5.トントン、トン走す
犬共のところへと戻されては堪らんと、調教師っぽい人の魔の手から再び抜け出したのまでは良かった。
奴の肩につけてやった私の掌底撃ちの痕、桜の花びらみたいでさぞかし素敵な装飾になったことだろう。魔獣トントンの技の一つ『桜パニッシュ』を喰らわせてやり、私はその場からトン走した。
だが、どうやら脅威は去っていなかったようだ。
今現在、小さくか弱い子豚である私の目の前にそびえ立つのは氷山でも大海原の津波でもなく、青いドレスを着ている女の人。
この眼前に聳え立つあの少女のお母様らしき人は何を考えているのか分からなくて少ぅし、……嘘ですとても怖い。こちらを観察している彼女から逃げる為に後ろを向いて駆け出そうとしたら。
「ぴきゃっ!?ぷきゅぷきゃー!!?ぷぎーぷぎぎゅきー!!!?(地面が無い!?嘘でしょまさか魔術!!?全然前に進まないわ!!!?)」
「……………………」
わたたたたと短い四本の足を全力で動かすも全く前に進まない。それどころか周りの景色がどんどん後退して私の体はすいすいと上にあがっていって…遂には彼女の手に抱きかかえられてしまった。
仕方なく暴れるのを止めてそのまま目の端で流れていく廊下の壁を見ながら目の前にある無表情の美人の顔を見る。
怖い。逃げようにも魔獣とはいえ子豚であるから人間の大人の力には流石に逆らえない。耳をへたらせぷるぷる震えながらこの後の展開を考える。
ああどうしよう私このままきっとコンガリ焼かれてしまうのだわ。きっと丸焼きなのよ。子豚の丸焼きよ!お肉も柔らかくて絶対美味しいわよね。それとも中華の北京ダックみたいに中身は捨てて香ばしく焼いた皮だけ食べられるのかしら?なんて勿体ないことをするの!中身までちゃんと食べなさいよ!……じゃなくてそうよね、家畜が家の中で我が物顔して歩いているのはやっぱり嫌だったのね御免なさい。私、今日からお外でワンちゃん達と暮らすから!だから食べないで下さい!お願い殺さないでぇ……!
恐怖に目を瞑って震えていた私の顔に何か温かいモノが吹きかかる……───いや、何か熱いものが鼻を撫でてきたと同時に抱えていた腕が離れ、また胴を両側から持たれ何かに掲げられる。
立ち昇る湯気の先には鈍く光る銀色……。
まさか、これは。
「ぴきーー!!!!(釜茹でっっ!!!!)」
目を開けても真っ白で何も見えない。多分湯気の中に居る。今世の私の死因は釜茹です。ご愛読ありがとうございましたあああ、じゃない!!死にたくない!!必死に暴れるも両脇腹をがっしりと掴む女の人の手は離れない。ああもうだめだ、一筋目から涙が溢れ、だらりと力無く垂れた私の蹄の先が熱湯の中に入っ…………??
「ぷきーー…………(お風呂ぉ…………)」
ぬるま湯だった、ちょっと熱いぐらいの。水深は自分のお腹より少し上あたり、鍋ではなく湯船がわりのタライの中で森で出会った少女のお母様の顔を見上げる、楽しそうに笑っていた。ちゃぷちゃぷと水音が響く中わしわしと石鹸で身体を洗われる。
───殺されるかと思ったぁ。
いや違う、その時私の脳内に閃光が走る、何処を走って何を食べてきたのかわからないような子豚をなんの下処理もせずに調理するだろうか?否、しない。洗い終わったのか持ち上げられ、台の上でタオルに巻かれる私はまた震え出す、揉み込むようなこの動き、まさか豚カツにされ、る……!?
「ぴきゃー!ぴきゃきゃー!!(少女!助けて私を拾った子ぉー!!)」
助けを求めて泣き叫んだが豚の鳴き声にしかならない。まさかの情操教育の一環……!?一人の少女に美味しいよぅ子豚ちゃんと泣きながら食される為だけに私は転生したのか!?嫌だ、まだ死にたくない。折角人型に進化できる種族なのにぃ!嫌だああモンスターになんて転生したくなかったあ!!この短い手足も申し訳程度の蹄もなんの役にも立たないじゃないか!誰か助けてぇ助けてようお母さん……………。
揉み込むように動かされていた手が体に巻き付けられていたタオルを外した。このまま運ばれてきっと次はまな板の上に置かれるのよ…………??
「ぴきゅー………………(ブラッシング………………)」
そのまま青いドレスのお膝の上で鼻の先から巻いた尻尾の端まで梳かされた後、首に高そうな生地のリボンを巻かれて蝶々結びにされ、廊下にそっと下された。
後ろを振り向くと微笑みながらこちらに軽く手を振って自室らしき部屋に入っていくお母様。
ピカピカになった体と結ばれた素敵なリボンを見て。私は……
「…………ぷきぃ(…………優しい)」
そう、子豚の鳴き声を漏らした。