92.髭の手入れも完璧
羽が生えたままの生き物なんて食べるモンじゃないわね、やっぱりちゃんと精肉された、調理用のお肉が一番よ。
まぁ私は豚魔獣なので肉なんて食べさせて貰えないんだけど、魔獣と動物は違うって何回伝えれば食べさせてもらえるのかしら。
「ぷっききぴきぴきゃぴきゅきゅぃ(まったく頭の硬い副料理長ねぇ)」
「これは昼飯用のベーコンだ、そもそもお前は豚魔獣なのだから、動物の豚を食べるのに忌避感を持つべきではないのか?」
「ぴぃぴきぷぅきぃぴきゃきゃ(魔獣と動物はちがうってのに)」
「聞いてるのかオイ豚」
「ぴぐぅ(ぴぐぅ)」
頰を両側から押しつぶされ、潰れた声を出した私を掴み、調理場からペイッと投げ出す副料理長。このやろ、料理長がいないからって調子に乗りやがってこんちくしょう。
もういいもん、お昼ご飯の時間になるまでお母様にお菓子もらうもん、コンロガメのチャーミーと一緒に仲良く食べるもん。
この前、お母様の部屋の扉にも新設された小型魔獣ドアから鼻先を入れ、お部屋の中の様子を伺う。よし、コログミ製品は無さそうね。ひょいっと滑り込むと、困った顔をしたお母様が、目を吊り上げた侍女さんに怒られていた。なにをそんなに怒っていらっしゃるんで?顔こわっ!?
「奥様!なんど同じことを言えばわかっていただけるのですか!?」
「ぴきゃきゃぴぴー!ぴきゃきゃぴぴー!(般若がおるー!般若がおるー!)」
「…….ふふっ」
「トンちゃん!今、奥様にたいっっっせつな話をしているので足元でチョロチョロしないで下さい」
「ぷぷぷぴぱぴぱ?ぷぷぷぴぽぱぴぱ?(なんで怒ってるの?カルシウム足りないの?)」
「ほら、子供用の椅子を出したので、トンちゃんはここにいい子で座っていてください」
「ぷぴゃぴゃー(うわわぁー)」
シャスタお兄様の小さい時の椅子を出されて、そこに座らせられる私。
ちなみにいつも使うご飯を食べてる椅子は、リリーの小さい時の椅子らしいわ。お兄様のより丈夫なの。あと、こっちは小さいテーブルが付いてないタイプよ。
テーブルの上に置かれていたチャーミーが、椅子に座った私の方へのそのそと這ってくる、お母様のピンチじゃないの?なんでまた鼓膜遮断の膜下ろしてるのよ。
ラジモンなら加勢はせずとも主人の味方をするものじゃないの?マイペースにナッツを食べ進めるチャーミーを蹄でつつくと、シャッと首を引っ込められた。
「いいですか奥様、こら、トンちゃんとチャーミーの方を向かないで下さい」
「ぷぷぴぁ(ケチね)」
「お洗濯物の籠に読みかけの本を入れないで貰いたいと何度言えば聞き入れて貰えるんでしょうかね」
「ぷっきぴきぴぴきぴぃ?(おっと風向きが変わったぞ?)」
読みかけの本?洗濯物の中に??なんで??唐突な疑問に子豚は固まり、蹄で摘んでいたナッツをチャーミーに喰われ、可哀想な子豚になってしまった。
そんな子豚に目もくれず、お母様付きのそれなりに年嵩のある侍女さんは、溜息を吐いてお母様への説教を続けていく。
「アクセサリーもよく手袋の中に入ってらっしゃいますし、旦那様にお渡しする筈の書類が上着のポケットに入っていたりもします、そろそろ洗濯物係が泣きますよ」
「…………ぷぷ?(…………洗濯物?)」
「ペーパーナイフやペンがどこかに行くからと、乗せるためのプレートをご用意しましたが、プレートごと廊下に飾った花瓶の横に置き忘れるとはなにごとですか、せめてプレートは定位置に置いてください」
「ぷぴーきぴきぴぁ……?(プレートごと置き忘れ……?)」
「それと、忘れ物をしたくないから領地の見回りの際に馬車ではなく馬に乗るのは良いんですけれどね?厩に手袋、扇子、帽子、上着、書類、ネックレス、貰ってきた野菜、生菓子、果てはラジモンのチャーミーまで置き忘れたってもんですから、百歩譲って無機物は許しますが、いや、やっぱり馬が食べてしまうかもしれないので駄目です、とにかく生菓子とチャーミーを厩に置き忘れるのだけはおやめ下さい!」
「ぷらぁ……(あらぁ……)」
「困った顔をしても誤魔化されませんよ奥様!!」
お母様ってもしかして忘れ物が多い人?あのヒゲがどうやってお母様みたいな女性と結婚したのか疑問だったが、やっぱハンコとか置き忘れて勝手に婚姻届に判を押されたのではないだろうか。
