98.トンちゃん還送
月明かりは森の木葉に邪魔されて殆ど届かない、そんな真っ暗な森の中、短い手足で悪路を駆けていく。レベルは最終進化していいほど上がった筈、だけど進化なんてしなかった。
そもそも人間を魔獣に、それも異世界人に捕まって戦わされるようなモンスターに入れる事自体が間違いなのよ、ほんとに馬鹿じゃないのあの女神未満。
そうよちゃんと人間に転生?転移?憑依?もうどうでもいいわ。
とにかく前世と同じ人間になれていれば、リリーに捕まることもなかったし、最初から異世界人生イージーモードだった筈なのに。
「さっさと魂返還だかなんだかしらないけど、人間に戻りましょ、よく覚えてないけど前世は人間なんだから、そっちの方が生きやすい筈よ」
森の中を駆け抜けて、濃い緑の茂みをくぐりぬけて、木の根っこを飛び越えて、石を乗り越え土を蹴り上げどんどんと進んでいく。
野いちごの群生地が目の端を掠めれば、あの泉はもう、すぐそこだ。
目の前が開けると、たまにヌシ様と来ていた森の泉、最初にトントンとして目覚めた私が浸かっていたあの森の泉についた。月明かりが綺麗な水を優しく照らして、どことなく神秘的な雰囲気を醸し出している。
恐る恐る泉の近くに進み出ると、月明かりだけではない光で、泉の深くがキラキラと光り始めた。
「なんなの……この光…………」
一歩、二歩と近づき、泉の中を覗き込む。いっそう水中が眩く輝いて光が強くなり、突然光る水柱が上がって、辺りに黄金の粒が飛び散った。
驚いて後ろに逃げ警戒態勢をとると、泉の真ん中に、髪が黒くて超長い姫カットの人間が現れた。着物の裾が短いやつを上に羽織っている、色はなんかカスタード寄りの生クリーム色っぽい地の色に淡いピンクと薄い黄緑色で模様が刺繍されている。右手の裾に一羽、小鳥が刺繍されてるのが見えた。
切れ長の目がゆっくりと開き、中から現れた藤色の瞳が私を見下ろす。薄い唇は紅で彩られ、頰が淡い桜色に塗られていた。
泉から出現、したとなると、こいつは。
「ぷきゃき、ぷき(女神、さま)」
「そこに居る哀れな子豚、いいですか、今から貴女の魂を元の世界に戻すための儀式をします、この世界を統べる女神である私の言うことに従いなさい」
「ぴにゃ、ぴっきぃぷきっききぷき(いや、一回帰ってもらっていいすか)」
「そのジェスチャーからなんか女神にそぐわない失礼なこと言ってるのはいくら子豚の動きとはいえ分かるんですからね!?」
私、斧とか泉に落としてませんし、ほら帰るにしても心の準備とかも要りますし、実際こう人間に戻れるんですよとなるとね?色々ね??
