72.蜂蜜は偉大
雪。それは白く、冷たく、時には災害にもなり得るもの。幸い、リリー達が住むこの辺は、そんな雪国って感じの雪国ではなかったらしい。
空からひらふわと可愛らしく降り注ぐ雪の花弁、窓から見えるすっかり冬になってしまったチュートリアの町を、リリーに抱えられながら眺めた。
「トンちゃん雪降ってきたね」
「ぷぴぅぷっきぴきょー(寒くなったわねー)」
「雪積もったら一緒に遊ぼうね」
「ぴみゃぴゃみゃ(断るわ)」
何が楽しくて雪の積もる中、このふわもちキュートンボディを外の冷たい空気に晒さねばならんのか、子供は風の子だがトンの子はトントンの子なんだぞ。まぁ魔獣になってからそんな寒いと思わないんだけどね。
それはそうと、今日は一大イベントがある日なのよ。この前、ヒゲオヤジにトレードさんから異国の料理を聞いてパーティーするぜって話をしたろう、そうよ、今日がその運命の日なの。
「ププピピぷきゃきゅきっきゃーPU-KYANぴぷぷっぴきゅキュ?(異世界グルメハンターTON-CHANを満足させる事は出来るかしら?)」
「マリーちゃんのお父さんしか来ないんだって、マリーちゃん忙しいのかなぁ」
「ぷーぴきゅぴぷきゅきゅぴきゃ!(正直に言うと期待大ね!)」
「そうだねぇ、ゴマもちちゃんともまた遊びたいねぇトンちゃん」
今日のお昼はなぁにかな!異世界グルメハンターTON-CHAN出動よ!!
◆〜◆〜◆
ヒゲオヤジから順に席に着く、ヒゲ、トレードさん、お兄様、リリー、私、お母様、で、長い机をぐるっと囲んだ。
何故トレードさんとお昼ご飯を食べる事になってるか?それはね、今回持ってきてくれた材料?を使った料理がトレードさん大好きなんだってさ。ただ、辛くて奥さんとマリーちゃん、使用人さん達にも不評らしいの。悲しいわね。
「リマさんにご足労をお掛けして申し訳ない。あんな子豚の為に態々材料まで揃えて貰わずとも、本当に申し訳ない」
「いえいえ!とんでもないですチャーリーさん。大量に作った方が美味しい物なんですが、私の家ではどうも不人気でしてリクエストもさせて貰えなくて……マリーにも嫌だと言われてしまいましてねぇ…………」
「ぷぴぅぴぴきゅぴぷプピピィ?(子供が食べられないものなの?)」
辛かったり、苦かったり、いわゆる大人の味だったり?そういう料理なのかしら。漬物、酢の物、香草、山菜類。ピーマンの肉詰め、イカの塩辛、唐辛子とか、ニンニク使ってるとか?
味とか匂いにクセがあるみたいな、そんな理由なのかしら。私専用のフォークとスプーンを持って、みんなに不人気な異世界の異国料理を待っていると、とてつもなくお腹が空く香りが漂ってきた。
「お待たせ致しました、トレード様がお持ちになったレシピ通りの、インダーラの"カルー"です」
かちゃん。目の前に置かれた少し深いスープ皿には、スパイシーな香りを放つ黄色っぽく、かつどろりとしたスープが並々と注がれている。そこに入っているゴロリとした、じゃがいも、にんじん、そして玉ねぎ。
スープ皿よりひとまわり小さなお皿には、ふわふわとしたパンが二つ、行儀よく並べられていた。反対隣には両側に持ち手がついた私用のプラスチックで出来たコップに牛乳が入れられて、うるさい、赤子用じゃねぇから。
小皿には斜め切りで切られたキュウリとプチトマトのピクルスが、艶々と部屋の明かりを反射させていた。
こ、これは、子供の好きな料理ランキング一位二位を争う、嘘だろう、何故マリーちゃんは子供なのに嫌いなんだ?トレードさん家で働いている人達にも不人気??そんな訳ないだろ????