冗談は置いておいて、なるほどなぁ、リリーには部屋を散らかす才能があるなと常々思っていたが、そこはお母様の方に似たのか。
いや、待てよ?ヒゲオヤジはどうなんだ、あいつだって部屋を汚くする達人なのではないか、そうだ、そうでなければいけない。
「馬に踏まれかけたチャーミーを見付けた時の、調教師の顔色を思い出すともう……聞いているんですか奥様?」
「ぷぴきゅきゃきぴきゃぱきぴぃ……(でもヒゲオヤジの部屋だけ妙に綺麗ね……)」
「トンちゃんのお耳から手をお離し下さい奥様」
前世で控えめに言って宝箱みたいな部屋に住んでいた私が言うんだ、異世界人はきっとお仕事にしている人しか片付けができない人類なのよ。あんな女神(未満)が作った世界だもん、きっとそう。
ヒゲオヤジの部屋だって、書斎だって、きっとスーパーハイパーヤサシイ執事さんが片付けてくれてるのよ。ヒゲだって仮にも貴族だもの、きっとそう。
「ぷきぴきゃきゅきゃきょーぴきょ!(そうと決まれば確認しに行ーこぉ!)」
「あっ、トンちゃん……」
「奥様」
「トンちゃん…………」
スッタカタカタカと部屋を飛び出し廊下を歩き、ヒゲオヤジの部屋の前に到着した。すると、部屋の中から何やら怒っているヒゲオヤジの声と、執事さんの怠そうな声。
ほらみろ、それみろ、とくとみろ。やっぱりヒゲオヤジもお片付けが自分で出来ない人間なんじゃないか、なんか大事な物を自分で無くしてお片付けしてくれる人に八つ当たりする人間なんだろ。トンちゃんは全てをお見通しなんだぞ。
バッターン!扉を勢いよく開きヒゲの執務室に入ると、書類をバサバサしているヒゲオヤジと、膨れ面でコーヒーを淹れている執事さん。
「適当に書類を入れおって!ちゃんとワシの言った順番通りに入れろと言っているだろう!?」
「大変失礼致しました、以後気をつけます」
「せめて日時は揃えろと何度も注意している筈だが!!?」
「ええ大変失礼致しました……先代より面倒だなこの坊主…………」
「あ!?面倒って言ったのか!?フリック今ワシのこと面倒って言ったのか!!?」
は?ヒゲが?書類を整理してる?あのヒゲが??呆然とその場に立ち尽くしていると、口をへの字に曲げたヒゲオヤジが、執事さんの淹れたコーヒーを飲んで文句を言う。
「ったく、絶対にワシのワインの貯蔵庫には手を出すんじゃないぞ、貯蔵庫と書類棚だけは自分で片付けるからな」
「はいはい」
「ワシはアリュートルチの当主でチュートリア領主なんだぞ!?もっと敬わんか!」
「木の小舟で遊んで川に流されてた頃からよ〜〜〜〜く知っておりますとも、茶菓子です」
「その言い方は明らかに馬鹿にしてるだろ!!……ん?子豚、ワシに何か用でもあるのか、無ければとっとと出ていけ領主様はお前と違って忙しいんだ、シッシッ」
そんな……ヒゲオヤジは片付けが出来る人間だというの……?そんなの嘘よ、騙されないわ、嘘に決まってるもの。
よろりよろりとふらつきながら、開け放した扉にもたれかかる私。そんな可愛い子豚の姿を見て、鼻を鳴らしてコーヒーを啜るヒゲオヤジ、嘘よだって見た目からして大雑把そうだもの。
衝撃に負けまいと歯を食いしばり、地を踏み締めるトンちゃんに、ヒゲオヤジがさらなる口撃を喰らわせてきた。
「シャスタには学校に行く前にキチンと部屋を片付けさせんとな、いい加減にしないと虫が湧きそうだとの話ではないか」
「もう出てるんですよ、何せ植物やら土やら虫の死骸やらを持ち込むものですから、シャスタ坊ちゃんが山に行った次の日は、掃除当番のメイドが泣きつきに来ます」
「ふむ……シャスタもリリーも、グレイスに似てくれたのはいいが片付けが苦手な所まで似ずとも良かったのになぁ」
「ぱぷぱぱぴゃぴぴびぃ!!(信じないからなぁ!!)」
「うるさいぞ子豚、とっとと出てけと言ったのが聞こえないのか……なにを倒れて遊んでいるんだお前は、呑気なやつめ」
しんじない……トンちゃんしんじないからなぁ…………ッ!!こうして、元お片付け出来ない系人間の哀れなトンちゃんは、卑怯なヒゲオヤジの口撃によって倒されてしまったのであった。