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TonTonテイル  作者: かもねぎま (渡 忠幻)
11/113

11,お勉強の時間①


 この世界の文字が日本語では無いと知った日の夕食時。


 見て見てえ!と私が書いた緑色の“わ”の字をリリーは家族に見せびらかしていた。最初は和やかな雰囲気が流れていたが、お母様が出てきたところからどんどん場の気温が下がっていった。

 この短いふわふわ毛皮では耐えられない程の冷気が目の前のお母様から出てきている気がする。


「まあ、凄いわねートンちゃん。リリーも頑張らないといけないわねぇ」


 お、お、お、お母様がたくさん喋った!?メイドさんの手から布巾が落ち、執事さんらしき人の手の万年筆が変な動きをする。このお屋敷に来てから三日ほどが経った今まで、かつてここまでお母様が長く喋った日があったであろうか、いや、無い。

 静謐な微笑みを浮かべていらっしゃるお母様の目を見て戦慄した。



 目が笑って、無い。


「ねー!お母様、すごいでしょトンちゃん、さすがわたしのラジモン!!」

「えぇ、トンちゃんは頭が良いのね」


 何故?何故この娘は気がつかない?リリー、アンタこれからお母様に酷い目に遭わされるというのに、どうして気がつかないの?周りを見回すと何ごとかをヒソヒソ話し合う使用人の方々、真剣な顔過ぎて某スナイパー漫画の作画調になっている。


 はしゃぎながら私の描いたモノをさも自分の手柄の様に掲げているリリーに向かって私は。


「……ぷーきー(……なーむー)」


 取り敢えず短い手を合わせておいた。




 その翌日から、私とリリーは仲良く二人で家庭教師から字のお勉強を教えてもらう事になった。理由は簡単。トンちゃんと一緒じゃないとやだ!とリリーが駄々を捏ねたからである。床に転がって。

 しかし初日から問題児リリーは、勉強を教えてくれる先生が来るまで待っててね?と言われた部屋に入って十秒経つかたたないかで、いきなりお腹を抱え始めた。


「あいたたた……トンちゃんリリーおなかいたいから、先生に言っておいてね……おやすみしないと……」

「ぷぴぷぷ(無理がある)」

「あーいたいなぁーこれはおやすみしないとしんじゃうなぁー」

「ぴきぷきぃ(茶番ね)」


 ヨロヨロと千鳥足(偽)で部屋の扉まで歩いて行き、素早い動きでドアノブを握るリリー。だが逃走は持っても数分だろう、精々お母様に見つかって説教でもされれば良いわと見送ろうとしたら。

 扉の隙間から柔かな笑顔が見えた。


「リリー?どこに行くんだい??」

「しゃ、シャスタおにいさま……」


 完封。



 その後も諦めの悪いリリーの挑戦は続き。


「御手洗いなら僕が連れて行くよ?」


「おやつかい?リリーの先生が来た時に出される物があると料理長から聞いたよ、楽しみだね」


「喉が渇いた?それなら少しだけ部屋の中にあるレモン水を飲もうか、飲み過ぎはいけないよ、また御手洗いに行きたくなるからね」


「勉強道具を忘れた?おかしいな、リリーの勉強道具は全てこの部屋で埃をかぶっていた筈だけど」


「そんなに先生が待ちきれないのかな?大丈夫、教えるのが上手だと噂の先生だから、きっと勉強が楽しくなるとおもうよ」


 お兄様のやんわりとした鬼発言にリリーはショックを受けて麻痺状態だ、扉を開ける度にそっと中に戻され続け、今は私の隣で机に突っ伏して涙を流している。


 確かに、私がこのお屋敷に来てからリリーが勉強をしている気配が無いからちょっとおかしいなぁとは思っていたのよ。

 普通?というか、辺鄙な地でもお金に余裕のある貴族のお嬢様って、この歳ならマナーやらなんやら覚えなきゃいけないのではとは思ってたのよね。まさか何回教師を変えてもジッと座って勉強していられなかっただなんて、リリー、私アンタの将来が心配よ。