ぴにゃぴにゃぴにゃぴにゃと鳴いていると、さっきまでの神秘系女神はどこに行ったのか、般若のような顔をし始めた自称女神(笑)だったが、ふと何かに気付いた顔をすると袂の中を漁り始めた。
「大体意思の疎通ができているのか分からないのがいけないんですよ、えーと、どこにやったかしら」
「ぷぷぴぷぷきゅぴき(何取り出そうとしてんの)」
「てぇてれー、翻訳トコロテンー」
「ぴぷぅぴっきゅぅぴきゃぴーきゅきゃきゃぴぷぷぴぃ(四方八方から石投げられそうな取り出し方すんな)」
「今から器に出して食べますんでちょっと待ってなさい子豚」
「ぷぷぴぴぷきゅきぃぴにゃ(天突きから出して食べるんかい)」
「やっぱりトコロテンは酢醤油ですよね、あっ、カラシも入れないと」
満喫してやがるこの自称女神、てか私にもトコロテンよこしなさいよ、一人で美味そうに食いやがってこの俗物女神。
ずぞぞぞっと美味そうにトコロテンを啜った女神は、自分の服に酢醤油が被弾していないかちょっと確認してから、器を片付けてさっきと同じポーズを取り始めた。いや今更神秘系は無理でしょ。
「さぁそこな子豚、翻訳トコロテンの効果を確認する為に何か話してみせなさい」
「最近の人間界の流行はナイスバディの女神様よ」
「……………………」
……ニュニュニュ
「あっ、おっぱい生えてきた」
そんな簡単に生やしていいのか。なだらかな丘から豊かな山へと一瞬で成長させた女神、まさに神のみわざ、さっきまでスレンダー美人路線だったのに世間の流行に負けるのかこの女神(仮)は。
話は通じるようになったみたいなので、パチモン臭かったあのトコロテンも結構やるじゃんと思いながら続けていってみる。
「あと、髪色に原色のメッシュ入ってるのが好まれるわね」
「…………」
……シュルルッ
「緑色を選ぶとはセンスいいわね、あと、着物だからって髪型も姫カットはもう古臭いわ、ミドルツインテールなんか若々しくて良いんじゃない?ゆるふわ巻き髪だとさらに素敵と思うわ」
「……」
……クルルルッ
「まつ毛ももっとバチバチに上げて、てか今の主流はデカ目のタレ目よ、顔の三分の一ぐらい目にして、鼻は点なのかってぐらい小さくして、顔色は青が良いわ。人間には無い女神だけの威厳ある人外の美しさを求めないと」
「絶対にからかってますよね!!?!?」
「あっ、全部戻っちゃった」
バレちゃった。クルシュルストンと全て最初の外見に戻してしまった、残念。外見好きに変えられるんならもっと冒険してみても良いんじゃないかと私は思うけど、まぁ、私ならしないけど。
女神(笑)が地団駄を踏むたびに、泉の水が水溜まりの水みたいにばっちょんばっちょん跳ねる、リリーもそうやって遊ぶの好きだったわね、洗濯係に怒られてたわ。
ビシッとこちらに指を突きつけた女神は、女神らしからぬ声と顔で、かわいいかわいいトンちゃんへの八つ当たりを繰り出してきた。
「だいたい!大体がですね、人格複製の時に子豚が死にかけていたのが悪いんですよ!私は被害者の筈なんです!!」
「は?私死にかけてたの??」
「もう、そんなことも分からないんですか全く困った人間ですね、この麗しく慈悲深く何人たりとも跪く事をやめられない女神様が説明して差し上げましょう、特別ですよ?光栄に思いなさい??」
「いいから早よ説明して女神(仮)」
「カッコカリってなんですか!?っとに失礼な豚ですね、誰の世界に置いてやってると思ってるんですか……もう…………」
女神がクソなせいで話が全く進まない。二百字以内にまとめてメールで提出してとでも言えば良かったかしら、疲れてきちゃった。
ぽてんとその場に座り込み、何やらこの世界にそぐわない空中に浮かぶ画面、ステータスみたいなものを開いてアレコレやってる女神。早よ終わらせてくれないかしら。
暫く唸って空中で半透明なキーボードみたいなものをカチャカチャやっていた女神だったが、一番大きい画面に、私の記憶にある前世の世界、日本の私が住んでいた地域の映像が映し出された。
「この映像を見なさい子豚!まず、日ノ本の午後七時四十七分、日も落ちて暗い時間、寺小屋から帰ってくる人間の時の貴女です、拡大しますね」
「寺小屋じゃなく学校ね、ワードチョイスが古いのなんなの?てか私らしき学生の顔にモザイクかかってるけど」
「最近はぷらいばしー?とかが厳しいので、七歳を超えた人間の顔と実名は神の世界ではやたらに出してはいけないんですよ、それで、人気の無い道を自転車なるものに乗って、赤信号の交差点まで猛スピードで走っていた貴女は」
「はいはい、どーせトラックに轢かれたんでしょ、それともトラクター?いっそ軽トラックとかならこのバカみたいな世界のトントンに入れられた理由も説明つくわ」
前世の小説やアニメ漫画の類に漏れず、私もトラ転なのだろう、別にマンホールに落ちたりしてないと思うし、食当たりも無い筈、雷に撃たれて転生とかなら格好いいんだけどね。
やれやれと肩をすくめ首を振っていると、女神がコマ送りで画面を進め、説明の続きをした。
「押しボタンのある電柱に衝突して転倒、縁石に頭をぶつけ、打ちどころが悪く今は植物状態で病院にて寝ているところですね」
「嘘じゃん!?」
「因みに、貴女の単身事故により道路を走っていた家畜運搬車が急ハンドルを切りコレまた単身事故を起こし、運転手は無事でしたが荷台の豚達が逃げ出して捕獲のために道路を封鎖、日ノ本のネット瓦版でだいぶ話題になっていたそうですよ」
「それ伝えた意味ある!!?」
要らなくないその情報!?人身事故を起こした運転手が居なかったのは良かったは良かったけど、それだと私がただのアホの子みたいじゃん!!