だって、私の目の前にあるものは。
「ぷぴーきゃぅ!(カレーじゃん!)」
「凄い匂いだねぇトンちゃん、いただきまーす」
「ぷぴーきゃぃ!!(カレーうま!!)」
「ぉぶァ」
うーん見ても食べても普通に美味いカレー、隣で何故かリリーが口を押さえて目をかっぴらいてるけど、普通にスパイシーなカレー。米が欲しいよ料理長、お米は無いの?料理長。
ガガゴゴガと一心不乱にカレーを口の中に掻きこみ、皿のカレーを一滴残らず千切ったパンでこそげ取って食べ、メイドさんにおかわりを要求する。
そんな私の隣でコップに入った牛乳を飲みながら、私の豚耳を引っ張るリリー、何よ、今食べるのに忙しいんだけど。
「トンちゃん、トンちゃん、辛いよこれ」
「ププピピぷぴーぴきゃぴぃ(それがカレーというものよ)」
「リリーびっくりしちゃった、辛いよねこれ」
「ぴぴきゃっぴゃプピピィ?(耳引っ張るのやめてくれない?)」
「そうだよね、辛いよね、やっぱりトンちゃんもカルー辛いって思うよね」
「ピピー?ぷぴぴきゅきゃきゅぃ??(リリー?引っ張るのやめてくれない??)」
「よかったぁ、リリーだけじゃなかったぁ、やっぱりカルーは辛いんだねぇ」
「ぴぴー?(リリー?)」
全く会話が出来ないと不便でならないわね。どうして魔獣は人の言葉を話せないのかしら、何を言ってもぷぴぷぴって可愛い鳴き声になっちゃうの。これも全てあの女神(仮免)のせいよ。
コクコクと喉を鳴らし牛乳を飲み続けるリリー、耳離してよ、おかわりきちゃうじゃないのよ。
しゃーないやつめ。超優しい愛玩子豚魔獣トンちゃんは、手元のスケッチブックを引き寄せ『はちみつ ください』と書いておかわりを持ってきてくれたメイドさんに見せた。
「トンちゃんもうデザートにするの?」
「ぴみゃんみゃぴゃーに(んなわきゃないでしょ)」
「小皿に入れて持ってきましょうか?」
「ぷき(頼むわ)」
「だよねぇ、だってカルーとっても辛いもんねぇ、甘いの食べたくなっちゃうよ」
暫くリリーの耳ひっぱり攻撃を受けていた私だが、蜂蜜の小皿が手元に届いたので、反撃に移ることにする。いい加減私の可愛い豚耳が取れそうだからね。
小皿を持ち上げ、中の蜂蜜をリリーのカレー、もといカルーへと優しくトッピングしてやった。
トロパパパーー
「トンちゃん!?リリーのカルーに何するの!!」
「ぷぴゃぁぴゃっき(魔法のトッピング)」
「ハチミツはそのまま舐めるのが美味しいの!カルーにかけたら辛くなっちゃうでしょ!!」
「リリー、食事中に子豚と喧嘩しない、子豚は後で話があるから食べ終わったら待ってなさい」
「ぷぴぱきゅぴ(私からは無いわ)」
うるさい親子ねぇ、トンちゃん困っちゃう。おかわりしたカルーをムシャムシャと食べ続けていると、リリーが渋々ハチミツトッピングしてやったカルーに手をつけ始めた。
手に持ったスプーンで蜂蜜とカルーをくるくると少しだけ混ぜて、嫌々掬って口に運ぶ。
「まったく、トンちゃんはきっとハチミツをそのまま舐めたこと無いのね、カルーになんて混ぜたら絶対美味しくなくなる……甘くておいしい」
「ぷぴぷぴゃぴ(よかったね)」
カレーが辛い時には蜂蜜を入れよ、ただし入れ過ぎるとサラサラカレーになって戻らないから気をつけよ。澱粉のアミラーゼを分解するからどーたらこーたらって書いてあった気がするけど、よく覚えてないわ。
とにかくお子様舌にはこのスパイスたっぷりカルーは辛いだろう、ご機嫌にパクパク食べ始めたリリー、牛乳のおかわりはもう要らなそうね。
今日はカレーがカルーって名前でこの世界にあるってことが分かった良い日だったわ。
隣でずっとリマさんにスパイスの事を延々と聞き続けているお兄様とか、涼しい顔をしてカルーを食べているけど実は牛乳のおかわりが五回目のお母様とか、執事さんにこっそり蜂蜜小皿を頼んでるヒゲオヤジとかに目を瞑ればとっても良い日よ。
異世界人って、スパイス辛いのが苦手な人多いのかしら。私は三杯目のカルーにスプーンを沈めながら、そんなことを考えていた。
◆〜◆〜◆
後日、トレードさん率いる黒鴎商会と提携しているらしい、あの錦エビの養殖をやってるミウの町の食事処『錦の旗』のメニューに、新しく甘口シーフードカルーが追加されたらしい。それなりに好評なようだ。
追加料金で上にクソデカエビフミャーも乗っけてくれるようだ、料理長にお願いして今度のカルーの時に乗せてもらおう。
そしてトレードさん家では、すりおろし林檎と蜂蜜の合わせ技により、シーフードでならばカルーを出してくれるようになったみたいだ。
だが、カルーを辛くしたいリマさんの要望は通らなかったようで、錦の旗に裏メニューとして辛いカルーという、蜂蜜と林檎の入ってない普通のカルーがあるようだ。
まぁ、世界は違えど美味しいものは沢山あるので。
「ぷぴゃぴゃぁきゃピーキューぴきゃぴきゃっきゅきぃきゅぴぃ!!(これからも異世界B級グルメハンタートンちゃんの活躍を期待してくれよな!!)」
「トンちゃん!リリーの分のプリン勝手に食べたでしょ!!待ちなさいトンちゃん!!!!」
カレーに入っているデンプン、こいつがカレーを保存の為に冷ますと固まってしまう原因である。後で鍋を洗いにくいったらありゃしない。
このデンプンを固まらないようにしてくれるのが、蜂蜜に含まれているアミラーゼという酵素だ!
この酵素にはデンプンを分解して糖に変える働きがあり、カレールウのとろみ成分であるデンプンを糖に変え、固まらないようにしてくれるぞ!!
だけど75°以上の温度ではこのアミラーゼの働きは弱くなってしまうんだ。カレーを少し冷ましてからティースプーン一杯分の蜂蜜を入れるのをお勧めしよう。
もしシャバシャバのスープみたいなカレーがあまり好きで無いのなら、蜂蜜を入れてから短時間煮込んで火を止めるのでなく、焦がさないよう混ぜながら暫く加熱を続けるとアミラーゼの働きを緩和できるぞ!みんなもやってみよう!!
(グルメハンタートンちゃんの覚え書き)