「おにいさまの……うらぎりものッ……!」

「ぷっぴぴぷきゅー(全部アンタの為よ)」


 それに比べてお兄様の方はマジで出来たお兄様のようで、頭脳明晰で気遣いもできる、勉強が趣味な変人みたいだからねぇ。

 そりゃバカな子ほど可愛いとは言うけど、流石にここまで脱走するような問題児だと心配にもなるわ。ぷぴーと鼻を鳴らして、まだ見ぬ先生を待つ事にした。




◆〜◆〜◆


 私の名前はミス・メープル、こちらにお座りをしているのは私のラジモンであるプードリアンのアン。

今日からこの緩やかに時間の流れる田舎の地のお嬢様に、勉強を教えて欲しいと頼まれた。


 綺麗な空気に優しい川のせせらぎ、牧草地に離された牛が気ままに歩き回っているのが見える。教師となってからは乞われて色々な地域を飛んで回った私達だけれども、教師としてはこれを最後のお仕事にしようと思っている。


「私も貴女も歳だものねぇ、アン」

「クゥン」


 舗装が十分ではない道の為、よく跳ねる馬車の中で一人と一匹が笑い合う。ここに家を建ててのんびり残りの余生を過ごすのも良いかもしれない。ガタン!と最後にひとつ大きく跳ねた馬車は、今まで見てきたよりもずっと小さな、でも雰囲気の良いお屋敷の前で止まった。



 出迎えてくれたのはこの屋敷の夫人。表情があまり豊かではないようだが、困っているという雰囲気なのは見てとれた。プードリアンを使用人に頼み、どうやら随分なお転婆さんが居るらしいお屋敷の中へ入って行く。

 どうか娘を宜しくお願いしますと頭を下げていった夫人を見送り、部屋の中に入って挨拶をした。


「こんにちはお嬢さん、私の名前はミス・メープルと申します……あら?」


 机が二つ。おかしいわね生徒は一人と聞いていた筈なのだけど、私に対して嫌そうな表情を隠す事をしないお嬢様が一人と、薄桃色の可愛らしいトントンが一匹…………トントン??


 こちらを見つめる二つの円く黒い瞳、くりんと綺麗に一巻きされた尻尾、鈍く光るよく手入れされた蹄が一揃え机の上に置かれている。

 近づいて顔をよぉく見つめてみたが、幻覚でもなく化かされているのでもなく、お人形でもない生きた魔獣が、それも好奇心のままそこら中を駆け回る無邪気なトントンがお行儀良く席についていた。


「あらまぁ、この歳まで生きていて魔獣がお行儀良く席に座っているなんて光景初めて見たわ」

「みす・めーぷる、この子ね、わたしのトンちゃんなの、とぉってもかしこいのよ」


 成る程、なるほど、安心毛布のようなものなのね。さっきまで嫌々この場に居たお嬢様が、花の咲いたような笑顔を見せた。勉強が苦手な子は多くいる、運動だって嫌いな子は沢山いる、芸術も家庭科もしたくないと泣く子がいっぱいいる。

 嫌いになった理由は人それぞれだろう。だが、それらを少しだけ好きになる術を教えてやるのが、教師の仕事だと私は考えている。


「トンちゃんさんも私の生徒になりたい?」

「ぷきゅっ!」

「そうなの」


 なら、生徒が一人増えたとしてもする事は今までとおなじだ。小さな子豚の頭に手を置くと、ぱちっとひとつ可愛らしい瞬きをして返してくれた。



◆〜◆〜◆


 リリーが“わ”の字を見せびらかしたその翌日から、わたくしプリティーキュートなトンちゃんはリリーと机を並べて字の勉強をしているわけなのですが。

 魔獣に字を教えようだなんてふざけていると思う一方で、この世界の文字を教えてくれるのは正直ありがたいと思う。


 私は魔獣で、人語は喋れないけど字を覚えられたら筆談でこちらの考えを伝える事が出来るだろう、そうすれば中身は人なのだと伝えるのも容易い。


 リリーにこのたびつけられた家庭教師のメープル先生も魔獣である私を忌避する事なく、領主一家の括りと見做したのか“トンちゃんさん”と何故か敬称付きで私の事を呼び、丁寧に勉強を教えてくれる。

 紙と鉛筆を用意して待っていたら驚かれたけれど、年の功なのかそれとも肝が据わっているお人なのか、ここはこう書くのよと私の短いお手手を掴んでゆっくり教えてくれた。


 汚いながらも幼児が書いたぐらいの字が描けるようになり、簡単な単語ぐらいならば意思疎通もとれるようになってきた。



 ところで、それなりに広い部屋なのに何故か机をピッタリくっ付けていつもリリーと私はお勉強しているわけなのだが。……皆様お気付きのように、実はリリーのやる気を引き出し、勉強から逃げ出さない為のお母様の苦肉の策なのだ。