ぷっきょぉーーと叫び声をあげて仰け反る私、なんなのさ単身事故って、なんなのさ豚が脱走って、これも全てこの仮免女神のせいだろそうでなきゃ私が報われない。
「全てを理解したわ!トントンに入れられたのも私が凡ミスで死んだのも、家畜運搬の運転手さんが巻き添え喰ったのも全部女神(仮免)のせいね!!プキっとまるっとこの世の果てまでお見通しよ!!!!」
「人格複製の際に死にかけてたのは貴女の無謀な運転のせいですし、トントンに入れてしまったのは私の不手際とはいえ、日ノ本で現世の豚が逃げ出したのはただの偶然ですね」
「ふっっざけんなや!!!!!!」
「いやぁ、これはもう、貴女自身がこう、豚に御縁があったとしか言いようがないというか……」
「要らねぇんだよそんな縁!!!!!!!!」
私に必要なのは人間の体!美少女の身体(入れ物)!!ぷぴにゃっぴぃ!!と大声を上げ子豚の体全体で不満を表す、てかこの女神(仮)に正論言われるのが一番腹が立つ。
ゴロロロロロロロッと腹立ち紛れにローリング移動していたら、女神がわざとらしい咳払いを始めた。
「おっほん、んっふん、んぐっふん」
「なによ」
「とにかく、元の身体に魂を戻す儀式を始めますので、泉に身体を浸してください」
「浸す……ねぇ……」
言われるがままに泉に足を沈め、お腹が少し濡れるぐらい入った。誰にもお別れはしてないし、言ってない、置き手紙も書いてないから、トンちゃんは急に居なくなった事になるだろう。
捕まったっていっても、リリーのアンテナーは結局刺されてないし、ただ美味しいものが食べられるしふかふかの寝床があるから飼われてただけだし。リリーだって、中身が人間って知って嫌になるよりは、普通のトントンをラジモンにした方がいいだろうし。
女神の横にある大画面には、勝手に頭を打って倒れた私が映されている。
だけど、周りに浮かぶ小さい画面中の一つに、病室で、顔にモザイクがかかっているけど、ずっと寝ているのだろう私の横に座っている人が居るのが見えた。
私のお母さん、なんだろうか。ずっと俯いているし、モザイクのせいで顔はわからない、私だってトントンの身体に入ったせいか思い出せない。
でも植物状態って女神も言ってたし、魂が戻されて、私が生き返るのならその方が良いんだろう。病院の部屋に、二人増えた、今度はお父さんなんだろうかスーツを着た男の人と、リリーより歳上なのか、モザイクが顔にかかっているが、水色のランドセルを背負った女の子も部屋に入ってきた。私の、妹かな、いたんだ、思い出せないけどさ。
泉に入れているお腹と足が冷えてきた、野いちごのジャム、食べたかったな。リリーごめんね。




