を思い浮かべてしまう。
とてもじゃないが自分の娘を愛しているとは思えない、子育てに疲れ切った、早く解放されたいと言った表情。
産んでしまった責任から扶養をしているだけで、それも十分に愛なのかもしれないが、一般家庭のような子供に対する愛情は見受けられなかった。
「……みたきちゃんは、天使なんだよ」
「あはは、何言ってるの、あたるくん。私は人間なんだよ」
彼女を慰めるために、彼女を天使と呼称して笑いを誘う。
実際に彼女のような存在は、天使と呼ばれる事がある。
知能が低い故に、いつまでも幼く純粋に育つ様子が天使に例えられるのだろうし、
どんな障害を持っていたとしても、親からすれば我が子は天使という意味合いもあるのだろうし、
家族に対して神が与えた試練という意味も持つのだろう。
「例えお母さんやお父さんにとって悪魔であっても、俺は天使扱いしてやるよ」
「……?」
しかし残念ながら、彼女は両親に天使としては愛されていないらしい。
クラスメイトにも嫌われ、両親にも厄介者扱いされる、天使どころか呪われた悪魔としか表現の出来ない彼女。
きっと俺がどんなに優秀な人間になったって、彼女のような存在を救う事なんて出来ないだろう。
だからせめて今だけは彼女に向き合ってやろうと、自分に酔っているだけなのかもしれないが、自分には無い純粋な心を持ち続けるという意味で彼女を天使と表現するのだった。
「今日はありがとう! 楽しかったよ!」
「俺も楽しかったよ」
それからしばらく一緒に絵本を読んだり、幼児向けのアニメを見たりと彼女の遊びに付き合ってやり、5時のチャイムが鳴ったのでそろそろお暇するねと家を出る。
「えーと……その……」
見送りに来た彼女が何か言いたい事があるようで口ごもる。
放課後の貴重な時間を彼女に費やすのは正直無駄な事だと思っているが、乗りかかった舟だし、彼女に対する憐みや、彼女を見捨てた他の人間達と自分は違うという事を証明したいという思いもある。
「また学校帰りに、遊ぼうね」
「……! うん!」
だから彼女の言いたい事に先手を打って返し、彼女は純粋無垢な天使の笑みを俺に見せるのだった。