 シャスタお兄様が勉強が出来すぎるせいで、何をしても劣っている気分になり勉強にやる気が出なかったリリー……なんという事でしょう、魔獣故に文字を書けるようになる速度が()()()()の私を隣に置く事で、勉強のやる気がでて、お部屋から逃げ出さなくなりました。


「ぷぅききっ(本当面倒な子ね)」

「トンちゃんどおしたの?分からないところあるの?」

「ぷきゅぷぷぷ(わからなくてもアンタには聞かないわよ)」

「リリーが教えてあげる!えっとねーこれはこう書くんだよー」

「プヒゃぷぴょぴょ(だから要らんって言ってるでしょ)」


 こちらの"わ"にあたる文字を私に与えられた紙に書いてくるリリー。ちょっとアンタやめなさいよ、マスからハミ出てるじゃないのもーあーもーー。


 お姉さんぶりたいお年頃なのか一生懸命に教えてくるリリーの手を止める事も出来ず、諦めて消そうと消しゴムを探したが見当たらない。

 仕方ない、リリーから借りるかと、机にぶつかりそうなほど前屈したリリーの後頭部を叩いて顔を上げさせる。蹄を目一杯開いてからくっ付けて四角をつくって見せると、まぁるい目をパチクリとさせて真似してきた。


「なぁに?トンちゃん?何か欲しいの?」


 同じジェスチャーをしながら首を傾げるリリー、人差し指と親指で丸を作ってうんうんと唸った後、わかった!と満面の笑みを浮かべてこう言った。


「あっ!おまんじゅうが欲しいのね!」

「ピギュギュギィ!!(なんでやねん!!)」

 たァーン!!


「いたぁっ!トンちゃんちがうのぉ……?」


 何がどうなってお饅頭が欲しいになるのよ!今勉強中なのよ!?もう一度リリーに向かって同じように丸だか四角だかを蹄で作り見せる。そして、やっぱり真似をして指で丸を作り同じポーズをとるリリー、うーんうーんとしばらく唸った後。


「えっとおお…卵ぉ?」

「ピキッぴぃ!!(食べ物から離れなさい!!)」


 スッぱーん!

 また私の美しい蹄で叩き落とされるリリーの手。


「えぇ……トンちゃーん。わかんないよぉ」


 二度も叩かれてリリーは半泣きである。仕方ないわね、書き取りに使っているマス目のある紙を引っくり返し、フン!と鼻を鳴らしたらぷぴぅと間の抜けた音がした。机の上に転がして置いた鉛筆に短い腕を伸ばし、マス目のない白い紙の上に大きく文字を書いてやる。


け し ご む


「クッキーじゃなかったのね、あいたっ!」

ぺチムッ!



 …………ああ、二本しかないゆび、指?蹄が恨めしい。シックな茶色の蹄を見ながら、前世の自分の白魚の様な手を思い出す、そうよ人間の時はもっと指も長くて爪も小さくて正に美少女然としたお手手だったのに……。

 それにしても、勉強中に饅頭寄越せだなんて私が言うわけないじゃないの。失礼ね!トンちゃんはい、なんてリリーに渡された消しゴムを使い、はみ出したこの世界の"わ"の文字を器用に消す私と、イテテだようトンちゃんと唇を尖らすリリーをメープル先生が優しく見つめていた。


プードリアン: ドーベリーよりも大型の犬型魔獣。怒ると尻尾の先の丸い部分を敵にぶつける、ぶつけると臭い匂いが敵にくっつき取れなくなる。





 それにしても、あの佇まいといい、品の良い雰囲気といい、手に持った小さいハンドバックといい英国の気品のあるお婆さまを彷彿とさせる出立ちのミス・メープル先生。馬車に揺られて去っていく姿を見送るリリーと私に柔らかな笑顔で手を振っている。

 手を振りかえすリリーの隣で私は、有名過ぎる英国の推理作家の作品に登場する、観察眼鋭すぎお婆様を思い出していた。


「ぷーきぃーっぷぷ、ぷーきぃーっぷぷー♪」

「トンちゃん?」

「ぷぅきぃー、きぃ〜っきぷぷぴ〜♫」

「おべんきょーおわってごきげんね、いっしょにおやつ食べにいこー!」


 明るくのどかな曲調のオープニングの中、突然画の端っこに死体を出すのはびっくりするからやめて欲しい。リリーに抱えられた私は、素敵なティータイムのために激しい縦揺れを我慢する事にした。

 

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